砂糖で煮詰めた果肉、美味しい
丸一日も外の景色を眺めていれば、流石に飽きるもので、ジャンとハサは用意された船室に引っ込んでいた。最初は、ふかふか毛布を楽しんだり、豪華な調度品に気後れしていたが、やはりそれも飽きてきた。両名は、広い寝台で寝転びながら顔を見合わせる。
「暇だし、勉強する? 」
「……まぁ、俺、何も知らねえしな」
「あぁ、ごめんごめん。そういう意味で言ったんじゃないよ。俺、歴史とか魔法とかは詳しいけど、貴族の常識は、ほとんど知らないんだ」
ジャンは、外の世界のことを本でしか知らない。北の離宮では、家庭教師たるユーノットが勉学は教えていたが、貴族の交流とは毛色が違う。
「んじゃ、どうすんだよ」
「お話しよう」
「誰と? 」
「偉い奴と」
そういうわけで、ジャンとハサは、船長室にいるルーラを訪ねた。ルーラは、書類片手に、優雅に紅茶を嗜んでいた。
「姉上~」
「どうした、ジャンクティード」
「お話しよう」
「ん? 」
(お話!! )
ルーラは目を点にした。偶然、船長室にいたデボンは紅茶を危うく吹き出しかけた。デボンの咳き込む音を背景に、ルーラは不思議そうにジャンを見る。
「話? 何を? 」
「んー、色々! だって、俺、北の離宮にいる間、外の事何にも知らないんだもん。俺、初めて外に出たの、ライに殺されそうになった時だよ? 」
「……あぁ」
ルーラは、静かに目を伏せた。そして、デボンに目配せする。彼は、速やかに船長室を出て行った。
ルーラは、ジャンとハサを長椅子に座らせ、両名に紅茶を振舞った。彼女は、尊大に腰を下ろして足を組んだ。
「何から聞きたい? 」
「俺って、姉上以外に、何名、兄姉いるの? 」
「先代神王アクアラティードの子は、全部で十名だ。
先代王妃の、第一王子、第一王女、第二王女。
第一側妃の、第三王女。第二側妃の、第四王女。
第三側妃の、第五王女。第四側妃の、第六王女。
第五側妃の、第七王女。第六側妃の、第八王女。
そして、第七側妃の、第二王子だ」
ルーラは、つらつらと述べた。ジャンは、その内容に目を丸くした。
「わー、女の子ばっか」
「だから、お前が生まれたんだろうよ。父上は、王位継承権を持つ男児にご執心だった」
「マジかー」
(……なんか、言葉が難しい)
ジャンが普通に理解する中、ハサは既に脳内が処理しきれなかった。だが、何となく口を挟むべきでないと察して、赤い水面を見つめた。ふと、その近くに紫色の瓶詰が置かれていることに気づく。
(んだ、これ)
ハサは、瓶詰の蓋を開けた。すると、果物の匂いが漂ってきて、ハサは目を輝かせた。いそいそと、小匙で紫色の果肉を手に載せて咀嚼する。
(……甘、っ)
砂糖で煮詰められた果物の甘さに、ハサは歓喜した。夢中になって、それを咀嚼し続ける。早々に会話に溶け込むことを放棄したハサを気に掛けることなく、ルーラは更に言葉を重ねた。
「父上の死去、王位は第一王子が継いだ。
現在、神王の子は、四名。
王妃の、第一王女、第二王女。
側妃の、第一王子、第三王女、だ」
「やっぱり、女の子が多いね」
「ま、こればっかりは、仕方ないだろう。赤子の性別は選べん」
「そうだね。じゃあ、跡継ぎもいるし、王家は安泰だね」
「……ところが、だ」
ルーラはジャンを指差す。
「お前が生きてたことで、王位争いが過熱する。というか、してる」
「何で!? 」
ジャンの叫びに、ルーラは肩をすくめた。
「兄上も、さっさと王太子を決めていれば良かったんだが、現在王太子の座は空席だ」
「なんで? 第一王子いるんでしょ? 」
「私も理由は知らん。だが、兄上が、弟か息子かのどちらかで悩んでいるのは事実だ。お前、のほほんとしてたら、また暗殺されるぞ」
暗殺という言葉に、ジャムを堪能していたハサが顔を上げた。
「おい、何で、また、こいつ殺されそうになってんだよ」
「ハサ、っ」
「気にするな。貴族教育の受けていない子どもに怒る程、私は愚かではない。
ま、呼び方次第では、怒るかもしれんが」
ルーラの挑発的な視線に、ハサは睨み返す。
「……ジャンの姉ちゃん」
「……間違ってはいないね! 」
「あっはははは! 何だそれは。良い、許す。盛大に許すぞ」
船長室にルーラの笑い声が響く。穏やかな空気が流れていた。
「では、私も、お前のことは、ジャンと呼ぼうか」
「あっ、ハイ。どうぞ、お好きに」
「お前は……黒猫で良いか」
「なんか嫌だ。ってか、何だよ、黒猫って」
仏頂面を浮かべるハサ。ルーラは楽し気に、ハサの持つ瓶詰を指差した。
「我が領地の特産品は、美味しかったか? 」
「うぐっ! 」
答えるまでもない。瓶詰に入っていた紫色のジャムは、綺麗に空になっていた。何も言えなくなったハサは、口を引き結ぶ。そんな彼を哀れに思ったジャンは、温かな笑みで慰めた。
「まぁまぁ。ずっと、少年って呼ばれるより良いでしょ」
「……おう」
その頃、デボンは船内の廊下を一人で歩いていた。思い浮かべるのは、船長室を訪れた子どもだった。彼は心底同情する。
(姫様の弟君、ジャンクティード様って、言ったっけ?
