生誕日
修正しました。
神王歴5039年。
水神王国第二王子ジャンクティード・ブロッサムロードは、今年で生誕七年だ。
本来ならば、生誕七年というのは喜ばしいことである。だが、彼の生誕日に父親である先王が崩御し、母親である第七側妃も儚くなった。そのため、彼の住まう北の離宮では祝賀なぞ行われない。彼は、今日も寂しく、読書にふけるのみである。
唐突に、部屋の扉が丁寧に叩かれた。ジャンクティードは灰色の髪を揺らし、青い瞳を扉に向けた。扉の外から、緊張した声音が聞こえる。
「王弟殿下。ライ・フリッサです」
「入って」
たどたどしい声が、入室の許可を与える。
恭しく入室してきたのは、純白の騎士服を身にまとった男性だった。彼は、ジャンクティードの護衛騎士であるライ・フリッサ男爵だ。低位貴族にも関わらず、王族の護衛を務めているのは、余程彼の実力が認められているらしい。詳しい話は、ジャンクティードも聞いたことはないので、ライを優秀な騎士なのだろうな、と認識している程度だ。
しかし、本日のライは、どうにも挙動不審であった。いつもは柔和な笑みを浮かべているのに、今のライは、表情が強張っている。ジャンクティードが何かを問う前に、ライは膝をついた。
「王弟殿下、王弟殿下」
「なぁに?」
ライが小声で話すものだから、ジャンクティードも釣られて小声で聞き返す。ライは、コソコソと懐からハンカチに包まれた物を取り出した。それを、ジャンクティードに差し出す。
「こちらを、お納めください」
ジャンクティードは不思議そうにハンカチを捲る。中から出てきたのは、青い粒の塊。
「これは……青い石みたい、だね。どうしたの、これ?」
子どもらしい素直な感想に、ライは酷く衝撃を受けたのか表情を暗くする。張りつめていた息を吐き、ライは悲し気に語り始めた。
「……七歳になった子どもに、今後の成長を祈って、青い果実を練りこんだ菓子を食させるのです。
しかし、本日は先王陛下の命日。
どこもかしこも、営業自粛中でして、僭越ながら、このライ=フリッサ。殿下のために厨房に立ちまして……」
「私のために、お菓子を作ってくれたのか!?」
キラキラと青い瞳を輝かせるジャンクティードに、ライは慌てて制止をかける。
「しー!しー!殿下、声が大きいです。王太后陛下の耳に入れば、怒られますぞ。もしくは、私の首が飛びますぞ」
ライの必死な呼びかけに、ジャンクティードは一旦落ち着きを取り戻す。だが、興奮は抑えきれなかった。小さな頬を桃色に染めて、お菓子を見つめる。
「これ、何のお菓子?」
「クッキーです」
「ありがとう。水神様、日々の糧に感謝します」
と、食事の祈りを軽く捧げてクッキーを口に入れようとしたジャンクティードの手を、ライは素早く掴む。
「殿下、お待ちを!」
「大声出したら、駄目だよ」
「失礼いたしました。いえ、そうではなく、っ。私が毒見をするので、殿下はその後、召し上がってください」
「ライが作ったんでしょ。大丈夫だよ」
ジャンクティードは構わず食べようとするが、ライに掴まれた腕は微動だにしない。
「殿下。世の中には、形式美というものがございます。
ましてや、これは殿下の初めての祝い事。なれば、礼儀作法はきちんとしなければなりませぬ。とはいえ、本来なら、ご家族と祝う行事なのですが……。
申し訳ございません。この、独身男性の付き添いをお許し下さいませ」
「うむ。盛大に許す。じゃあ、一緒に食べよう。はい、どうぞ」
「はは、有難く」
ライは、ジャンクティードから手渡されたクッキーを口に放り込む。何故か、バリバリと、クッキーを食すには不自然な音が聞こえてくる。
