お姉様とお茶会 その2
「えっ、メアリーお姉様、来年から、いらっしゃらないんですか」
「はい。来年から、王立学院で寮生活をいたしますので」
メアリーは、ジャンに優しく微笑む。彼女は、来年で十六歳だ。王立学院入学の年齢でもある。
「わたくしが王立学院に在籍中は、わたくしに、セツナを返して下さいな? 」
柔らか過ぎる声音に、ジャンは大人しく頷いた。
「それは、勿論……あの、理由をお聞きしても? 」
「キースも、来年、わたくしと共に入学いたしますの。王族だけは護衛騎士が必要ですから」
「なるほど」
在学中は、キースも一生徒として扱われる為、護衛騎士には計算されない。メアリーの片翼であるセツナは、メアリーにとって最も信頼出来る騎士なのだ。それを用いない手はない。メアリーは、妹を一瞥する。
「シェリー。ハサと、中庭を散歩していらっしゃいな。彼は、城の青い桜が珍しいでしょうし」
突然指名されたシェリーアンネは、慌てて腰を浮かした。
「は、はい。では、行きましょう、従兄様」
(……何で俺が)
ハサは、微かに眉をひそめる。その様子に気づいたジャンは、苦笑しながら背中を押す。
「ハサ。彼女のエスコート、よろしく」
「……おう」
憮然としつつも、ハサは席を立った。彼らの姿が見えなくなると、ジャンは笑顔を貼り付ける。
「それで、私に頼み事でも? 」
ジャンの視線を受けて、メアリーは笑みを深めた。
「察しが良くて助かりますわ、ジャン。わたくしの居ない間、定期的にシェリーの元に訪れて欲しいのです。お茶会でも、勉強会でも、会う理由は何でも」
「構わないけど、彼女に何か問題があるの? 」
「いいえ。ただの、害虫避けですわ」
柔和な笑顔とは正反対の暴言に、ジャンは紅茶を吹き出しそうになった。だが、根性で耐える。ジャンは、さり気無く、布切れで口端を拭った。
(面倒事頼まれちゃったなぁ)
「何か? 」
「いいえ。精一杯頑張ります」
「ふふっ、頼りにしてますわ」
叔父と姪が、表面上和やかな会話をしている頃。中庭を散策していたハサは、ひたすらシェリーアンネの言葉に耳を傾けていた。
「あちらが、メアリーお姉様の十四歳の生誕日に植えた桜で。向こうが、メアリーお姉様が七歳の生誕日に植えた桜です。そして、あちらが……」
(……話なげぇ)
一応、ジャンに頼まれたから聞き役に徹しているものの、ハサは辟易としていた。シェリーアンネは、ハサの返答も聞かずに、ずっと中庭の案内をしている。散策中、彼女がハサと目を合わすことはなかった。ハサが顔を向ければ、あからさまにシェリーアンネは顔を背けた。それも、ハサが不愉快になる要因である。
(……まぁ、あの女に命令されてたもんな)
ハサは密かに溜息をついた。メアリーアンネの強大さは体感済みだ。ハサとて、正面から逆らおうとは思わない。その点だけは、ハサはシェリーアンネに同情出来た。故に、ハサは、怒鳴り散らす程、不機嫌なわけでもない。
「あの、」
「……何ですか」
ハサは、出来る限り丁寧に返事をする。シェリーアンネは、自身の指先を遊ばせながら呟いた。
「従兄様を、名前で呼んでも宜しいですか? 」
尋ねられた言葉に、ハサは眉をひそめる。
(あぁ? 別に、好きに呼べばいいじゃねぇか……てめぇの姉も、勝手に呼んでるし)
と、ハサは言い返したかったが、相手は王族である。ハサは、無礼にならない言葉を選んだ。
「……どうぞ」
簡素な一言であったが、シェリーアンネは歓喜した。
「で、では……ハサ様と。あの、どうぞ、わたくしの事も、っ」
「第二王女」
「は、はい? 」
「中庭、行き止まり……です」
ハサの精一杯の敬語に、シェリーアンネは目が点になる。シェリーアンネは、ゆっくりと、ハサの視線の先を辿った。そこには、西の離宮を囲む生垣がある。シェリーアンネは恥ずかしさに顔を伏せた。
「そ、そうですね! では、そろそろ戻りましょうか! 」
「……はい」
少々気の毒な光景に、付き添っていた侍女は苦笑していた。
ジャンとハサが去った西の離宮にて、シェリーアンネは勇気を振り絞って姉の部屋を訪れる。
「お、お姉様っ」
「シェリー。お部屋に入る前は、入室許可を取るのですよ」
「あっ、も、申しわけございませんっ」
感情が先走ってしまい、シェリーアンネは無礼な行いをしてしまった。しょんぼりと肩を落とす妹に、メアリーは優しく声をかける。
「それで、何か、わたくしに御用ですか? 」
「は、はい。えっと、その……」
