お姉様とお茶会 その1
春の終月。
「本日は、お招きにあずかり、誠にありがとうございます。こちら、当家で栽培したカスミソウです。宜しければどうぞ」
「まぁ、ありがとうございます。嬉しいですわ」
最初の関門を突破出来て、ジャンは内心狂喜乱舞した。だが、それは表に出さずに、完全に貴族の面を被っている。
本日は、ジャンの生誕日前に合わせて開催された個人的な茶会。場所は、メアリーが暮らす西の離宮、年中、青い桜が咲き誇る中庭だ。
ジャンが、今しがた手渡した花束は、メアリーの実母、マリーアンネの生家の家紋に描かれている花であった。
水神王国の礼儀として、メアリーが現在属している王家の花を贈ることは非礼に相当する。友好関係を示す場合、メアリーの実母の生家の花を贈ることが最良だ。
(じいやに教えられた貴族常識が生きたよ、ありがとう! )
ジャンは帰宅したら執事を労おうと決めた。そんなジャンの礼儀に習って、ハサはメアリーの隣に立つ、シェリーアンネに同じ花束を手渡した。
「……どうぞ」
「あ、ありがとうございます。従兄様」
シェリーアンネは年相応の少女らしく頬を赤らめる。一方、ハサは険悪な顔にならないよう、無表情を貫いていた。
(……帰りてぇ)
ハサの心情も虚しく、メアリーは上機嫌なまま、控えていた侍女に花束を渡す。
「こちら、花瓶に生けて下さいな」
「御意」
「あ、わたくしのも、お願いします」
シェリーアンネは慌てて、花束を侍女に手渡した。侍女は、社交に不慣れな彼女にも穏やかに対応する。メアリーは、その光景に優しく微笑む。だが、彼女の瞳は相変わらず硝子玉のようであった。徐に、彼女の視線がジャンに向けられる。
「ねぇ、ジャン」
「何でしょうか」
「あちらの花を取って下さいな? 」
「……あちら? 」
メアリーの指示す場所は、大樹の枝に咲いた一輪の青い花。ジャンは沈黙する。
(……すごく、高い位置にあるんですけど!? )
何かの冗談かと思ってメアリーを凝視するが、彼女はジャンの意思に反して優しい笑みを浮かべていた。ジャンは悟る、これは本気だと。しかし、明らかにジャンの身体能力では届かない。飛んだとしても、無様に着地をする未来しか、ジャンには見えなかった。
(どうすんの、これ……)
途方に暮れるジャンの横を、軽やかな風が通り過ぎた。ハサが一瞬にして跳躍し、難なく目当ての花を手折る。ハサは、それをジャンに押し付けた。
「ん」
「あ、ありがとう」
ジャンは気を取り直して、恭しく一輪の花をメアリーに差し出した。
「どうぞ、お納め下さい」
メアリーは、ジャンとハサを静かに見つめている。ジャンの背中は冷や汗をかいていた。
(怒ってる!? 怒ってない!? どっち!? )
「ふふっ。良き片翼だこと」
メアリーは、柔らかな笑みを作ると、丁寧に花を受け取った。それも、侍女に手渡して花瓶に生けてもらう。ジャンは動揺を必死に押し殺す。
(正解!? 大丈夫!? 誰か答えて!? )
ジャンは頭の中でぐるぐる考えて、勢いよくセツナを振り返った。セツナは黙礼する。
(……大丈夫だよね!? 信じていいよね!? セツナ!! )
「どうぞ、座って下さいな? 」
「あっ、ハイ」
ジャンが努めて優雅に着席すると、ハサも腰を下ろした。ふと、ジャンは一席空いていることに気が付く。まだ、シェリーアンネが座っていなかった。それはメアリーも不思議だったのだろう。彼女は妹に呼び掛ける。
「シェリー? 」
「……あっ、えっと、申し訳ございませんっ」
シェリーアンネは軽く呆けていたのか、姉の呼びかけに我に返る。林檎のように染めていた頬を更に赤くさせて、席についた。メアリーは、妹の様子に小首を傾げる。
「まぁ、どうなさったの? お顔が真っ赤ですわ」
「えっ? あ、その……叔父様と従兄様との初めてのお茶会で、緊張してしまって」
「あら、まぁ、可愛らしいこと」
メアリーは、くすくすと笑う。姉妹の和やかな会話に、ジャンは少し肩の力が抜けた。
(……そうだよね。メアリーお姉様が異常なだけで、普通の女の子って、そんなもんだよね)
ジャンは、ここにいないベリーを思い起こす。年上の女性だと思っていたが、まだまだ幼い部分が多い。ベリーは知らないが、ジャンの中で彼女は娘枠である。
「来月は、お二方の生誕日ですわね」
「はい、そうですね」
メアリーの声に、ジャンは現実に引き戻される。ジャンの生誕日は明確だが、ハサの生まれた日は定かでない。ならば、一緒にしてしまおうと、ジャンの提案で、ハサの生誕日も同日になっていた。
