神眼とは
「お前、教養が高いな。六年間、失踪していた幼子とは、とても思えない」
ルーラは、自分手製の問題用紙を眺めながら呟いた。感心を滲ませた言葉に、ジャンは首を傾げる。
「そうなの? 」
「あぁ」
王立学院は王族や貴族ならば、誰でも試験無しで入学可能だ。入学試験とは、平民の為に存在し、文字の読み書きと面談さえ合格すれば問題ない。しかし、王族や貴族は、平民の上に立つ者の責務として、入学前に、必要最低限の教養を身に付けなければならない。
ルーラはジャンの学習状況を確認するため、自分手製の問題をジャンに回答させた。その結果、ジャンの知識量は、一般貴族子息に達していることが判明。
「七歳の生誕日は、成長を祝うと共に、貴族教育の開始を意味する。私だって、文字を覚えたのは七歳からだ」
ルーラの視線が、ジャンから離れて座るハサに向けられた。ハサの手元には、ミミズの這ったような文字が羅列する。慣れない文字の練習に、ハサは低く唸りながら書き続けていた。ハサの正面に立つ老齢の執事は、朗らかな笑みを浮かべる。
「御令息様、『あ』と『ま』は、異なる文字です。こちらが、『ま』でございます」
「……同じじゃねぇか」
「違います。よく観察して下さい。ほら、点の位置が違うでしょう? 」
「……ちっ」
「御令息様、舌打ちはいけません。相手が不快な気持ちになってしまいます。じいやも、とても悲しいです」
執事は、よよよ、と分かりやすい泣き真似をする。ハサは苛立たしそうに唸った。それでも舌打ちは我慢しているので、物凄い進歩である。
ルーラは、再びジャンに視線を戻した。
「あれが、一般的な貴族の七歳児だ」
「なるほど? 」
姉の言葉に、ジャンは妙に納得してしまった。ルーラは、もう一度、ジャンが回答した問題用紙に目を通す。
(七歳で、既に入学に必要な学力を身に付けている。母上は、ジャンの教育を疎かにしたわけではない。だが、ジャンの教養の高さは、予め、王族離脱を考えていたとも取れる。母上は、ジャンが赤子の時から、ジャンを臣下にする気だったのか? )
ルーラの脳裏に、厳かな母親の姿が浮かぶ。ルーラは娘として、母と気軽に接したことはない。常に、王女と王妃の関係だった。それは、ルーラの兄姉も、ルーラと同様のことが言える。
(やはり、母上は老いた。昔であれば、幼子を城から追い出すことが、どれだけ短慮なのか理解しただろうに)
母親たる王太后に対して、ルーラは低評価を下した。。その様子に、ジャンが不思議そうな顔をする。
「姉上? 」
「ん? ……あぁ、気にするな。それより、魔法訓練をしようか」
ルーラは何事も無かったかのように振舞う。ジャンは、懐かしい言葉に顔を綻ばせた。
「魔法訓練っ」
「そういえば、お前、向こうで初級の魔法を使えていたな」
「……え? 」
ジャンは、ルーラの発言に耳を疑った。ルーラの示す、向こうとは、ジャンとハサが育った人間の最下層である。しかし、ジャンは、一度もルーラの前で聖なる水を触媒とした魔法を使ったことは無い。ジャンは顔色を悪くする。
(勝手に医者してたこと、バレた? でも、直接見られたわけじゃないし。まだ、誤魔化せる余地はある、はずっ)
覚悟を決めたジャンは、勢いよく顔を上げた。
「お、俺っ」
「日常的に治療魔法を使っていたなら、魔法関連は入学に支障ないな」
(……姉上の中で、確定情報になってる、! )
勝手に百面相し始めたジャンに、ルーラは疑問符を浮かべた。
「どうした? 」
「……あの、どうして、俺が魔法使ってたこと、知ってるの? 」
「見た」
ルーラは、あっけらかんと言い放つ。ジャンは肩を落とした。姉が自信を持って宣言したことを、ジャンは覆せるとは思わなかった。ただ、ジャンは、何故ルーラが断言出来るのか、という理由は知らない。その時点で、ルーラは一つの食い違いに気が付いた。
「お前、神眼を知っているか? 」
「……メアリーお姉様が言ってたような? 」
「……メアリーアンネは、お前の姪だが? 」
「…………仲良くさせられたというか、何というか」
薄ら笑いのジャンを、ルーラは不思議に思いながらも、特に関心は抱かなかったらしい。すぐに本題に戻った。ルーラは、自分の青い目を指差す。
「青は、水神の象徴だ。故に、青い目は、水神の眼とも称される。他国の王族にも、その国が信仰する神の眼が存在する。神眼は、各神の眼を持つ者に対する総称だ。現在、水神王国では、お前と私、兄上とメアリーアンネだけが神眼を持つ」
ルーラの説明を聞いて、ジャンは、メアリーアンネの言葉を思い出した。
『あなたは、生きてるだけで価値がありますのよ。
刻印天使、神眼。これらは、喜ばしいことに、第一王子は持ち合わせておりません』
メアリーアンネの柔和な声が、ジャンの耳に纏わりつく。ジャンが考えるよりも、メアリーアンネにとって、ジャンは有益な存在なのだ。それを理解したジャンは、メアリーアンネに対する信用度を上げる。ジャンは苦笑した。
「希少価値高いね、俺達」
詰まるところ、それなのだ。ルーラは肩をすくめる。
「まぁな。神眼は魔眼効果を無効にする他、あらゆる魔力が見える。生き物が持つ魔力も、聖なる水に宿る魔力も、お前が見えている世界は、常人には見えない」
