兄と妹
神王歴5045年 夏の中月
「到着? 」
「はい。王都ブロッサムに到着いたしました」
紺色の騎士服を身に纏ったセツナの言葉に、青い礼服を着せられたジャンは船外を見渡した。そこには、水の都と表せるような光景が広がっていた。至る所に、神々しい青い水が流れている。その源流は、白亜と群青に彩られた、格式高い城だ。
(あれが、王宮かな? )
恐れつつも、懐かしく思える城に、ジャンは浮足立つ。灰色の礼服を着せられたハサは、大勢の人々がごった返す様子に面食らっていた。
(……辺境伯んとこより、すげぇ人いる)
一行が船着き場に到着すると、真っ白な執事服を着た好々爺が出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。ブルーム大公閣下、プーガル師団長」
「誰だ、貴様は」
「ブルーム大公家の執事でございます」
ルーラは、セツナを振り返る。セツナが頷くのを確認して、ルーラは堂々と船を降りた。その後に、ジャン達が続く。大公家の執事は、ジャンの存在を認めると恭しく頭を下げた。
「長らくお待ちしておりました、閣下」
「え、なんか、ごめん」
「いいえ。閣下が謝ることではありません。こちらは……? 」
「俺の養子、ハサだよ」
ジャンの発言に、執事は目を点にする。だが、長年の経験から素早く立ち直ると、ハサにも恭しく接した。
「大公家の執事でございます。以後お見知りおきを」
「は、はい……」
何の躊躇いもなく丁重に扱われ、ハサは戸惑いを隠せない。そんなハサの態度に、執事は穏やかな笑みを浮かべた。
「御令息様。どうぞ、私の事は、じいや、と御呼び下さいませ」
「じ、じいや? 」
「はい、じいや、です」
「俺も、じいやって呼んでいい? 」
「勿論でございます、閣下」
執事は、ニコニコとしながら、ジャンとハサを見つめた。和やかな雰囲気を、ルーラが、ばっさりと断ち切る。
「歓談中悪いが、こいつらは先に兄上と面会だ。そっちのメイド見習いと、うちのデボン少年を大公家に連れて行ってくれ」
「承知致しました」
執事は、恭しくお辞儀をすると、指名された二人の元へ向かった。そして、ルーラは口角を上げながら、真っ白いマントを靡かせる。
「覚悟はいいか、幼子ども。
これからお前達が会うのは、我が兄上で、
水神王国最大の権力者 リオクスティード神王陛下だ。
言動には最大限気を付けろ、不敬罪で殺されるなよ」
((……マジか))
ルーラの脅しに戦々恐々とするジャンとハサ。あれよあれよと豪華絢爛な馬車に乗せられ、気が付けば、煌びやかな扉の前に立っていた。ジャンは、今すぐにでもハサの背中に隠れたい気分だ。
(怖いよう、どうしよう、話通じなかったらどうしよう)
「……ジャンの姉ちゃん、何だよ、その箱」
「ん? 兄上達のお土産」
平然と宣うルーラに絶句する子ども達。散々、自分達を脅しておいて、この有様なのだから、両名は緊張がほぐれてしまった。
(いや、まぁ……礼儀は気を付けるけども)
(……ジャンの姉ちゃんいたら、大丈夫な気がしてきた)
ルーラは、扉の前に立つ紺色の騎士に声をかける。
「第五師団 師団長 ルーラ・プーガルだ。ブルーム大公閣下と令息をお連れした」
「……はっ、お待ちしておりました。どうぞっ」
数字の一と描かれた紋章の騎士は頬を赤らめながら、煌びやかな扉を開いた。
広々とした部屋の中には、青い礼服を着た男女が鎮座している。一番奥に、水色の髪をした美青年。その左右に、淡い金髪の美女と、濃紺の髪の女性が座っていた。
ジャンは、思わず、淡い金髪女性の胸元を凝視してしまう。
(たわわ……たわわに実った果実がある。
何をどうしたら、そんなに豊かな果樹園になるの、? )
治療で女性の胸は見慣れていたジャンが、つい見入ってしまうほどの豊かな胸が、淡い金髪女性にあった。急に立ち止まるジャンに、ハサは小さく声をかける。
「ジャン」
「っあ」
低い声音のハサに、ジャンは慌てて我に返る。だが、ハサの視線は、濃紺の髪をした女性に向いていた。ジャンも釣られて視線を向けると、苦々しくジャン達を見ている。しかし、嫌な視線は、ジャンやハサとも絡みあわない。視線は彼らを通り過ぎて、後方のセツナに向けられていた。ジャンは不思議そうな顔をする。
(あの女性、セツナのこと、嫌いなの? )
ジャン達の入室を確認し、騎士は静かに扉を閉めた。水色の髪をした青年が口を開く前に、ルーラは抱えていた箱を卓上に叩きつけた。
