新たな生活
翌朝、ジャンとハサは、セツナの声に起こされた。
「おはようございます。閣下、ハサ殿」
ジャンは、目を擦りながら起き上がる。その隣で寝ていたハサは、不機嫌そうに目を開けた。
「ん……おはよう、セツナ」
「……朝、? 」
「はい、朝でございます。本来なら、侍女の仕事ですが、閣下の精神面を考慮して、私が対応することになりました」
騎士服姿のセツナが、慇懃丁寧に御辞儀をする。ジャンとしても、その配慮は有難かった。
「そっか。……よろしく、セツナ」
「はい。よろしくお願いいたします」
セツナは、丁寧に朝の紅茶を淹れた。ジャンとハサが、眠気眼で紅茶を受け取る。その間に、セツナが淡々と今日の予定を話し始めた。
「午前は、使用人達の紹介を予定しております。朝食が済み次第、順次行いましょう。午後は、王宮から使者が来訪予定です」
「使者? なんで? 」
「恐らく、金品の支給と、北の離宮にある閣下の私物かと」
「あぁ」
昨日、様々な出来事が一気に押し寄せて、神王の発言が薄れていたことにジャンは気が付いた。ジャンは、物思いにふける。
(結局、何で、ブルーム大公家が青花五家の一員になったのか、全然分かんないんだよね。ラベープル公爵家って、何したんだろう)
古来より存続してきた青花五家の一つ、ラベープル公爵家。それが、ジャンの知らない間に消滅していた。ジャンは不思議に思って、セツナを見上げた。
「ねぇ、セツナ」
「はい」
「ラベー……」
「黙秘します」
ばっさりと言葉を遮られたジャンは目を瞬いた。セツナは無表情で、雰囲気は通常と大差ない。しかし、彼女が、ジャンの質問を遮ったのは、これが初めてであった。ジャンは決まりが悪そうに紅茶を飲む。
(……聞かない方が良い話かな、これ)
ジャンは、一旦、ラベープル公爵家の話は封印することにした。
「姉上って、いつまで王都にいるの? 」
「夫に呼び出されるまで、だが? 」
朝食の席で、ルーラは、あっけらかんと答えた。明確な期日を求めるように、ジャンはデボンを見るが、彼は力なく首を横に振った。ジャンは、改めてルーラを見つめる。
「それって、すぐ? 」
「今までの所感だと、一年は呼び出されないな。少なくとも、お前の十四の祝いにはいるよ」
そう言うと、ルーラは優雅にデザートを堪能する。ジャンは首を傾げていた。
「お祝い? 」
今度は、ルーラが目を丸くした。
「何だ、知らないのか。七歳と、十四歳の子どもは、身内が祝ってやるものだ。よくもまぁ、この年まで無事に生きたな、と」
「……本当に、よく生きてたね、俺」
しみじみとした呟きに、デボンが咳き込む。特に重々しい空気ではなかったが、デボンは慌てて話題を変えた。
「そうだ! 私達が滞在中は、閣下達の王立学院入学準備を手伝いましょうよ! 勉強とか、剣術とか! ねぇ、姫様!! 」
「元より、そのつもりだったが」
「ですよね!? 申し訳ございませんでした!! 」
(……っるせぇ)
朝から騒がしいデボンに、ハサは不機嫌さを隠そうとしない。ハサは、相変わらず、低血圧であった。
使用人の紹介も無事終えたところで、ジャンとハサは、訓練の為に設計された大広間に呼び出された。通称、大公家の訓練場である。
「……んだ、これ」
ハサの視線の先には、不透明な宝石が複数付いた器具があった。ルーラが、快く説明する。
「魔反応石を組み込んだ、魔力適性測定器だ。ジャンは、見たことあるか? 」
「うん。魔法教わる前に、やった」
「そうか。では、試しにやって見せろ」
「はーい」
ジャンは、意気揚々と道具に手を翳した。青色の宝石が十個、緑色の宝石が五個、黄色の宝石が五個、光った。その結果を見て、デボンが驚きの声を上げる。
「うわっ、流石、王族ですね。青が全部輝くの、初めて見ました! 」
デボンの歓声に、ルーラは眉をひそめた。
「当たり前だろうが。我らは、魔法界最高峰の、神話級魔法を扱うんだぞ」
「ですよね!? 申し訳ございません!! 」
デボンの謝罪を無視して、ルーラはハサを見た。
「次、黒猫。やってみろ」
「いや、どうすんだよ、これ」
「手を載せればいい」
ルーラの指示に従って、ハサは恐る恐る道具に手を載せた。光ったのは、青色の宝石一個だけだ。何とも言えない空気が漂う。
「……これ、どうなんだ? 」
「水は出せるよ、ちょっとだけ」
ジャンの身振り手振りに、ハサは顔をしかめた。止めを刺すように、ルーラが言い放つ。
「魔法士は、適性がないな。諦めろ」
「うぐ……っ」
「いや、でも、ほら! 平民って、魔法使えないのが、当たり前だから、ね!? 落ち込むことないって! ね!? 」
デボンの必死の慰めが、ハサの自尊心を傷つける。その間に、ルーラは、再度測定結果を眺めた。
(風の適性ぐらいはあると思ったが……まぁ、いいか)
ルーラは、愉快気に微笑み、真っ白なマントを靡かせる。彼女は尊大にハサを見下ろした。
「よく聞け、黒猫。お前は、ジャンの片翼だ。
お前が魔法を使えなくとも、ジャンがお前に魔法を付与してやることは出来る。
むしろ、それが刻印天使の本領発揮だ。
お前は、ただ、ひたすら、騎士としての技術を高めればいい。
お前が強ければ強いほど、ジャンが付与した魔法が生きる」
「! ……わかった」
ハサは、力強く頷いた。その反応に、ルーラは満足げに頷く。
「では、早速、体を鍛えるか。幼子どもの実力を知りたいから、デボン少年。
相手をしろ」
「御意」
模擬戦闘の結果、デボンは、ハサに呆気なく叩きのめされた。ハサは、尻餅をついたデボンの胸倉を掴みつつ、首筋に木剣を向ける。
「……てめぇ、もっと、本気出せや」
「ガラが悪いっ!!
