首を捧げましょう
一旦、ハサも見取り稽古をすることになった。彼らの教本として、ローザスタ公爵とデボンが手合わせをする。実力差は明らかだが、公爵の剣捌きがよく分かる。ハサは、じっと目を凝らしていた。
(見て覚えてやる)
そんなハサに、シェリーアンネは頬を朱に染めながら話しかける。
「あ、あの、ハサ様……」
「……」
「あ、の……」
当然ながら、集中しているハサに、シェリーアンネの声は聞こえない。シェリーアンネは、しょんぼりとした。気の毒に思ったジャンが、シェリーアンネに声をかける。
「シェリーアンネ様。本日は、どちらの茶葉ですか? 」
「え? あ、はい。お姉様の領地で採れた茶葉です。他の茶葉と違って、甘みが強いんです」
シェリーアンネの丁寧な説明に、ジャンは思わず紅茶を吹き出しそうになった。抑揚のない声で聞き返す。
「お姉様の、領地? どちらに? 」
「はい。旧ラベープル領を、お姉様が十四の生誕日に拝領いたしました」
「……お姉様、今、おいくつ? 」
「えっと、今年で学院入学なさったので、十六歳です」
シェリーアンネは自信満々に答えた。対するジャンは、メアリーの偉業に腹いっぱいだ。
(十四で、領地統括? ……ボスみたいだなぁ)
ジャンは、懐かしの顔を思い起こす。ジャンの記憶が正しければ、ボスは十五で最下層を統治していたはずだ。
(ボスは必要に駆られてだと思うけど、王女であるお姉様が、未成年で領地を統括するのは何で? )
ちらりと、ジャンは彼女の妹を見る。
「シェリーアンネ様も、御自身の領地は、お持ちですか? 」
「え? あ、そんな無理ですよ。お姉様だから、出来たことで。わたくしは、勉強と剣の御稽古で精一杯です」
シェリーアンネは慌てて否定する。その様子に、ジャンは真実だと感じた。同時に、メアリーの偉業を強く実感する。ルーラが戦闘面で突出しているならば、メアリーは政治面で突出している。
「……メアリーお姉様、凄いですよね」
「……はい、お姉様は凄いんです。わたくしなんて、全然」
シェリーアンネは、悲し気に目を伏せる。ジャンが声をかけようとした瞬間、手合わせの音が止んだ。ハサがジャンを呼ぶ。
「おい」
「ん? 」
「誰か来た」
ジャンが扉に顔を向けたと同時に、勢いよく扉が開いた。突然現れたのは、青い礼服を着た水色髪の、線が細い少年。憎たらしい表情の彼は、不躾にシェリーアンネを眺める。
「ふんっ。女が騎士の真似事か」
「ライオティードっ、あなた、急に押しかけて何なんですか」
(……あー、例の)
ジャンは、メアリーの頼み事に頭が痛い。ハサに席を立つように促し、自分も重い腰を上げた。少年の三歩後ろには、青い礼服を着た濃紺の髪の、華奢な少女がいた。彼らは非常に似た顔立ちの男女だった。少年が、側妃の第一王子。少女が、側妃の第三王女だ。
その証拠に、王族を守護する第一師団師団長 ローザスタ公爵が膝をついている。デボンも、失礼にならないよう、騎士の礼を取っていた。第一王子、ライオティードは、周囲に気を配ることなく、シェリーアンネに不遜な態度で話しかける。
「淑女の見本たる王族が、何たる様か。剣を振るう暇があれば容姿の一つでも磨いたらどうだ。社交界の花とされている王妃の名が泣くぞ」
(……何言ってるの? )
ジャンは内心呆れた。シェリーアンネは、淑女として申し分ない振る舞いが出来ている。第一、シェリーアンネの反応を考慮するに、急に押しかけておいて、身なりを整えろとは、無礼極まりない。そもそも、彼は親族に女性騎士が存在していることを認識しているのだろうか。ジャンは不思議で仕方なかった。