境遇が悲惨すぎる。私が七つの頃なんか、まだ文字の勉強しかしていなかったぞ。
いや、ちゃんと勉強しろと怒られた気はするけども。
まだまだ遊び盛りだというのに、暗殺未遂事件だなんて……)
「お暇ですか、プーガル卿」
「うわっ!? つ、ツェヘナ嬢!? 」
曲がり角で急に声をかけられたデボンは驚く。だが、セツナは平然と侍女の礼を取った。
「失礼いたしました。気づいているものとばかり」
「あ、あぁ、いや。少し考え事をしていて……私に何か用か? 」
デボンは、動揺を必死に隠しながらセツナを見る。彼女の後ろから、デボンの見覚えのないメイドが顔を出した。セツナは彼女を紹介する。
「彼女は、ブルーム大公家のメイド見習い、ベリーです。ベリー、彼はプーガル卿です。先ほど教示した通り、ご挨拶なさい」
「は、初めまして。ブルーム大公家のメイド見習い、ベリーと申します」
ベリーは、ぎこちなくも丁寧にお辞儀をする。デボンは、背筋を正した。
「紹介感謝する。自分は、第五師団所属 プーガル辺境伯の孫、デボン・プーガルだ。王都まで、よろしく頼む」
「はい、っ。よろしくお願いします」
初めてにしては及第点の対応に、セツナは感心する。そして、セツナはデボンに願い出た。
「プーガル卿。現在、彼女は研修中でして。都合がよろしければ、実地演習に付き合って下さいますか? 」
「私は構わないよ」
「ありがとうございます」
デボンに一礼すると、セツナはベリーに向き直る。真剣な眼差しを受けて、ベリーは緊張感を高めた。
「では、ベリーさん。問題です」
「は、はいっ」
「プーガル卿を、あなたは何と御呼びすれば良いでしょうか? 」
「……プーガル辺境伯、令息、様? 」
「違います」
セツナの淡々とした呟きに、デボンが素早く訂正する。
「あ、申しわけない。自分は、孫です。令孫です」
「えっ、あ、ご、ごめんなさい! 」
「謝罪は、申し訳ございませでした、です。復唱どうぞ」
「申し訳ございませんでした!! 」
勢いよく頭を下げるベリー。そんな健気な彼女を気遣うように、デボンは優しく話しかけた。
「大丈夫、大丈夫。よくある間違いだから、ね? 」
「いいえ、敬称の間違いは、使用人として絶対に許されません。今一度、部屋に戻って、書き取りと発声訓練を行いましょう」
情け容赦ないセツナの発言に、デボンは思わず叫ぶ。
「ツェヘナ嬢、厳しすぎないか!? 私の見立てだと、彼女、新人だろう!? 」
「新人だろうが、玄人だろうが、お客様から見れば総じて同じ使用人です。
大公家の使用人として、大公閣下のお顔に泥を塗るわけには参りません。
では、プーガル卿。我々は失礼させて頂きます。ご協力ありがとうございました」
「あ、ありがとうございましたっ」
セツナのお辞儀に、ベリーも慌てて同じ動作をする。彼女達が立ち去るのを見届けて、デボンは独りごちる。
「……え、白印蝶花って、みんな、ああなの? 」