ある冷酷な王様と愉快な大悪魔のお話
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ボクたちはなんだってできる。
そんなボクらを彼らが呼ぶときは決まってこうだ。
「悪魔め……っ!」
まるで先祖代々を呪い殺されでもしたような目で初対面のボクたちにそう言うのだ。
ある冷静なものたちはこう言う。
「彼らと約束してはいけない。彼らにお願いしてはいけない。彼らは多元宇宙的恐怖なのだから」
ある意味では正解。
ある意味では不正解。
確かにボクらは“約束”を重視するし、“お願い”には対価を求める。
だけど、君たちだって“約束”は大事だし、“お願い”に無償で奉仕しないよね?
それはこんなボクとある残酷で、冷酷な王様の話。
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全て間違っていた。
不老不死の術は、不老不死を実現しない。
いくら体を乗り換えても、いくら腐り落ちる肉体を捨てても、いくら若く瑞々しい体を乗っ取ろうと、魂は劣化する。
それは転写するたびに劣化し、破綻を起こし、欠落し、記憶が失われる。意志が失わる。自分が自分であるという証が失われる。
“狂えるルートヴィヒ”と呼ばれる私は、いくつもの実験を行ってきた。
孤児たちを人体実験に使った。必要ならば騎士たちに若い女たちを集めさせた。それに対して反対意見があるならば皆殺しにした。貴族であろうと容赦なく処刑した。それでも足りなければ他国に攻め込んだ。
それが“狂えるルートヴィヒ”。私だ。
だが、いくら繰り返しても、いくら繰り返しても、魂は劣化し続ける。
いずれ、自分の記憶も、意志も、私が私であるという意味も失われる。
理論上は腐り落ちる肉体を、劣化の定められた肉体を捨てて、新しい赤子の肉体に魂を転写したならば、純粋なエーテル体である魂は不滅のはずだった。
だが、分かったのだ。これは偽りだと。詐欺だと。まやかしだと。
魂すらも人間は劣化させてしまう。転写するたびにずれと欠落が生じる。
だが、私はまだ死にたくない。
真理に至っていない。
生命が生命たる条件。それが失われるという不可逆な現象とその結末について。
つまりは、本当の死を迎えたときに魂はどうなるかのについて答えを得ていない。
私はだから死が恐ろしい。
明日には公爵家の令嬢と結婚する予定を立てている。
公爵家の娘には子供を産ませる。そして、私はその肉体に──。
ダメだ! ダメだ! ダメだ!
それでは私が失われる! それでは真理に至れない! それでは──。
ああ。犯してきた罪について死後、どう裁かれるというのだろうか。
私は大罪人だ。地獄の最下層ですら生温い。
ひとり、王座の間で嗚咽する。
家臣たちは私を恐れて寄り付こうとしない。
“狂えるルートヴィヒ”には友人も、愛人も、恋人もいない。
そこにある女が姿を見せた。
意匠の変わった黒いドレスの娘だった。濡れ羽色の髪の美しい娘だった。
血のように真っ赤な瞳をした娘だった。
「やあ、狂える王様。世界に絶望するにはまだ早いんじゃないかい?」
その場で首を刎ね飛ばしてやってもよかった。
王に、この私に、この偉大なる死霊術師たる私に不敬な態度を取った時点で首を刎ね飛ばしてしまっても、誰も文句のひとつもいいはしなかっただろう。
「そんなに死が怖いかな? それとも死の先にあるものが怖い?」
腰に下げた剣の柄に手をかけそうになり、そして止めた。
この女はただの小娘ではない。
「……何者だ?」
「あるものはこういう悪魔。あるものはこういう大悪魔。あるものはこういう多元宇宙的恐怖。あるものはこういう──天使」
「おお。ついに死が私を迎えに来たのか。私を裁きに来たのか」
ついに神が私を裁こうとしている! 私の非道を裁こうとしている!
