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倉庫の裏手

 翌朝、早起きしたジャンは、いそいそと小屋の前を覗く。そこには、ハサが何度も練習した文字があった。ジャンは嬉しそうに屈む。


「えへへ」


 誰かに踏み消されないように、その辺の小石で文字を囲う。不意に、大きな影が現れた。ジャンは首を傾げながら顔を上げる。そこには巨体があった。


「……ふぎゃぁぁぁああああああ!!!」


 尻尾を踏まれた猫のように、ジャンは悲鳴をあげた。ジャンが泣きながら小屋に入ると、悲鳴で起こされたハサが不機嫌さ全開だった。


「おい、てめぇ、朝っぱらから……」

「なんかいる!なんかいる!」

「あぁ?」


 ジャンに抱き着かれたハサは、小屋の外を睨みつける。そこには、今にも泣き出しそうな大柄の男がいた。ハサは見慣れた顔に溜息をつく。


「……何か用かよ」

「ボス、呼んでる」

「俺を?」

「違う、それ」


大柄の男に指名されたジャンは、この世の終わりのような顔をした。


「お、お、お、お、俺、何も、何も、してない!!!」

「あ?別に、ボスが怒ってるわけじゃねぇだろ。怒ってたら、今すぐ、こいつに引きずられんぞ」

「ひぇっ」


 ハサなりの親切な言葉だったが、ジャンにとっては恐怖心を煽る材料にしかならなかった。ハサは無慈悲にも、ジャンを差し出す。


「ほら、さっさと行ってこい」


片手で押し出されたジャンは、必死にハサに泣き縋った。


「や、やぁぁぁあああ!!!ハサも一緒に行ってぇぇぇえええ!!」

「あぁ?」


ハサは未知の生命体を見るようにジャンを眺めた。そして、ハサは大柄の男を見た。


「どーするよ、これ」


 大柄の男は、悲し気に頷いた。ハサは溜息をつく。彼はジャンを引きずりながら小屋を出た。ジャンはハサが付いてきてくれると知り、絶対に離さないと決め、力一杯彼の腕を掴む。


「お前、勝手に泣くなよ」

「だ、だって」

「こいつが可哀想だろ」


ハサは顎で大柄の男を示す。大柄の男は、あわあわと手を彷徨わせた。


「……あれ?怖くない、かも」

「当たり前だろ。こいつ、デカいだけだし」


ジャンは、おずおずと大柄の男を見上げる。


「な、泣いて、ごめんね?」


大柄の男はジャンの謝罪を受けて、これでもかと慌てふためく。


「だ、だいじょぶ。よくある、こと」


 彼は自分で言っててショックを受けたのか暗い表情になる。ジャンは困惑する。だが、ハサは日常茶飯事なのか、彼を放置して、ジャンごと歩き出した。









 倉庫に到着すると、人影は疎らだった。一際目立つ人物がジャン達に気づく。


「おー、来たか。……そいつ、どした?」

「知らね」

「そうか」


 ボスは大柄の男が妙に暗い顔をしていることを突っ込むが、ハサが淡々と返す。ボスも大して興味がないのか、改めて追及することはしなかった。三白眼が捉えたのは、ハサにしがみつくジャンだった。


「お前か、ガキどもに文字を教えたのは」


ジャンは震えて声が出ない。代わりにハサが答えた。


「なんか、駄目なのか?」

「いや?俺様は確認してるだけだが……あー、こいつ。声でねぇのか?」

「男が苦手なんだと。そいつも泣かれた」


ハサは大柄の男を肩越しに見る。ボスは合点がいったようで笑った。


「なるほどなぁ。ま、それは別にいいんだけどよ」

(ボス!)


 大柄の男の悲痛な胸の内は、誰にも届くことはなかった。ボスは気づいていて完全に放置だった。そんな彼を憐れんだのか、倉庫内に居た男達が作業に誘った。大柄の男は悲し気な面持ちで作業に加わる。

一方、ボスはジャンとハサを倉庫の外に連れ出した。そこは、夕暮れには大鍋が用意されている場所だったが、今は誰もいない。ボスは改めてジャンを見下ろした。


「お前、貴族のガキだろ?」

「っ」

「あーあー、ビビんな。別に取って食おうってんじゃねぇ。ここにゃ、いろんな事情で人間の最下層に落ちちまった奴ばっかだ。誰も彼も、後ろ暗い過去を隠してる。俺様だって、てめぇの過去なんざに興味ねぇ」

「……じゃあ、俺に何の用が?」


ジャンは怯えながらも、ボスに尋ねた。ボスは、人の悪い笑みを浮かべた。


「その年で文字を書けるっつーことは、魔法も教わってんだろ。お前、水の治療魔法使えるか?」

「……適性の高い触媒があれば、たぶん」


 神話級魔法を使う王族の一員であったジャンは、当然ながら王族以外が用いる原初魔法の教育も受けてきた。原初魔法の一つ、水属性はジャンの得意分野だ。ジャンの答えに、ボスは機嫌を良くする。


