初めての生誕祭
神王歴5046年 春の始月
年が明け、王都の城下は生誕祭の活気に満ち溢れていた。神王の生誕を祝いつつも、平民達は、祭りの雰囲気を楽しんでいた。物珍しい品物も、美味しそうな料理も、屋台に沢山並んでいる。その光景に、帽子を目深に被ったジャンは、胸を躍らせた。
「ふわぁ、すごいね、ハサ! 」
「……おう」
同じく帽子を被ったハサは、人口密度の高さに顔をしかめていた。両者の背後には、紋章のない騎士服を着たセツナとデボン、可愛らしくも質素なドレスに身を包んだベリーがいた。彼らは年相応に喜ぶジャンの姿に、温かな眼差しを送っている。
「何からする、何からする? 」
「ちった、落ち着け。俺は腹減った」
「んじゃ、食べ物の区域に行こう」
言うが否や、ジャンはハサの手を掴んで歩き出した。香ばしい匂いにそそられつつも、ジャンはお菓子が立ち並ぶ場所を目指す。案の定、ハサとベリーが目を輝かせた。
「クレープだって。みんな、何包んでもらう? 」
「果物全種」
「わ、私も」
迷いのないハサに釣られて、ベリーも強く主張する。ジャンは、からからと笑いながら、店主に、五名分の硬貨を渡した。そして、たっぷりの生クリームと果物を全種乗せたクレープを二つ注文する。ジャンは残りの大人を見た。
「デボン君と、セツナは? 」
「えっ、いや、自分は護衛で……」
と、言いつつもデボンの視線は、幸せそうにクレープを頬張るベリーに向いている。デボンの真面目な発言を気にも留めずに、セツナは無表情に口を開いた。
「私は、ジャン様と同じもので」
「んー、カカオのクリームとオレンジにしようかな」
「構いません」
あっさりとクレープを受け取ったセツナに、デボンは唖然とする。その視線に気づいたセツナは、デボンを無感情に見た。
「何か」
「……護衛の仕事は」
「目上の方のご厚意を断る方が、失礼かと存じます」
そう言って、セツナは機械的にクレープを食した。デボンが口を引き結ぶ中、目の前に、生クリームとオレンジたっぷりのクレープが差し出された。ジャンが人の良い笑みを浮かべている。
「間違って注文しちゃったから、デボン君、代わりに食べてよ」
「……この御恩、一生忘れません」
「重い、重い」
クレープを深々と受け取るデボンに苦笑しつつ、ジャンも自分が注文したクレープを食べる。
(程よい甘味が良いね)
「おい」
「ん? なに、ハサ」
「次、あれ」
ハサは既にクレープを平らげたらしく、隣のケーキ屋に視線が向いていた。
(ハサ、すごい食欲)
ジャンは、素直なハサが面白くて仕方ない。だが、変に茶化して不機嫌になられたくもないので、ジャンは大人しく支払い係に徹した。
ハサの食欲が満たされた頃、一行は古着屋の前に立ち止まっていた。
「ねぇねぇ、ベリー。ネネコ達の服、何が良いかな」
「んー、そうね。動きやすくて、破けなさそうなのが良いと思うわ」
お忍び中ということで、ベリーは砕けた態度が黙認されていた。ジャンは、ベリーの勧めに耳を傾けつつ、服をハサの背に合わせていく。ハサが眉をひそめた。
「何で、俺で試すんだよ」
「だって、ハサ、身長変わってないし」
瞬間、ハサは、ジャンの顔面を掴んだ。
「あ? 」
「ごめんて」
「ほ、ほら! こっちの服も良いわよ! ね!? 」
ベリーの必死の声掛けに、デボンも勢いよく頷いた。
「そ、そうですよ! ほら、この礼服なんてどうですか!? 」
「「却下」」
ジャンとハサに否定されて、デボンは泣く泣く、上質な礼服を棚に戻した。ハサから解放されたジャンは、ベリーの容姿を凝視する。主に、服装を。
「ベリーの服って、自前? 」
「え? ……あぁ、違うわ。侍女様が、『娘が着なくなったものだから』って、譲って下さったの」
「よし、ベリーの服も買おう。セツナ、見立てて」
「御意」
「だ、大丈夫ですって、ツェヘナ嬢。自分で探しますから」
「ベリーさんは、私の美的感覚を疑っていますか? 」
「いいえ、滅相もございません! 」
結果として、セツナが見立てたドレスは、ジャンに却下された。ジャンは困ったように微笑む。
「デボン君もセツナも、身分高いんだなぁって実感させられたよ」
デボンとセツナが選んだ服の共通点は、貴族が身につける最低限度の服だった。とても、平民のネネコやベリーが普段使い出来るものではない。