「いいや。違うよ、狂える王様。ボクは君を助けに来たんだ」
「私を助ける……?」
「君は肉体を乗り換えて来た。何度も、何度も、何度も。赤子の肉体を奪い、王位の座に留まり続けた。それは権力のためではない。君にとって権力は道具だ。君はただ、死んだ後のことが、罪を裁かれることが恐ろしい。それだけなんだろう?」
私が最初に罪を犯したのは、兄を殺したとき。
食事の席で兄に毒を盛った。
王位継承順位第一位であった兄が死ねば自分が王位を継げるから。
今思えば、ただそれだけの理由で兄を殺してしまった。
兄は悶え苦しみながら、私を指さした。
「呪われろ。貴様の罪は必ず地獄で裁かれる」
その兄の言葉は文字通り私の呪いとなった。
私は死を恐れた。死後の裁きを恐れた。
そして、より多くの罪を重ねてきた。
確かに権力は道具だ。それ以上でもそれ以下でもない。いずれ手放す時が来る。
何故私はそんなもののために罪を犯し、罪を重ね、そして苦しんでいるのだ?
「大丈夫。大丈夫だよ。狂える王様。ボクが君を助けてあげる。君はボクにお願いする。『不老不死を』と。ボクはそのお願いを叶える。その代わり、君もボクのお願いを果たさなければならない」
「お前の願いとはなんだ?」
「『愛する』こと。その命が続く限り、ボクを愛し続けること。つまりは永遠にボクを愛し続けること。それだけだよ」
娘はそう言って笑った。
「それだけで……それだけで私は永遠の生が手に入るのか? 死を、死後の裁きを恐れずに済みのか? たったそれだけで?」
「たったそれだけで。でも、よく考えて。君にそんなことができる存在を、君は本当に心から愛することができるかい?」
私の魂の劣化は、自己の喪失は、自己の喪失から至る死は、避けられない。
悪魔か、天使、あるいは神でなければ。
そのような存在を私が愛せるのか? あの娘に永遠の愛を誓えるのか?
「誓おう。永遠にこの命続く限り、お前を愛そう」
私には選択肢などなかった。
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「──貴様との婚約を破棄し、処刑する! 全財産は没収! そして、親類縁者に至るまで処刑する!」
「そんな!」
女は震える瞳で私を見ていた。
あの娘は私の隣で笑っていた。ただ笑っていた。
「陛下! それはあまりにも……!」
「では、貴様も処刑だ。私の王国に私に従わぬものなど必要ない」
近衛騎士団は既に私の忠実なる駒だった。
彼らは死んでいて、私に操られる傀儡となっていたのだから。
近衛騎士団が城の中庭で斧を振るう。
公爵家の当主が処刑された。
その妻が処刑された。
その息子たちが処刑された。
そして、私と結婚するはずだった娘が処刑された。
「これで君はまた罪を犯した」
「これで私はまた罪を犯した」
「そしてボクもまた罪を犯した」
娘がその手を私の手に重ねる。
「ボクらは共犯者。ボクらは陰謀を企んだ。これから犯す罪は君だけのものじゃない。ボクの罪でもある。これから先はボクらの罪だ」
公爵家の処刑は私の王国に癒しがたい傷を与えた。
貴族たちは結託し、私を王座から引きずりおろそうと企てる。
「戦争をしよう。粛清をしよう。盛大に殺そう」
私は殺した。戦争をした。内戦を行った。
今の私には力があった。権力などという俗物の力ではない。
死人を自在に操る力だ。私が温存してきた力だ。私が罪を恐れるがあまり封印してきた力だ。
私の王国には私に従わない人間など必要ない。
殺せばいい。殺してしまえばいい。死者たちに殺させればいい。
貴族たちは敗れた。私は連中と連中の家族と連中の縁者と連中の使用人と連中に関わったもの全てを殺した。
「ボクたちはまた罪を犯した」
「私たちはまた罪を犯した」
ああ。今は罪が恐ろしくない。
ただこの娘と一緒にいるだけで、ただこの娘と愛し合うだけで罪の恐怖は癒される。
今はただ、愛おしい。愛するために愛している。
いや、愛しているから愛している。そんなトートロジーが脳をぐるぐると回る。
私の王国に私に従わない民は必要ない。
私は全ての国民を殺した。
連中は“狂えるルートヴィヒ”の凶刃が自分たちに向かうことを恐れて反乱の企てをしていた。私はそれを死者によって踏みにじり、死者によって解決した。
「ボクらは永遠に共犯者だ」
「私たちは永遠に共犯者だ」
死者が畑を耕し、死者が収穫し、死者がパンを焼く。
一緒に誰かと食事をしたのは何百年振りだろうか。
兄を毒殺してから、兄が悶え苦しみ、血を吐きながら死んでから、私も同じように殺されることを恐れていた。
「美味しいね」
「美味しいな」
パンとは、ただのライ麦パンとはここまで美味しいものだっただろうか?