「んじゃ、お前、今日から医者な」

「え?」


ボスの言葉を全く理解出来なかったジャンは、唖然として彼を見上げる。ジャンの横にいたハサは、目を瞬く。


「お前、医者だったのか」

「いや、違うよ!?でも、あの、医者って免許ないと駄目って習ったよ!?」

「気にするな。ここじゃ、俺様が法だ」


横暴な物言いに、ジャンは絶句する。ボスは更に言葉を重ねた。


「もし気になるなら、闇医者でいいぞ」

「もっと、良くない感じになった気がする!!」

「……なんか知らねぇけど、俺行って良いか?」

「おう。仕事頑張ってこい」

「え!?ちょ、ハサ!?」


ジャンはハサに縋りつくが、べりっとボスに引き剥がされ、米俵の要領で抱きかかえられた。ハサの背中が、遠くなる。


「は、ハサぁぁぁ……」

「んじゃ、仕事場に案内すっぞ」


ボスは、ジャンの嘆きを無視して歩き出した。









 倉庫の裏手に到着すると、ボスはジャンを降ろした。ジャンは強い異臭に顔をしかめ、ボスの後ろに隠れる。


「なにがあるの、ここ」

「安心しろ、娼婦しかいねぇよ」


 ボスは乾いた笑みで、木製の扉を開いた。ジャンはボスの後ろから中を覗いて言葉を失う。所狭しと並んで寝転がる女の人達。彼女達は、ボスを一瞥すると、力なく視線を逸らした。ジャンは恐る恐るボスに尋ねる。


「娼婦、って、なに?」

「娼婦ってのは……」


ボスの話の途中で、ジャンの頬に、するりと柔らかな手が添えられた。


「わたしたち、の、こと」


しっとりとした声音に、ジャンは上を見る。ジャンは強い衝撃を受けた。


(服が……)


 実のところ、ジャンは胸の谷間を見たことが無かった。今まで身近にいた女性は、きっちり首上まで閉めたドレスであったし、目の前の女性のように胸元を大きく開いたドレスは無かった。谷間に、どんぐりの首飾りが埋まるのも、ジャンにとっては不可思議な光景である。ジャンは初めての柔らかな果実に、頭を沸騰させた。ふらりと倒れそうになるジャンを、女性が優しく受け止める。


「あら、?」

「あぁ?」


ボスは、ジャンの様子に気が付いた。呆れたように彼の額を小突いた。


「いたいっ、!」

「お前な……ちょっと前まで、母親の乳飲んで生きてたろうが。女の胸見たぐらいで、いちいち動揺すんな」

「……あい」


ジャンは急に気恥ずかしくなって俯く。


(うわあああ、なにあれ、なにあれ。わかんないけど、すごいドキドキする)


ジャンから視線を逸らすと、ボスは女性に話しかける。


「火傷女」

「ふふ、どうしたの、?こんなところに、子どもを連れてきて」


火傷女と呼ばれた妖艶な女性は、ボスに非難的な視線を向ける。ボスは煩わしそうに頭をかいた。


「そいつは、医者だ」

「……医者、?」


火傷女は半信半疑でジャンを見つめる。ボスは溜息をついて、懐から取り出した包みをジャンに渡した。


「ま、説明するよか、見せた方が早いわな。早速やってくれ」


ボスの言葉に、ジャンは恐る恐る受け取った包みを開く。


「水色の葉っぱ」

「それ以上高い触媒は用意できねぇぞ」

「あ、うん。えっと、お姉さんたち、病気、なの?」

「あぁ。多分、毒、だな。人から人に感染する毒。そいつが、娼婦達を蝕んでいんのさ」

「毒、なら……解毒で、なんとか。あ、小瓶、頂戴」

「ほらよ」


 ボスは複数の小瓶をジャンに手渡す。両手いっぱいになったジャンは、一旦、座り込む。余分な荷物を置く。そして、蓋の開いた小瓶と水色の葉を手に取った。


「神秘奏上。偉大なる水神よ。我に水の神秘を授けたまえ」


 ジャンが唱えると同時に、水色の葉が塵のように崩れ、青い魔法陣を成型する。魔法陣からは、水色の聖なる水が生成され、ジャンの持つ小瓶に溜まった。火傷女は目を見開く。


「色付き、の、聖なる水、?」

「生活用の水じゃねぇぞ、れっきとした魔法の水だ」


 ボスの補足説明に、火傷女は不思議そうにジャンを見つめる。

小瓶を持ったジャンは、視線を彷徨わせて、最終的にボスを見る。


「ボス、だれに?」

「あー、手前のそいつでいいだろ。症状が軽い方だ」

「わかった」


ボスの示した女性に近づき、ジャンは小瓶を握りしめる。


(大丈夫。ユーノットに教わった通りにやればできる)


