毒花
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「うん。彼女は、俺が身請けしよう」
「「え? 」」
ジャンの提案に、デボンとヨセーミナは唖然とした。いち早く我に返ったデボンが、ジャンの肩を揺さぶる。
「閣下! いけません! 彼女のような者を身請けするなど! 」
「痛いよ、デボン君」
「申し訳ございませんでした!! 」
デボンは勢いよく離れて、ジャンに頭を垂れた。彼の見慣れた行動に、ジャンは楽し気に微笑んだ。
「あのね、デボン君。彼女が最低なのは分かったよ。
でもさ、デボン君は優しいから、こんな女が野垂れ死んだら、
一生後悔しちゃうと思うんだ。
俺に剣を捧げる程、好きだったんでしょ。前は」
図星だったのか、デボンは表情を曇らせる。
「……しかし」
彼の言葉を、ジャンは笑顔で遮った。
「それに、うちは万年人手不足だからね。
こんなのでも、教育し直せば使えるでしょ」
「……彼女が無礼を働くならば、私が処罰します」
デボンは、腰に差した剣に手を添える。ジャンは、肩をすくめた。
「ありがとう。気持ちだけ受け取っとく。
んじゃ、これは君の分ね」
ジャンは、金貨の詰まった袋をデボンに押し付ける。デボンは、ぎょっとした。
「っ!? 閣下、このお金は頂けません! 」
デボンは、金貨の袋を押し返そうとする。だが、デボンの額を、ジャンが指で弾いた。
「お馬鹿」
「か、閣下? 」
大した痛みのない額に、デボンは混乱する。その様子に、ジャンは溜息をついた。
「等価交換したでしょうが。
俺は君の忠誠を得る。その見返りに、君は金を得る。
今後、必要になるかもしれないし、素直に受け取りなさい。
君だって、毎回、土下座してお金を貰う趣味ないでしょ」
金貨の重みを強く感じて、デボンは涙ぐむ。
「……ありがとうございます、閣下」
高級娼館に金貨五百枚支払ったジャンは、デボン達と共に大公家に帰宅した。
「ヨセーミナ、だっけ?
ちょっと、お話があるから残って。
デボン君は下がって良いよ」
「……御意」
デボン君は物言いたげな目をしていたが、命令通りに立ち去った。彼とすれ違い様、ヨセーミナは勝ち誇った笑みを浮かべている。彼女は、ジャンに向かって、優雅に御辞儀をした。
「ヨセーミナ・オルソードと申します。
大公閣下の御恩情に、深く感謝しております。
何でも、お申し付けくださいませ」
彼女は、あからさまに、熱の籠った視線を雇い主に向けている。その様子に、ハサは呆れた。
(……切り替え早ぇな、おい)
一方、ジャンは、人当たりの良い笑顔を浮かべていた。
「……それじゃあ、場所を変えようか」
ジャンは、ヨセーミナとハサ、馬丁を連れて、ブルーム大公家の地下に降りた。湿っぽい臭いに、ヨセーミナは嫌な顔をする。
「ここは? 」
「俺も使うのは初めてなんだけど、埃っぽかったらごめんね? 」
光源は、ジャンの持参した手燭だけだ。ヨセーミナは、怖がるふりをして、ジャンの腕に抱き着く。その際、胸を押し当てることを忘れない。
「きゃっ。ごめんなさい。躓いちゃって」
(……小さいなぁ)
「閣下? 」
ジャンは、喉まで出そうになった非礼を呑み込んだ。
「ん? あぁ、ごめんね」
行き止まりになったところで、ジャンがヨセーミナを振り返った。
「子殺草って、知ってる? 」
「え? 」
脈絡のない会話に、ヨセーミナは困惑した。手燭に照らされたジャンは、にっこりと微笑む。
「あぁ、品物は知っていても、原材料は知らないか。
子殺草って、避妊薬の原料なんだよ。
成人男性の肌を爛れさせる程の毒草。
子どもが誤って口にすれば、死に至る。
だから、子ども殺しの草って言われているんだよ。
街の外に出れば、そこら辺の雑草と混じって自生してる。
身近な危険だよね」
困惑するヨセーミナの腕から、するりと抜けたジャンは、何もないはずの壁の前に立った。
「その毒草を、解毒を用いて毒性を弱体化させる。
完全に消し去ってしまうと、避妊の効果が無いからね。
加減が本当に難しいんだ。
安心して。解毒済みの子殺草は、体に悪影響を及ぼさないから」
何の変哲もない壁は、引き戸である。ジャンが引き戸を開けると、大量の刃物が陳列されていた。
「んで、結局、何が言いたいのかというと、毒花の解毒をしよっか」
ジャンは、にこやかに告げた。ヨセーミナは、得体の知れない恐怖に後ずさる。
「な、何のお話を、されているんですか、? 」
「んー、二度も説明するのは、面倒くさいよね」
突如、ヨセーミナの髪が、後ろに引っ張られる。
「きゃあ!? 何っ!? 痛い! やめて!! 」
彼女の悲鳴を聞き流しながら、ジャンは、緑色の葉っぱを取り出す。
「神秘奏上。
偉大なる風神。
風の神秘を。
奏上。
偉大なる風神よ、いと疾き神よ。
神前に清らかなる緑を捧げる。
風のしるべを我に許したまえ 風弓」
ジャンが口早に呟くと同時に、緑色の葉っぱが塵となり、緑の魔法陣を成型する。魔法陣から出現した淡い緑色の風が、手燭の炎を攫って四方に飛び散り、壁に掛けられた蠟燭全てを灯した。
「っ!? 」
室内が明るくなったことで、ヨセーミナは自身が椅子に拘束されたことを知る。そして、それを行ったのが、自分より小柄なハサであることも。
「な、何なの? 何なのよ、これは!! 解きなさいよ!! 」
ヨセーミナは力の限り縄を解こうとするが、頑丈な縄が切れる様子は無い。ハサは、ただ静観していた。その間に、ジャンは、馬丁の顔を覗き込む。
「ねぇねぇ、馬丁って、元第八師団でしょ。
拷問のやり方、教えてくんない? 実地で」
「……御意」
恐ろしい単語を耳にしたヨセーミナは絶叫する。
「はぁあああ!? 第八って、教会守護でしょう!?
