婚活中
翌日、朝食の席で、デボンは見知らぬ美女の存在に首を傾げた。
「……どちら様ですか? 」
「側妻のヴィーだよ」
ジャンがヴィーを紹介すると、彼の斜め左側に座っていたヴィーは、立ち上がって挨拶をする。
「初めまして、騎士様。ブルーム大公の側妻、ヴィー・ブルームです。以後、お見知りおきを」
ヴィーの優美な御辞儀を受けて、デボンは、慌てて騎士の礼を取った。
「第五師団……じゃなかった。臨時で、大公閣下の護衛を務めております、プーガル辺境伯の孫、デボン・プーガルと申します」
無事に挨拶を交わしたデボンだったが、言葉の違和感に気が付いて顔を引きつらせた。
「側妻? 」
「えぇ。……何か問題でも? 」
ヴィーは、気の強さを滲ませた笑みを浮かべる。貴族が娼婦を娶ることは、よくある話だが、必ずしも身請け先が好意的とは限らない。その類の噂は、百花ノ君であったヴィーも熟知している。そして、ヴィーは売られた喧嘩は買う女である。ヴィーが意気揚々とデボンの言葉を待ち構えていると、デボンは影を背負った。
「……いえ。結婚かぁ、と思いまして」
デボンは、自分の言葉に深く傷ついた。暗い面持ちで下座につくデボンの姿に、ヴィーは肩透かしを食らった気分になる。ヴィーは、首を傾げながら元の席についた。
「何なのかしら? 」
「あー、彼は、婚活中なんだよ」
「……あぁ」
ジャンの苦笑に、ヴィーは納得する。高級娼館に連れて行かれた以降、結婚話に対して、デボンの雰囲気は前よりも重々しくなった。高級娼館の出来事を詳しく聞ける感じでもない。ジャンは密かに溜息をついた。
(好みの女性と会話して、古傷抉ったんじゃ、もう、どうしようもないよね)
朝食を終えると、ヴィーが大輪を思わせる笑顔を、ジャンに振り撒いた。
「ねぇ、もう、離れって使えるの? 」
「使えるよ」
ジャンの言葉に、ヴィーは嬉しそうに立ち上がった。
「ありがとう、ジャン。愛してるわ」
「ぐはっ、ありがとう。俺も、愛してる」
朝から熱烈な愛の告白に、ジャンは心を打たれる。感動の余韻を味わう彼を放置して、ヴィーは機嫌の悪いハサを見た。
「行くわよ、ハサ」
「……あぁ? 」
本日も低血圧なハサは、眉をひそめる。ヴィーは、両手を腰に当てた。
「昨日の話忘れたの? あたし、貴方がいないと外に行けないの。
ほら、早くしないと、あたしのことを、お義母様って呼ばせるわよ? 」
意地悪な視線に、ハサは盛大に舌打ちした。嫌々席を立つハサに満足したのか、ヴィーは去り際にジャンに微笑んだ。
「それじゃあ、あたしは研究に勤しむから、用事があったら呼んで? 」
「うん、分かった。いってらっしゃい、ハサも」
「……おう」
微笑ましい組み合わせを見送るジャンに、執事が神妙な面持ちで話しかけた。
「閣下、重大なお知らせがございます」
「え? なに怖い。どうぞ」
話の続きを促された執事は、ほんの少しだけ身を乗り出した。
「現在、冬の中月ですね? 」
「うん」
「そして、閣下の王立学院御入学は、来年の、春の中月です。
その期間までに、早急に側妻様との結婚式を挙げなければなりません。
何故なら、学院の日程上、閣下は一年間、帰宅出来ないからです。
側妻様は、元娼婦。
結婚もしないまま一年間を迎えれば、彼女の名誉が傷つきます」
ジャンは雷で撃たれたような激しい衝撃を受けた。身請けのことばかりで、その後のことを全く考えていなかったのだ。ジャンは入学までの日数を数えて、酷く狼狽えた。
「後、二カ月半しかないじゃん! どうしよう!? 何から始める!? 」
焦りを隠せないジャン。一方、人生経験豊富な執事は、俊敏な動作で、ジャンに書類を手渡した。それは、結婚式の事前準備について纏められた目録であった。
「まず、招待客の確認と、招待状を送ります。
側妻様との結婚なので、身内だけの結婚式・披露宴で許されますよ。
春の始月は、新年の式典や生誕祭の出席で、プーガル辺境伯令室様がいらっしゃるので、その直後に催しましょう」
ジャンは執事の有能さに舌を巻きつつも、明確な期日を理解して冷や汗が止まらない。
「わぁ、準備期間が、もっと狭まったね!?
姉上以外に、誰を招待するのかな!? 」
「水神王陛下夫妻と、第一王女殿下、第二王女殿下。
側妃様方は、西の離宮での一件がございますから、呼ぶ必要はないでしょう。
それから、剣術の指導をして下さったローザスタ公爵。
同じく指導者である、風神王族ス=ニャーニャ・ニーニ・ス・エアロード様。そして、客分たるデボン・プーガル様も、招待客に含まれるかと」
「ス=ニャーニャ様の正式名称、初めて知ったよ」
ジャンの交流関係から、執事は八名の招待客を導き出した。ジャンは、執事の話に相槌を打ちながら目録を読み込む。そして、最も重要な項目を見つけた。
「早速、ヴィーの花嫁衣装を仕立てなきゃ」
「そうですね。結婚式は中庭、披露宴は大広間で行います。ですので、花嫁衣装とドレスの両方を仕立てるべきかと」
「わかった。えっと、中庭なら庭師に、披露宴の料理……って、料理人って彼だけで足りる!? 」
大公家の庭は、庭師が使い魔を用いながら管理している。中庭に、結婚式会場を設営する時間的余裕は十分あるだろう。だが、料理は、当日の労働が強く要求される。仮に、料理人が使い魔を用いたとしても、使い魔に繊細な作業は出来ない。せいぜい、荷運びが良いところだ。その事実に、執事も気が付いた。
「……確認の必要がありますね」
いくら身内だけのパーティーとはいえ、水神王族を招いた公式的なパーティーである。少しの間違いも許されない。ジャンは、すぐさま席を立った。
「俺、ちょっと話してくる! じいやは、招待状の見本、作って! ドレスを作る人も手配して! 庭師に結婚式会場のことも伝えて! 」
「御意」
執事は命令を受諾すると、優雅さを保ちつつ、全速力で動き始めた。ジャンも、急いでデボンを振り返る。
「おいで、デボン君! 」
「え? あ、はいっ」
ジャンは、息を切らしながら、厨房に滑り込んだ。
「ご機嫌よう、料理人! 今日も美味しい朝食をありがとう! 」
「……あ、閣下」
まだ熱の籠った厨房に、欝々とした料理人が立っていた。あまりの暗さに、ジャンは目を丸くする。
「どうしたの、全体的に暗いよ」
ジャンの問いかけに、料理人は顔を伏せた。
「『仕事仲間として尊敬してます』って、脈無しですよね」
「……あぁ」