彼女と愛し合った。彼女と会話をした、彼女の小さな体が飛んでいってしまわないように抱きしめた。
「ボクはどこへも行かないよ」
「私もどこへも行かない」
私の世界に私に従わない人間など必要ない。
教会が異端を叫び、諸外国が攻め込んできた。
私は侵略者たちを蹂躙し、侵略者たちの祖国を焼き、教会を破壊した。
私はもう恐ろしくなかった。私は満たされていた。
「見てごらん」
気づけば彼女が身ごもっていた。
「これが君の新しい肉体。永遠に朽ちることのない肉体。永遠にボクを愛し続ける肉体。ボクたちにハーフは存在しない。ボクの身ごもった存在は必ずボクと同じ永遠の存在になる。君はそこに魂を転写すればいい」
私は途端に恐ろしくなった。
「ボクは君を愛そう。我が子として、妻として、家族として、愛人として、友人として、恋人として、共犯者として」
だからね、と彼女が告げる。
「君もボクを愛し続けてね?」
嫌だ。嫌だ。嫌だ!
私と彼女の子は私と彼女の手で育てたい。私のために犠牲にしたくない。
「ダメだ。できない。そんなことは……できない」
「君が魂の転写を続ければ、いずれ君は失われ、いずれ君は自分が犯した罪を忘れ、いずれ君は死を避けることを忘れ、いずれ君は裁かれる。それでも?」
「それでもだ! それでもできない……! 私は君との愛を、穢したくない」
そこで彼女はクスリと笑った。
「君に必要だったのは不老不死の術でも、生贄でも、犠牲でも、権力でもない。ただ、愛してくれる人が欲しかっただけだ。君は王になれば愛されると思った。君は兄が死ねば自分が愛されると思った」
「ああ。そうだ。思えばそうだったのだ」
母は私を愛してはくれなかった。父は私を愛してはくれなかった。婚約者は私を愛してはくれなかった。
「では、こうしよう」
彼女はそっと優しく私の手を取った。
そして、手の甲にそっと唇を重ねる。
「これで君は永遠だ」
「これで?」
「そう、これで。君は約束したよね。ボクを愛し続けるって。ならば、愛して。愛し続けて。ボクも君を同じように愛し続ける」
「ああ。ずっと愛し続けよう」
死はふたりを別つことは永遠になかった。
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言っただろう? ボクらはなんだってできるって。
ただね。自分で自分を愛し続けるのは、虚しいものなのさ。
ボクはこうして“お願い”の“対価”を得た。
ボクは幸せだよ。
ボクと残酷で、冷酷な王様しかいない世界だけど、ボクらは永遠に愛し合っている。
まもなく、ボクらは3人で愛し合うことになる。
いずれは4人、いずれは5人、いずれはもっと。
それでは、また機会がありますときに。
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