独り寝
冬の始月。
来年になれば、ジャン達は王立学院入学する予定だ。今は、入学前の、最後の冬休み期間だった。その為、ジャンとハサは大公家で一緒に行動する時間が増えていた。そのことを危惧した執事が、心を悪魔にしてジャンに告げる。
「閣下。御令息様と、寝室を分けましょう」
「な、なんで? 」
「寮は、親兄弟、別々の部屋になります。閣下達は、各々の部屋で眠らねばなりません」
ジャンは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。たった数が月後には、ジャンは必ず、ハサと別々の部屋で過ごさなければならない。無慈悲な現実に、ジャンは執事の腕を強く揺らす。
「絶対同室は駄目なの!? 」
「閣下。学院は集団生活を学ぶ場所でもあるのです。寮の部屋は、あえて身内が同室にならないように手配されています」
「うぅぅぅ……」
泣きそうになるジャンとは対照的に、ハサは平然としていた。
「俺、どこの部屋になんだよ」
「閣下の階下に……」
「隣! 隣が良い! 」
珍しく我儘を言うジャンに、執事が生温かい視線を向ける。
「閣下の隣室は、いずれ正妻様の部屋になります。ですから……」
「じゃあ、その反対の部屋は!? 」
「そちらは、夜警の控室でして……」
「うぅぅぅ……! 」
執事は地団駄を踏むジャンに和みながらも、絶対に譲歩しなかった。当主権限をジャンが振りかざないのも、執事には高評価だ。しかし、執事は絶対に部屋の条件を譲らない。何せ、ハサも貴族だ。粗末な部屋に寝かせられない。
(申し訳ございません。ですが、閣下! 閣下は御独りで寝る訓練をいたしませんと! )
元々、ジャンの精神面を気遣ってハサを同室にしていたのだ。落ち着いた頃合いを見計らって、使用人達は部屋を分けようとしていた。
だが、時折、情緒不安定な状態になるジャンに、使用人達の目論見は潰える。そのまま、ずるずると入学数か月前に迫って来てしまっていた。このままだとジャンの学院生活に良くないと、執事は強硬手段に出たのだ。しかし、ジャンも諦めない。
「夜中に襲われたらどうするの!? 」
「警護にはプーガル卿がいらっしゃいます」
「デボン君、ハサより弱いじゃん! 」
「ぐはっ……! 」
護衛として控えていたデボンは、思わぬ流れ弾に精神的苦痛を受ける。ハサは呆れた顔になった。
「いちいち反応すんなや」
「……ハサ殿には分かりませんよ。私の苦しみなんて」
「あぁ、興味ねぇわ」
自分で投げた鉄球を、見事に弾き返されたデボン。痛々しい空気を纏うデボンを背景に、ジャンと執事は対峙していた。
「やだ! 絶対一緒が良い!! 」
喚き散らすジャンに、執事は苦渋の決断を強いられる。執事は、とうとう、禁断の言葉を口にした。
「御独りで寝れないと、同世代の男子に格好悪いと馬鹿にされますよ! 」
ジャンは、またしても雷に打たれたかのような衝撃を受けた。何かを言い返そうとして、唇を噛みしめる。
「……なんか、やだ」
執事は、大物が餌に食いついたと言わんばかりに畳みかける。
「そうです! 嫌でしょう!? 閣下が格好悪いと馬鹿にされると、御令息様も、我々使用人も、プーガル辺境伯御令室様も、みんな同じように思われてしまうかもしれません! 」
「……姉上も? 」
「はい! 閣下の保護者でいらっしゃいますから! 」
ジャンは目を潤ませながら俯く。
「……姉上、格好悪くないもん」
「そうです! プーガル辺境伯御令室様は、格好いいです! 閣下も、格好いいと思われたくありませんか!? 」
「でも、姉上みたいには、なれないし」
(あぁ! 最後の言葉選びを間違えてしまった!! )
執事の笑顔が固まる。彼は、内心、酷く頭を抱えていた。そんな中、助け船を出したのはハサだった。
「面倒くせぇ。とりあえず、別々に寝りゃいいんだろ。部屋どこだよ」
「あ、はい。ご案内いたします」
「あっ、ハサ! 行っちゃうの!? 」
縋りつくような眼差しを一瞥し、ハサはすぐに背を向ける。
「俺、格好悪いとか思われたくねぇし」
「うぐっ」
薄情にも、ハサは執事を伴って部屋を出て行った。ジャンの自室に残されたデボンは、気まずさを抱えていた。
「あ、あの、私は隣に控えてますね。ではっ、失礼しますっ」
脱兎の如く、デボンは部屋から立ち去った。
たった独り、ジャンは寝台の上で膝を抱えていた。風で窓が揺れる物音にも、敏感に反応する。
「……う、うぅぅぅ」
ジャンは目に涙を浮かべていた。北の離宮では、独りで寝ていたはずなのに、今のジャンは独りで寝ることが出来なくなっていた。
それもこれも、全て白い悪夢のせいである。窓の外に積もる雪でさえ、独りのジャンには恐ろしい。
「ハサ……ハサ……っ」
「っるせぇ」
「……ハサ? 」
独りきりの部屋に、ハサの不機嫌な声が聞こえた。ジャンは困惑しながら、声のした方を見る。そこには、雪で肩を濡らしたハサの姿があった。ジャンは満面の笑みで寝台を抜け出し、ハサに抱き着く。
「ハサ、ハサだっ」
「おい、濡れるっつーの」
「ハサ……っ」
名前しか呼ばなくなったジャンに、ハサは溜息をついた。
「つーか、何がそんなに嫌なんだよ」
「だって、一緒じゃないもん」
「あぁ? ここ、てめぇと俺ん家だろうが」
「うん? 」
ジャンは困惑しながらハサを見つめる。泣き腫らした青い目に、ハサは呆れた視線を向けた。
「部屋が、ちっと離れただけだろうが。一緒であることに違いねぇだろ。大体、てめぇの居場所は割れてんだ。てめぇが起き上がるよか、俺が制圧する方が早いわ」
ジャンは涙が引っ込んだ。ハサの気配に対する反応は、ジャンの比ではない。ハサが絶対に反応出来ない相手は、ルーラかス=ニャーニャぐらいだ。
そもそも、両者程、異常な反射神経を持ち合わせている輩が頻繁に襲来するとも、ジャンには思えない。
「……うん」
ジャンは、弱弱しく頷いた。その様子に、ハサが溜息をついた。
「……今日だけな」
「! うんっ」
ハサの気遣いに、ジャンは嬉しそうに微笑んだ。
そして、ハサが、やや乱暴に窓を閉めた数分後、寝室の扉が勢いよく開いた。息を切らしたデボンが顔を出す。
「閣下! 物音が……えぇ!? 」
デボンは、寝台に乗ったハサの存在に仰天する。
「どちらから入って来たんですか!? 」
「窓から」
「窓ぉ!? 普通、扉から入りませんか!? ねぇ!? 」
「デボン君、今、夜だよ」
「夜分遅くに、大変申し訳ございませんでしたっっ」
勢いよく頭を下げたデボンを、ハサは指差した。
「ほら、俺の方が、すげぇだろ」
「……ハサ、耳良いね、本当に」
翌朝、ジャンの寝室を訪れた執事が膝から崩れ落ちた。
(どうして……!! )
寝台の上には、健やかに眠るジャンとハサの姿があった。とても平和的な光景であるが、執事は受け止めきれなかった。執事の背中を、申し訳なさそうにデボンが擦る。
「あの、一応、自分も確認取りました、深夜に。それで、昨日だけの約束らしくて」
「……さようでございますか」