秋は通り過ぎていく
肌寒い季節になった頃、ジャンは倉庫の裏手に診療所を構えていた。最も、ジャンが命名したわけではないし、十分な設備が整っているわけでもない。誰かが、そう呼んだから、勝手に定着しただけである。
ジャンは石板に患者の記録をつけていた。治療魔法の回数、肌の状態など。
「お姉さんの名前、可愛いね」
ジャンの褒め言葉に、横たわった女性は穏やかに微笑む。彼女は、娼婦達の中で一番病気の症状が酷かった女性だ。治療魔法の甲斐あって、話す元気を取り戻していた。
「ここの娼婦は、みんな、果物の名前を名乗ってるの。苺って、知ってる?」
「うん。赤い、小さい果実だよね」
「うん、そう。昔、よく、食べてたの。風神王国産の苺は高いけど、味が濃厚で、甘酸っぱくて、美味しかったなぁ」
「へー、そうなんだ」
和やかな会話をしていると、診療所に近づく影があった。
「じゃーん」
「んー? なにー? 」
舌ったらずな呼びかけに、ジャンは応える。診療所の入口に、幼い子ども二人が、幼い子どもに肩を貸していた。以前、ジャンが文字を教えた三人組である。ジャンはすぐに石板を置き、敷かれた布を指差した。
「ここに寝かせて」
「わかった」
子ども達は、ぐったりとした子どもを横たわらせる。ジャンは子どもの状態を確認しながら二人に尋ねる。
「何があったの? 」
「物拾ってたら、なんか、急に? 」
「ばたんっと」
「えぇ? 」
身振り手振りの大雑把な説明に困惑しながら、ジャンは再度容態を確かめる。
(……風邪、かな?)
ジャンは事前に用意していた、聖なる水を箱から取り出した。それを少量、小皿に移す。
「ごめん、飲ますの手伝って」
「「はーい」」
子ども三人ががりで、何とか聖なる水を飲ませることが出来た。ジャンは一息つき、二人に礼を言った。
「ありがとう。あ、二人とも、後で手洗いうがい、してね。それと、ボスに、この子、風邪かもって伝えて」
「「はーい」」
幼い二人は元気に返事をして、診療所を後にした。ジャンは薄い布を奥から引っ張り出して、子どもに掛けてあげる。子どもの様子を見つつ、石板を手に取った。子どもの傍らには、同じく風邪で寝込む火傷女の姿があった。
(今週、二人目。風邪、流行らないといいなぁ)
そんな願いを打ち砕くように、診療所は、老若男女問わず、風邪を引いた人で満員になった。ジャンは悲惨な状況に嘆き悲しむ。
(あぁ、もう! 病気のお姉さん達も、まだ完治してないのに! )
「神秘奏上。偉大なる風神。風の神秘を」
ジャンが口早に呟くと同時に、濃い緑の葉っぱが塵となり、緑の魔法陣を成型する。魔法陣から、淡い緑の風が診療所内に流れた。本来なら、魔力で生成した聖なる風は、容器に保管して魔法の触媒として用いる。だが、魔力消費を考慮すると、聖なる風だけでも、診療所の換気は十分だ。
(よし、聖なる風で、診療所の換気は大丈夫)
彼は、先日、スープに用いていた葉っぱで、最低限の浄化効果作用がある聖なる水を作り出していた。薄水色の小瓶一本分を、小分けに使えば数人に行き渡る。病気の重い娼婦達も、治療魔法と合わせて難を凌いでいたのだ。そんな時に、風邪の大流行である。
(乾燥した季節は風邪が流行りやすい、仰る通りだよ、ユーノット! )
ジャンは奇妙なテンションになりながら、必死に看病をしていた。無事、風邪が治った火傷女も手伝ってくれている。だが、魔法を使えるのはジャンしかいないので、負担は相変わらず重い。また、時々出現する怪我人の傷口が憎々しい。
(医者が欲しい! 医者どこだ! 俺か!? )
元来、体力のない子どもであるジャンは、診療所の入り口で息を切らしていた。二度と戻りたくないが、患者の容体次第では戻らざる負えない。
「ジャン」
「な、に……」
火傷女の声に返事をしようとした瞬間、ジャンの視界が暗転した。ジャンが最後に聞こえたのは、火傷女の小さな悲鳴だった。
「……風邪! 」
目を覚ましたジャンは慌てて起きた。しかし、全く見覚えのない小屋に困惑する。そんなジャンの頭に、ポンっと果物が置かれた。
