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ショートショート『近い将来の姥捨て』

作者: 仁

母親を背負って雪がちらつく山道を登る男がいた。時は2050年代。政治情勢が混乱している事もあって、法令化されている訳ではなかったから慣習としてだが、各地で姥捨ての文化が再興していた。息子はいつか見た古い映画を無意識に真似て、母親にこう声を掛ける。「寒くないか?」大丈夫、と背中から声は返る。今から自分は、この人間の命を棄てに行こうというのに。


母親は七十歳を超えていた。息子とて四十で、若さには翳りが見え始めていた。老いを認識し始めた者が、充分に老いたとされる者を棄てに行く。それはどこか、自分自身を棄てに行く事と似ている。

そして自分の方は帰って来なければならない。いずれ自分も(もはや子を持つ事が期待出来そうもないこの自分も)、誰かにこうして棄てられるであろう事を知りながら、すごすごと下界へ帰って来なければならない。それは人生というもの全体の徒労を思わせる作業だった。


ゴザを敷き、その上に母を降ろす。あの映画と同じだ、と思いながら、男はまた「寒くないか?」と母に訊ねる。「寒くはない」と返す。寒さで死ぬ為にここへ置いていく、置いていかれる二人の間で交わされた言葉である。その二人は親子である。

愛情があるから息子が直接山へと運んできたのであって、そうでない者は葬儀業者か宅配業者か特殊清掃業者に頼む。政府の補助が入るから格安だ。今日、あの沢山の老人がトラックの荷台に詰められて運ばれていく様を、見た事の無い人間などいない。この国は戦後、利便の為に多少無理してでも道路を作った。自動車を作った。そしてその利便は今、年寄りを合理的に処分するという利便に適っている。

それが『楢山節考』という、姥捨ての文学化という偉業が為されて尚、百年経ったこの国の哀れな実像だった。男はどうしても母をあのトラックにだけは押し込めたくなかった。その理由は、「寒くはない」と返すその言葉に全て籠っていた。


「早く行け。帰り道気を付けて行け。風邪をひくな」

と母は言った。一体帰って何になるのだ、と男は思った。自分が母の年頃になれば、人ではなくトラックに運ばれて行く事になるだろう。こんな終点の為に続けられる生活とは一体何の意味があるのだ、もう一度こんな事を小説に書けというのか、そしてもう百年経ったらまた書かねばならんのか、もはや誰もそれを読まないとしても書かねばならんのか…男の言いたい事は言葉にならず、本当に聞かせるべき対象もおらず、只々涙になっていつまでも流れた。幼児からまるで成長しなかった様に涙がこぼれた。案じて「行け」とだけ言う母の前で、人骨の転がりカラスの舞うこの雪山の奥にて、四十の男は只々泣いていた。

こうならないといいなという願いを込めて。どうなると良いかはもう一つ上手く考えられないけれど。

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