晩餐反省会
初日の晩餐は散々で、結局使用人の紹介も中止となった。ジャンは広い寝室の寝台で、ハサと一緒に横になる。
「ハサ、ごはん、美味しかった? 」
「まぁ、そこそこ……」
「雑草ババアのスープと、どっちがいい? 」
「……比べる対象が、おかしいだろ」
「あはは、それもそうだね」
最下層のスープは、生きる為の食事。大公家のスープは、楽しむ為の食事だ。
ジャンは、そっと目を伏せる。
「……ネネコ達、元気かな」
「大丈夫だろ。あいつら、うるせぇし」
「……うん」
寝室には、ジャンとハサの声しか響かない。
「お休み、ハサ」
「……お休み、ジャン」
ボロボロの小屋よりも広い寝台の上で、ジャンとハサは目を閉じた。
主君が寝静まった頃、セツナを除いた大公家の使用人達は、厨房の隅にある、質素な円卓を囲んでいた。物々しい雰囲気で年長の執事が口を開く。
「第七四回使用人会議を始めます。
議題は、閣下と、御令息様の食事について」
執事の発言を受けて、薄藍色の料理服を着た壮年の男性が表情を暗くした。
「……自分の料理、何が駄目だったんでしょうか」
「坊主の料理は旨いよ。自信持てって」
真っ白な庭作業用の服を着た、毛むくじゃらの中年男性は、料理人の背を叩く。真っ白な侍女服の老婆も、それに便乗した。
「そうよ。元王宮料理人でしょ。
ともかく、閣下の食事に肉料理は避けた方が宜しいわ。赤い料理も駄目ね」
執事が神妙な顔で頷いた。
「そうですな。……ところで、ベリーさんは、閣下達と親しい間柄だと聞き及んでおりますが、閣下の食の好みは御存知ですか? 」
「え? あ、ジャン様……えっと、閣下は、!」
突然意見を求められた、使用人最年少メイド見習いのベリーは、慌てて口を開く。
だが、答えようとした瞬間、盛大に腹の虫が鳴った。ベリーは、気恥ずかしさから、苺のように赤く染まった顔を覆う。
(……ご飯食べてなかった、っ! )
沈黙の後、各々動き出した。
「戸棚にクッキーがありましたな」
「あ、自分、晩餐のスープ、温めてきます」
「干し肉、出すか」
「嬢ちゃん、嬢ちゃん。紅茶にジャム入れて飲みな」
男性陣が食糧確保に動く中、朗らかな笑みを浮かべた侍女が、ベリーの元にやって来る。
「ごめんなさいね。みんな、閣下達の御帰還で舞い上がっちゃってて。洗い物ご苦労様、大変だったでしょう? 」
「いえ、あの……ごめんなさいっ」
ベリーは、非常に気まずい思いをした。
質素な円卓で、夜食を食べつつ、一同は雑談に興じる。侍女は、世間話のつもりで、ベリーに話しかけた。
「ベリーさん、前職は何をしてたの? 」
「えっ……あ、その、娼婦でした」
ベリーは、決まりが悪そうに答える。だが、それは杞憂で、侍女は感心したように口元に手をかざした。
「まぁ、ご立派」
「え? 」
「貴族紳士の性教育は、娼婦で始まるのよ。ねぇ、皆さん」
「「ごっふ!! 」」
侍女の生温かい視線に、料理人と庭師はスープで盛大に噎せる。茶色を纏う馬丁姿の初老男性は、素知らぬ顔をして干し肉を食む。執事は、苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「そこで我々を見られても困りますが、否定はしません。
確かに、貴族紳士の性教育は、娼婦の皆様のおかげです。
娼婦を愚弄する輩は、二度と娼館に行かないで欲しいですな」
「御令嬢の中には、何でそんなことも知らないのっていう、温室育ちもいらっしゃるからね。ほんと、娼婦がいないと、男って役に立たないのよねぇ」
