傷心中の男達
厨房にも、女性関係で傷ついている男がいた。料理人は、メイド見習いのベリーに懸想しているらしい。先日、彼は、ジャンの許可を得て、ベリーを口説こうとした。だが、何も始まらないまま、料理人は失恋したようだ。ジャンは言葉に困る。
(ベリー、先手打っちゃったんだ。
まぁ、そうだよね。元娼婦だもん、男の下心には敏いよ)
女性経験のない料理人の口説きなぞ、彼女の前では無力と化す。その光景が容易に想像出来てしまい、ジャンは腕を組んだ。横目でデボンを見る。
(うちの野郎どもって、どうして、こう……いや、傷口を抉るのはやめよう。誰も幸せにならないや)
「閣下? 」
「何でもないよ、デボン君」
ジャンは、デボンの疑問を、笑顔で誤魔化す。気を取り直したジャンは、料理人の肩に、努めて優しく手を置いた。
「大丈夫、大丈夫。君、仕事出来るし、『仕事が出来る彼、素敵』って思ってくれる女性が現れるのを待とう」
「……お気遣い、ありがとうございます。
えっと、自分に何かご用、なんですよね? 」
料理人は、ジャンの笑顔から目を逸らしながら問いかける。その様子に、ジャンは気が付いていたが、あえて指摘する必要もないので、さり気なく距離を取った。
「春の始月中旬ぐらいに、結婚式するんだ、俺。結婚披露の料理、招待客と合わせて、十一名分なんだけど、大丈夫? 」
ジャンの発言に、料理人は眉をひそめる。
「料理は大丈夫ですけど……一つ良いですか? 」
「何? 」
「フラれて傷心中の男に、結婚披露宴の料理を作らせるって、どういう気持ちですか? 」
(……辛いっ! )
デボンは、料理人の恋愛事情を全く知らない。しかし、同じ傷心仲間として、容赦なく胸を貫かれた気分だった。一方、ジャンは、先日よりも、会話をしてくる料理人に驚きつつも、少し考え込む。
「んー、正直、男だから、どうでもいいかな。
女性相手なら、多少は気を使うよ」
ジャンはあっけらかんと言い放つ。料理人は、ジト目をする。
「……男嫌いですか? 」
「男に酷く裏切られた体験のせいかなぁ」
ジャンは、軽快に笑う。彼の背後では、またしても、デボンが異なる痛みを負っていた。
(……あんな恐怖を子どものうちに体験したら、そうなるだろう)
最下層でライと対峙したデボンは、ジャンの不遇な過去が痛いほど身に染みた。辛い過去も笑顔で乗り越えようとするジャンに、デボンは感服する。一方、料理人は顔を伏せたまま、平坦な声を出した。
「……不敬を承知で良いですか? 」
「どうぞ」
ジャンは首を傾げながら許可する。料理人は、苦々しい面持ちで呟いた。
「自分、閣下のこと、可哀想だなと思いますけど、
閣下の『俺、可哀想でしょう』みたいな発言は、イラっとします。
世の中、大なり小なり、可哀想な奴はいますよ」
厨房が、しんっと静まり返る。ジャンは目を丸くしていた。
(……俺、そんなこと、言ってたのかな? )
ジャンは、過去の言動を振り返る。その中で、第一王子に対して、かなり挑発的な態度を取った出来事を。
『あぁ、ごめんよ? おじさん、六年間も誰かさんに失踪させられてたから、坊やのこと詳しくないんだ。で、坊やは、今年で、何歳になるの? 』
(んー、言ってた、かも? )
過去、ジャンとしては、聞かれたから答えただけであるし、言葉で攻撃されたから、攻撃し返しただけである。
(料理人に指摘されるまで、全然気にしたことなかったな。交流関係を円滑にする為にも、発言には気を付けよう……ん? )
不意に、ジャンの近くで、金属音がする。ジャンが視線を向けた頃には、デボンが、料理人の喉元に剣を突き付けていた。デボンは低く唸る。
「貴様、雇い主の大公閣下に何たる無礼か。不敬を承知の上ならば、腕を切り落とされても構わないな? 」
「ひっ……」
料理人は、デボンの殺気に怯えた。普段は、頼りない印象の強い若者だが、デボンも正当な騎士なのだ。騎士の重圧を受けて、料理人は身動きが取れなかった。その光景に、ジャンは溜息をつく。そして、ジャンは、黒い笑みを浮かべた。
「デボンくーん。馬車で、俺に、何て言ったー? 」
その一言に、今度はデボンが硬直した。彼は瞬時に剣を収めると、ジャンに深々と頭を下げた。
「その節は、大変申し訳ございませんでしたっっ!! 」
あまりの切り替えの早さに、料理人は唖然とした。ジャンは肩をすくめると、料理人に笑顔を向ける。
「まぁ、君には無関係な身の上話な訳だし、気分は良くないね。
教えてくれてありがとう、勉強になったよ」
ジャンの優しい笑顔に、料理人は青ざめる。彼は、しどろもどろに呟いた。
「……いえ、あの、自分で言っといて、あれ、ですけど。
今、自分で、自分の心を痛めつけたというか。
すみません、八つ当たりしました、本当にすみません」
料理人は、泣きべそをかきながら頭を下げた。ジャンは苦笑する。
「顔を上げてよ。俺も、一つ言っていい? 」
「……はい」
ジャンは下から覗き込むように、料理人と目を合わせた。料理人は、間近で見る青い目に圧倒されて、目を逸らすことが出来ない。
(これが、神眼。吸い込まれそうだ……)
徐に、ジャンは微笑んだ。
「話すときは、相手の目を見た方が良いよ。
ま、単純に、俺の顔見たくないのかもしれないけどさ」
ジャンは、静かに距離を置いた。青い目の重圧から解放された料理人は、我に返ったかのように話し始める。
「あぁ、いえ、あの。料理ばっかで、まともに話すのが。
……使用人同士は、まだその」
「特定の相手以外は、消極的になっちゃう? 」
「……はい」
料理人の内気な性格を知って、ジャンは軽快に笑った。
「あははは。んじゃ、一回、じいやを間に置こうか。詳しい仕事の話は、じいやから聞いて」
そう言い残すと、ジャンは頭を下げたままのデボンに声をかけて、厨房を後にする。
廊下を進むジャンに対して、デボンは不満を露わにした。
「あの料理人を解雇しないで宜しいのですか? 」
「俺は、結婚式の準備で忙しいの。これ以上、仕事増やさないでよ」
結婚式の事前準備について纏めた目録を、ジャンはデボンに見せつける。デボンは露骨に目を逸らした。
「虐めないで下さい、泣きます」
「ごめん、先に結婚しちゃった」
「……御結婚、おめでとうございます」
「ありがとう、泣かないで」