ジャンは彼女の手つきを思い出しながら、精一杯声を張った。


「神秘奏上。偉大なる水神よ、いと慈悲深き神よ。

神前に清らかなる青を捧げる。

水のしらべを我に許したまえ 解毒」


 ジャンの言葉に反応して、水色の液体が女性の真上に青い魔法陣を描く。細やかな光の粒子が、雨のように女性に降り注ぐ。女性の肌から湿疹が消え去り、心なしか呼吸も穏やかになる。魔法陣が消失すると、解毒を受けた女性は困惑した。


「いたく、ない?」


その様子を見ていた女性達は歓喜の声を上げる。


「治った!」

「治療魔法の光……本当に、あぁ、治るのね、私たち」

「良かった、本当に良かった」


騒がしくなる室内に、今度はジャンが戸惑う。その小さな体に火傷女が抱きついた。ジャンの肩に、ぽつぽつと滴が落ちる。


「ありが、とう。治してくれて、ありがとう」

「え、あ、う、うん。どういたしまして?」


 ジャンは赤面しながら答える。その様子を、ボスは温かい眼差しで見守っていた。そして、わざと大袈裟に手を叩く。


「こら、お前ら、まだ治療は終わってねぇぞ。お前……あー、灰色の」

「ジャンだよ」

「ジャン。ひとまず、今日は重傷な奴を頼む。おい、火傷女。ジャンのこと、よろしくな」

「ん、任せて」


火傷女は目元を拭うと、ボスに微笑みかける。ボスがその場を立ち去ると、彼女は女性達に優しく声をかけた。


「動ける人は、道を開けて。奥の、子達から、治したいの」


彼女の呼びかけに、女性達がゆっくりと体を起こす。人が通れる隙間が出来ると、火傷女はジャンを振り返る。


「ついて、きて」

「う、うん」


 部屋の奥でジャンが目にしたのは、病状が遥かに進行し、おぞましい姿になった女性だった。思わずこみあげてきた胃液に、ジャンは気分が悪くなる。


(なにこれ、?病気って、こんなに酷くなるの?)


胃液を必死に飲み込むジャンを、火傷女は心配そうに見つめる。


「大丈夫?」

「だ、だいじょうぶ」


ジャンは口元に手を当てて、深呼吸する。


(落ち着いて、焦っちゃ駄目。ユーノットが言ってた。魔法を制御するには、強い精神力が必要だって。落ち着いて、俺。大丈夫、ユーノットの教えは、いつも間違ってない、大丈夫、ジャンは出来る)


 ジャンは覚悟を決めて、触媒を手に取った。先ほどと同じ要領で治療魔法を使うが、女性の症状は良くなる兆しが見えない。ジャンは焦る。


(あれ?なんで、治らない?……あ、そうか。触媒の質だ)


ジャンは必死に考え、もう一度、水色の葉を触媒に用いた。ジャンは、まじまじと女性の肌を観察する。


(湿疹は、ちょっとずつ良くなってる。でも、病気が重い人を治すだけの触媒がない。水色の葉じゃ、病気の軽い人しか完治しない。どうしよう)


 ボスは、水色の葉以上に高価な触媒を用意できないと宣言している。ジャンは貰った触媒の数を数えるが、途方に暮れる。


(この触媒を使い切ったとして、治せるかどうか……それに、まだ病気の人は沢山いる。どうしよう、どうしたらいいの、ユーノット)


不意に、ジャンの肩に手が載せられる。


「どうした、の?」


 火傷女が心配そうに見つめていた。そして、泣き出しそうなジャンに気づいて、火傷女は膝を折った。彼女は殊更優しい声で話しかける。


「ジャン。何か、困ってるなら、私に教えて、?一緒に、解決、しよう、?」

「あ、あのね……このお姉さんの病気が酷くて、この触媒じゃ、完治しないの。でも、お姉さんだけに、いっぱい使ったら、他の人に足りなくて……」


目をうるうるさせながらジャンは一生懸命説明した。火傷女は、穏やかに微笑む。


「じゃあ、先に治せる人から、治そう、か」

「……いいの?」

「大丈夫。だって、ほら。彼女、さっきより顔色が良いもの」


 火傷女は、重症な女性を指差した。ジャンが振り返ると、重症な女性は小さな笑みを浮かべていた。その目は、とても温かい。


「ね、大丈夫、でしょ」

「……うん」


ジャンは、ごしごしと目元を擦った。そして火傷女に手を引かれ、比較的病状の軽い人から治すことにした。

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