一生懸命話そうとする妹の様子を、メアリーは静かに眺めていた。彼女は、書き物をする姿勢から微動だにしない。シェリーアンネは、意を決して姉を見た。
「わ、わたくしっ、ハサ様と結婚したいですっ」
ぱきっと、メアリーの持つ羽ペンが折れる。メアリーは笑顔を崩すことなく、穏やかに話しかけた。
「まぁ、今、何と仰ったの? 」
「は、ハサ様と結婚したいですっ」
言葉に一生懸命なシェリーは、姉の様子に気が付いていない。心なしか、メアリーの護衛騎士、キースの顔色が悪くなっていく。
(シェリーアンネ殿下、気づいて下さい。メアリーアンネ殿下は、公務の邪魔をされて怒っています。その理由が、殿下の嫌いな色恋ですので、余計に怒っています)
キースの悲痛な胸の内が届くわけもなく、シェリーアンネは姉の言葉を待っていた。シェリーアンネにとっては、優しいお姉様。妹は、自分の望む言葉が出ると信じて疑わなかった。
「シェリー」
「はいっ」
「お姉様との、お約束が守れたら、ハサと結婚させてあげますわ」
「お約束? 」
柔らかすぎる声音に、シェリーアンネは首を傾げた。メアリーは言葉を重ねる。
「あなたが、王立学院の一年間で、騎士科首位を獲得すること。これに関して、わたくしは、一切譲歩いたしませんわ」
「え? 」
シェリーアンネは耳を疑った。
「無、無理です、そんなの……わ、わたくし、剣を握ったこともないのに」
「それなら、今から訓練すれば良いでしょう?
あなた、入学まで四年間もあるのだから、陛下に頼んで指導者を探してもらいなさいな。
あぁ、サンソード公爵は駄目ですよ。危険人物ですから」
「で、でも、」
「シェリー」
優しい姉の呼びかけに、シェリーアンネは肩を震わせた。メアリーは、笑顔を貼り付けたまま、感情の籠っていない瞳を向ける。
「わたくしは、強制していませんわ。
お約束を守れないなら、ハサとは結婚出来ない。それだけのお話です。
……もう、よろしくて? わたくし、これから、陛下に謁見する予定ですので、失礼いたしますわ」
無情にも、メアリーは席を立った。シェリーアンネは、スカートを握りしめる。
「お、お母様にお願いしますっ。お母様なら、」
「シェリー」
柔らかすぎる声音に、シェリーアンネは酷く肩を震わせた。彼女は、恐る恐る、姉を振り返る。そこには、困ったように微笑む姉の姿があった。
「王族の結婚は、遊びではございませんの。
ブルーム大公家が、現在、どれほどの価値か、お分かりですか?
分かりませんよね? あなた、勉強が苦手ですもの。
わたくしは構いませんよ。あなたが、お母様のように、愛でられるだけの花になったとしても。わたくしが、あなたに相応しい嫁ぎ先を用意して差し上げます。
綺麗な服を着て、楽しいお茶会に、賑やかな夜会。
理想の淑女らしい生活を保障いたしますわ」
メアリーの親切な対応に、シェリーアンネは恐怖の涙を流した。姉が得体の知れない化け物のように感じる。あながち間違いでもないが、幼いシェリーアンネには理解出来なかった。そんな彼女に、メアリーは小首を傾げる。
「まぁ、どうなさったの? お顔が青白いですわよ」
メアリーは、心底不思議そうな顔をしていた。その様子が、シェリーアンネの恐怖心を煽る。同時に、何かを言わなければならないと、彼女は思った。シェリーアンネは、姉の機嫌を損ねることが、今は何よりも恐ろしいのだ。
「ど、どうして、騎士科なんですか……? 」
シェリーアンネの細々とした声に、メアリーは優しい笑顔を浮かべた。
「あぁ、ごめんなさいね。
理由を伝え忘れていました。
ハサの養父、ジャンは死神王弟という異名がございます。
暗殺未遂・失踪事件は、あなたもご存知でしょう?
もし、また、ジャンが暗殺されるようなことがあれば、彼の近くにいる方は最も危険に晒されます。ハサの結婚相手も、例外ではないでしょう。
ですので、確実に自衛出来る女性が、わたくしは好ましいと思いますわ」
メアリーの言葉に、シェリーアンネは、呆然と立ち尽くす。
(自衛……)
シェリーアンネは、ふらふらと、姉に近づいた。
「お姉様……」
「はい、今度は何でしょうか」
「訓練の、その……」
「では、わたくしが陛下にお願いして参りますわ。それで、よろしくて? 」
「あ、ありがとうございます」
シェリーアンネは、涙目になりながら頭を垂れた。メアリーは、穏やかに微笑むと、踵を返した。彼女の遠ざかる足音を聞いて、シェリーアンネは目元の滴を拭う。
「……訓練、頑張らないと」