「お菓子の音じゃない、音がする」
「……味見はしたのですが、私めにはこれが限界です」
「そっかぁ」
ジャンクティードは、クッキーを口に運ぶ。だが、それを噛み切ることは出来なかった。ジャンクティードは涙目になる。
「かたい……」
「も、申し訳ありませぬ」
ライは、濡れた子犬のように落ち込む。ジャンクティードは怒ることなく、無邪気に微笑んでいた。
「でも、嬉しかった。ありがとう、ライ」
「殿下……勿体なき、お言葉にございます」
ライは安堵したように微笑みながら、頭を下げた。
その時、扉の向こうから若い女性の声が響いた。
「王弟殿下ー?こちらに、いらっしゃるのですか?」
ジャンクティードとライは、同時に肩を跳ねさせた。ジャンクティードが右往左往している間に、ライはジャンクティードを背に、扉の向こうに声をかける。
「家庭教師殿か。殿下は、こちらにいらっしゃる」
「殿下、入室しても?」
「あ、あぁ。許可する」
「ありがとうございます」
入室許可を得た家庭教師、ユーノット・カーリットは、凛とした佇まいで部屋に入ってきた。そして、飾り気のない黒いドレスの裾に手を添える。ジャンクティードに向かって、淑女の礼を取った。
「おはようございます、殿……殿下」
平坦な声音が、急に厳しくなる。
「殿下。今、後ろ手に、何を隠されましたか?」
「何も……」
「殿下。私に、見せて下さい、今すぐに」
鋭い視線を受けて、ジャンクティードは恐る恐るクッキーを差し出した。ユーノットは丁重に受け取ると、眉をひそめた。
「……何ですか、この青い石は?」
ジャンクティードとライは、目が点になる。それは確かにクッキーではあるが、一見すると石に見えなくもない。ジャンクティードは彼女の勘違いを利用する。
「そう!石なの!魔法の触媒に使えると思って!ね!?」
「え、えぇ。はい」
ジャンクティードの勢いに、ライは歯切れ悪く答える。当然ながら、彼が生成したのは石ではなく菓子である。ライは密かに落ち込んだ。そんな心情を知らないユーノットは、呆れたように溜息をついた。
「水属性に、石は適しておりませんよ。先日の教えを、お忘れですか」
「た、確かめてみたくて」
「なるほど」
ユーノットは、すんなりとクッキーを返してくれた。ジャンクティードは、一安心し、クッキーから意識を逸らさせるために話題を変えた。
「ユーノット。今日は、お勉強ないって言ってなかった?」
「はい、本日の勉強はお休みです」
「……えっと、私に何か用事でも?」
ジャンクティードの疑問に、ユーノットは感情のない目を向けた。
「正午に、王太后陛下がいらっしゃると伺いました。その際、殿下が神話級魔法を披露なさると」
「あ、うん……そうだね」
浮かない表情をするジャンクティードに、ユーノットは首を傾げる。
「何か問題でも?」
「ううん、大丈夫」
「そうですか」
「ユーノットは、神話級魔法が見たいの?」
神話級魔法とは、神の証を持つ王族だけが使える秘伝の魔法だ。ジャンクティードも、神の証を、その身に宿している。ユーノットは、特に関心を示すことなく答えた。
「私は殿下の家庭教師です。殿下の実力を把握する義務があります」
「そ、そっか」
ジャンクティードは、この堅物家庭教師が少し苦手だった。別に、無視をされているわけでも、意地悪されているわけでもない。ただ、温度のない会話が寂しい。ライの不器用なクッキーを手にしているから、余計に温度差を感じる。
(ユーノットって、笑う事、あるのかな?)
