君と過ごす最下層の日々
今日も今日とて、ジャンはゴミを拾っていた。相変わらず、苦いスープには慣れないが、食べないと死ぬのだ。そして、仕事をこなさないとスープに辿り着けない。ジャンは小さな体で、せっせと何かの欠片を拾い集めていた。桶が一杯になった頃、黒髪の少年こと、ハサも同様に桶を抱えていた。
「おう、集まったか」
「うん」
「行くか」
「うんっ」
ハサの言葉に、ジャンはニコニコと相槌を打った。いつも通り、二人が倉庫で茶碗を貰うと、ハサが高所で作業中の男性に呼び止められた。
「おーい、黒髪の。ちょっと、手伝ってくれ」
「おう。……表で待ってろ」
ハサは茶碗をジャンに押し付けると、大量に積まれた箱の山を軽々と飛び乗っていった。ジャンは目を丸くしつつ、大人の多い空間から逃げるように倉庫の外に出た。人の目に止まらぬ日陰に腰を下ろし、ジャンは独りごちる。
「ハサ、本で読んだ猫みたいだったなぁ……」
ジャンは暇つぶしに、そこら辺りに転がっていた石で文字を書く。文字を書くのは久しぶりだったが、存外、綺麗に書けるものだとジャンは自画自賛する。ふと、ジャンは視線を感じて顔を上げた。そこにはジャンよりも幼い三人の子どもがいた。ジャンは驚きのあまり、声が出なかった。
(なっ、だ、だれ?あ、いや、いつも顔は見るかな!?)
酷く動揺しているジャンに、子どもの一人が声をかけた。
「なにそれ、絵?」
「え?あ、いや、文字、だよ」
ジャンは細々と呟く。だが、文字という言葉に聞き覚えがないのか、話しかけた子どもは他の子どもを見る。
「文字って、なんだっけ?」
「ほら、ボスがいつも、書いてるやつ」
二人の会話をよそに、もう一人が身を乗り出した。先日、炎の前で平然とボスに質問していた幼い子どもだった。
「これ、なんて読むの?」
「ね、ねこ」
「ねねこ?」
「ちがっ、えっと……猫、だよ」
「猫!おれも、かきたーい」
子どもは楽しそうに、ジャンの腕を揺する。他の二人の子どもも目をキラキラさせる。
「おれも、かくー!」
「おしえて、おしえて」
「う、うん」
ジャンはハサが来るまで、三人に文字を教えていた。手伝いを終えて表に出てきたハサは、謎の子どもの集団を見つけて怪訝な顔をする。
「お前ら、何やってんだ?飯食わねぇのか?」
「「「飯!!!」」」
三人の幼い子どもはハサの言葉に、勢いよく顔を上げ、すぐさま駆けだした。取り残されたジャンは、唖然としていた。ハサはジャンを不躾に眺める。
「……どうした」
「あ、ちょっと、遊んでただけ。飯、行こうか」
ジャンは無雑作に地面を擦ると立ち上がる。ハサは何か言いたげに、地面を眺めるが、すぐに視線を逸らして大鍋の場所に足を向けた。
今日も苦いスープに苦戦していると、ジャンの横でハサが干し肉を取り出した。それを真っ二つに折ると、半分をジャンの茶碗に放り込んだ。ジャンは目を丸くする。
「なにこれ?」
「干し肉、さっき貰った」
そう言いながら、ハサは干し肉を豪快に噛み千切った。ジャンはハサの優しさに目を細める。
「ありがとう、ハサ」
「……おう」
スープでふやかされた干し肉は、ジャンも噛み切れる固さになっていた。相変わらずスープの苦さは強烈だが、干し肉が入った分、マシに思える。
(干し肉って、初めて食べた)
ちらりとハサを伺うと、普段よりも仏頂面であった。ジャンは恐る恐る尋ねる。
「……ハサ、干し肉、嫌い?」
「あんま好きじゃねぇ」
「じゃあ、何が好きなの?」
「果物、とか」
「ここで、果物、食べることあるの?」
「秋になったら、たまに」