侍女の明け透けな物言いに、執事は咳払いする。
「……話を戻しますよ。ベリーさん、閣下の食事は、どのようなものが好ましいと思いますか? 」
「えっと、閣下は、好き嫌いしないと思います。
だから、出された物を美味しく召し上がっていますし。
あぁ、でも。御令息様は、色んな料理に慣れていないので、お二方は同じ料理を出した方が良いと思います」
「参考になります」
ベリーの話を静かに聞いていた料理人は、そっと手を挙げた。
「あの、御令息様って、極東出身で確定ですか? 」
「んー。貧しい生まれだから、親は知らないと仰っていたわ。でも、あの黒髪黒目だと、確実に極東の血が流れているわよね」
侍女はクッキーを片手に答える。聞き慣れない単語に、ベリーは首を傾げた。
「極東? 」
「風神王国のことですな。プーガル辺境伯領の更に東、海を越えた先にある国です」
「あぁ、! 果物美味しいですよねっ」
無邪気に喜ぶベリーに対して、執事は優しく頷いた。
「はい。果物は、かの国の名産品です。御令息様は、果物を好んで召し上がっていたので、好みは極東の方々と似ているのでは? 」
執事の問いかけに、何故か料理人は赤く呆けていた。執事は怪訝な顔で、彼の視線の先を辿る。そこに、果物の話題で微笑むベリーの姿があった。執事は嘆息する。
「……料理人」
「あっ、ハイ。えっと、極東の方なら、酒精は避けますね。あの方々、酒駄目だから」
「良いんじゃない? まだ幼いし」
今日の晩餐で、葡萄酒を嗜んでいたのはルーラだけだ。他の面々を考慮しても、酒を使った料理を避けることに問題はないだろう。執事も頷く。
「他に避けた方が良い、食品はございますか? 」
「んー、辛い物は駄目だった気が……
あ、基本的に肉料理は召し上がらないですね。今日は試しに出しましたけど」
「わかりました。今後、閣下達と辺境伯家御一行様の食事は、別々にいたしましょう」
「了解です」
執事の提案を、料理人は快く引き受けた。その横で、ちびちびスープを味わっていた庭師は、思い出したように声を上げた。
「そういや、閣下の保護者って、誰なんだ? 」
「辺境伯御令室様が後見になりました」
後見の話に、馬丁が眉をひそめる。
「……それ、大丈夫か? 」
「……恐らく」
執事も同じ懸念があるのか、表情を曇らせた。話が見えないベリーは、恐る恐る料理人に尋ねる。
「あの、何か、駄目なんですか? 」
ベリーに見惚れていた料理人は、慌てて背筋を正す。
「あっ、えっと……噂ですけど、閣下の暗殺の首謀者は王太后陛下なんじゃないかって。だから、その娘である辺境伯令室だと心配って言うか」
「実は、首謀者は側妃様じゃないかって噂もある」
「その裏に居るサンソード公爵も、一時期噂されてましたよね」
料理人と庭師の黒い噂話に、ベリーは不安げに目を伏せた。
(ジャンとハサ、大丈夫かしら……)
ジャンとハサは最下層の生活から抜け出せたのに、死と隣り合わせの生活が終わらない。そう感じたベリーは、幼い彼らに庇護欲を芽生えさせていた。
下世話な噂話に気が付いた執事が、料理人と庭師を嗜める。
「これ。新人に、変な噂を吹き込むんじゃありません」
「でも、色んなところで噂されてますよ」
「ま、噂の真偽については、ツェヘナ嬢が……」
「御呼びでしょうか」
「「うぎゃっ!! 」」
背後から突如出現したセツナ。料理人と庭師は、馬鹿みたいに心臓が跳ねた。そんな両名を無視して、侍女が席を立った。
「まぁまぁ、ツェヘナ嬢。遅くまでお疲れ様でございます。ささ、こちらへ」
「ありがとうございます、侍女殿。