「そら、お土産だ。兄上、奥方達」
ルーラが蓋を取った瞬間、腐乱臭が広がった。
「「っ……! 」」
「「……ひっ!? 」」
ジャンとハサは顔を歪める。そして、女性達は細い悲鳴を上げて気絶した。それらの光景に、水色の髪をした美青年、神王リオクスティードは眉間の皺を揉んだ。
「……近衛、妻達を別室へ連れていけ」
「「御意」」
リオクスティードの声に、数人の騎士達と侍女が入室する。だが、侍女は箱の中身を見て悲鳴を上げる。
「きゃぁぁあああ!! 生首!! 」
ルーラの土産は、ライ・フリッサの生首だった。侍女の悲鳴に、リオクスティードは眉間の皺を深くする。
「近衛」
「は、はい! 直ちに! 」
侍女も、神王の妻達も、慌ただしく部屋から連れ出された後、リオクスティードは溜息をついた。
「……ルーラ」
「いや、有名な大罪人だから、みんな見たいかと思って」
「お前に気遣いを求めるのは間違いだと思うが……どうして、そう……」
リオクスティードは深く長々と溜息をついた。その様子を見ていたジャンは、密かに安堵する。
(陛下、すごく、良い方かもしれない)
肺が文字通り空になる程、溜息をついた神王は、疲れたようにルーラを見た。
「……淑女と子どもの前に、生首を晒すんじゃない」
「あいつら、王位争いをしてるんじゃなかったか? この程度で気絶してどうする」
「お前は、どうしてそう血生臭いのだ。余の妻達は、温室育ちの淑女だ。死体なぞ、見慣れていない。そして、王位の為に、死体は作らない」
神王の発言を、ルーラは鼻で笑った。
「兄上は、見通しが甘いんじゃないか?
でなければ、弟の暗殺未遂事件なぞ、起こるものか」
兄と妹、青い目が睨みあう。
「……ユーノット・カーリットは、お前の友だったな」
「え? 」
神王から発せられた名前に、ジャンは戸惑いを隠せない。だが、ルーラは平然と受け止めていた。
「さぁな。四年間、同室ではあったさ」
青い目が錯綜する。神王はルーラから、そっと視線を外すと、ジャンを見た。
「……ジャンクティード、よくぞ帰還した。
お前には、大公の座と、青花五家の座を与える。あぁ、養育費と慰謝料も贈る。
もう、下がっていいぞ」
「え? あ、はい……え? 青花五家!? 何で!? 」
「ラベープル公爵家は消えた。代わりに、ブルーム大公家が入る。それだけだ」
簡潔過ぎる答えに、ジャンは言葉を失った。
(えぇ? どういうこと? )
「幼子ども。私は、兄上と話がある。先に戻っていろ」
温度のない声に、ジャンは怯えつつも、素直に受け入れた。
「し、失礼します」
ジャンはハサの手を掴むと、セツナを伴って速やかに部屋を出た。
兄妹だけの室内で、ルーラは尊大に椅子に腰かける。そんな彼女に対して、兄リオクスティードは沈痛な面持ちで口を開いた。
「……お前は、私を恨むか? 」
「兄上こそ、これは、友だったのだろう? 」
ルーラは、生首を顎で示す。リオクスティードは、何とも言えない表情を浮かべた。
「……お前、私の交友関係に興味があったのか? 」
「いいや。書類で知った。王弟暗殺未遂の大罪人だ。辺境の第五師団にも情報は流れてくるさ」
ルーラの言葉を聞いて、リオクスティードは力なく目を閉じた。瞼に焼き付いた光景は、木剣を構える学生服姿の、彼とライ。両名は、同級生だった。やがて、リオクスティードは、ゆっくりと目を開けた。
「……私は、騎士科の二番手だった」
「ならば、好敵手か」
「……さぁな。もう、分からんよ」
リオクスティードは、悲し気に俯く。そして、ぽつぽつと語り始めた。
「最後に会ったのは、ジーン側妃が、父上に手を出された直後だ。
数か月経って、妊娠の兆しが無ければ、ジーン側妃は解放される」
「だが、彼女は、第二王子を身籠った」
ルーラの相槌に、リオクスティードは言葉を重ねた。
「思えば、あの時から、もう駄目だったのかもしれんな」
乾いた笑みが、リオクスティードから零れた。
ライとジーンが恋人関係だったのは、リオクスティードも知っている。
愛する者を奪われたライの嘆きを、同級生である彼が、どのように救ってやれたというのか。ライ・フリッサを絶望の淵に追いやったのは、リオクスティードの父親だというのに。
そんな兄を全く気遣うことなく、ルーラが畳みかけた。
「法律上、父上とジーン側妃の婚姻は問題なかったのだろう?