神の敬虔な信徒が、こんなことして、許されると思って!? 」
彼女の叫びに、ジャンは、からからと笑う。
「あははは。
おかしなこと言うね?
彼は、神の証を持つ俺の言葉に従っているだけさ。
神に仕えることが出来るなんて、君は果報者だね」
「……はい」
馬丁は、顔色を変えることなく頷いた。本心は不明だが、ジャンの言葉に背く気はないらしい。それを悟ったジャンは、馬丁から視線を外して、いくつかの刃物に手を伸ばした。
「凄いよね、デボン君は。
君の身請け金を用意するために、実家である辺境伯家から席を抜けたの。
将来は当主の座が約束されてたのに、勿体ないよね」
独り言にしては大きな声。ヨセーミナは、恐怖に歯を震わせながら、懸命に叫んだ。
「で、でも、それなら、
いつでも私のこと、助けられた! なのに、デボンはしなかった!
悪いのは、あいつよ!! 私は悪くない!! 」
この期に及んで、責任転嫁する彼女。思わず、ジャンは真顔になる。彼は刃物を置くと、ヨセーミナの元に歩み寄った。
「自分の孫に、一方的に婚約を破棄を突き付けた女性に、プーガル辺境伯が情けをかけると思う? そんなのに金を出すくらいなら、余所の家に政略結婚を持ちかけるよね? 」
青い目に射抜かれて、ヨセーミナは押し黙る。会話が途切れた頃合いを見計らって、馬丁がジャンに話しかけた。
「武器屋で買い揃えたのは、この為ですか? 」
馬車を出すときは、運転手として、馬丁は必ず付き添う。だから、馬丁は、この刃物達の出所に心当たりがあった。馬丁の質問に、ジャンは、あっけらかんと返す。
「いや? お試しで色々買ってみようって思って。ね?」
ジャンは、ハサに同意を求めた。ハサは鼻で笑う。
「無駄遣いにならなくて、良かったじゃねぇか」
「あぁ。買い過ぎた自覚あったんだ」
「っるせぇ。お前も選んでたろうが」
「いやー、男心くすぐるよね、武器屋って。
馬丁は、どんな武器が好き? 」
純粋な好奇心を孕んだ眼差しに、馬丁は深い溜息をついた。
「……斧、ですかね」
「よーし、初めは斧でやってみよう」
「……一応聞きますが、生死はどうしますか? 」
「え? 殺さないよ。侍女してもらうもん」
ジャン達の会話に、ようやく現実を理解したヨセーミナは泣き叫ぶ。
「嫌ぁぁぁ!! 嘘でしょ!? ねぇ!? 」
「あーもー、煩いなぁ」
彼女の悲鳴に、ジャンが辟易する。薄情な態度に、馬丁は再度溜息をついた。そして、諦めたように手順を説明し始める。
「……まず、対象が舌を噛み切らないように、口に布を詰めます」
「了解。ハサ」
「おう」
ハサが、ヨセーミナの口に手拭いを突っ込んだ。更に、その上から手拭いが落ちないように他の布で固定する。それでもヨセーミナは喚いているが、くぐもった音が聞こえるだけだ。
「おぉ、結構静かになったね」
感心するジャンに、ハサは手を突き出した。
「ん」
「ん? 」
「斧」
「え? 俺やるよ」
「阿保。てめぇは、回復役だろ」
「あ、そっか。一番大事だよね、それ」
ジャンは素直に斧を手渡した。ハサは、感触を確かめる為に、片手で斧をぐるぐる回す。そして、ぴたっと止まった。
「……骨まで、斬れそう」
「流石」
ジャンは、ハサの器用さに称賛を送る。全ての準備が整った。ジャンは、怯えたヨセーミナに、乾いた笑みを向けた。
「俺はね、誰かの上に立てる奴じゃないんだ。
清廉潔白でもないし、天才肌でもない。
神の証を持って産まれただけの、クソガキさ。
だから、こんな俺の為に生きてくれる奴を、大事にしたいんだ。
そうしないと、俺の側に誰も居なくなっちゃう気がして……
あはは、身勝手な理由だよね。軽蔑してくれて良いよ。
俺は、俺の大事な騎士を傷つけた君に、罰を与えたいだけだから」