ジャンクティードがじっと見上げていたので、ユーノットが口を開く。
「何ですか、殿下」
「な、なんでもない」
正午、北の離宮、大広間。
事前連絡通りに姿を現したのは、青い質素なドレスを身に纏った初老の女性だ。彼女は年の近い侍女を供に、大広間に置かれた豪華な椅子に腰かける。そして、尊大な態度でジャンクティードを見下ろした。
「ジャンクティード、面を上げよ」
「はい」
ジャンクティードは、緊張しながら正面を見た。そこには、先王の王妃、現王太后ルーシャ・ブロッサムロードが鎮座している。重々しい雰囲気の中、ルーシャが再び言葉を発する。
「精霊を生み出しなさい」
「はい」
ジャンクティードは、意を決して、指先を小型のナイフで切った。うっすらと、青い滴が膨らむ。神の証とは、水神の青き血を示していた。そして、青き血を触媒として、水神に呼び掛ける。
「上奏。我らが父よ、母よ、偉大なる青き美しき長よ。
我はジャンクティード・ブロッサムロード。
汝の聖なる青き証を受け継ぐ者なり。
感涙の極み。
揺れる青、流れる青、佇む青、注ぐ青。
全ての生を呑み、汝に感謝申し上げる。
親愛なる青き美しき長よ。
我は汝に請い願う。
我に青き純粋たる恩恵を授けたまえ 青の精霊」
言葉と共に、触媒は塵のように崩れ、手の平に青い魔法陣を成型する。詠唱を終えると同時に、眩い青い光が周囲を覆った。そして、光が収まった頃、ジャンクティードの手の平には、青い蝶が乗っていた。
(で、できた)
ほっと安堵するジャンクティードと裏腹に、冷めた声が響く。
「ジャンクティード」
「は、はいっ」
ジャンクティードは思わず背筋を正した。そして、ルーシャの落胆したような面持ちに、心臓が苦しくなる。
「……私は、精霊を生み出せと言いました。なんですか、それは」
「え、?」
二の次が言えなくなったジャンクティードは黙り込む。神話級魔法で生成したのだから、これは精霊に違いないはず。だが、ルーシャの視線は明らかに違うと語っていた。無言を貫くジャンクティードを一瞥し、ルーシャは重い腰を上げた。
「神の証を持つ者が、使い魔風情しか生み出せないとは嘆かわしい」
「ご、ごめんなさい」
青い蝶が霧散した。ジャンクティードの小さな手が、自身の青い服を掴む。
そんなジャンクティードを気遣うことなく、ルーシャは冷淡に宣う。
「ユーノット嬢」
「はい」
「この後、ジャンクティードに精霊の知識を再度教えなさい」
「御意」
ルーシャはユーノットに命じると、侍女を伴って、北の離宮から立ち去った。
ユーノットはルーシャの気配が遠ざかるのを感じて、ジャンクティードの前に立った。
「殿下」
「……」
顔を伏せて何も答えないジャンクティードに気分を害することもなく、ユーノットは淡々と説明する。
「精霊と使い魔の最大の違いは、自我の有無です。殿下が、先ほど生成なさった蝶は、明らかに張りぼて。手紙の運搬など、簡単な命令が実行可能な使い魔です。……王太后陛下が所望された精霊ではございません」
「じゃあ、見本、見せてよ」
「私は王族でもありませんし、神の証も所持しておりません。水と対話して下さい」
ジャンクティードは唇を噛んだ。
「じゃあ、わかんないよ!」
ジャンクティードは怒鳴り散らすと、涙を浮かべて自室に走った。ライは、ユーノットを一瞥し、ジャンクティードの後を追う。
ジャンクティードは寝室の寝台で丸くなっていた。ぐすぐすと、鼻を啜る音がする。ライは、殊更優しく話しかけた。
「殿下」
「……あっち、いって」
「殿下。そう言わずに。まずは、指先の手当てをいたしましょう」
ジャンクティードは、ぴっと手だけを出した。そこには、傷跡はなかった。
「もう、やったもん」
「流石、殿下。お見事な治療魔法です」
ライの優しさが、ささくれた心を丁寧に撫でる。ジャンクティードは、ぽつぽつと話し始めた。
「……神話級魔法、わかんないよ。誰も、教えてくれない。王太后陛下だって、やれって言うだけで、やり方教えてくれないし。水と対話しろって、わかんない」