ただの聖なる水は、ジャンには、色の付いた魔力の塊に見える。だが、神眼を持ち合わせていない者には、色の付いた水にしか見えない。ジャンは、初めて知る事実に目を丸くした。
「……知らなかった」
「私達しか、見えていない世界だからな。神眼で、目を凝らせば、この屋敷全体に存在する魔力保持者が見えるぞ。それは、要訓練だな。日頃から、意識して魔力を見ておけ」
「うん」
ルーラの教えに、ジャンは素直に頷いた。ふと、先ほどの会話で、ジャンは聞き慣れない言葉が気になった。ジャンは改めて姉に尋ねる。
「ねぇ、姉上。魔眼って、何? 」
「魔力の突然変異とも呼ばれる。先天的に、目に一定の魔法が発動した状態だ。魔法効果は色々あるが、相手を死に至らしめる効果は無い。厄介なのは、読心系と、魅了だが……神眼を持つ私達には関係ないさ」
神眼は、先ほどルーラが説明した通り、魔眼効果を無効化する。逆に言えば、魔眼は、神眼を持ち合わせていない大多数に影響を及ぼすということだ。ジャンは顔色を変えた。
「……魔眼って、普通はまずい? 」
不安そうな眼差しを受けて、ルーラは少し考え込む。
「お前、悪女って知っているか? 」
「神王歴二千年に処刑された女の人? 」
「そう。そいつ、魅了の魔眼を持っていたんだと。で、当時の王子連中を手玉に取って、国を滅ぼしかけた、と」
あっさりと告げられた水神王国、最大の内戦。この出来事をきっかけに、一名の女性だけを愛することが王族の禁忌となり、二名以上の妻を持つことが、義務付けられた。その影響を受けて、高位貴族の者達も、正妻と側妻を持つことが暗黙の了解となっている。
水神王国の黒歴史に、ジャンは呆れて仕方なかった。
「神眼を持ってなかったの、その王子達」
「どうだろうな。しかし、持っていようが持っていまいが、王子の周囲が魅了されれば苦言を呈する奴がいなくなる。結果的に、誰も止めることが無い、国を巻き込んだ修羅場が出来上がる」
修羅場とは、不倫や浮気などで、ありふれた言葉だが、当時は身内同士の殺し合いである。たった一つの愛の為に、振り回された民が哀れだ。この内戦は、争った二名の王子が戦死し、彼らの弟が王位を継いで閉幕となった。
勿論、全ての憎悪は、二名の王子が愛した女に向けられる。彼女は、歴史上最大の悪女として、処刑されてしまった。その物語は、様々な解釈や憶測が付け加えられて、今も語り継がれている。かつて、北の離宮で、ジャンが所持していたトットの本も、それが題材となっている小説がある。七名の男性に愛された女性の物語だ。
ジャンは、昔読んだ悲しい恋愛小説を思い出しつつ、身震いした。
「……魅了の魔眼、怖い」
内戦の事実はどうあれ、魅了の魔眼の恐ろしさをジャンは痛感してしまう。そんなジャンに気を使うことなく、ルーラは言葉を重ねた。
「今は誰も持っていないらしいがな。あぁ、お前の母親、魅了の魔眼持ちだったぞ。確か、いつも、右目に眼帯をしていたはずだ」
その一言に、ジャンは目が点になる。
「……俺達の父親って、神眼? 」
「あぁ」
(じゃあ、父親が悪いじゃん)
ジャンの父親、先代神王が、神眼を持っていたのならば、魅了の魔眼を持つジーン側妃に誘われた訳ではない。多数の妻を持った父親に、落ち度しかないと理解し、ジャンは何とも言えない気持ちになる。そして、件の男を哀れに感じた。
「ライって、魅了にかかってたと思う? 」
「多少はかかっていたと思うぞ。だが、ジーン側妃亡き後は、魅了が解けているはずだから、事件は本人の自業自得だ」
ルーラは客観的事実を述べた。魔眼も神眼も、所持者が存命中に限り機能する。そのことに、ジャンは悲し気な溜息をついた。
「……そっか」
魅了が解けても、ライは愛する者を奪った男を憎み続けた。その男の血を引き、実母の命と引き換えに生まれた子も、ライは憎み続けた。
(……仮に俺を殺したとして、ライの心は満足したのかな? )
その問いに、答える声は既に失われている。ジャンは困ったように微笑むと、知恵熱で唸るハサの元に歩み寄った。
「ハサ。そろそろ休憩しよっ。俺、お菓子食べたい」
「あぁ? 」
ジャンの呼びかけに、ハサが不機嫌な声を上げた。彼の返事の代わりに、執事が恭しく御辞儀をする。
「では、ご用意いたします。お菓子のご要望はありますか? 」
執事の優しい声音に、ジャンは晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。
「クッキーがいいな。青いやつ」
「青、ですか? 畏まりました」
執事の中で、青い果実が連想されるが、料理は彼の仕事ではない。早々に、お菓子の中身は、料理人に任せると決めて、執事は退出した。家庭教師がいなくなって、ハサは机の上に寝そべる。
「……文字、うぜぇ」
愚痴を零すハサに、ジャンは微笑む。ジャンは、彼の艶やかな黒髪を撫でた。
「まぁまぁ。頑張って覚えたら、いつか、本も読めるようになるって」
「……おう」
その後、青いクッキーと、果肉が大量に載せられたトーストが、彼らの前に並ぶ。ジャンとハサは思い思いに平らげて、また課題に取り掛かった。