また、いつか
最下層に建てられた真新しい墓の前に、最下層の人々が集まる。火事の真相が、ライによるものだと告げられていたからか、ジャンに恨み言をいう人は居なかった。それでも、どこかでジャンを恨んでいるのだろう。一部から、厳しい視線を浴びる。
(……ボスも、火傷女も、死んじゃった)
他にも、見慣れた顔がいない。大柄の男も、葡萄と呼ばれた娼婦もいない。悲しみに打ちひしがれるジャンの手を、ハサが掴んだ。
「……墓って、初めて見た」
「え? ……あぁ、俺も、見るのは初めて、かな」
墓に添えられた白い花が、胸を締め付ける。一度理解した現実であっても、ジャンは涙を抑えきれなかった。ハサも、俯きながら鼻を啜る。
両名で目を赤くしながら歩いていると、ぽつんと座り込むネネコの姿を見つけた。
「ネネコ? 」
「あ、ジャン、ハサ」
「お前……」
いつもの少年達が居ない。ジャンとハサの視線に気づいたのか、ネネコは困ったように微笑んだ。
「……ネーとコー、燃えちゃった」
「「……」」
三名は、人混みから避けるように、診療所があった場所に腰を下ろした。
ネネコが、ぽつぽつと話し始める。
「俺達、歳が近いから、一緒にいただけなんだ。
喧嘩したのは、名前のときかな。
みんな、ねこって付けたくて。
煩くしてたら、ボスにすごい怒られた。
それで、みんなの名前は、ボスがつけたの。
すごく嬉しくて、みんな、喧嘩したの忘れちゃった」
彼の語りに、ジャンは涙腺が馬鹿になる。自分が教えた、たった一つの単語が、悲しくて切なくて仕方なかった。
「……ねこって、ハサのことだった」
「いや、何でだよ」
「あははは」
懐かしい空気に、ネネコは楽しそうに笑った。それを見て、ジャンとハサは少し安心した。涙が出るほど笑ったネネコは、寂しそうに微笑む。
「俺達、辺境伯って、家で、世話になるんだって。
小さい子たちは、俺が一緒に居るよ。
だから、ジャンとハサは、好きなところ行って?
でも、また、いつか、帰って来てくれたら、嬉しいな」
「うん。絶対、また帰ってくる。またね、ネネコ」
「またな」
「ん……またね」
子ども達は、笑顔で手を振りあって別れた。
その頃、プーガル辺境伯の屋敷に併設された第五師団の食堂にて、デボンが肉を美味しそうに平らげていた。食事を堪能した彼が水を飲んでいると、急に背後からルーラが現れる。
「出かけるぞ、デボン少年」
「ぶふっ! ……ど、どちらに? 」
「王都」
予想外の発言に、デボンは唖然とした。
「……ふらりと行って帰れる距離じゃありませんけど!?
うちが、水神王国最東端の領地であることを、お忘れか!? 」
「細かいことは気にするな。行くぞ」
「力強い!? 誰か、父上に連絡を! 」
デボンは助けを求めるように、食堂内の人々に声をかける。彼らは、デボンを引きずるのがルーラだと気が付くと、薄情に微笑んだ。
「がんばれ、若様」
「生きて帰ってきてくださいね、デボン様」
「王都土産、楽しみにしてまーす」
「お、お前らなんて、嫌いだー!! 」
デボンの悲痛な叫びに、第五師団の食堂は笑い声に包まれた。
「紹介する。我が家の、デボン少年だ」
「雑!! ごほんっ。第五師団所属、並びにプーガル辺境伯の孫、デボン・プーガルです。成人男性です」
「あ、ごめん。聞いてなかった。誰? 」
「扱いが酷いっ!! 姫様の血筋って、みんなそうなんですか!? 」
悲痛な叫びを無視して、ルーラが改めて紹介する。
「デボン少年は、夫の孫だ。そして、私の義理の孫でもある」
「……姉上、すごい年上の方と結婚したんですね」
「貴族の結婚じゃ、珍しくもないだろう。年の差なんて」
「へー、そうなんだ」
「いやいや、初婚で年寄りに嫁ぐなんて、早々ない話だと思いますけど」
「行き遅れた女にしては、良い嫁ぎ先だと思うが」
「申し訳ございませんでしたっ!! とても良縁だと思います!! 」