夏の終わりかけは、まだまだ暑かった。ジャンは、まだ見ぬ秋に思いを馳せる。
「早く秋になるといいね」
「おう」
その夜、ジャンは小屋の前にしゃがみ込んでいた。小屋の中で布を干していたハサは、眉をひそめながら顔を出す。
「んだ、それ」
「あ。さっきね、小さい子に文字を教えてたんだ。それで、ハサも文字を知らないかと思って。これ、ハサの名前だよ」
そう言って、ジャンは地面に書いた名前を指差した。
「……あっそ」
ハサは興味なさそうに呟き、小屋の中に引っ込んだ。ジャンは肩を落とす。
(さっきの子たちが楽しそうだったから、ハサも喜んでくれると思ったんだけどなぁ)
ジャンは、ハサの名前の横に、ジャンと書く。その出来栄えに自己満足して、ジャンも小屋に引っ込んだ。
一方、夜の倉庫内では、先ほどの幼い子ども三人がボスの元を訪れていた。
「ぼすー!みてみて!」
「あ?」
ボスが呼び声に下を向くと、歪な文字で猫と書かれたのが三か所。子ども達は満面の笑みで言い放つ。
「「「ねこ!!!」」」
「おー、上手い上手い」
ボスは気怠げに、幼い子ども達の頭を撫でた。子ども達は嬉しそうに目を細めた。
「で、誰に教えてもらった?」
ゆったりと手を離すと、ボスは子ども達を見下ろした。子ども達は恐れることなく、のほほんと答える。
「んー、だれだっけ?」
「なんか、ちっちゃい奴」
「おれ、知ってる。黒髪が川で拾ったやつ」
「……へぇ、あれか」
ボスは悪い笑みを浮かべた。子ども達は不思議そうに彼を見上げる。
「「「ぼすー?」」」
ボスは返事をすることなく、さらさらと文字の手本を横に書いてやった。
「ほら、これがボスって字だ」
「ぼす!」
「ぼす、かく!」
子ども達は文字を書くことに夢中になった。その間に、ボスは大柄の男を呼び寄せた。大柄の男は、図体に似合わず、ぴょこぴょこと来た。
「ボス?」
「明日の朝、黒髪んとこのガキを俺様の前に連れてこい。怪我させんなよ」
「わかった」
ボスは大柄の男から視線を外すと、再び子ども達に振り返る。
「お前ら、それ書き終えたら寝ろよ」
「「「はーい」」」
「ったく、返事だけは一丁前だな、おい」
ボスの小言に、大柄の男が温かい目を向ける。何かを感じ取ったボスは、大柄の男の横腹をついた。
「笑ってんじゃねぇ」
「っ、違う」
と、言いつつ大柄の男は穏やかな表情をしていた。ボスはそれが癪に障るが、倉庫全体から向けられる生温い視線を感じて声を張り上げた。
「おいこら、てめぇら!さっさと作業を終わらせやがれ!俺様が眠れねぇだろうが!」
「「「おう」」」
倉庫中から聞こえる野太い返事に、ボスは満足げに頷いた。
深夜、ジャンは隣の温度が消えていることに気が付いて目を覚ました。
「……ハサ、?」
ジャンは不安そうに辺りを見回す。すると、小屋の外にハサがしゃがみ込んでいるのを見つけた。ジャンは、もそもそと手元を覗き込む。ハサは、一生懸命、ジャンの書いた文字を真似していた。その光景に、ジャンは目を輝かせる。
「ハサ!」
「うおっ!?おまっ、起きて」
「何してるの?何してるの?」
ジャンの笑顔に気圧されたのか、ハサは言い訳がましく呟いた。
「べ、別に、ちょっと暇つぶししてただけだ。全然、少しも、書いてみたいと思ったわけじゃねぇし。名前なんか書けなくても、全然、生きていけるし」
ハサの耳が真っ赤に染まる。ジャンは好奇心を何とか我慢した。
「そっかぁ。じゃ、俺は寝るね。お休み」
「お、おう」
ハサはジャンが寝転がるのを確認して、再び文字を書き始めた。ジャンは背を向けながら、ひっそりと笑う。
(ふふ、やっぱり、猫みたいだ)