「……申し訳ないです。学院では、全員制服だったし。自分、今は騎士服しか着ないんで、普段着を気にする習慣がなくて」
「閣下のご期待に沿えず、申し訳ございません」
「気にしないで。適材適所を見極めきれなかった俺が悪い」
ジャンの気遣いが、デボンの胸に突き刺さる。セツナも表情にこそ出ていないが、暗い雰囲気を纏っていた。
(子どもに気を使わせるなんて……! 大人失格だ! )
(……要、努力)
デボンの手荷物が多くなった頃、ひらひらと舞う紙きれを、ジャンは目で追った。ジャンの視線に気が付いて、ハサが難なく掴み取る。
「んだ、これ」
ハサの手元をジャンは覗き込んだ。そこには、刻印天使を題目に演劇が開催される、という記載があった。しかも、この後すぐに。ジャンは途端に目を輝かせる。
「見たい! 」
「お、おう」
本日一番の笑顔に、ハサは面食らう。ジャンはハサの手を引いて走り出した。大人達はジャンの予想外の行動に驚きつつ、後を追おうとする。だが、人並みに遮られてしまい、子ども達と分断されてしまった。その様子に気が付いていないジャンは、頭の中が演劇のことでいっぱいだった。
(刻印天使、ユーノットの書いた絵本かな? それとも、全然違う物語かな? )
何にせよ、ジャンの心を躍らせる作品に違いない。先頭を走っていたジャンは、逸る気持ちが抑えきれず、前に前に進もうとする。
「おい、ジャン! 」
「ん? 」
ジャンがハサの呼び声に振り返ろうとした瞬間、ジャンは人混みに押されてしまう。その拍子に、ジャンとハサが繋いでいた手が離れる。身軽なジャンの体は、平衡感覚を崩した。
(この、馬鹿っ)
ハサは内心激怒する。しかし、ハサの片手は荷物で塞がれている為、すぐには手を伸ばせなかった。ジャンは、地面に激突する痛みを想像して目をつむる。
(……あれ、痛くない)
だが、激痛はいつまで経っても来なかった。誰かの片手が、ジャンの背中を支えていた。ジャンは空を見上げる。紺色の外套を着た、見知らぬ誰か。外套に付けられた頭巾の下から、深紅の艶やかな髪に隠れた、端正な顔立ちが覗く。現実離れした美しさに、ジャンは息を呑んだ。
(……綺麗な顔、人形みたい)
ジャンが、一瞬気を取られていると、美しい薄紅色の瞳が射抜いた。
「邪魔だ」
(あ、男だ)
ジャンの予想以上に低い声と、彼の上質な服装から、完全に少年だと判断出来る。ジャンは状況を理解して、慌てて離れようとした。
「ご、ごめん」
だが、完全に軸を失ったジャンの体は、上手く起き上がらなかった。美少年は、不機嫌なまま片手でジャンの体を起こす。そして、何も言わずに立ち去った。ぼけっと残されたジャンは、ハサの呆れた声で我に返る。
「何やってんだよ、お前は」
「えへへ、ごめんごめん。それよりも、演劇! 見に行こうよ! 」
「わーってる。今度は離すなよ」
「うんっ」
ハサに差し伸べられた手を、ジャンは心底嬉しそうに掴んだ。
ほくほく顔で演劇を観賞し終えたジャンとハサを待っていたのは、半泣きのデボンだった。
「護衛を撒かないで下さいよ! 閣下達に何かあったら、わたっ、私の! 首が! 飛ぶんですからね!? そりゃあ、もう、スパンっと! ねぇ!? 」
「ごめんね。なんか、童心に帰っちゃって」
「……それ言われたら、何も言えなくなるじゃないですか! もう! 」
デボンは憤慨しつつも、ジャンを問い詰めるのをやめた。それでも、ぶつくさ文句を言っている。
「私だって、分かってたつもりですよ、つもりでしか無かったんですよ。だって、子どもっぽくないっていうか、勉強も私が教えることないっていうか、さぁ!? もっと、私は、年上のお兄さんとして頼られても良くない!? ねぇ!? 」
「まぁまぁ。子どもの成長は早いですから」
涙目のデボンは、ベリーに宥められている。その傍らで、セツナは、ジャンとハサの手に、見覚えのない布を認めて首を傾げた。
「ジャン様、ハサ殿。そちらは? 」
「あ、これ? えへへ、来場者限定で貰えたんだ」
ジャンは嬉しそうに、片方の翼が刺繍されたハンカチを見せびらかした。隣に居るハサも、誇らしげな顔で揃いのハンカチを見せる。その光景に、セツナは温かい視線を送った。
「帰宅したら、お二方のハンカチを額縁に飾りましょうか? 」
「いいの? やった! 」
「……おう」