なんか、もっと、こう、大人しい子じゃなかったですか!? ねぇ!? 」
デボンは、潔く両手を上げた。その光景に、観戦していたジャンは苦笑した。
(ハサ、子猫みたいに大人しかったもんね)
元来、最下層で生き延びてきたハサの雰囲気は刺々しい。だが、旅の間、ジャンの様子から、セツナやルーラに対して警戒心を完全に解いていた。その為、最下層で培ってきた殺気が、今、復活しただけである。
「止まれ、黒猫。お前が、デボン少年より強いのは理解した」
「姫様っ!? 」
仮にも、王立学院の騎士科を上位成績で卒業したデボンである。子どもに負けた事実を、容赦なく突き付けられて泣きそうであった。
ルーラの制止に、ハサは舌打ちしながら、デボンの胸倉を乱暴に離した。涙目のデボンに、ルーラは厳しい声をかける。
「さっさと立て、デボン少年」
「はいっ」
体に染みついているのか、デボンは、上官の命令に、勢いよく立ち上がる。ルーラは、隣にいるジャンを振り返った。
「次、お前の番だ」
「うん」
ジャンは、いそいそと木剣を構える。あまりの不安定さに、デボンは心配になってきた。案の定、ジャンはデボンに届く手前で、ずっこけた。見事な転倒っぷりに、見ていた連中は言葉を無くす。顔面を強打したジャンは呻いた。
「……痛い、っ」
うるうると目を潤ませるジャンに、ハサが瞬時に飛び出した。ジャンの額から、青い血が流れている。ハサは、淡々とルーラを見上げた。
「ジャンの姉ちゃん。こいつ、怪我した」
「あっははははは! 本気でやってそれか! これは傑作だ! 」
ルーラは盛大に腹を抱えて笑った。壁際に控えていたセツナが一歩前に出る。
「プーガル卿。訓練で無ければ、極刑ですよ」
「えっ!? たっ、大変申し訳ございませんでしたぁぁぁあああ!! 」
セツナの忠告に、デボンは、額を地面に擦りつける勢いで土下座する。その間に、笑いを抑えたルーラがジャンに治療魔法をかけてやった。ジャンが頬を緩ませていることに気が付いて、ルーラが不思議そうな顔をする。
「どうした、ジャン」
「えへへ。なんか、治療してもらうの、変な感じがする」
「不快か? 」
「ううん。すっごく、嬉しいよ。ありがとう、姉上」
「そうか」
和やかな姉弟の背景と化したデボンは、ふと我に返る。
(あれ、私、悪くないんじゃ……? )
午前中の適度な訓練を終えると、ジャン達は応接間で、王宮から来た、真っ白な官服の使者と対面していた。卓上には、丁重に積まれた硬貨の山があった。使者は目録を読み上げていく。
「大公閣下と御令息様の養育費、並びに、王弟殿下暗殺未遂・失踪事件の慰謝料として、青玉貨二八二枚・金貨四四二枚、をお持ちいたしました。どうぞ、お納めください。それと、北の離宮にあった閣下の私物も、お運びいたしました。そちらも、どうぞお確かめ下さい」
使者は、恭しく頭を下げると、目録をセツナに渡す。セツナは、その目録をジャンに手渡した。ジャンは食い入るように目録を見て、正面に鎮座した大金と見比べる。水神王家の紋章が刻まれた青い硬貨に、ジャンの表情が強張った。
「……青玉貨、とは? 」
「水神様の爪、と呼ばれる青い鉱石で作られた硬貨です。青玉貨一枚につき、金貨千枚の価値がございます」
使者の丁寧な説明に、ジャンは動揺する。
(最下層でも、鉄貨か銅貨しか見てないよ!? 金貨って何!? )
ジャンは助けを求めるように、隣に腰かけているルーラを見上げた。流石のルーラも、この大金には目を見張っていた。
「多いな。慰謝料分、か? 」
「さようでございます」
ルーラの呟きに、使者が慇懃丁寧に頭を下げる。ルーラは嘆息した。
「ジャン。素直に貰っておけ。一生遊んで暮らせる金額だ」
「な、なんで、そんなに……! 」
「それだけの事件だってことさ。王族の暗殺なんて」
使者が帰った後も、ジャンは唖然としていた。状況がよく呑み込めていないハサは、ジャンの手元を覗き込む。
「……なんか、すげぇのか、これ」
「……ハサ。お金見たことある? 」
「平民が持ってるのは、ある」
「じゃあ、これは? 」
ジャンは、青玉貨と金貨を指差す。ハサは顔をしかめた。
「見たことねぇ」
「だよね!? 良かった! 」
急に振って湧いた巨額の硬貨に、ジャンは憔悴しきっていた。ジャンは、自らを安心させるためにハサに抱き着く。ハサは、硬貨を前にして、首を傾げていた。
「これ、どんだけ、すげぇの? 」
「果物を両手いっぱい買っても、まだまだ買える金額」
「……すげぇな」
幼い会話に、後方で待機していたデボンが何とも言えない顔をしていた。
(我が辺境領を買収しても、お釣りが出てくる金額ですけど……)