決意表明
翌朝、紺色の侍女服を着たヨセーミナが大公家の廊下を歩いていた。虚ろな目をした彼女に気が付いて、デボンは足を止める。
「……ヨセーミナ? 」
「はい」
感情の籠らない音に圧倒され、デボンは言葉を呑み込んだ。彼は、狼狽えながら、当たり障りのない言葉を探した。そして、どこかで聞き覚えのある言葉が脳裏に浮かぶ。
「あ、いや、何でもない。仕事仲間として、よろしく頼む、オルソード嬢」
馴れ馴れしく名前で呼ばないのは、デボンなりの決別であった。そのことに眉一つ動かさないヨセーミナは、淡々と彼の言葉を受け入れる。
「はい、よろしくお願いします。それでは、失礼いたします」
ヨセーミナは、丁寧に一礼すると、廊下の向こうに消えた。彼女を見送ったデボンは、廊下に立ち尽くす。
(彼女は、心を入れ替えてくれたのだろうか?
……不思議だな。昔は、会話だけでもドキドキしたのに)
かつて、デボンとヨセーミナの付き合いは、完全に当事者達の感情だけで成立していた。これが政略結婚であったのなら、まだ、両者の関係は続いていたのかもしれない。だが、彼らの恋愛が終わった事実は覆らない。
(もう、何の感慨も湧かないな)
予想以上に薄情な自分に、デボンは自嘲する。その時、下手な鼻歌が、デボンの耳に届いた。
「ん? 」
デボンが振り返った瞬間、掃除用具を抱えながら、鼻歌を歌うベリーが廊下の角を曲がって来た。
「ふん、ふふーん……ん?? 」
両者の視線が交わる。ベリーは、デボンの存在を認識すると、慌てふためいた。彼女は、すぐさま頭を下げる。
「おっ、おはようございます! プーガル辺境伯令孫、様! 」
早朝の時間帯では、ほぼ使用人しか通らない廊下に、客分たるデボンがいた。その事実に、ベリーは小首を傾げる。
(……あれ? どうして、お貴族様が、ここに? )
「頭を上げてくれ。おはよう、ベリーさん。
……その、何というか、凄く、ご機嫌だったな」
デボンは歯切れが悪そうに呟いた。ベリーは羞恥心に顔を赤らめる。彼女は、掃除用具を強く抱きしめながら、早口で語り始めた。
「あ、えっと、その……
今日はっ、風神王国産の苺を仕入れたみたいで、
賄いに出すって、執事さんが教えてくれたんですっ」
「苺が好きなのか? 」
「はいっ。果物は全部好きですけど、一番は苺です。
甘酸っぱくて、凄く美味しいんですよ。
あぁ、おやつの時間が待ちきれないです」
ベリーは、苺の味を思い浮かべて、幸せそうな表情を浮かべた。その様子に、デボンが吹き出す。
「ははっ。そんなに好きなら、私の分のデザートも譲るよ」
「良いんですか!? 」
「あぁ。美味しく食べてくれる人の方が、作ってくれた者も喜ぶだろう」
デボンは、素直な感想を述べる。しかし、先日、料理人の恋心を打ち砕いたベリーは若干の気まずさがある。ベリーは、何とか笑顔で押し切った。
「……そうですね! 」
「? どうかしたか? 」
「大丈夫です! 今日もお仕事頑張ります! 」
やる気満々のベリーに釣られて、デボンも元気を貰う。
「あぁ。お互い、職務に励むとしようか。
それと、私は昨日から、正式に大公閣下の護衛騎士になったんだ。
今後、私の事は、同僚として扱ってくれ」
デボンの言葉に、ベリーは目を点にする。言われた単語を反芻して、ベリーは口を開いた。
「同僚だと……プーガル卿、ですね! 」
無邪気な笑顔に、デボンは穏やかに微笑む。
「正解だ。成長したな、メイド見習い殿」
「ありがとうございます! 」
一方、明け方まで作業に勤しんでいたジャンは、自室で大きな欠伸をした。
「あーあ。また、しばらく、肉食べられないや」
「自業自得だろ」
相槌を打ちながら、ハサは長椅子に寝転がる。淡白な態度に、ジャンは苦笑した。
「まぁね。でも、良い経験にはなった」
ジャンは眠気を我慢して、紙と羽ペンを机の上に置いた。ジャンの行動を横目で眺めていたハサは、静かに呟く。
「……馬丁は、どうする? 」
ハサの問いかけに、ジャンは手紙をしたためながら答えた。
「元々第八師団にいたみたいだし、俺に逆らう利点無いでしょ」
「……第八師団って、何だよ」
「暗殺集団。
表向きは、水神様の敬虔な信徒だよ」
あっさりと告げられた真実に、ハサは顔をしかめた。
「……何で、そんな奴が、うちに居るんだ」
「あはは、誰の仕業だろうね」
「誰でもいい。裏切んなら、殺すだけだ」
「うん」
丁度、ジャンは、手紙に蝋封し終える。そして、懐から、水色の葉っぱを取り出した。
「神秘奏上。
偉大なる水神よ、我に水の神秘を授けたまえ。
奏上。
偉大なる水神よ、いと慈悲深き神よ。
水のしるべを我に許したまえ 青の使い魔」
ジャンが魔法を二重に詠唱すると同時に、水色の葉っぱが塵と化し、青い魔法陣を成型する。水色の眩い光と共に現れたのは、水色の蝶だった。蝶は、ジャンの書いた手紙を体に取り入れると、青空に飛び立っていく。その様子を見ていたハサが、首を傾げた。
「誰に? 」
「姉上の孫を引き抜いちゃったからね。その報告」
「……今までと、何が変わるんだ? 」
「具体的には、一緒の食卓じゃなくなるよ」
「……あっそ」
心底どうでも良かったのか、ハサが長椅子に寝転んだまま目を閉じる。ジャンは、蝶の飛んで行った方向を見つめながら、窓辺に頬杖をついた。
「ねぇ、ハサ」
「何だよ」
ぶっきらぼうな返事に嫌な顔をすることなく、ジャンは言葉を重ねる。
「学院ってさ、社会に出る一歩手前らしいんだよね。
だから、今のうちに、目標を、しっかり決めておこうかなって。
……俺は、大事なものは、絶対に大事にしたい。
その為なら、何でも、やってやる。
今度は、誰にも奪わせない。
でも、俺だけだと失敗しそうだから、ハサも手伝ってよ」
震えた声音。ハサは、むくりと起き上がる。そして、窓際に立つジャンの背中を見据えた。
「……ばーか。
手伝うとか、生半可なこと言ってんじゃねぇよ。
俺とお前で、一緒にやるんだろうが」
ハサの真剣な返事を聞いて、ジャンは泣き笑った顔で振り返った。
「えへへ。ありがとう、ハサ」
「おう」
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