料理人の告白
冬の中月。
一カ月の間、ハサと共寝を繰り返しつつも、ジャンは独り寝が形になってきた。そのことに涙を流すほど歓喜したのは、大公家の老執事である。彼の様子を思い出して、ジャンは苦笑した。
「昨日の晩餐、ちょっと豪華だったね」
「じいやの中で、記念日増えてそうだな」
「わかる」
ハサが素振りを続ける傍ら、息を切らしたジャンは腰を下ろした。ジャンは、木剣の持ち手に手拭いを押し付ける。木剣の手入れをしながら、ジャンは汗を流すハサを盗み見た。身長は明らかにジャンの方が大きくなったのに、筋力量ではハサに負けていた。ジャンは、じっと、日に焼けていない肌を見つめる。
「俺も素振りしてるんだけどなぁ」
「俺の半分以下だろ」
「……そうだけど」
ハサの淡白な物言いに、ジャンは口を尖らせる。ハサは眉をひそめた。
「まだ気にしてんのか」
「……うん」
ジャンは、先日、西の離宮で行われた剣術の稽古を思い出す。半年間に渡り、ジャンとハサは、ローザスタ公爵の指導を受けていた。そこで、ローザスタ公爵は困り顔で言い放つ。
『……閣下は、怪我しない程度に頑張りましょうか』
遠回しな戦力外通告。最近、体力が追いついてきたシェリーアンネは、ジャン達同様、公爵と手合わせの稽古をするようになった。勿論、手合わせの様子はジャンも観戦する。ジャンとて、薄々、運動面でシェリーアンネより劣っていると気が付いていた。
(第二王女って、本当に発育良いよね? )
第一王女の前で言えば、彼女に暗殺されそうなことをジャンは思った。シェリーアンネは、胸の大きさも然ることながら、十三歳にしては上背がある。顔立ちが神王に似ていることから、シェリーアンネは胸以外の身体的特徴は父親似なのだ。体格に恵まれた姪と比較して、ジャンは落ち込む。
「……最初に、剣持って転んだ時点で、思ったんだよね。俺、運動苦手だって」
「今更だろ」
「そうだけど……そうなんだけど! 夢くらい見たって良いじゃんか」
この時点で、ジャンの白印蝶花の騎士になる夢は泡と消えた。ぷんすか怒っているジャンを放置して、ハサはひたすら木剣を振り下ろしていた。やがて、冷たい床に、ジャンの怒りの熱が奪われる。ジャンが、ぽつりと呟いた。
「……おなか、すいた」
「あぁ? 」
ハサは怪訝な顔で、隅に置かれた振り子の置き時計を見る。夕食には早い。ハサは舌打ちした。
(言われたら、俺も腹空いたわ)
ハサは、素振りを止めると、手拭いで汗を雑に拭った。急に鍛錬を中止したハサに、ジャンは目を丸くする。だが、ハサが自分の呟きを拾ったことに気が付いて、ジャンは良い笑顔で立ち上がった。
「厨房行こ、お菓子あるかも」
「……おう」
ジャンとハサは訓練場を後にして、冷たい厨房に顔を出した。そこには、野菜の下処理をする料理人の後ろ姿がある。ジャンは、料理人の背中に声をかけた。
「お菓子、ちょーだい」
「え? 」
突然の猫撫で声に、料理人が振り返ると、大公家の当主と令息が居た。想定外の視界に、料理人は、包丁を取り落としそうになった。
「かっ、かか、かっ、」
普段、裏方業務を担当している料理人は、御偉方と滅多に顔を合わすことが無い。王宮で働いていた時でさえ、彼の上には料理長がいたので、彼は料理だけに集中して生きてきた。その為、彼はジャンとハサの登場に酷く驚いた。そして、無作法な自分に気が付いて、料理人は酷く青ざめる。
「す、すみません。すみません」
「あ、ごめん。驚かせた? 」
「い、いいえ、だ、大丈夫です」
(全然大丈夫じゃねぇ)
ハサの感想通り、料理人は混乱状態に陥っていた。
「え、えっと、そのっ。な、な、何でしょうかっ」
「お菓子ある? お腹すいちゃって」
「か、簡単なものなら、すぐにっ」
「じゃあ、それで」
「ぎょ、御意っ」
言うが否や、料理人は怯えながらも、動きは俊敏だった。竈に薪を並べ、桃色の葉を取り出す。
「神秘奏上。
聞け、偉大なる火神。
我に火の神秘を与えよ」
料理人が唱えると同時に、桃色の葉が塵と化し、赤い魔法陣を成型する。魔法陣から、手作業で火おこしするような色の火が発生した。料理人は、慣れた手つきで薪に着火する。
そして、温まった竈に、平たい片手鍋を載せた。その鍋で、正方形に小さく切ったパンを炒る。軽く焼き目が付いたところに、バターと砂糖を投入した。甘い香りが厨房に広がった。料理人の後ろから、ジャンは目を輝かせる。その隣に立つハサも、食い入るように鍋を凝視した。
「後は、皿に……うえっ!? 」
まさか、背後に立たれていると思わなかった料理人は、至近距離のジャン達に、死ぬほど驚いた。鍋をぶちまけないのは、最早職人技だろう。彼の心情よりも、子ども達はお菓子に釘付けだった。
「出来た? 食べれる? 」
「そ、そこっ、円卓っ、! そっ、そちらでっ、!! 」
「わかった! 」
ジャンは満面の笑みで、粗末な円卓の席に座った。ハサも迷わず席に着く。料理人は皿に盛った焼菓子と匙、濡れた手拭いを両者の前に置いた。
「ど、どうぞ、っ」
「ありがとう! 水神様、日々の糧に感謝します! 」
「……感謝します」
ジャンとハサは手拭いで手を綺麗にしつつ、食事の祈りを捧げる。そして、吐息で冷ましながら、こんがりと焼けたパンを口に運んだ。ジャンは頬を緩めた。
「甘い、美味しい」
「あ、ありがとうございます」
料理人は物怖じしながらも、感謝の言葉に照れる。ジャンの隣にいるハサも、言葉こそないが、目を輝かせていた。無事に一仕事終えて安心していた料理人は、ふと、卓上の違和感に気が付く。
(あ、飲み物出してないっ)
万が一、ジャンとハサが喉を詰まらせて窒息死してしまうようなことがあれば、一大事である。失態に青ざめた料理人は慌てて紅茶を淹れた。ジャン達が満足した頃に、丁度、紅茶が滑り込んでくる。
「こっ、紅茶でございますっ」
「わ、ありがとう」
「……ありがとう」
「も、勿体なき御言葉で、ございます」
紅茶を用意し終えた料理人は冷や汗が止まらない。その間に、ジャンとハサが、各々の好みで紅茶にジャムを入れて飲む。穏やかな時間が流れると、流石の料理人も落ち着きを取り戻した。
(……今が好機なのでは? )
実は、料理人は、前々からジャンに尋ねたいことがあったのだ。しかし、職務上、間接的な接触しか出来ない。また、執事を介して話す内容でもない。
(うーん、どうしよう……でも、聞いておきたい)
彼の物言いたげな視線に気が付いたジャンが顔を上げる。
「どうしたの? 」
ジャンの問いかけに、料理人は心臓が口から出るほど驚いた。
「あ、えっと、その……」
「聞きたいことがあるなら、言ってごらん? 」
ジャンの優しい微笑みに、料理人は覚悟を決める。
「あ、あのっ」
「うん」
「べ、ベリーさんを、口説いてもよろしいでしょうかっ」
「「……は? 」」
全く予想外の言葉に、ジャンとハサの声が揃った。