結婚式準備
「ねぇ、ジャン。このドレスは、どうかしら? 」
ヴィーは、ドレスの図案をジャンに見せる。ジャンは、そのドレスを、ヴィーが身に着けた姿を想像した。胸元が大きく強調されたドレス。
(たわわ……)
彼は、一生懸命、理性を総動員させた。
「だ、駄目っ」
顔を真っ赤にして否定するジャン。ジャンの反応に首を傾げながらも、ヴィーは、違う図案を見せる。今度は、背中の曲線美を強調した衣装である。
「じゃあ、これは? 」
「駄目っ」
「なら、これは? 」
「だ、駄目です……」
何度も何度も、顔を真っ赤にして否定するジャン。その度に、ヴィーは、異なる図案を選ぶ作業を繰り返した。やがて、業を煮やしたヴィーが、冷ややかな眼差しでジャンを見下ろした。
「もうっ。いい加減にして頂戴。お色直しのドレスが、全然決められないじゃない」
「だって……」
申し訳なさそうに眉を下げたジャンに、ヴィーの後方で控える老侍女が温かい眼差しを送った。応接間に用意された沢山の上質な生地、精密なドレスの図案。花嫁衣装は早々に決定したが、結婚披露宴用のドレスが未だに決まっていなかった。ヴィーは元凶を睨む。
「一体、何が不満なのよ」
「だって……! 」
ジャンは、恥ずかしさに両手で顔を覆った。ヴィーの肢体は、色香が強い。布面積の多い服装でさえ、豊満な肉体を主張してくるので、ジャンは目のやり場に困るのだ。それにも関わらず、ヴィーは露出を増やしたドレスを好んで選択するので、ジャンは非常に困った。耳まで赤くするジャンに、壁に凭れ掛かっていたハサが溜息をついた。
「色ボケ」
「うぐっ」
ハサの容赦ない一言が、ジャンに突き刺さった。しかし、ジャンの態度が満更でもないのか、ヴィーは上機嫌になる。ヴィーは、ジャンに絡みつくように抱き着いた。
「仕方ないわね。あたしの旦那様は。
良いわよ、ドレスの露出を抑えてあげる」
「本当に? 」
「その代わり、他は普段着に回すわよ? 」
「……屋敷だけでお願いします」
「どうして? 」
「他の男に、君の素肌を見せたくないんだ」
ジャンは真剣な眼差しをヴィーに向けた。ヴィーは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ふふっ、嫉妬深い男は嫌われるわよ」
「うぅ、それでも嫌なの! ヴィーは、俺の妻だもん! 」
半泣きになるジャンの姿に、ヴィーは、くすくす笑った。そして、彼女は、ジャンの目元に唇を添える。
「お子様ね、あたしの男は。とても可愛いわ」
「っ」
突然の出来事に、ジャンは顔を真っ赤にした。言葉が紡げなくなったジャンの有様を、ヴィーは、楽し気に眺めている。甘ったるい雰囲気を感じたハサが、げんなりと口を開いた。
「さっさと、決めろや、馬鹿夫婦。相手、待たせてんだろうが」
ハサは、部屋の隅に控える商人と仕立て屋を指差した。ヴィーに相応しい生地を取り揃えた商人は、王族御用達の有名店を構える御仁である。そして、仕立て屋は、現王妃の花嫁衣装を手掛けた御仁である。尊き方の睦み合いに、両者は眉一つ動かさない。商人は、営業用の笑顔を携えて、灰色の生地を提示した。
「でしたら、大公閣下の髪色と同じドレスは如何でしょうか?
他の男性に対する牽制になりますよ」
商人の言葉に、ジャンが迷いなく発言する。
「採用」
「ありがとうございます。では、こちらの布で仕立てますね」
灰色の生地を見たヴィーが制止をかける。
「あ、ちょっと待って。色味は数種類欲しいわ。ジャンの髪色より、濃い目の布……そうね、これくらいかしら?