当時、ジーン側妃に配偶者は愚か、婚約者がいなかったのだから」
ルーラの言葉は、事実である。当時、ジーンはライと恋人関係にあったが、婚約はしていなかった。互いに王立学院を卒業していたにも関わらずに、だ。
「……予想だが、ジーン側妃は平民だったから、フリッサ男爵家側が受け入れなかったのかもしれん」
「貴族最下位の男爵家に平民が嫁ぐのは、珍しくもないだろうに」
「フリッサ男爵家は、ラベープル系統の家だ。伝統を順守していても、不自然ではない」
「伝統を守って、女を寝取られたのか……無様だな」
「ルーラ」
「事実だ」
兄の叱責を、ルーラは飄々と受け流す。彼女の目は冷めきっていた。
「我が国の法に則って、私は、大罪人を処刑した。それだけだ」
私情はない。暗に告げる彼女に対して、リオクスティードは追及しなかった。むしろ、堂々とした王族の態度に、リオクスティードは苦笑する。
「……お前の方が、神王に向いている」
兄の弱音を、妹は鼻で笑った。
「たかだか、二十一歳で王位を継いだくらいで何だ。父上は五歳で即位されたらしいじゃないか」
「父上には母上がいただろう」
「さもありなん」
脆弱な王を支え続けた献身な王妃。彼女がいなければ、先王は賢王と讃えられることもなかっただろう。そんな彼女も老いた。兄妹は、帰還した末の弟を想う。
「……ライは、何か吐いたか? 」
真摯な兄の問いかけに、ルーラは肩をすくめる。
「父上や王弟に対する恨み言と、ジーン側妃への愛、しか叫んでいないぞ。
正直、ラベープルの件には関係ないと思うな。
単純に、我らの事件摘発に合わせて、行動したに過ぎないよ」
「だが、それだと、ライが六年間逃げおおせた説明がつかない」
青い目が絡み合う。
「……兄上の見立ては? 」
「黒幕が、捕まっていないだろう。ラベープル公爵は、贄だ」
兄の発言を、ルーラは豪快に笑い飛ばした。
「青花五家の公爵を、贄にする輩が、我が国にいると申すか」
「……いたら、どうする? 」
瞬間、ルーラは生首を叩き潰した。赤黒い欠片が、四方に飛び散る。ルーラは、微かな笑みを浮かべた。
「神を愚弄した罪、その身で贖ってもらうさ」
あっけなく姿形も無くなった彼に、リオクスティードは心の中で追悼した。そして、彼に対する情を押し殺して、呆れたように妹を見る。
「……ルーラ、部屋を汚すんじゃない」
「ん? あぁ、すまん」
器用に真っ白い騎士服を汚さない妹に、リオクスティードは深い溜息をついた。
「全く、嫁に行っても、お前は変わらんな。少しは、アイラを見習ったらどうだ」
「いやー、ベリーパイより甘い連中になるのは御免だ。胸やけする」
「……否定はしない」
「だろう? 」