求愛
「ヴィー、って呼ぶ」
「あら、お姫様にしてくれるの? 」
花冠の美女は、艶やかな笑みを浮かべた。ジャンは目を丸くした。
「何ですぐ分かったの? 」
ジャンの困惑を、花冠の美女は笑い飛ばした。優美な仕草で、ハサを指差す。
「あなた、そっちの黒髪の子を、ハサって呼んでたじゃない。
トットの著書『ハサ戦記』の主人公でしょう?
あたしも好きよ、トットの本。
心理描写が細かくて、文字が美しいのよね」
思わぬ共通の趣味に、ジャンは感極まった。
「好き」
「あら、ありがとう。ところで、坊や」
「は、はい? 」
花冠の美女は身を乗り出した。どことなく、威圧感を与える微笑みだ。
「質問を質問で返さないの。あたしのこと、お姫様にしてくれるのかしら? 」
ジャンは迷わず騎士の礼を取る。
「『俺だけのお姫様です』」
「『ふふっ、くるしゅうないわ』」
花冠の美女は、尊大な態度で、ジャンの礼を受け取った。覚えのある台詞に、お互い、笑みが零れる。だが、全く状況が理解できないハサが水を差した。
「……何の話だ? 」
「『水面の恋』の台詞。高飛車なヴィー姫と、高潔な騎士との恋愛物語」
「でも、これ、壮大な不倫話よね。面白いけど」
花冠の美女、もとい、ヴィーの言葉に、ハサは眉をひそめる。
「……お前、不倫女の名前で良いのかよ」
「あたしは気にしないわ、美しい名前だもの」
「……あっそ」
ジャンとヴィーは、ハサとの談笑を交えながら、青い契約書に双方の名前を記載した。ジャンの側妻、ヴィーは、改めて、ハサに声をかける。
「ねぇ、ハサ。もう一度、短剣を貸してくれる? 髪を切り揃えたいの」
「……あぁ」
瞬間、ヴィーの周囲を鋭利な風が通り過ぎた。ハサが、平然と振った短剣が、彼女の髪を肩口で切り揃えたのだ。柔肌を全く傷つけない彼の腕前に、ヴィーは寒気がした。
「なぁに、この子。怖いんだけど」
「ハサは、俺の養子」
「え? この子、いくつ? 」
「十五だよ」
「……貴族って、不思議ね」
ヴィーは、長年、貴族の客を取ってきたが、ジャン達のような関係性は初見だ。そもそも、子どもが娼婦を身請けすること自体、稀である。
(子どもで娼婦を身請けしたのは、サンソード公爵以来だわ。
悪名高い貴族って、みんなそうなのかしら? )
ヴィーは、珍しさの塊でしかない、ジャンの髪を指先で弄んだ。ジャンは頬を紅潮させながら、慌てて口を開いた。
「ヴィーの身請け金って、いくら? 一応、青玉貨二十枚持ってきたけど」
「青玉貨十枚を娼館に支払えば良いわ。残りは、結婚資金と、あたしに投資して頂戴」
「投資? 」
聞き慣れない単語に、ジャンは疑問符を浮かべる。ヴィーは、ジャンの髪から手を遠ざけると、自身の腰に両手を当てた。
「あたしに、青玉貨三枚を頂戴」
ヴィーは、色っぽく片目を閉ざした。男を虜にする色気に、ジャンは見惚れる。
「わか……痛いっ」
急に阿保になったジャンの尻を、ハサが煩わしそうに蹴り上げた。
「オイコラ。金銭面は、雑にすんな」
軽い衝撃で、ジャンは正気を取り戻す。
「これが、魅了の魔眼……っ! 」
「あたし、魔眼持ってないわよ」
「うん、ごめん、知ってる」
ヴィーの瞳に魔力がないことは、ジャンから見れば一目瞭然である。ジャンは、戒める為に、自分の両頬を叩いた。
「よし、帰ったら、早速書面に纏めよう」
ヴィーは、ジャンの腕に体を絡ませながら、高級娼館の支配人の元を訪れた。ジャンは、彼が、昨日、ジャン達を案内した受付の男だと気が付く。支配人は、ヴィーの様子に、開いた口が塞がらなかった。
「え? 」
「あたし、彼に身請けされるわ。今まで世話になったわね」
「え? 」
ヴィーは、青玉貨十枚と、ジャンが昨日支払った青玉貨一枚を差し出した。
「はい、あたしの身請け金。彼の先払い金は、迷惑料と手間賃だと思って受け取りなさい。あぁ、必要な荷物は持っていくから、残りは処分して良いわよ」
ヴィーは、後ろに控えるハサに視線を配る。ハサの腕には、大きな箱が抱えられていた。支配人は、ようやく思考が追い付いてきたのか、ヴィーを凝視する。
「本気か? 十年間、誰にも靡かなかったお前が……というか、髪どうした? 」
「捨てたわ。もう、男が好きそうな髪型をする必要もないし? 」
「……百花ノ君、引退祭」
「却下」
ヴィーは、にっこりと微笑んだ。拒絶の雰囲気を纏う彼女に、支配人は折れた。
「じゃあ、お前の身請け先は、大々的に公表するぞ」
「えぇ、お好きにどうぞ? ねぇ、ジャン」
「う、うん」
ジャンの了承を得たヴィーは、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。牡丹の花冠を、支配人に投げ渡す。
「さようなら、支配人。今度の百花ノ君は、従順な子だと良いわね? 」
「はは、期待しないでおくよ」
こうして、十年間、百花ノ君の地位にいた娼婦は、花街から姿を消した。
「側妻のヴィーだよ」
「こんばんわ、ヴィーです。身請けされました、元百花ノ君です」
夜分遅く、大公家の玄関で、御三方を出迎えた執事は、驚愕のあまり我を忘れた。彼は、ジャンの両肩を勢いよく揺する。
「昨日の今日で、身請け!? しかも、最高級品の百花ノ君!?
