全ての終わりで、全ての始まり
七歳の生誕日から数日。
日の明るいうちから、ライが馬車の用意をしていた。偶然通りかかったユーノットは、怪訝な表情で首を傾げる。
「フリッサ卿、何をされているのですか」
「おや?これはこれは、家庭教師殿。ご機嫌よう。
詳しいことは私も存知上げないのですが、急に王太后陛下から王弟殿下の護送を命じられまして」
ユーノットは、馬車に視線をやる。とても、王族が乗るような、豪華絢爛な馬車ではない。しかし、お忍び用としては問題なかった。ユーノットは、改めてライを見上げた。
「出発は、いつですか?」
「えぇっと、一時間後です」
ライは懐中時計を確認して告げる。ユーノットは、淡々と告げた。
「では、私も同乗します」
「え?」
「何か問題でも?」
「い、いえ。荷物は後から運ばれるので、最小限でよろしいかと」
「承知しました」
ユーノットは、凛とした態度で踵を返した。ライは何か言いたげに彼女の背を見送るが、声をかけることはなかった。
一時間後、質素な馬車内にて、ジャンクティードとユーノットが向き合っていた。
「ユーノットも、一緒なんだね」
「殿下の家庭教師なので」
「そっか……ところで、どこに行くの?」
ジャンクティードの疑問に、ユーノットは眉をひそめた。
「殿下はご存知ないのですか?」
「朝ご飯食べ終わったら、ライが違う家に移るって言ってた」
「……なるほど」
一人納得したユーノットは、深い溜息をついた。馬車の手綱を握っているライを壁越しに見て、ジャンクティードに向き直る。ユーノットは重々しく口を開いた。
「殿下は、ご自身が王太后陛下に快く思われていないことをご存知でしょうか?」
「あ、うん、知ってる。侍女が、廊下で言ってるのを聞いた。私は、死神王弟なんでしょ?まぁ、分かりやすいよね。私の生まれた日に両親死んでるし」
ユーノットは、酷い頭痛に耐えるかのように額に手を当てた。徐に、身を乗り出して、ジャンクティードの両肩を掴んだ。
「殿下。他者を貶すことでしか生きられぬ害虫の言葉に、耳を貸してはなりません」
「あ、うん」
ユーノットに気圧されたジャンクティードは素直に頷く。ユーノットは、ハッと我に返ったのか、少しの間沈黙した。そして、何事もなかったかのように腰を下ろした。
「失礼いたしました……王太后陛下が、殿下を厭う理由を、私が代弁することは出来ません。ただ、陛下が殿下を快く思っていないのは、事実です。恐らく、陛下は殿下を王族の席から廃したいとお考えです。そのため、殿下を王宮から追い出して、青花五家のどれかに養子に取らせる予定なのでしょう」
「青花五家って、五つの公爵家、だっけ?」
「正解です。詳細に述べるとすれば、現在の水神王国、貴族の最上位に属する方々です。王太后陛下は、分かりやすい形で、殿下に臣下なってほしいのでしょう。殿下が公爵家の養子となった暁には、私が殿下を殿下と呼ぶことはなくなります」
「じゃあ、これから、私の事はなんて呼ぶの?」
「……ジャンクティード、様、と」
「ジャンクティードって王太后陛下にしか呼ばれたことないから、変な感じ」
ジャンクティードは、苦笑いする。ユーノットとて、彼が王太后に苦手意識を持っていることは知っていた。だから、彼女は少し視線を彷徨わせる。
「……では、ジャン様、と」
意外な呼び方に、ジャンクティードは目を丸くした。
「へ?」
「……如何でしょうか」
ユーノットの真摯な眼差しに、ジャンクティードは狼狽える。
「えっと、」
「お嫌ですか?」
「う、ううん。違うよ。なんて、言ったら良いか、分かんないけど……」
ジャンクティードは、小さな頬を赤くさせ、もじもじと手をいじる。新しく呼ばれた名前を反芻して、心の底から笑顔を浮かべた。
「えへへ……なんか、すっごく、嬉しいや」
彼の様子に、ユーノットは肩の力を抜いた。
「……そうですか」
「うん」
何となく居心地が悪くなったユーノットは、ジャンの笑顔から逃れるように小窓のカーテンを捲った。
「それにしても、まだ水路に……」
ユーノットは、不自然に言葉を区切った。
「?水路って……むぐっ」
唐突に黙り込んだ彼女を不思議に思ったジャンが口を開こうとした瞬間、ユーノットは彼の口元に手を当てた。
「静かに」
ユーノットは小声で告げ、懐からナイフと、水色の液体が入った小瓶を取り出した。彼女は、小瓶の蓋を開け、淡々と言葉を発する。
「神秘奏上、偉大なる神水よ、いと慈悲深き神よ。
神前に清らかなる青を捧げる。
水のしるべを我に許したまえ 身体強化」
彼女が唱えると同時に、水色の液体が塵のように崩れ、青い魔法陣を成型する。魔法陣から放たれた光が、両手足に飛散した。彼女の手の甲と、足の甲に魔法陣が浮かぶ。
彼女は、ジャンを抱きかかえると、躊躇いなく馬車から飛び出した。騒音に気が付いたであろうライが驚愕の眼差しで振り返った。だが、彼女は淑女とは思えぬ速さで、森を駆け抜けていく。ライは慌てて馬を止めた。
「ちっ」
ライは舌打ちをして、馬車に繋がれた箇所を切断し、馬で森を駆ける。
(使い魔を飛ばす余裕はない。状況は最悪ですね)
