十四の生誕日
夏の始月。
メアリー主催の茶会から数週間後。ブルーム大公家の中庭では、ス=ニャーニャとハサが手合わせをしていた。ハサの背中には片翼が生えている。しかし、突如として、ハサの右腕が勝手に吹き飛ぶ。血飛沫を横目に、ハサは後方に怒鳴り散らした。
「ってぇな! ちゃんと制御しろや! 」
「ごっめん!! 強化し過ぎた! 」
後方では、ジャンがハサに強化魔法を付与していた。ジャンは、半泣きになりながらも、強化魔法から神話級の治療魔法に切り替える。すると、ハサの失った右腕が再生した。ス=ニャーニャは感嘆する。
「不思議」
「あぁ? 見慣れてんだろ。腕吹っ飛ぶの何回目だと思ってんだ」
「十五回目」
ス=ニャーニャは平然と答えた。生誕祭を終えてから、ジャンとハサは、刻印天使の特訓を再開していた。初めは、ジャンの精神状態が常に不安定であったが、今では泣きそうになりながらも魔法は継続出来るようになった。弟の成長を肌で感じて、ルーラは満足げに微笑む。
「魔法付与されたハサの戦闘能力は、ス=ニャーニャの三割程度だな」
「げっ、強化魔法かけて、三割かよ」
「ス=ニャーニャ、強い」
ス=ニャーニャは誇らしげに胸を張る。誇張でもないのだから、ハサは余計に腹立たしく感じる。ハサは勢いよくジャンを振り返った。
「おい、ジャン! もう一回だ! 」
「えぇ、俺、なんか、疲れた」
「あぁ? 」
ハサは怪訝な顔でジャンを見つめる。言われてみれば、ジャンの顔色が悪い。ルーラも許可しなかった。
「軽い貧血だ。既に神話級の治療魔法を三度使っているからな。今日は、もう終わりだ。いいな? 」
「……おう」
釈然としないながらも、ハサは素直に頷いた。ハサは、弱弱しく腰を下ろすジャンに手を伸ばす。そのままジャンを抱え上げると、ハサは屋敷に向かった。だが、その進行方向をルーラが遮る。
「待て」
「っんだよ。こいつ、休ませんだろ? 」
「……終わりだが、終わってない」
「あぁ? 」
奇妙なことを言い始めたルーラに、ハサは眉をひそめた。だが、ルーラも退く様子がない。ジャンは、よろよろと顔を上げた。
「姉上? 」
ジャンの呼びかけに、ルーラは言葉に詰まる。そして、慌てて木陰を指差した。
「よし、日向ぼっこをしよう」
「はあ? 」
「最近、雨ばかりだったろう。久々の晴れだ。絶好の日向ぼっこ日和だと思え」
頓珍漢な発言に、ハサは胡乱な目を彼女に向ける。ジャンは何かを察したのか、ハサに耳打ちした。
「とりあえず、お昼寝しよう? 俺、疲れた」
「……おう」
ハサが了承するや否や、セツナが素早く清潔な布を木陰に敷いた。いつから用意していたのか、水筒と果物の山がある。ジャンは水分補給をした後、寝転がった。ハサは溜息をつき、果物を頬張る。ジャンの寝息が聞こえてきた頃合いを見計らって、ハサはルーラを見上げた。
「んで、何がしたいんだよ」
「……何がしたいんだろうな? 」
「おい」
歯切れの悪いルーラに、ハサは怪訝な顔をする。助け船を出したのは、珍しくもス=ニャーニャだった。ス=ニャーニャは果物を選びながら声をかけた。
「ハサ、寝る。時間、起こす」
「……あっそ」
面倒臭い気配を察したハサは、ジャンの隣に寝転んだ。ルーラは、ス=ニャーニャに目で訴えかける。
(バレたか? )
(まだ、いける)
ス=ニャーニャは、凛々しい顔で両手を交差した。
数時間後、ハサはセツナに起こされた。ハサは寝起き特有の不機嫌さを抱きつつ、隣にいるジャンを起こす。
「ん……? 朝? 」
「まだ夕方」
「そっか……ふわぁ」
彼らの周囲には、真っ白い侍女服のセツナしか居なかった。ジャンが首を傾げていると、セツナが淡々と述べる。
「閣下。晩餐の前に、入浴いたしましょう」
「ん、そうだね。行こ、ハサ」
「おう」
入浴を終えたジャンとハサは、普段着とは違う礼服を着せられた。ジャンは青い礼服で、ハサは灰色の礼服だ。お互いに、揃いの青い蝶ネクタイが装着される。ハサが怪訝な顔になった。
「……何か、あんのか」
「多分」
ジャンは、灰色の髪を、しっかりとセツナに整えられた。セツナは、ハサの長い黒髪も丁寧に結う。両者の外見を、上から下まで観察したセツナは満足げに頷いた。
「では、晩餐の席に御案内いたします」
「うん。行こ、ハサ」
「……おう」
いつもの食卓がある部屋の扉を、ジャンとハサが開けた瞬間、大量の青い花びらが彼らに舞い落ちた。
「うわっ」
「あ? 」
両者が慌てて天井を見上げると、逆さになったス=ニャーニャが空の籠を持っていた。
「ス=ニャーニャ様、浮いてる!? 」
「何してんだ」
ジャンとハサがス=ニャーニャに気を取られているうちに、青い清楚なドレスを身に纏ったルーラが子ども達の前に現れる。その手には、青い紫陽花の花束が二つあった。彼女は厳かな雰囲気で口を開く。
「十四の生誕日、おめでとう。ジャンクティード、ハサ」
青い花束を贈呈されたジャンとハサは、驚きながらも照れくさそうに受け取った。