ジャンクティードは泣きながら布団に丸まる。ライは、困ったように顎を擦った。
「あー、王族の秘伝ですからな。神の証を持つ方でなければ、分からぬのでしょう。神王陛下はご存知でしょうが……」
「他の王族なんて、会ったことないもん」
突き放すような物言いに、ライは苦笑する。そして、恭しく頭を垂れた。
「これはこれは、私めの無知をお許し下さい」
「……ん」
泣き疲れたジャンクティードは、布団の中で、うとうとし始める。
ライは何も言わず、静かに寝室を出た。そして、応接間のソファーにユーノットの姿を見つけて、目を見張った。
「家庭教師殿、いつの間に」
「殿下は」
「お眠りになられました。泣くのも体力が必要ですからな」
「……そうですか」
「……紅茶でも淹れましょうか?」
「結構です」
ライの気遣いを、容赦なく切り捨てるユーノット。ライは、肩をすくめた。
「殿下はまだ幼い。もう少し、優しく接して下さいませんか。ほら、せめて笑顔を作るとか。その方が、美しいと思いますよ」
「発言には気を付けなさい、フリッサ卿」
「失礼しました、お嬢様」
ライは、わざとらしく謝罪した。その仕草に、ユーノットは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「不愉快です。たった二歳年上の男性に、そのような呼び方をされる覚えはございません」
「まぁまぁ。殿下に仕える者同士、仲良くしましょうよ」
「お断りします」
またしても容赦ない物言いに、ライは苦笑する。あからさまに、話しかけるなという雰囲気を醸していたので、ライは大人しく部屋の外に出た。
ライの退出を横目で確認したユーノットは、手持ちの鞄から一冊の絵本を取り出す。それを、書棚の見栄えが良い箇所に置いた。そして、ユーノットは、何食わぬ顔でソファーに戻る。今度は鞄から書類と羽ペンを取り出し、王弟が起きてくるまで王弟の為の課題作りをしていた。
時計の針が一周した頃、寝室の扉がゆっくりと開いた。ユーノットは、顔を上げることなく、ジャンクティードの起床を察した。だが、彼が声をかけてこない限り、ユーノットが話しかけることはない。
ジャンクティードは、ユーノットに気づくと露骨に視線を逸らした。そして、書棚に違和感を覚える。
(あれ?なんか、本、増えた?)
興味を惹かれたジャンクティードは、書棚の真新しい絵本に手を伸ばした。
(刻印天使?)
聞きなれない単語に首を傾げつつ、ユーノットがいるのも忘れてソファーの端に座り込む。ジャンクティードは、表紙を捲った。
(ライと同じ、真っ白な騎士だけど、女の人だ。それと、木みたいな肌の色の魔法士もいる。騎士は、私と同じ青い目。魔法士は、見たこともない黄金の目。
……わ、すごい。ふたりに、片っぽだけ羽が生えてる、何でだろう)
ジャンクティードは、不思議で仕方なかった。でも、騎士と魔法士が、魔物を倒していく姿に好奇心が刺激される。どんどん捲っていくと、すぐに新しいページが無くなった。ジャンクティードは、しゅんと肩を落とす。
(お話、もう終わっちゃった……)
頃合いを見計らっていたユーノットは、彼の目の前に紅茶を置いた。
「どうぞ」
「あ、ありがとう」
今更ながら、ジャンクティードは、ユーノットが傍にいることに気づいた。動揺を誤魔化すために話しかける。
「ねぇ、ユーノット。この、トットって作者、いつも字が沢山の本ばっか書いてるよね。絵本って、珍しいね」
「そうですね」
「……ゆ、ユーノットは、トットの本が好きなの?」
「特には」
(じゃあ、何でトットの本ばっか、私の部屋にあるんだろうか)
ジャンクティードは、しょっぱい顔になりながら紅茶を飲む。恐らく、ユーノットがジャムを入れてくれたのだろう。紅茶はジャンクティードの舌に丁度良い甘さであった。ユーノットは、絵本を一瞥する。
「トットの本は、お嫌いですか?」
「ん?ううん、私は好きだよ。難しい表現ばっかだけど、辞書引くのも楽しいし」
迷いのない返事を受け、ユーノットは静かに目を伏せた。
「……そうですか」