スカートの部分で、色味の変化を付けたいのよ」
ヴィーの要望を聞いて、仕立て屋が素早く動いた。
「では、こちらの図案に、側妻様のご要望を書き加えて
……如何でしょうか? 」
新たな図案に、ヴィーは喜色満面の笑みを浮かべた。
「素敵だわ。ジャン、このドレスに決めましょう? 」
「……胸元が開きすぎじゃ」
「首飾りをつけるんだから、このくらい普通でしょ。ね? 」
「はい」
ヴィーの圧力に、仕立て屋が勢いよく頷いた。
「ジャン」
「……分かったよ」
ヴィーの有無を言わさない笑顔に、ジャンは降伏した。そして、後ろを振り返る。
「……執事」
「御意」
ジャンの呼びかけに、執事が恭しく硬貨を卓上に置いた。煌びやかに輝く青玉貨二枚に、商人と仕立て屋が息を呑む。ジャンは、にっこりと微笑んだ。
「これは、前金だ。私の大事な妻の衣装を頼むよ、諸君」
「「御意!! 」」
商人達が慌ただしく帰った後、ジャン達は、大広間で三種類のケーキと向き合っていた。ケーキを運んできた料理人が、恐る恐る説明する。
「ウェディングケーキの試作、出来ました」
「わぁ、ありがとう。どれも、美味しそうだね」
ジャンの感嘆に、料理人が照れくさそうに微笑む。その傍らで、執事が丁寧にケーキを切り分ける。皿の上には、赤いケーキ、黄色のケーキ、果物の載ったケーキが揃えられた。
「……これ、食いたくねぇ」
赤いケーキの匂いを嗅いだハサが、ぽつりと呟く。その時、丁度、デボンが大広間を訪れた。
「良い匂いですね。ケーキですか? 」
「っ!? 」
料理人は、デボンの存在に、肩を盛大に飛び跳ねさせた。デボンが怪訝な顔をする。
「何か? 」
「い、いえっ! 何でも!! 」
未だにデボンに対する恐怖心が抜けない料理人は、必死に首を横に振った。デボンの来訪に気づいたジャンは、人当たりの良い笑顔を作る。
「デボン君も味見してよ。今、ウェディングケーキの試食をしてるんだ」
「え? ……あぁ、はい」
デボンは、少しだけ躊躇しつつも、手前にあった赤いケーキを口に運んだ。次の瞬間、デボンが激しく咳き込む。
「かっっっら……!! なんっ、これ……!! 」
(……食べなくて良かった)
ジャンは、心の底から安堵した。辛さに悶絶するデボンに、執事はすぐさま牛乳を差し出す。デボンは、勢いよく牛乳を飲み干した。デボンは肩で息をする。
「こんなものを、出すとか、正気ですか!? 」
「ひっ……! あ、えと、そのっ」
デボンの怒気に、料理人が震え上がる。彼らの間に、すかさず執事が入った。
「そちらの赤いケーキは、側妻様のご要望です」
「は? 」
「んー、美味しい」
一同の視線が、激辛ケーキを笑顔で食べるヴィーに集まる。ジャンは苦笑した。
「ヴィーは、辛いものが好きなんだね? 」
「そうよ。この刺激が堪らないの」
満面の笑みに、ジャンは優しく微笑んだ。
「そうなんだ。じゃあ、この赤いケーキは、ヴィーのおやつにしようか。
後は、果物と、チーズ、かな? 」
ジャンは、一口ずつ食べ比べる。どちらも美味であった。
「んー、果物とチーズを合わせたケーキって、出来る? 」
ジャンの問いかけに、料理人は背筋を伸ばす。
「はい、出来ます」
「じゃあ、ウェディングケーキは、それでお願い」
「御意」
決定したウェディングケーキに対して、果物のケーキを平らげたハサが首を傾げる。
「何で、果物とチーズを合わせるんだ? 」
「王妃殿下がチーズ好きなんだって。
どうせなら、神王陛下の好感度を上げた方が良いでしょ」
結婚式当日に備えて、ジャンは、招待客の情報を改めて収集していた。ルーラ曰く、リオクスティードは愛妻家らしい。その裏付けは、ローザスタ公爵からも取れていた。ジャンは苦笑する。
(身請けの件で、醜態晒しちゃったからね。挽回しとかないと)
紅茶で口直しをしたジャンは、ハサの皿を確認する。
「ハサは、チーズ苦手? 」
ジャンは、手付かずの黄色いケーキを指差した。ハサは怪訝な顔で、黄色のケーキの匂いを嗅ぐ。そして、害はないと判断したのか、躊躇いなく口に運んだ。
「……普通」
「なら、大丈夫だね」
ジャンは、ケーキを苦々しく眺めているデボンを横目で見る。激辛ケーキを食べさせられたことに対する恨みだけではないだろう。ジャンは頬杖をついた。
(……当面の問題点は、誰かさんかなぁ)