月明かりの下、君の心音と
数人の軽症患者を完治させると、ジャンは外に蹲る。どれだけ我慢しても、吐き気は抑えきれず、胃液が地面に染み渡る。その小さな背中を火傷女が擦り、完治した女性達が心配そうに見つめる。
「あの子、大丈夫かしら? 」
「魔法の事はよく分からないけど、あれを治したんだもの。相当、魔力を消費したんじゃないかしら」
「……魔力を吐くほど使ったことある? 」
「ないわよ。魔法士じゃないんだから」
「そうよね」
女性達の声を背景に、ジャンは涙目になる。魔力が枯渇したのではなく、単純に病状を見て吐き気がしていたのだ。ジャンは今まで、お綺麗なもの、しか見たことが無い。肌が醜く変色している状態を見て吐かないはずがない。ぜーぜーと、肩で息をする。
(治療魔法の使い方は、ユーノットに教わった通り出来てる。でも、高度な魔法を使うための触媒が無い場合の方法が分からない。どこまで、弱い魔法で治せるんだろう)
じっと俯いたまま微動だにしない彼を見て、火傷女は水色の小石を懐から取り出した。彼女が詠唱すると、両手に透明な水がたまった。
「ジャン、お水」
火傷女はジャンの口元に両手を差し出す。ジャンは素直に水を含むと、口の中をゆすいで吐き出した。そして、不思議そうに彼女を見る。
「お姉さんも、魔法、使えるの? 」
「水を、ほんの少し作るだけなら、ほとんどの人ができる、の。でも、水を操ったり、ジャンみたいに治せる人は、ここにいない。ボスも、水は適性がないから、水属性は使えない、って、言ってた」
「……そっか」
ジャンは力なく呟くと、壁によりかかった。
(なんか、すごい疲れた)
「ジャン、大丈夫? ……あ」
火傷女は、明後日の方向を見た。不思議に思って、そちらを見れば、ここに居るはずのない黒髪がいた。
「……生きてっか? 」
「ハサぁぁぁああああ」
ジャンは勢いよくハサに抱き着いた。ハサは平然と受け止める。
「なんだよ、思ったより元気だな」
「俺、頑張ったんだよ、あのお姉さんたち、元気にしたよぉ」
「マジか」
ハサの驚愕の視線を受けて、女性達は笑顔で手を振った。そのうち一人の顔をまじまじと見つめる。
「あんなひでー面を、よく治せたな」
女性達の笑顔が凍り付く。笑顔を貼り付けたまま、じりじりとハサに近寄った。
「……坊や、口の利き方には、気を付けなさい」
女性の圧に、ハサはたじろぐ。
「お、おう」
「おう、じゃないでしょ? ごめんなさいは? 」
「ご、ごめんなさい」
女性達に叱られるハサを、ジャンは物珍しく思っていた。それと同時に、自身の今後の言動を最大限気を付けることにした。
(……絶対、お姉さんたちを、怒らせないようにしよう)
ふと、ジャンは、何故ハサがここにいるのか気になった。
「ハサ、どうして、ここに? 」
「あ? あぁ。飯、行くぞ」
「え? でも、俺、今日何も拾ってない」
「ジャン、医者も、仕事、よ? 」
「あ、そっか」
ジャンの中で、飯にありつけるのはゴミ拾いだけだと思っていた。火傷女の言葉を素直に受け入れる。
「……行くぞ」
ハサはこれ以上、女性達に絡まれたくないのか、ジャンの手を引いて歩き出した。
雑草ババア特製のスープを、ちびちび飲みながらジャンは考え込む。
(そういや、触媒って、どこで調達してるんだろう。ボスの言い方から、どこかで買っているんだろうけど)
「どうした」
「ん? んーん、何も……あ、そういえば、ハサって俺の服、売ったって言ってたじゃん? どこに売ったの? 」
「ボスに」
「? お店とかで、お買い物するんじゃないの? 本で読んだよ? 」
「あぁ? 最下層の連中に、平民が物売ったりするかよ。無視されるか、最悪蹴り殺されんぞ」
「ひぇ……」
ハサの話に、ジャンは背筋が冷たくなる。ついこの間、同年代の子どもの死を見ているせいで、余計に恐怖心が積もる。
(……じゃあ、ボスに聞くしかないかな)
食事を終えると、ジャンはハサにお願いしてボスの元にやって来た。
「あ? 葉っぱ? 」
開口一番に睨まれたジャンは飛び上がる程驚いた。怯えたようにハサの後ろに隠れたジャンに、ボスは決まりが悪くなる。
「慣れろよ。俺様は人相がわりぃんだ」
「自分で言って、虚しくねぇの? 」
「っせ、ほっとけ」
ボスはハサの軽口に悪態をつく。ジャンは意外と穏やかな空気を察して、おずおずとハサの後ろから顔を出した。
「ボスは、お店もしてるの? 」
「あ? 店ぇ? ……あぁ、治療の触媒が欲しいのか」
「今日貰った分、使い切ったから。あと、紙と羽ペンと……あ、あの、葉っぱ、スープに使ってるやつ、見たいかも」
ボスは眉間に刻まれた皺を揉んだ。
「触媒は今日と同じ分量、明日持っててやる。紙やら高価なもんは、うちにはねぇ。書き物がしてぇなら、石板と白墨やるわ。スープのは、ついてこい」
ジャンとハサは、倉庫の奥に向かうボスの背中を追った。ボスは戸棚に仕舞ってあった袋を取り出した。中に濃い緑の葉と、黒くて小さな丸い実が入っている。
「農家から、売り物になんねぇやつを、力仕事と引き換えに貰ってんだ。黒髪も、もうちょいデカくなりゃ、頼むかもしんねぇ」