(確かに、これは、彼女だけじゃ、分が悪い)
シェリーアンネが、容赦ない罵倒に、肩を震わせている。ジャンは笑顔を貼り付け、紳士然とした雰囲気を纏った。
「こんにちわ、坊や。今、いくつかな? 」
ライオティードは、あえて無視していた相手に話しかけられて顔を歪めた。
「はあ? お前、私が誰か」
「あぁ、ごめんよ? おじさん、六年間も誰かさんに失踪させられてたから、坊やのこと詳しくないんだ。で、坊やは、今年で、何歳になるの? 」
わざと言葉を遮り、ジャンは笑顔で言い募る。ジャンの笑顔に気圧されて、ライオティードは渋々答えた。
「……十一だ」
(その年にしては、小さいような……いや、俺もチビだったけど)
内心の驚きは隠しながら、ジャンは人の良さげな笑顔を浮かべた。
「おや? そうなんだ。その年頃で、異母姉を敬えないとは思わなかったよ。あぁ、異母姉の意味が分からないのかな? 母親が違えど、父親が同じ女性だ。一つ、勉強になって良かったね、坊や」
優しい声音に毒が混じる。それは、ライオティードも気が付いたのだろう。顔を真っ赤にして、ジャンを睨みつけた。
「私は、お前のことを知っているぞ! 母親殺しの死神王弟め! 」
ライオティードの物言いに、控えていた第三王女が困惑を隠せない。
「お兄様……」
「煩い! 妹のくせに、指図するな! 」
ライオティードに怒鳴られて、第三王女は押し黙る。入室当初から、顔色は良くなかったが、第三王女の顔色は更に悪くなっていた。兄と違い、妹は分別がつくようだ。その光景を、ジャンは冷めた目で見つめる。
「……坊やは、出産について、どこまで理解しているのかな? 」
「はあ? 」
「まさか、母子共に、無事なのが当然だと思っていないよね? 生命の誕生が、奇跡でなくて何と言うのさ。水神様じゃないんだから、命を軽々しく創造出来るはずないでしょ」
「っ」
ジャンの作り込まれた笑みに、ライオティードは口をつぐむ。ジャンは、わざとらしく安心して見せた。
「あぁ、良かったよ。自分の甥が、そこまで愚かでなくて」
「~っ、ふ、不敬だぞ! もう、王族でもないくせに! 」
ライオティードは、虚勢を張って怒鳴る。憤慨する様は、駄々をこねる幼子同然だ。ジャンは、にっこりと微笑む。
「あぁ、これは失礼いたしました。王子殿下。えっと、不敬罪でしたっけ? 」
ジャンは、ハサに目配せする。ハサはすぐさま、デボンの剣を奪う。
「あ、」
「何を……っ! 」
デボンと違い、ただならぬ空気を察したローザスタ公爵が声を上げる。しかし、ジャンの冷たい眼差しに閉口した。その間に、ハサは、抜き身をジャンに渡す。
「ほらよ」
「ありがとう」
剣を受け取ったジャンは、ライオティードに笑顔で言い放った。
「では、お詫びに私の首を捧げましょう」
「え? 」
ライオティードの戸惑う声が響く。ジャンは、構うことなく、自身の首筋に剣を添えた。青い一線が肌に浮かんだところで、ジャンの手首をハサが掴んだ。
「死ねとは、言われてねぇだろ」
「んー、俺に面と向かって死神王弟だと宣ったのは大罪人ぐらいだしね。実質、死ねって言ってるようなもんだよ。それぐらいの罵倒でしょ、死神王弟ってさ」
ジャンは、軽快に笑い飛ばす。剣は首筋で止まったままだ。ハサは眉をひそめながら、シェリーアンネに振り返った。
「おい、第二王女」
「は、はい! 」
唐突に声をかけられたシェリーアンネは、飛び上がる程驚いた。ハサの剣呑とした視線に呑まれる。