ジャンは話を聞き流しながら、水面に浮かぶ豪華絢爛な船を眺めていた。隣に居るハサも、興味津々で船を見つめている。その隣に、苺と呼ばれていた女性がいる。
『閣下。閣下の信用できる女性で、文字を書ける者はいらっしゃいますか? 』
最下層を後にしようとした際、護衛で付いてきたセツナの発言に、ジャンは首を傾げた。質問の意図は理解出来なかったが、条件に当てはまる女性は、診療所でジャンの手伝いをしていた苺しかいない。彼女は、長年病を患っていたが、ルーラ率いる第五師団の治療により、病は完治していた。こうして、苺は、晴れて大公家のメイドに就職することになった。
「苺……じゃなかった、ベリーも、船初めて? 」
「え、えぇ。辺境伯領から、出ることもなかったし」
娼婦であった頃の名前を捨てて、改めてジャンに命名されたベリーは、豪華絢爛な船に圧倒されていた。ジャンはベリーとハサの手を取ると、第五師団の紋章が描かれた船に乗り込む。
「俺も初めてなんだよね」
ジャンは、しみじみと思う。
(ユーノットが言ってた水路って、これなんだろうな)
水神王国内で最も安全な交通手段である、八つの水路。その一つが、プーガル水路だった。水面は光が反射して輝いており、青く清浄な水が流れている。
(少し、おかあさんの花畑に似てる)
青く美しい水路に、ジャンは青い者の加護を感じた。恐らく、これも神話級魔法なのだろう。魔物を寄せ付けない絶対安全領域。それが、王国内の水路だ。
「皆様。荷運びが終了次第、当船は王都に向けて出航いたします。一週間の船旅になることを、予めご了承くださいませ」
と、真っ白な侍女服を身に纏ったセツナが丁寧に頭を下げた。ジャンとハサは、見慣れない彼女の姿に目を丸くする。
「どうしたの、その恰好」
(こいつ、最下層では騎士服だったよな? )
ジャンの問いかけに、セツナは淡々と答える。
「船旅中は、ルーラ様が護衛の最高責任者となるため、私は閣下とハサ様のお世話に徹しようと思います」
「……様? 」
ハサは怪訝な顔になった。セツナは、相変わらず無表情で答える。
「船旅の間だけ、呼称を変更いたします。お気になさらずに」
「……おう」
「そして、ベリーさん」
「え? あ、はいっ」
突然、名前を呼ばれたベリーは背筋を正す。セツナは、彼女に黒いメイド服を手渡した。
「こちらに着替えて下さい。現在、大公家は人員不足です。船旅の間、即戦力にすべく、私が実地で貴女を指導いたします。心構えは、よろしいですか? 」
「は、はい。よろしくお願いします。……えっと、」
ほんの数時間前に、メイドに就職が決まったばかりだ。ベリーは、困ったようにセツナを見つめる。セツナは、心得たと言わんばかりに胸を張る。
「セツナ・ツェヘナと申します。私の事は、ツェヘナ嬢と、お呼び下さい」
「は、はい。ツェヘナ嬢」
そのやり取りを眺めていたジャンは、小首を傾げた。
「ブルーム大公家って、人手不足なの? なんで? 」
「閣下の王族離脱は、突然の命令でした。
故に、最低限の人員確保しか行われず、後から使用人を増やすことになっていました。
ですが、閣下が失踪したことで、人員増加を承認する方が居らず、大公家の使用人は当初のままです。
現在、ブルーム大公家の使用人は、私と彼女を含めて七名です」
セツナの整然とした説明に、ジャンは目を瞬く。
「……大公家の屋敷って、どれくらいの広さ? 」
「恐らく、閣下の育った北の離宮二つ分かと」
遥か彼方の記憶をジャンは引っ張り出す。北の離宮で、ジャンは特定の人物としか関わっていないが、視界の端には誰かしら使用人がいた。それだけでも、十人は見かけたはずである。ジャンは、顔色を変えた。
「ねぇ、その人数本当に大丈夫!? 誰か、過労死してない!? 」
「ご心配なく。そもそも、お仕えする方がいらっしゃらないので、多忙ではございませんでした。此度の件は、閣下とハサ様が帰還されるので、雑用係を増やすべきだと判断し、閣下の承認の元、ベリーさんを勧誘いたしました」
「……それなら、良かったよ」