君の声
気を取り直して、ジャンはお勧めの娼婦が描かれた肖像画を眺める。
(綺麗なんだけど、なぁんか、選びづらい)
単純に、ジャンの好みではなかった。ジャンは申し訳なさそうに、肖像画を卓上に置いた。その仕草に、受付の男が苦笑する。
「娼婦の御要望はありますか? 」
「そうだなぁ……」
ジャンは、これまで、自分が胸をときめかせた女性達を思い起こす。
「胸が大きい方が良いな」
「……あぁ」
ジャンの呟きに、ハサは呆れ果てた。男らしい素直な欲望に、受付の男が満足げに微笑んだ。
「当店。現在、胸の大きい娼婦ばかりです」
「楽園か」
「はい。男の夢と希望が詰まった場所です」
「最高じゃん」
下世話な会話に、ハサは溜息をついた。ジャンは、うきうき気分で、新たな要望を付け加えようとした。次の瞬間、隣の待合室から、凛とした声が聞こえた。
「『また、明日、お会いしましょう』」
懐かしい音が、ジャンの鼓動を激しく動かす。ジャンは、一瞬、息の仕方を忘れた。
(嘘だ、ありえない……っ)
無言で立ち上がるジャンに、ハサは眉をひそめた。
「おい……」
ハサの制止も聞かず、ジャンは我を忘れて隣の待合室に赴いた。掠れた声で、ジャンは呟く。
「ユーノット、っ? 」
しかし、そこにいたのは、夢見た彼女では無かった。波打ったような、明るめの茶髪。耽美な、薄黄色をした切れ長の目が、突然現れたジャンを捉える。牡丹の花冠を添えられた豊満な美女は、蠱惑的な微笑みを浮かべた。
「あら? 可愛らしい子。坊や、娼館は初めて? 」
「あ……っ」
二の次が言えなくなったジャンは顔を伏せる。
(声、同じだけど……ユーノット、じゃない)
ジャンの視界が歪む。でも、意地でも泣くまいと、ジャンは顔を勢いよく上げた。最近、ジャンは、保護者たるルーラの身長に届いた。しかし、花冠の美女は、ジャンの目線よりも高い。物理的な威圧感に圧倒されながらも、ジャンは力強く彼女を見つめた。
「っ、お姉さん、指名できる? 」
しかし、ジャンの必死な眼差しを受けても、花冠の美女は、たおやかな仕草で、頬に手を当てた。彼女は、待合室に未だいる、小太りの常連客と、初々しいジャンを見比べる。常連客は、花冠の美女にツケ代を払いに来ただけだ。彼女との事前約束で、ツケ代支払い日は相手をしないと決めている。だから、彼女がジャンの相手をする時間は存分にある。しかし、彼女は、わざと悩んで見せた。
「どうしようかしら。お姉さん、高いのよねぇ」
「百花ノ君っ! 」
ジャンの後ろから、受付の男が慌てて顔を出した。百花ノ君と呼ばれた女性は笑みを浮かべたまま、無感情に受付の男を見る。
「なぁに? 」
「……青花五家だ」
「あらら」
言葉とは裏腹に、花冠の美女は大して驚いていなかった。改めて、ジャンの容姿を下から上まで眺める。青い目を認めて、彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「坊や。即金、いくら払えるのかしら? 」
「青玉貨、一枚」
ジャンは、水神王国で最も高価な硬貨を突き出した。受付の男が息を呑む。花冠の美女は、優雅な仕草で青い硬貨を受け取った。
「いらっしゃい、坊や」
花冠の美女は、色気を醸しながらも、上品なドレスの裾を翻す。ジャンは、震える足を叱咤して、彼女の後を追った。その後をハサも追う。娼館の廊下には、屈強な男達が点々と立っていた。ジャンは疑問符を浮かべる。
「あの男性達は……? 」
ジャンの疑問に、花冠の美女が答えた。
「用心棒よ。娼婦に何かあれば、すぐに駆け付けてくれるわ」
「へぇ、凄い警備体制」
「まぁ、客の大半は受付で選別してるから、
用心棒よりは、娼婦が脱走しないように見張る役だけど」
「え、脱走するの? 」
「借金のカタに売られた女とか、ね」
長い廊下の終わりには、豪華な生花が飾られた扉があった。花冠の美女は、慣れた様子で、頑丈に施錠された扉に鍵を差し込んだ。重々しい扉の先には、広々とした空間がある。上質な応接間と併設させた、大きな寝台。その向こうに、いくつか施錠された扉がある。ジャンの視線に気づいて、花冠の美女は艶やかに微笑んだ。
「女の秘密、暴いちゃ、駄目よ? 」
「あ、うん」
「……黒髪の子は? 一緒? 」
「護衛」
ハサは、無愛想に答える。花冠の美女とジャンの会話を邪魔する気はないのか、外の扉に凭れ掛かった。
「そう? 」
