忠義の剣
ジャンが、ヴィーを身請けして、一週間ほど経った。結婚式の準備は着々を進んでいる。その最中、ジャンは、護衛騎士として付き添うデボンの様子が気にかかる。彼は、結婚関連の品物を目にするたびに、思いつめた表情をするのだ。
(……言葉を呑み込むなんて、デボン君らしくもない)
ジャンは、とうとう、デボンを壁際に追い詰めた。
「そろそろ白状してもらおうか。
あの日、高級娼館で、何があったの? 」
腹黒さを滲ませた笑顔に、デボンは狼狽える。ジャンの後ろには、ハサが待機しており、デボンの逃げ場は完全に無かった。観念したデボンは、ぽつぽつと話し始める。
「……昔の恋人が、働いていました」
「え? 」
「あ? 娼婦か? 」
「娼婦」
ハサの言葉に、デボンは力なく頷いた。ジャンは苦笑する。あの時、デボンが選んだ娼婦は、清純そうな子。それは、元恋人の特徴だったらしい。
「それは気まずいというか、何というか。
……もしかして、学院時代の恋人ってことかな? 」
デボンは、小さく頷いた。
「はい。私が学院に通っていた頃に付き合っていた御令嬢です」
「別れた理由は? 」
「……卒業パーティー当日、急に、辺境は嫌だと別れを告げられ、彼女は他の男と婚約しました」
当時の光景を思い出してしまい、デボンは、悲しみに肩を震わせた。その様子に、ジャンは溜息をつく。
「なるほどね。……それで、君は、振られた復讐でもしたいの? 」
「いいえ! それは違います!
ただ、彼女が不憫で仕方なくて……」
デボンは、心の底から、別れた恋人の状態を嘆く。その様子に、ハサが渋い顔をした。
「見捨てちまえ、そんな女」
「ハサ、言い方」
ジャンは、ハサの悪態を小声で窘める。ジャンとしては、ハサの意見に賛成だ。しかし、デボンは薄情ではない。愚かにも、別れた恋人の救済方法を模索している。
「閣下! 彼女を、大公家で雇うことは出来ますでしょうか!? 」
デボンの懇願を受けて、ジャンは、穏やかな雰囲気を醸しながらも、薄ら寒くなるような声音で語りかけた。
「デボンくーん」
「は、はい? 」
「信じていた騎士に裏切られた俺が、君を捨てて他の男性に乗り換えた女性を雇うと、本気で思ってるの? 」
ジャンの目が、全く笑っていない。デボンは戦慄する。
「……お、思いません」
「ん、素直で良いね」
ジャンは、感情のこもっていない褒め言葉を告げる。そして、口角を大きく歪めた。
「あぁ、でも、早く身請けしないと売り切れちゃうね。
その令嬢……デボン君の家格だと、高位貴族かな?
高位貴族令嬢の娼婦なんて、希少だろうし。
一部の娼婦嫌いな奥方を持つ男性に身請けされたら、最悪だよね。
酷く虐められた挙句、顔を焼かれて、ゴミのように捨てられちゃうかも。
……わぁ、可哀想」
くすくすと、ジャンは嘲笑う。ハサは、聞き覚えのある内容に眉をひそめたが、あえて何も言わなかった。その沈黙が、デボンの焦燥感を煽る。やがて、デボンは覚悟を決めた。
「閣下! 」
「何? 」
デボンは、勢いよく膝をついて、額を地面に擦りつけた。
「身請け金を、私に貸して下さい。
私は、まだ、社会に出たばかりで、金が無いのです」
「君に金を貸したとして、私に何の利益があるのかな? 」
ジャンの冷めた声音に、デボンは身震いする。だが、もう後には引けない。デボンは顔を上げて、鞘に入ったままの剣を、床に突き立てた。鈍い音が響き渡る。デボンは、強い瞳をジャンに向けた。
「っ。私は、家門を捨てて、閣下に忠誠を誓います!
閣下が死ねと仰るなら、死にます!
だから、私に、お金を貸して下さい!! 」
デボンは、約束された将来を投げ捨てて、ジャンに懇願した。重々しい空気が流れる。やがて、ジャンは返答することなく、ハサに振り返った。
「ねぇ、ハサ。どうする? 」
まるで、明日の朝食は何にするか、というような気楽さに、ハサは脱力する。
「悪魔か。さっさと貸してやれよ。
一応、こいつも命の恩人だぜ」
「あ、そっか。姉上とセツナの印象が強くて忘れてたや。
ん、いいよ。デボン君に身請け金を貸してあげる」
ハサの言葉を受けて、ジャンは簡単に了承した。デボンは喜色満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます! 閣下!