「わかった」
二人の会話の傍ら、ジャンは袋の中を凝視する。ボスの顔色を窺いつつ、ジャンは葉っぱを指差した。
「これ、少し、貰っていい? 」
「それは構わねぇが、水属性って、触媒が青だろ?治療に使えんのか? 」
「んっと、水属性の原初魔法って、そもそも葉っぱが適性高いんだ。青じゃないから、治療魔法は難しいけど、それなりに純度の高い聖なる水は出来ると思う。風邪の時に、俺、聖なる水を飲んでたし、治療に意味あると思うんだ。聖なる水って、浄化作用? があるみたいな、すごく綺麗な水って聞いたし。あと、風属性の原初魔法で、換気もした方が良いと思う。空気が淀んでると、病気に良くないって言ってた気がするし」
「ちょっと、待て」
つらつらと語り出したジャンに向かって、ボスは険しい顔で制止をかける。そして、頭を抱えて動きを止めた。ジャンは、彼の逆鱗に触れたと勘違いして泣きそうになり、ハサの体を強く揺する。
「は、ハサっ。お、おこ、」
「あぁ? 別に、怒ってねぇだろ」
「で、でもっ」
ジャンの嘆きは、ボスの膝を打つ音でかき消される。
「あー、おう。難しい単語は、よく分からん。正直、水属性は俺様の専門外だ。
だから、ジャン、お前が思ったままにやっちまえ。責任は俺様が取る」
「責任? 」
「ここでお前が医者をする限り、お前の治療で誰かを救えなかったとしても、そりゃ、お前のせいじゃねぇってことになる」
ジャンの心臓が、ぎゅっと縮こまる。
「そ、れは、ボスが俺に医者やれって言ったから? 」
「あぁ」
ジャンは、ハサの服を掴む手に力が入る。
「も、もし、俺が、治療できなくて、救えなくて、そしたら、その人、」
表情を強張らせるジャンの頭を、ボスが優しく撫でる。
「だから、誰も死なせねぇように、死ぬ気で頑張れ。それでも死んじまったら、諦めろ。俺らは神様じゃねぇんだから、何でも出来るわけじゃねぇんだ」
「……うん」
ジャンは困惑しながら頷いた。
その夜、ジャンは懐かしい夢を見た。
王宮にある北の離宮、その一室でユーノットが真剣な表情をしていた。
『神話級魔法で治療すれば、ありとあらゆる怪我が治ります。欠損した腕を生やすことも可能です。しかし、絶対に、神話級魔法を他者のために使ってはいけませんよ』
『なんで? 』
『触媒は魔法に使用すると消失するのはご存知ですね? 神話級魔法の触媒は、殿下の血液となりますので、魔法に使用すると血を失うことになります。一歩間違えば、貧血、幼い殿下の肉体では、最悪死に至ります』
『ひぇ……』
『ですから、今は、自分の為だけに使って下さい』
『今は? 』
『はい』
『いつか、誰かのために使うの? 』
『……断言しかねます。ですが、神の証を持つ王族の方は、水神様と同等に扱われます。国のため、民のために、殉じろと迫られるかもしれません。私や殿下が生まれる前の話ですが』
『生まれる前の話』
『……では、時間ですので、本日の授業はこれまでに。明日は、殿下が生まれる前の歴史を勉強しましょうか。予習として、こちらの資料をお読み下さい』
『うわ、多くない? 』
『水神王国5000年分の歴史です。これでも、要約いたしました。物足りなければ、追加の資料をお持ちいたしますが? 』
『が、頑張る』
『よろしいです。では、私は失礼します。また、明日、お会いしましょう』
ユーノットは、いつものように丁寧な仕草で頭を下げた。
ジャンは、真っ暗の中、ハッと目を覚ました。視界に入るのはボロボロの天井だ。しばらく呆然としていたが、じんわりと視界が歪む。堪え切れなくなったジャンは、息を詰まらせながら泣いた。
(ユーノット……もう、いないって、わかってる。しってる。
だから、また会えたのが、夢ってわかるから、わかっちゃうから……)
非情な現実が幼い身を蝕む。
この七年、ジャンはユーノットと一緒に歩んできた。物心ついた時から一緒に居るのはユーノットだけだ。陰口を叩く侍女でもなく、尊大な王太后でもなく、自分を殺そうとする騎士でもない。ユーノットだけが、ジャンと一緒に生きてきてくれたのだ。そんな彼女も、ジャンのせいで死んだ。
「もう、やだ……やだ、いやだ、やだぁぁぁ」
ジャンは泣き叫ぶ。彼は、何もかもに嫌気がさす。死神王弟、その異名がジャンの脳裏に過る。ユーノットは耳を貸さなくても良いと言ったが、ジャンは異名を憎まずにはいられない。憎くて、悲しくて、辛すぎて、彼はどうしようもなかった。
「う、うぅぅぅ……うっ、? 」
不意に、体が引きずりこまれた。小さな体が、小さな体に収まる。
「っるせぇ、寝ろ」
ハサは、物凄く不機嫌に言い放つと、眠そうに目をつむった。突然の出来事にジャンは目を瞬くが、聞こえてくる心臓の音に耳を傾けた。
(とく、とく、とく……)
ジャンは不思議と安心したのだ。甘えるように顔をハサの胸板に押し付け、静かに目を閉じた。
少しして、穏やかな寝息が聞こえる。次の瞬間、ハサが目を開けた。じっと、ジャンの頭部を睨みつける。そして、何も言わずに再び目をつむった。
月明かりの下、二つ分の健やかな寝息が響いていた。