「おう、起きたか」
「あ、あぁぁ、ボス~」
ジャンは半泣きでボスに感謝しつつ、本能のままに果物にかぶりついた。王宮で食べていた物と比べて水っぽいが、今のジャンには極上の果実である。最後の一口を名残惜しげに飲み込むと、ジャンは不思議そうにボスを見上げた。
「ここ、どこ? 」
「俺様の寝床」
ジャンは改めて小屋の中を見渡した。壁際に積まれた新聞紙の山。木製の札に書かれた沢山の数字。ボスは石板に書き込みながら話し出した。
「医者が病人になって、どーするよ、ばーか」
「……ごめんなさい」
ジャンは、しゅんと肩を落とす。ボスは頬をかいた。
「んで、どうよ、風邪の状況は」
「最悪だよ。子どもは治ったのに、大人が全然治ってくれない」
急に倒れたと運び込まれてきた幼い子どもは、翌日にはケロリとしていたのだ。あまりの回復力にジャンは面食らい、念のため一日安静にさせていたが、全く異常無かった。むしろ、ジャンの治療に興味を示して騒がしかったので、火傷女に丁重に追い出された程だ。
「子どもって、元気だね」
「お前もガキだろうが」
「どこの世界に、子どもの医者がいるんだ」
ジャンの瞳は鬱屈としていた。忙しすぎて、ハサの住む小屋に一週間帰っていない。ジャンは泣きそうになる。
「……ハサ、いない」
「あー、」
ボスは気まずそうに視線を逸らす。
(そういや、こいつら、いつも一緒にいたな。とはいえ、風邪が落ち着くまで、ジャンは診療所に待機するしかねぇし。かといって、風邪の引いてねぇ黒髪が診療所に来るわけにもいかねぇし)
なけなしの良心が痛む。それでも、最下層をまとめる立場として、ボスは医者の役目を、ジャンに押し付けることしか出来ない。
「……何か必要なもんあるか? 」
「んー? ……あ、寒い」
「まぁ、そりゃそうだ。冬に近づいてるもんな。明日、冬用の上着持ってくるわ」
「冬用の服とか、あるの? 」
「当たり前だろ。んな、真冬に、ぺらぺらの服でいたら凍死するわ」
「あ、そっか」
「って言っても、気休めだからな。毎年、何人かは、冬を越せずに死んでるんだが」
「ひぇ……」
ジャンは身震いした。その様子を横目で眺めつつ、ボスは思い出したように呟いた。
「そう考えたら、黒髪は頑丈だよな。あいつ、赤子ん時から最下層に住んでるらしいし」
「……そうなの? 」
「知らねぇのか? あいつだけだぜ。ガキん中で、赤子から生き延びて、今も無事な奴。他のガキどもは、人生の途中から最下層に捨てられた奴だ」
ボスの言葉に、ジャンは最下層に住む子ども達の顔を思い浮かべた。
(確かに、ハサは他の子と何か違う気がする。髪色もそうだけど、雰囲気が冷たい)
ジャンはその理由が知りたくて、ボスにハサの事を質問しようとした。だが、その前に純粋な疑問が浮かんだ。
「……ボスは、いつからここにいるの? 」
「あー、二年前ぐらいか」
「え、もっと昔からいると思ってた。じゃあ、ボス、何歳? 」
「今年で17」
ジャンは目が点になる。何度も言葉を反芻するが、言葉通りの意味しか持ちえないことに気づいて思考を止めた。辛うじて、言葉を優しく包んだ。
「……ボス、若くない」
「っせ、いいんだよ、老け顔で。その方が、舐められずに済んでんだからよ」
「なめられるって?」
「馬鹿にされねぇってことだ。お前も、最初、俺様にビビってたろ」
「ご、ごめん」
「ばーか、謝んな。ビビられてる方が、馬鹿な真似する馬鹿がいなくて楽なんだよ」
「……そっか」
ボスにもボスなりの苦労がある。ジャンは、少しだけボスに近づけた気がして嬉しくなった。
(俺も、17になったら、ボスみたいになれるのかな)
密かな憧れを抱く。そんなことを知りもしないボスは、石板から顔を上げた。
「そういや、ぶっ倒れるほど治療してんだよな。触媒足りてるか? 」
「あ、ちょっと足りないかな。怪我した人も治さないとだし」
「……あ? 」
「ぴっ!? 」