「あ、ありがとう、姉上」
「……ありがとう」
子ども達の反応に、ルーラは口角を上げた。
「本来なら、親が子に、家紋の花を渡すのだが……此度は代理の私で許せ」
「うん」
「……おう」
ジャンが笑顔で頷き、ハサも満更でもない態度だった。それらを見届けて、ルーラは食卓に並んだ豪華な料理を示す。
「まぁ、何だ。とりあえず、食って、寝て、成長しろ。生誕日の晩餐開始といこうじゃないか」
ルーラの平常通りの態度に、ジャンとハサは顔を見合せた。そして、互いに笑いあう。
「うん、お腹すいたっ」
「立ったまま食うのか? 」
「あぁ、小規模だが、パーティーだからな。立食だ」
「わ、パーティー、初めて! 」
内装は、華やかで、壁際に青い紫陽花が咲き誇っていた。幾つかの丸い卓上には、青い果実を使ったデザートもある。その中で、ジャンは見覚えのある菓子を見つけて飛び出した。
「ハサ! ベリーパイ! 」
「……あぁ」
ハサは、懐かし気に目を細める。彼の後ろから、ルーラが身を乗り出した。
「好きなのか、それ」
ルーラの質問に、ジャンは少し考え込む。
「んーと、食べると幸せ、かも」
「ふーん? そういうものか……ん? 」
不意に、ルーラの肩が、とんとんっと叩かれる。ルーラが振り返った途端、千鳥足のス=ニャーニャが、ルーラに口付けした。ジャンとハサは絶句する。
(は? え? 接吻した? )
(……そういう……そういう? )
状況が理解出来ない子どもを尻目に、ス=ニャーニャは、けたけたと笑う。そんなス=ニャーニャに、ルーラが容赦なく頭突きした。ス=ニャーニャが、わざとらしく転がる。
「にゃぁ、姉、殴ったぁ」
「殴っていない、頭突きだ。第一、私は貴様の姉ではない」
「昔、姉、かも」
「黙れ、酔っ払い」
ルーラは不愉快さを隠さなかった。そして、卓上に置かれた酒瓶に気が付いた。
「この阿呆、私の葡萄酒を飲んだのか」
「……ス=ニャーニャ様、お酒、駄目? 」
「駄目というか……面倒くさい」
「……あぁ」
ジャンは何とも言えない顔をした。まるで、猫にマタタビだ。ス=ニャーニャは、痛みから立ち直ったのか、うざったくルーラに絡んでくる。今度は泣いていた。
「ゴ=ドード、いない、どこ」
「ええい、鬱陶しい。さっさと、初恋なぞ捨てて、どこぞの誰かと結婚してしまえ」
「ゴ=ドード」
「よし、殺す」
「あ、姉上。俺の生誕日を、誰かの命日にしないで」
宥めるジャンの口に、ハサが何かを突っ込んだ。ジャンは大人しく咀嚼する。途端に目を輝かせる。
「美味しい、なにこれ」
「サラダ」
「日に日に、美味しく進化していくな、もう」
憎まれ口を叩きながらも、ジャンはソースの出来栄えを褒めちぎる。ハサはサラダの前に陣取った。彼は、数種類のソースを食べ比べ、幸せそうな顔をしている。その周囲では、セツナが追加のサラダを運んでいた。
「俺は、スープを制覇しようっと」
ジャンは満面の笑みで、各種スープを堪能する。複雑な味も、さっぱりとした味も、ジャンの頬を緩ませる。
(えへへ、すっごい、贅沢)
さりげなく、ジャンの正面に、セツナが焼き立てパンを置いた。ジャンは、焼き立てのパンを発見して、濃厚なスープに付けて食べる。
(美味しい……もう、全部、美味しい)
ジャン達が晩餐を楽しんでいると、汗をかいたデボンが入ってきた。
「あ、もう始まってる!! 」
「遅いぞ、デボン少年」
ルーラは、ス=ニャーニャを長椅子に叩きつけながら、デボンに声をかける。ス=ニャーニャは、すやすやと寝息を立てていた。用意周到なセツナが、ス=ニャーニャに毛布をかけた。その光景に唖然としつつ、デボンは、荷車を室内に入れる。
「姫様が、特注するからですよ!! 」
荷車には、青い紫陽花が添えられた大きな箱が乗っていた。謎の箱に、ジャンは興味津々だ。
「姉上、それなに? 」
「ん? これか? 記念に」
そう言って、ルーラは華麗に箱を開封した。中から現れたのは、ジャンとハサの青い石像だ。精巧な作りをした石像は、それぞれ片翼が生えていた。ルーラは子ども達に向かって堂々と言い放つ。
「歴史上、初めての大公家だぞ。初代の像を建てずにどうする」
無駄に神々しいルーラの発言に、ジャンとハサは呆気に取られた。
(……姉上が作りたかっただけじゃ)
(……いらねぇ)
ジャンは恐る恐る、姉に尋ねる。
「……ちなみに、お値段は? 」
「青玉貨、百枚」
「「高っ!? 」」
ジャンとハサは、驚愕の眼差しを石像に送る。ルーラは、からからと笑い飛ばした。
「案ずるな、支払いは私持ちだ」
「そういうことじゃないんだよ」
「どこに金かけてんだよ……」
筆舌尽くしがたい両者に、デボンが申し訳なさそうに頭を下げた。
「姫様は、こういう方です。ご了承ください」
「「……あぁ」」
今更ながら、ジャンとハサは、ルーラの性質を思い知った。青い石像は、後日、正面玄関に飾られることになった。