この御恩、一生忘れません! 」
「あはは、二度目だね」
デボンの元恋人、ヨセーミナ・オルソードは、青花五家の一つ、サンソード公爵家に連なる名門のオルソード伯爵家の令嬢であった。普通ならば、貴族令嬢が高級娼館で働く必要はない。
「婚約した伯爵令息の家が、借金で首が回らなくなって没落寸前。
その借金を返すために身売りされた、と。
で、実家のオルソード伯爵家は、ヨセーミナ嬢がデボン君と別れた件で勘当したから、身請け金を用意しない、と」
事情を聞いたジャンは、溜息をついた。清純そうな女性、ヨセーミナは、デボンに泣き縋る。
「デボン、私には、やっぱり貴方しか居ないの。
あの時は、ごめんなさい。
私、あの男に騙されていたのよ。
こんな借金だけ押し付けられて、私、」
「分かっている。可哀想そうに、こんなに窶れてしまって」
デボンは、壊れ物を扱うかのような手つきでヨセーミナを抱きとめた。甘ったるい雰囲気に、ハサは吐き気がする。その視界から逃れる為に、ハサはジャンを見た。
「……もう、帰ろうぜ」
「んー、まだ身請け金を支払ってないんだよね」
「……あ? 」
現在、ジャン達は、高級娼館の待合室にいた。先日のような、大広間を区切った簡易的な個室ではなく、立派な個室である。恐らく、百花ノ君を身請けしたジャンに対する配慮だろう。そして、ジャンは待合室に通されて早々、支配人から極秘情報を耳打ちされていた。
(素直に話してくれたら、俺も快く支払ったんだけど)
ジャンは、デボンに優しくされるヨセーミナを観察した。デボンは窶れていると称していたが、彼女の顔色の悪さは化粧によるものだ。体の線は、女性らしい丸みを帯びていて、不健康には見えない。最下層の闇医者をしていたジャンには、ヨセーミナの虚偽が一目瞭然だった。
(……良い子、じゃないよなぁ)
ジャンの言葉が届いたのか、ヨセーミナは上目遣いでデボンの袖を引いた。
「ねぇ、デボン。ここは、怖くて嫌なの。
早く、出て行きたいわ」
「そうだな。えっと、すみません。閣下。
身請け金をお願い出来ますか? 」
「その前に、一つ良いかな」
「はい? 何でしょうか? 」
デボンは、何も疑うことなく、ジャンの言葉を待った。ジャンは、黒い笑みを浮かべる。
「高級娼館では、平均的な娼婦の三時間利用金額を金貨一枚としている。
その平均額を遥かに下回る、三時間銅貨五十枚って、何?
君は、中古の礼服が買える値段で、花を売る容姿じゃないよね? 」
ヨセーミナは息を呑んだ。彼女の外見は、清純で、男心をくすぐる愛らしさを兼ね備えている。だからこそ、ジャンは、金額の低さを問題視した。ヨセーミナは、本当に顔色を悪くする。
「どうして、それを、」
「支配人が教えてくれたよ」
話の筋が見えないデボンは困惑する。
「ヨセーミナ? どういうことなんだ? 」
「い、嫌がらせされてるの。私が、貴族令嬢だから、みんな寄ってたかって酷いのよ」
ヨセーミナが言いくるめようとしたところを、ジャンが口を挟んだ。
「自分の口で言う気が無いなら、俺が言ってあげる。
こいつは、他の客と逃げたんだよ。
その罰で、最低金額に下げられてる。
明日には、中級以下の娼館に引き渡される予定だってさ」
「……え? 」
デボンは言葉を失った。ヨセーミナは半狂乱に叫ぶ。
「違う! 違うわ! 私は、逃げる気はなかったのに、あの人が勝手に私を連れ出したのよ! お願い、デボン! 私を信じて! 」
デボンだって、元恋人の言葉を信じたい気持ちがある。しかし、ジャンが嘘をつく必要性がないのだ。デボンは、恐る恐る、ジャンに尋ねる。
「逃げたって、いつ? 」
「先週かな。俺が百花ノ君を身請けした直後」
「デボン! お願い、私を信じて! 」
騒ぎ立てる彼女に、デボンは眩暈がする。
「っ、君を、信じたい気持ちはある。
だから、本当のことを教えてくれ。
君は、他の客と逃げたのか? 」
ヨセーミナは、目を潤ませながら首を横に振った。
「でも、それはっ、……っ、仕方なかったの。
私だって、ずっと、色んな男に抱かれたくなかった。
私が助かるためには、逃げるしかなかったのよ」
「……その客は、君と婚約した伯爵令息なのか? 」
「違うわ。彼は私を見捨てたの。助けに来るはずがない。
ねぇ、デボン。お願いだから、私を信じて。
あなただけよ、私を本当に愛してくれる人は」
ヨセーミナは、猫撫で声を出した。愛らしい見た目と相まって、可愛らしさ抜群である。それと同時に、デボンの恋心が急速に凍り付いていく。彼は、肩を震わせた。
「……卒業パーティーで、聞いたな。
『私を本当に愛してくれるのは、彼だけ』って。
君は、あの時、私に言ったよな? 」
「違うの、あれは」
ヨセーミナは、未だに悪足搔きをしようとする。それに嫌気が差したデボンは、とうとう、ヨセーミナを引き剥がした。
「何が違うんだ!
私の目の前で、あいつの手を取った君の笑顔が忘れられないよ!
私が辺境伯の孫なのは、最初から知っていたはずなのに!
それを、今更、辺境が嫌だと言われて! 」
デボンは、あの日言えなかった感情を吐き出した。それでも、気が晴れるわけではない。デボンは、ヨセーミナを睨みつける。
「君の戯言は、二度と信用しない。
仕事の邪魔をして悪かったね。もう帰るよ」
「待って! 私のこと、助けに来てくれたんじゃないの!?
お願い、行かないで!
私、このまま、ずっと、銅貨五十枚なの!
それで金貨五百枚の借金なんて返せないわ! 」
ヨセーミナの状態を聞いて、ジャンは少しだけ感心する。
(借金は青玉貨一枚って聞いてたけど、半分は返済してたんだ。
逃げなければ、あと数年で終わったのにね)
自分の腕に縋りついた彼女を、デボンは冷ややかに見下ろした。
「……私には関係ない。君が、この先どうなろうが、知るものか」
「デボン! 嫌よ、お願い! 私を捨てないで! 」
ヨセーミナは、髪を振り乱してデボンに泣き縋った。だが、デボンは取り合おうとはしない。彼女を突き飛ばさないのは、デボンの優しさだった。男女の睦言から一変して、男女の言い争い。それを静観していたハサは、うんざりする。
(……どうすんだ、この修羅場)