じいやは、何も聞いておりませんぞ!? 」
老齢の叫びに、ジャンは困ったように微笑んだ。
「大公家の運営費八十年分と、俺らの学費、諸々を差し引いて、ヴィーの身請け金作ったから大丈夫だよ。はい、これ、使わなかった青玉貨十枚。結婚資金に回して」
ブルーム大公家、約三年分の運営費が、執事の手に載せられる。硬貨の重みに、執事は現実を受け入れた。執事は私情を押し殺し、恭しく頭を垂れる。
「流石でございます、閣下。しかし、高額な買い物をする際は、私に一言添えて下さいませ。じいやの、心臓が、停止します」
「うん、ごめんね」
ジャンが執事に詰め寄られている傍ら、ヴィーは玄関に置かれた青い石像を見上げていた。
「ねぇ、この石像って、あなた達? 貴族って好きね、こういうの」
「誤解です」
「ジャンの姉ちゃんが作った」
ジャンとハサは、己の潔白を示す為、すぐさま言い募る。しかし、ヴィーは両名の反応を気にした様子もなく、石像の横を指差した。彼女は満面の笑みで告げる。
「じゃあ、ここに、あたしの花嫁姿を描いた肖像画を飾りましょうよ。玄関が華やかになるわよ」
「是非とも」
「……勝手にしやがれ」
ジャンは快く受け入れ、ハサは無愛想に呟いた。ハサの態度に、ヴィーは笑顔を深める。
「えぇ、勝手にするわ。ところで、あたしの部屋はどこ? 」
「……じいや」
ジャンの視線を受けて、執事は穏やかな笑みを浮かべる。
「万事整えております。閣下の、二つ隣の部屋でございますよ」
「やった、近いっ」
「わかったわ。じゃ、そこまで、あたしの荷物よろしくね? 」
ヴィーの挑発的な微笑みに、ハサは舌打ちする。
ヴィーに用意された自室は、ジャンの部屋と広さも間取りも同様であった。だが、年若い貴族令嬢を意識した部屋なのか、水玉模様の生地が目立つ、可愛らしい空間だ。そこに、眉をひそめたハサが荷物を置く。
「なんか、変」
「あら、年増だって言いたいのかしら? このクソガキは」
ヴィーは笑みを浮かべながらも、ドスの効いた声を出した。険悪な雰囲気に、ジャンが慌てて両者の間に入る。
「誰も、そんなこと言ってないからっ。ヴィーの好きなように模様替えして良いよ」
ジャンの言葉に、ヴィーは部屋を見渡す。そして、肩をすくめた。
「気が向いたら、変えるわ。それより、投資の話よ」
ヴィーは、ジャンに身を乗り出した。爛々と輝く瞳に圧倒されつつも、ジャンは笑顔で頷いた。
ジャンは、ヴィーとハサを連れて、執務室を訪れる。ジャンは、机の中から、一般的な契約に用いられる上質な紙を取り出した。
「えーっと、商売するんだよね。具体的に何を? 」
ヴィーは、豊満な胸を張って話し始める。
「あたしが、十年間、百花ノ君を維持出来た美の秘訣を、商品化するのよ。
安心して、絶世の美女が売り出す、美の商品が売れないわけないわ」
百花ノ君の地位を一年間維持するだけでも、多大な労力を要する。毎年、若い娼婦が増えていく中で、若さ以上の魅力を磨かなければいけないのだ。それを十年間維持したヴィーは、歴代百花ノ君の中でも別格の存在である。
「凄い自信。良いね」
説得力のある言葉に、ジャンは鷹揚に頷いた。好感触を得たと判断したヴィーは、豊満な胸元を強調させつつ、困ったように俯いた。
「でも、その前に、大々的に売り出したい御洒落道具があるの。頭の中では構想が出来ているのだけれど、素材と研究時間がなかったから、出来なかったのよね。
最初は、やっぱり、効果が分かりやすい品物が良いじゃない?
商売の名義は、ジャンね。商品が売れたら、純利益の三割をジャンに支払うわよ」
ジャンはヴィーの胸元を凝視しつつ、腕を組んで考える。
「……最初に、青玉貨一枚。その後は様子を見て、投資額を増量させるか決めるよ。買い物は、執事と侍女に頼むか、護衛にハサを連れてって。場所が必要なら、離れを使っていいよ」
「ありがとう、愛してるわ、ジャン」
突然の愛の告白に、ジャンは心臓を握り潰されそうになった。
「ありがとう、死にそう」
「何でよ。咽び泣きなさい」
「いや、お前も、おかしいだろ」
ヴィーの堂々とした発言に、ハサは呆れる。