「今、こいつは、不敬罪で、殺されるべきか? 」
ハサの言葉に、シェリーアンネは我に返った。重苦しい空間で、彼女は必死に首を横に振った。
「いえっ、いいえ! 弟が、申し訳ございませんでした! どうか、御許し下さい! 」
シェリーアンネは勢いよく頭を下げる。遅れて、第三王女も頭を垂れた。狼狽するライオティードだけが、固まったまま動けなかった。それらを一瞥して、ハサはジャンに話しかける。
「……だとよ」
「……お二方、顔を上げて下さい。私は怒っていませんよ」
ジャンは苦笑し、剣を手離した。青い滴を纏う剣は、ハサが掴んだままだ。ハサは、懐から取り出した上質な布切れで剣を拭き取ると、デボンの鞘に素早く戻した。デボンは物言いたげな目をしているが、王族が集う空間で何も言えるはずがなかった。
ジャンは、首に青い滴を纏わせたまま、ライオティードに向かって、仰々しい礼を取った。
「申し訳ございません、王子殿下。
我々、只今、剣術の稽古中でして。
お遊び相手を所望なら、他を探して下さい」
ジャンは扉の方を、優雅に指し示す。ようやく言葉を理解出来たライオティードは、涙目になりながら踵を返した。
「帰る、っ」
「あ、お兄様」
「えぇ、どうぞ。足元に気を付けて、お帰り下さいませ」
ライオティードの小さな背中に、ジャンは笑顔のまま手を振った。第三王女は困惑しながらも、兄の後を追う。
静まり返った室内で、ハサがジャンの頭を軽く叩いた。
「ガキ、いじめんな」
「あ、いた……もー、ちょっと遊んであげただけじゃん。別に、向こうだって、神の証は見慣れてるだろうし」
穏やかな両者の会話に、シェリーアンネは力が抜けたように椅子に座った。その物音に、ジャンが振り返る。
「申し訳ない、シェリーアンネ様。うちの子の言葉遣いに驚いたでしょう? 」
「……あ、いえ……」
シェリーアンネは赤く染まる顔を押さえた。
(ハサ様、普段はあのような言葉遣いをなさるのね! 格好いい! )
勝手に悶える彼女の姿に、ジャンとハサは顔を見合せる。
「どうしたの、あの子」
「知らね」
「な、何してるんですか!!? お二方ぁぁぁああ!! 」
突然、泣きそうな顔をしたデボンが声を荒げる。ジャンは平然と宣う。
「ごめんごめん。剣、借りた」
「そういうことじゃないんですよぉぉぉおおお!! 」
「だって、不敬罪だもん。王族相手には、きちんと反省の色を見せなきゃ」
笑顔の言葉に、デボンは何も言えなくなる。暗い表情を浮かべるデボンの横で、ローザスタ公爵が立ち上がった。公爵は眉をひそめている。
「大公閣下、治療をいたしましょう」
「ん? これくらい、」
「治療をいたしましょう」
「あっ、ハイ」
ジャンはローザスタ公爵に気圧されて返事をした。直後、ローザスタ公爵は控えていた侍女に目配せする。侍女が慌てて呼んできたのは、年老いた侍医だった。本来、侍医は、王族専属の医者である。
「あ、あの、大袈裟な」
ジャンが拒否しようとしたら、何故か侍医が身を乗り出した。その目は、謎の使命感に燃えている。
「首の治療をさせて下さい」
「……お願いします」
侍医の熱意に負けて、ジャンは治療を受けた。大人しく治療を受けている間、ジャンは一つの可能性に気が付いた。小声で侍医に話しかける。
「侍医」
「何でございましょう」
「俺の実母を看取ったのは、君かい? 」
侍医の手が止まる。引き結んだ唇に、ジャンは困ったように微笑む。
「あぁ、別に良いんだ。気にしないで。聞いてみただけだから」