皆様、会議の遅参、申し訳ございませんでした。
閣下と、御令息様の就寝を確認いたしました」
執事は、手早く丁寧に、セツナの前に紅茶を置いた。
「いえいえ。こちらこそ、申しわけない。護衛騎士の方に、侍女の役目をさせてしまって」
「お気になさらず」
セツナは、甘味を足すことなく、紅茶を頂いた。その傍らで、侍女が頬に手を当てる。
「やっぱり、しばらくは、ツェヘナ嬢に閣下達のお世話をお願いすべきかしら」
「そうですな。晩餐のこともありますし。閣下の精神保護を最優先にいたしましょう。よろしいですか、ツェヘナ嬢」
「承知いたしました」
セツナの淡々とした受け答えに、年配の二名は微笑んだ。ジャンの精神面の話が出たところで、馬丁がベリーに視線を向ける。
「御令息様は、どうなんだ。そこら辺り」
「……閣下と一緒なら大丈夫だと思います。最下層にいる間は、ずっと同じ小屋に住んでいたって言ってましたから」
「では、お二方が生活に慣れるまでは、同室ということで」
「「異議なし」」
執事の提案に、侍女と馬丁が賛同する。
「……あの、御令息様の話で、少し気になることが」
「何でしょうか」
「彼、悪い子じゃないんですけど、言葉が乱暴と言いますか。あ、でも、閣下は理解しているみたいですよ。御令息様の言いたいこととか」
ベリーの進言に、執事は晩餐の出来事を回想する。
(料理の味が変……という発言は、野菜が果物の味をしていたからでしょうな)
最初に聞いた時、料理が舌に合わなかったのかと、執事は内心焦っていたが、ジャンの対応に救われた。執事は、ベリーに向かって朗らかに微笑む。
「なるほど。留意しておきます」
セツナ登場の衝撃から立ち直った庭師も、軽快に微笑む。
「子どもは、それくらい元気で良いんじゃないか?
ま、反抗期が酷かったら、馬丁に投げるわ。な、退役軍人さん」
「……最善は尽くすが、期待はするな」
退役軍人と称された馬丁は、無愛想に返した。侍女が愛想よくベリーに話しかける。
「逆に、閣下で気になる点は? 」
「……笑顔、ですかね」
「笑顔? 」
同じく衝撃から立ち直った料理人は首を傾げる。ベリーは、困ったように微笑んだ。
「昔は、よく泣いてたんですけど……いつの間にか、ずっと笑顔で。隠すの上手くなっちゃったみたいです」
「そちらは、特に気を付けましょう」
「あ、でも、本当に無理してるなら、ハサが……あ、御令息様が、殴っちゃうと思うので大丈夫です」
「そうですね」
「そうですね?? 」
「あら、まぁ……」
無表情で相槌を打ったセツナに、年配二名が困惑する。執事は慌てて頭を振った。
「いえ、止めます。止めてください、ツェヘナ嬢。暴力はいけません」
「お二方は、刻印天使です。お二方の対話に、外部が介入する道理はございません」
この六年間、主のいない使用人達は交流を深めてきた。そして、セツナが頑固であり、意思を貫くために、あらゆる手段を振りかざすことは、使用人の誰もが知っている。執事は、疲れたように腰を下ろした。
「……さようでございますか」
会話が途切れたところで、侍女が両手を叩く。
「さて、明日も早いし。この辺りで解散しましょ」
「だな」
「ささ、ベリーさん。残り湯で、湯浴みしちゃいましょ」
「は、はい」
「あっ、自分は、朝食の仕込みやってきます」
「では、私は夜警に赴きます」
結局、質素な円卓に取り残されたのは、庭師と執事である。庭師は、執事の肩に手を置いた。
「晩酌すっか、じいさん」
「……一杯だけなら」
こうして、使用人達の夜は更けていった。