久々に聞いたボスの低音に、ジャンは、か細い悲鳴を上げた。ボスは目を三角にしてジャンを凝視する。
「今、なんつった? 」
直後、診療所内でボスの怒声が響いた。
「病人優先だっつったろうが、クソボケ馬鹿野郎ども!! 」
診療所内が静まり返る中、ボスは問答無用で頬を腫らした男と、腕を骨折した男を外に叩き出した。男達は困惑しながらボスに弁解する。
「で、でも、ボス、これ結構痛くて」
「っせぇ! てめぇが勝手に喧嘩して、勝手に作った怪我だろうが! 」
「ボス! 腕! 俺、腕折れてる! 」
「腕の一本や二本折れた程度で、ぎゃんぎゃん喚くんじゃねぇわ! ボケカス! なんなら、首の骨も折ってやろうか、あぁん!? 」
「やめてやめて!! 首は死ぬ!! 」
「誰か、ボス止めてくれ!! 」
男達の嘆きに、ジャンは涙目で首を横に振った。火傷女も、他の病人も、わざとらしく視線を逸らす。ジャンは改めて、ボスの恐ろしさを実感した。
(……ちょっと、ボスみたいには、なれない、かも)
ボスの威光と、風邪の流行縮小のおかげで、ジャンは数週間ぶりに晴れやかな気持ちになっていた。
「今日は帰れそう……あ、雪だ」
真っ白な綿が空から落ちてくる。ジャンは口角を上げた。そして、小さなくしゃみをする。ジャンは鼻を啜った。
「寒……ん?」
多数の視線を感じ、ジャンは診療所内を見渡す。何故か、火傷女と他の女性達が布を常備していた。ジャンは抵抗する間もなく、沢山の布を体に巻かれた。
「ハサ~」
「お……あぁ?」
ボロボロの小屋にいたハサは、怪訝な顔でジャンを振り返る。
「んだ、それ」
小屋の外には、雪だるまのように着ぶくれしたジャンが立っていた。ジャンは嬉しそうに微笑む。
「えへへ、あったかいよ」
「だろうな」
夏の終わりぶりの再会だというのに、ハサは平常通りだった。ジャンはそれに寂しさを覚えつつも、ハサと会話できたことが嬉しかった。ジャンが沢山の布を剥がすのに苦戦していると、ハサはさり気なく手助けする。
「ぷは……ありがとう、ハサ」
「ジャン」
「んー? ……ん!? 」
ジャンは慣れたように返事をして、すぐに違和感に気が付いた。物凄い勢いで振り返れば、ハサは露骨に視線を逸らした。
「今、俺の名前呼んだ、よね? 」
そう、今の今まで、ハサがジャンの名前を呼んだことは一度もない。無言が場を支配する。静寂を打ち破ったのは、ジャンの笑顔だった。
「ハサ―!! 」
「うおっ、くっつくな!! 」
ジャンは、甘えるようにハサに頬擦りする。ハサは悪態をつくが、押し返す腕に力は大して込められていなかった。
「えへへへ、ハサが名前呼んでくれた」
「……何がそんなに楽しいんだよ」
「楽しい、すっごく、楽しい。医者の疲れが吹き飛んじゃっ……」
「っおい!! 」
急激に全体重を乗せたジャンを、ハサは慌てて支える。ジャンは眠そうに呟いた。
「……ごめん、やっぱり、疲れた、しんどい、寝る」
そう言い残すと、ジャンは気絶したように眠る。健やかな寝息を聞いて、ハサは肺が空になるほど溜息をついた。ハサはジャンを寝床に横たわらせ、大量の布を覆いかぶせる。そして、ハサはジャンに寄り添うように布に潜り込んだ。
「……ばーか」
ハサは、不貞腐れたように言うと、静かに眠りについた。
しんしんと雪が降り積もる中、二人の眠る小屋に駆け込む火傷女の姿があった。
「ジャン、っ、!」
「ふぁい!?」
ジャンは眠気眼で体を起こした。その振動で、ハサは不機嫌さ全開で起きた。だが、外の明るさに呆けた。
「……あ、やべぇ、寝過ごした」
「え!? あれ、今、朝!? 」
「いや、多分、昼すぎ」
「嘘!? 帰って来てから、俺ら、ずっと寝てたの!? すごいね!? 」
二人が呑気に会話するのに焦れたのか、珍しく火傷女が声を荒げた。
「ジャン!! 」
「はい!! ごめんなさい!! 何でしょうか!? 」
ジャンが慌てて背筋を正すと、火傷女が真っ青なことに気が付いた。火傷女は、悲痛な面持ちで口を開いた。
「お願い、助けて。あの子が、死んじゃう」