心的外傷
ス=ニャーニャ来訪から数日後。真冬の寒さも無視して、ルーラが中庭にジャンとハサを呼び出した。
「よし、幼子ども。刻印天使の訓練をするぞ」
「刻印天使! 」
寒さに鬱屈としていたジャンは、憧れの単語を聞いて一気に目を輝かせる。ハサは単純なジャンに呆れつつ、ルーラの隣に立つス=ニャーニャを見た。
「……何で、この王族もいんの? 」
「あぁ、デボン少年じゃ、黒猫の相手が務まらないからな」
「うぐっ」
予期せぬ攻撃に、セツナと共に控えていたデボンは胸を抑える。そんな彼を誰も慰めることなく、訓練の概要説明が始まった。ルーラはジャンの胸元を指差す。
「まず、片翼を発動させる。
お前達、普段は意識せずとも、互いの場所を把握しているだろう? 」
「……言われてみれば」
ジャンもハサも気にしていなかったが、無意識のうちに、お互いがどこにいるか、把握出来るようになっていた。とはいえ、正確な位置把握ではなく、簡単に、片翼の方向が分かるという程度だ。
「今は、胸の刻印を特に意識しろ。お互いに繋がる糸を掴め」
「お、おう」
「繋がり……糸……」
ジャンは、服の上から刻印を押さえ、刻印式での出来事を思い出す。両者の心臓が繋がれた青く神々しい糸。ハサも、刻印を強く意識する。
((……あ、))
ジャンとハサが互いの糸を掴んだ途端、真っ白な片翼が両者の背中に生えた。厳かで、見る者に畏敬の念を覚えさせる魔力の羽。ス=ニャーニャは、感嘆の息をついた。
「初見」
「ん? 私の見たこと無かったか? 」
「ルーラ、片翼、誰? 」
「ほら、火神王を叩きのめした時に居ただろう。細っこいのが」
「……あぁ、土の」
(……国際問題かな)
ジャンは姉達の会話に呆れながらも、自分とハサの片翼に満足げな笑みを浮かべる。対するハサも、自分の片翼を、じっと見つめていた。
「ハサ、ハサ」
「……んだよ」
「えへへ、呼んだだけ」
「……あっそ」
微笑ましい会話の中、ルーラがジャンに話しかける。
「ジャン。片翼に魔法補助するのは、強化魔法と治療魔法だ。
ひとまず、それが出来れば、黒猫の戦闘に大いに役立つ」
「えっと、どうやって? 」
「片翼が生えている間は、黒猫に魔力を通せるはずだ。後は、自身に強化魔法をかける要領と同じだ。魔力量と魔力操作は丁寧に、そして限界を見極めろよ。強化魔法は身体に負荷がかかる。強くし過ぎると、黒猫の体が暴発するぞ」
「え、やだ! 怖い! 」
「慣れろ」
「うぅぅぅ……」
泣きそうになりながら、ジャンは片翼を通して、ハサに強化魔法を少しかける。ハサの手足に魔法陣が浮かび上がった。初めての経験にハサは目を丸くする。
(これが、魔法……)
まじまじと、ハサは手足を眺める。だが、無情にも、ルーラがス=ニャーニャに目配せした。ス=ニャーニャは心得たと言わんばかりに、ハサを蹴り飛ばした。ハサの体が呆気なく雪原に転がった。ジャンは目を見開く。
「ハサ……! 」
「弱すぎると、強化の意味がないぞ」
「っ、!」
ルーラはジャンの手加減を見抜いていた。ジャンの視界の先には、血反吐を吐くハサの姿がある。赤に染まるハサ。ジャンの思考が、歪な笑い声に支配されていく。
(治、療……早く、ハサ、ハサを……! )
視界の端が歪む。何度、頭を振っても、真っ白い騎士の嘲笑う声が途切れなかった。目の前の光景が、あの日の惨劇と重なる。ジャンは、息を詰まらせながら、ぼたぼたと涙を流した。
「や、」
「ん? 」
「やだ、ハサ!! ハサ!! 」
ジャンの悲痛な叫びに、ルーラは面食らう。他の者たちも、何が起こったのか理解出来ないでいた。ハサを除いては。
赤子のように泣き狂うジャンの元に、ハサが駆けつける。
「ジャン」
「あ、」
ハサは痛みを我慢して、ジャンを抱き寄せた。ハサから伝わってくる心音に、ジャンは涙腺が壊れる。
「ハサ……ハサ……生きてるっ」
「勝手に殺すな、ばーか」
「……うん」
いつも通りの暴言に、ジャンは酷く安心した。ぐずぐずと、ジャンはハサに縋りついたまま離れない。
その光景を見せつけられたルーラ達は、言葉が出なかった。ようやく口を開いたルーラは、困惑を隠せない。
「……どういう状況だ」
ルーラの呟きに答えたのは、紺色の騎士服を着た若者達だ。
「恐らく、閣下の心的外傷を八つ裂きにした、と存じます」
「ま、まぁ、二回も暗殺されかかってますし……ね」
「ルーラ、弟、泣かした」
止めを刺したのは、戦友たるス=ニャーニャだった。ルーラはス=ニャーニャに食って掛かる。
「私か!? 訓練って、こんなものだろう!? 」
「戦士、正解。これ、多分、子ども。子ども、宝」
至極当然のように語られ、ルーラは絶句する。彼女は物凄い勢いで、デボンとセツナを振り返った。
「何故、私を止めなかった!? 」
「えぇ、? 無茶言わないで下さい。自分が姫様に殺されます」
「我々は、辺境伯令室様に命令を下せる立場にございません」
至極当然のように語られ、またしてもルーラは言葉に詰まる。負け惜しみにス=ニャーニャを見るが、ス=ニャーニャは胸を張った。
「ス=ニャーニャ、他国の王族。事情、今、知る」
「……私が悪いのか」
「当然」
ス=ニャーニャの一言に、ルーラは何も言えなくなった。