メアリーは、控えていた侍女に目配せをする。ジャンとハサの前に、丁寧に包装された箱が置かれた。
「わたくし、来月は公務で忙しいので、お二方の生誕日に立ち会えませんの。
お早いですが、わたくし達姉妹からの贈り物です。どうか、受け取って下さいな」
「ありがとうございます。メアリーお姉様」
「……ありがとうございます」
ジャンは笑顔で蓋を開けて、思わず閉じそうになった。笑顔を貼り付けたまま、ジャンはメアリーに話しかける。
「こ、こちらは? 」
「再来年は、お二方も学院に入学されるでしょう? 騎士科は、帯剣が暗黙の了解ですので、必須な持ち物でしてよ」
「いや、あの……名前が」
各々の剣には、メアリーアンネの文字が刻まれていた。
「あら? 何か問題でも? 」
「いいえ、大切に使わせて頂きます」
メアリーの柔らかな微笑みに、ジャンは口元を引きつらせた。ハサは、剣をまじまじと見つめる。
(……無くしたら、やべぇな)
ハサの直感は正しい。尊い方の名前が刻まれた剣は、場合によっては、その名前の権力が発生する。仮に、ジャンがその名前を誇示することがあれば、王女の名の下に振舞うことが出来るのだ。ちなみに、メアリーの剣には、神王の名が刻まれている。
「これからも、清く正しく、頑張って下さいな」
「「……御意」」
ジャンとハサは改めて、逆らえない圧力を味わった。装飾品は最低限のはずなのに、ジャンの剣を持つ手が震える。ジャンは、何も言わずに、剣を箱に仕舞った。不意に、卓の下から、ハサがジャンの手をつつく。
「ん? 」
「ん」
ハサは、顎で、メアリーの背後を示した。ジャンが見やると、メアリーの背後に控えていた、亜麻色の髪の護衛騎士が露骨に視線を逸らした。彼の年齢はメアリーと変わらない。セツナと違って、紺色の騎士服も、王立学院卒業の胸章も見当たらない。
(……何? )
「どうかされまして? 」
メアリーは小首を傾げた。だが、彼女は、ジャンとハサの様子に、特にハサの警戒心が高いことに気が付いた。メアリーは、殊更優しく微笑む。
「紹介が遅れましたわ。彼は、わたくしの乳母兄弟である、キース・ヴォーネット。今は、セツナの代わりに、わたくしの護衛騎士をしておりますの」
メアリーの紹介に、彼は会釈をした。彼の動作は礼儀正しいが、どことなく、ジャン達に対する敵意を感じる。ジャンは苦笑交じりに口を開いた。
「……メアリーお姉様」
「何でしょうか、ジャン」
「お姉様って、私達の事、お嫌い? 」
メアリーは困ったように微笑む。
「嫌いではございませんわ。でも、何故、そのようなことを、仰るのですか? 」
「君の護衛騎士が睨んでくる」
メアリーは笑顔のまま静止した。そして、彼女は、酷く優美な仕草で背後を振り返る。
「まぁ、おかしいですわね。わたくしの、護衛騎士に、そんな方いらっしゃいましたか? 」
青い目に見つめられたキースは顔色を悪くする。
「ねぇ、キース」
「……はい」
「わたくしの護衛騎士は、だぁれ? 」
「自分です」
「そう。……では、貴方は誰に剣を捧げますの? 」
「第一王女殿下です」
「ふふっ。では、どうぞ、わたくしの為に尽くして下さいな」
メアリーアンネの柔らかすぎる声音を受けて、キースはジャンに膝を折った。
「ご無礼、お許しください、大公閣下」
「……あぁ、うん、許すよ」
凍り付いた空気の中、ジャンは必死に声を絞り出した。紅茶の風味も最早分からない。重苦しい雰囲気を切り裂くように、セツナが声を出した。
「閣下。発言よろしいでしょうか」
「構わないよ。むしろ、発言して」
ジャンは笑顔を貼り付けたまま、悲痛な眼差しをセツナに送る。セツナは黙礼し、淡々と述べた。
「キース殿は、第一王女殿下に恋慕しているのです。恐らく、閣下とハサ殿の剣を羨んでいるかと存じます」
「っ、!! 」
膝を折ったままのキースは、セツナの丁寧な告発に動けなくなった。耳まで真っ赤に染まる。メアリーは、哀れな青年を不思議そうに眺めた。
「まぁ、そうでしたの? 知りませんでしたわ。でも、ごめんなさいね? わたくし、貴方に降嫁する予定はございませんの」
「……勿体無き御言葉です、殿下」
容赦なく男心を否定されたキースは、猫背になりながらメアリーの後方に戻った。その様子に、ジャンは胸を痛める。
(ごめんよ!? でも、君が睨むから!! 自業自得だよね!? )