ユーノットは息を切らしながら、木々の影にジャンを下した。ジャンは、不安げに彼女を見上げる。
「ユーノット?どうしたの?」
ユーノットは振り返ることなく、淡々と答えた。
「刺客です。殿下の敵です」
「え?」
「殿下。水辺を見つけて、飛び込んでくださいませ。
きっと、水神様が、あなたを守って下さいます」
「ユーノットは、?」
「私は後から参ります」
「でも、」
遠くから聞こえてくる馬の足音に、ジャンは身を固くする。ユーノットは、努めて平常通りに声をかけた。
「殿下。私が、あなたに嘘をついたことがございますか?」
それを聞いて、ジャンは泣きそうになりながら走った。
ジャンの遠ざかる気配にユーノットは安堵し、敵の注意を引くべく小石を投げた。案の定、純白の騎士服を身に纏ったライが現れる。ユーノットは冷淡な視線を向けた。
「水神王国内で、最も安全な移動手段は、水神様の加護ある水路です。何故、王都外を馬車で……そもそも、殿下をどちらへお連れするつもりですか、フリッサ卿」
「もちろん、永遠の花畑ですよ。家庭教師殿」
死を暗示する王国独特の言い回し。ユーノットはナイフを構える。
「失望しました」
「はてさて、殿下の暗殺をですかな。それとも、あなたの脆弱さに、ですかな」
ライは肩をすくめ、躊躇うことなく剣を振り下ろした。体格差がありながらも、身体強化魔法のおかげで、ユーノットは受け止める。ライは彼女を嘲笑う。
「身体強化は、瞬間的な発動が鉄則。長時間使い続けると、死にますよ、家庭教師殿」
彼の言葉通り、彼女の目から血涙が流れる。だが、彼女は平然と答えた。
「ご心配なく。私、ルーラ王女世代なので」
「っはは、あの歩く災害ですか。あれを、王女と称えるだなんて、奇怪な方だ」
「ルーラ様は、水神様の血を受け継いでいらっしゃる正統な王族です。ジャンクティード王弟殿下も、同様に」
王弟殿下、という単語を聞いてライの瞳が鋭くなる。
「その名、虫唾が走る」
「っ!!!」
必死に善戦していたユーノットだったが、騎士の練度には敵わない。ナイフを折られた彼女、あっけなく大木に叩きつけられた。
「が、はっ……!」
衝撃のせいで、身体強化魔法が解除される。ユーノットは、大量の血を吐きながら体を丸める。ライはその姿を鼻で笑い、王弟を探すべく背を向けた。
真っ白に靡くマントに、ユーノットは冷ややかな声をかけた。
「王弟殿下の髪色と、顔立ちは、第七側妃様のもの」
その言葉に、ライは思わず足を止めた。ユーノットは、嘲笑うかのように言葉を紡ぐ。
「あなたは、第七側妃ジーン様を愛してなど、いらっしゃらない」
「……れ」
「あなたは、ただ、ジーン様に捨てられた哀れな自分に、酔いしれているだけだ」
「黙れ!!!」
ライはなりふり構わず、ユーノットの首を掴み上げる。ぎりぎりと締め付ける手に、ユーノットは関心を示さない。彼女は更にライを侮辱する。
「いつまでも、過去に拘る、見苦しい男。
さっさと、他の女性と結婚してしまえば良かったのに」
頭に血が上ったライは、彼女を地面に叩きつけた。銀色の刃の輝き。ユーノットは、自らの最期を悲観しなかった。
(殿下は、深紅のお前を、信じない。私の、勝ちだ)
ほくそ笑む彼女に、ライは感情のまま剣を振り下ろした。何度も、何度も、真っ白な騎士服が深紅に染まるまで。
「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れェェェェェエエエエエ!」
ライは肩で息をする。最早、ユーノットの原型を留めていない物体を、虚ろな瞳で見下ろした。そして、狂ったように笑う。
「っくく、あは、あはははははは……あぁ、探さねば。あの忌々しい餓鬼を」
その頃、ジャンは崖下の川を見下ろしていた。
(水、あったけど、ここから飛び降りるの、?む、むり、怖いよ。絶対、無理だよ)
ジャンは足がすくみ、涙目を浮かべていた。やがて、草木が揺れ、ジャンは物音に驚いて振り返る。
「あ!ラ、イ……っ」
ジャンは見知った顔に安心しかけたが、深紅に染まったライの姿に絶句する。ジャンは恐怖を感じて後ずさる。しかし、すぐ真後ろが崖だと思い出して固まった。
「殿下ぁ、どこに行こうというのですか」
「ひっ、」
甘ったるい不気味な優しい声に、ジャンは怯えた。ライは、安心させるように、ゆったりとした仕草で手を差し出す。
「そちらは、危ないですよ。さぁ、こちらへ」
「ユーノット、は?」
「あれは、王太后の回し者です。殿下の味方ではございませんでした。
しかし、ご安心を。私だけは、殿下の味方です。さぁ、早くこちらへ」
ぽたぽたと、赤い滴がライの手から落ちる。ジャンはユーノットが最後にかけてくれた言葉を思い出す。
『殿下。私が、あなたに嘘をついたことがございますか』
「……うそつき」
ジャンは小さく呟くと、勢いよく崖から飛び降りた。ライは予想外の事態に慄き、遅れて手を伸ばすが届かない。どぼんっと水面に落ちる音がした。
ライは、悔し気に、地面を拳で殴りつけた。
「……あぁ、すまない。もう少しで、君の仇を取れたのに。
すまない、ジーン。未熟な私を、どうか、許してくれ」