花冠の美女は、興味なさそうに扉を閉じた。ジャンは、ハサの気遣いを有難く思いながらも、女性の部屋に閉じ込められて右往左往する。
(女性の部屋……は、初めてだ、俺っ)
ルーラの滞在した客室にすら、ジャンは足を踏み入れたことがない。心なしか、甘い匂いを、そこら中に感じて、ジャンは眩暈がする。
「くすくす……」
「あっ、」
「そこに、座ったら? 」
花冠の美女は、小馬鹿にするように長椅子を指差す。ジャンは恥ずかしさで赤くなりつつも、静かに腰を下ろした。その隣に、彼女が座る。花の香りに、ジャンの鼓動が激しく動いた。
「ち、近くない!? 」
「どこに座ろうが、あたしの自由でしょ? 」
「そ、そうだけど……」
花冠の美女は、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、青い硬貨を見せる。
「あたしの初回料金、金貨十枚よ。二回目以降は、三時間、金貨五十枚。一晩なら、金貨百枚。……次も、あたしを指名したいの? 」
万が一に備えて、ジャンが持ってきた青玉貨一枚。第一王子に関する慰謝料で、神王から貰った青玉貨の一枚だった。それを、たった十日で消費する美女。
「……花冠のお姉さん、高いね」
「百花ノ君だもの」
「百花ノ君って? 」
聞き覚えのない単語に、ジャンは首を傾げた。花冠の美女は、おかしそうに微笑む。
「坊や、何も知らないのね。王都の娼婦で、あたしが一番人気なのよ」
「すごっ」
「ありがとう」
花冠の美女は、称賛に慣れているのか、感情のない感謝が零れる。
「何て呼んだら良いの? 」
「花冠のお姉さんで良いわよ。坊やだし」
先程からの容赦ない子ども扱いに、ジャンは既視感を覚える。
(火傷のお姉さん、ぽい)
油断したら、何もかも食い尽くしそうな女性の雰囲気に、ジャンは背筋を震わせた。恐る恐る、花冠の美女を見る。
「……年齢聞いたら失礼? 」
「えぇ、とっても」
少しだけ、花冠の美女の眉が動いた。ジャンは、二度と聞くまいと固く決意する。花冠の美女は、不躾にジャンを見下ろした。
「坊や、学院にも通ってない年でしょう? 」
「十五だよ」
「あら、来年には入学するのね。おめでとう」
「ありがとう」
感情の籠っていない賛美に、ジャンも特に感慨もなく返した。花冠の美女は、たおやかな仕草で、足を組んだ。
「ところで、誰と、あたしを間違えたのかしら? 」
(あー、聞かれてたよねぇ)
ジャンは、気まずさに片手で顔を覆う。誤魔化しても、花冠の美女は見抜いてくるだろう。ジャンは素直に答えることにした。
「……母親かなぁ」
花冠の美女にとって、意外な答えだったのか、微かに目を見開く。
「ふーん? まぁ、高級娼館だもの。あたしを産んだ女の客が、その女性と親戚だったのかもね」
花冠の美女は、壁際に掛けられた、どんぐりの首飾りを一瞥する。
「……花冠のお姉さんは、ここで生まれたの? 」
「そうよ。高級娼館で働く娼婦は、大半が、娼館生まれなの」
ジャンも首飾りを見ていることに気が付いて、花冠の美女は自嘲する。
「笑っちゃうでしょう? こんなに綺麗な装飾を身につけているのに、あんな粗末な首飾りが捨てられないの。どうしてかしらね」
どんぐりの首飾りを見つめる彼女の目は、愁いを帯びていた。
「……母親が好き? 」
ジャンの問いかけに、花冠の美女は冷たく言い放つ。
「それは無いわ。あれは、あたしを産み落としただけだもの。何年か前に、病死したらしいけど、何の感想も抱かなかったわ。薄情だと思う? 」
「いや、俺も、実母が死んでること聞いても何とも思わなかったし」
彼女は物言いたげにジャンを見つめる。静かに視線を外した。
「……そう」
沈黙が場を支配する。その間、ジャンは花冠の美女の話に、火傷女を思い出した。
(火傷のお姉さん、顔が元通りだったら、娼館に帰りたかったのかな)
ずっと、火傷女が身につけていた、どんぐりの首飾り。ジャンは、長年、神話級魔法を隠していたことが悔やまれる。
(でも、あの時が、一番幸せだって言ってた)
どんな形であれ、ボスと出会えたことが、彼女の幸福なのかもしれない。ジャンは涙腺が緩む気がして、乱暴に目元を擦った。不意に、楽し気な声がする。
「ふふっ。今度は、誰と重ね合わせたのかしら? 」
「……初恋」
「あらあら。甘酸っぱいこと」
色気を纏わせる彼女の声に、ジャンは改めて、ユーノットとは別人だと思った。
(……本当に、声は一緒なんだよなぁ。
まぁ、ユーノットに、ドキドキはしないけど)