風の便り
いつまでも暗い表情をするス=ニャーニャ。しかし、ルーラは慰めることもなく、少し苛立った顔をした。
「というか、お前。滞在費くらい、出せ。食べ過ぎだ」
「……ん」
ス=ニャーニャは緩慢な動作で自身の懐を漁る。粗末な袋を取り出すと、そのままルーラに手渡した。ルーラは中身を確認すると、それをハサに投げる。ハサは平然と受け止め、中身を確認した。
「あ? 」
「どうしたの? 」
戸惑う彼の手元をジャンが覗き込む。袋の中には、赤い硬貨が詰められていた。ジャンが恐々と硬貨を摘み上げる。そこには獅子と王冠の紋章が刻まれている。
「……なにこれ」
「赤玉貨」
「……価値は? 」
「青玉貨と同じだ」
ルーラの言葉に、ジャンとハサは戦慄した。数十枚の赤玉貨を、無雑作に投げ渡されたのだ。ジャンは、慌てて袋を縛る。
「な、何のお金!? ていうか、これ、火神王家の紋章! 」
「魔物狩り」
「相変わらず、火神王は気前が良いな。今回は何を討伐したんだ」
「山」
「山? 」
「山」
「……まぁ、災害級の魔物だろう」
意思疎通が出来る傑物達の傍らで、ジャンとハサは顔を見合わせる。
「……ヤバイ奴を串刺しにした姉上って、ヤバイ奴? 」
「……おう」
分かりきっていたことだが、改めて突き付けられる現実に、ジャンは心が折れそうになる。姉が頼もしい反面、手に負えない怪物だと気づいてしまった。歩く災害の異名は伊達ではない。
「あ、」
ふと、ス=ニャーニャが思い出したかのように懐を漁る。
「ルーラ、手紙」
ス=ニャーニャは、緑に染色された手紙をルーラに差し出した。
「手紙? ……お前の血で読めないぞ。誰から貰った? 」
全く悪びれもなく、ス=ニャーニャを串刺しにしたルーラが顔をしかめる。ス=ニャーニャも、特に気にした様子もなく答える。
「ルーラ、夫」
「……ふむ。お前に渡したのなら、急用ではあるまい」
昨日の戦闘の衝撃で、手紙に押された封蝋が割れている。よくよく確認すれば、プーガル辺境伯家の紋章が見えないこともない。
「辺境伯令室様。この時期ですし、来月の式典についての案件だと推測いたします」
「あぁ」
部屋の隅に控えていたセツナの言葉に、ルーラは納得した。その隣で、ス=ニャーニャは再び懐を漁る。
「ルーラ、弟、手紙」
「え? 俺? 」
ス=ニャーニャは、ジャンに木札を手渡す。手紙と違って、無傷な木札には、ねこ・ぼす、と書かれていた。ジャンは喜色満面の笑みを浮かべる。
「ネネコだ! 」
「うお、マジか」
ハサも木札を覗き込む。ジャンは嬉しさの余り、ハサに抱き着いた。
「ネネコから手紙きた! 返事書こうっ! 」
「わーったから、ちった、落ち着け」
ハサに宥められて、ジャンは少しだけ冷静になった。それでも笑顔は抑えきれない。ジャンは上機嫌でルーラに声をかける。
「姉上! 」
「ん? 」
「手紙、どうやって送るの!? 」
「面識のある相手なら、使い魔で」
「わかった! ありがとう! 」
ジャンはハサの手を取って、執務室に向かう。セツナは、ルーラ達に一礼し、速やかにジャン達の後を追った。
昨日荒れたはずの執務室は、完全に元通りになっていた。そんなことも気に留めず、ジャンは、わくわくした顔で机の中を漁る。静かに後方待機していたセツナは、ジャンに助言した。
「閣下。相手が平民ならば、紙質を落とすべきです。それと、周辺住民に不自然に思われないように、使い魔は小鳥がよろしいかと」
「わかった! 」
「本当に分かってんのか? 」
「わかってるよ。ほら、ハサも返事書いてっ」
「……おう」
苦言を呈しながらも、ハサは素直に紙を受け取った。ジャンの影に隠れていたが、実はハサも返事を書くことを楽しみにしていた。迷いなく羽ペンを走らせたジャンは、満面の笑みで文字を見つめる。
「えへへ、出来た。……あ、硬貨も入れておこうかな」
「んじゃ、銅貨にしようぜ。高い硬貨持ってても、あいつらじゃ、使い道に困んだろ」
「だね」
ジャンはハサの提案を受け入れる。最下層では、鉄硬と銅貨しか見物していないのだ。ネネコ達も、急に大金を持たされても困るだろう。
(ネネコ達のお金が盗まれないように、気を付けなくちゃ)
ジャンは、ハサの書いた紙と銅貨十枚も、丁重に封筒に詰める。そして、ブルーム大公家の紋章が刻まれた指輪で、手紙に封蝋を押す。ハサは首を傾げた。
「っんだ、それ」
「印章付きの指輪だよ」
「印章……」
ジャンに手渡された指輪を、ハサは凝視する。その間に、ジャンは水色の葉っぱを取り出した。
「神秘奏上。
偉大なる水神よ、我に水の神秘を授けたまえ。
奏上。
偉大なる水神よ、いと慈悲深き神よ。
水のしるべを我に許したまえ 青の使い魔」
ジャンが二重に唱えると同時に、水色の葉っぱが塵と化し、青い魔法陣を成型する。水色の眩い光と共に現れたのは、水色の小鳥だった。ジャンは小鳥に目を合わせる。
「ねぇねぇ、使い魔さん。ネネコのところに、手紙を届けてくれる? 」
ジャンの願いに、小鳥は機械的な動作で手紙を吸収すると、閉じた窓の前に立った。急いでジャンが窓を開け放つと、小鳥は青空に旅立った。
プーガル辺境伯領 プーガル辺境伯屋敷。その厨房の裏手で、芋を洗い終えたネネコは、真っ赤な手を擦っていた。
(さむ……)
「ネネコ~、ごはんって! 」
「あつあつ、ほかほか、ごはん! 」
「うん、今行く」
幼い子ども達の呼びかけに、ネネコが元気に返事をする。子ども達の向こう側、軒下で、雑草ババアと呼称される老婆が、色彩豊かなスープをかき回していた。食欲をそそる匂いに、ネネコも嬉しくなる。
(今日のスープは何味かなぁ)
不意に、ネネコの耳に、羽ばたき音が聞こえた。ネネコが顔を上げると、水色の小鳥が眼前に迫っていた。
「うわっ……なにっ? 鳥? 」
見たこともない鳥に、ネネコは驚く。だが、持ち前の好奇心から、小鳥に手を伸ばした。小鳥がネネコの手に収まった瞬間、小鳥が霧散し、謎の封筒だけが残される。ネネコは目を点にした。
「……へ? 」
封筒には、ねこ・ぼすと書かれている。文字を認識した途端、ネネコは笑みが込み上げた。
「あはっ、あはははは! 」
突然、笑い始めたネネコに、子ども達は不思議そうな顔をした。
「ネネコ~? なに~? 」
「みんな~、ジャンとハサから手紙届いたよ」
「「てがみ? 」」
首を傾げる子ども達を見て、ネネコは忍び笑いをした。
「はいはい。後で教えてあげるから、先にご飯行こ」
「「ごはん!! 」」
子ども達は一目散に駆けだした。取り残されたネネコは、青空を見上げる。
「……みんな、元気そうで良かった」