おはよう
黒髪の少年は、ゆっくりと目を開いた。
「……さむっ」
雨に濡れた髪を揺らし、黒髪の少年、ハサは体を起こす。そして、すぐに現実を思い出した。荒れ狂う炎は既にない。
(ジャンは……? )
ハサが困惑しながら周りを見渡すと、自分の真横で倒れているジャンに気が付いた。ハサは、すぐさまジャンの体に手を伸ばす。
「ジャン! おい、ジャン! 」
元々白い肌が、更に白くなっていた。ハサは血の気が引き、ジャンの顔を両手で包む。
「おい! 起きろって、ジャン! 」
「……ハサ、? 」
自分を呼ぶ声に、ハサは安堵する。だが、ジャンは微かに目を開けただけで、すぐに眠ってしまった。ハサは焦りを隠せない。
「お、おい! 大丈夫なのかよ!? おいって! 」
魔法の知識がないハサには、ジャンの状態が分からない。
(どうすりゃいい? ボスに、聞かないと……)
ふと、ハサの脳裏に炎の光景が過る。夢にしては鮮明だ。ハサは、それが、自分が斬られた直後の出来事だと気が付いた。ハサは瞠目する。
(ボス、死んだ? 火傷女は? 俺は、どうすりゃいい?
どうしたら、ジャンを助けられる? 俺は……)
泥を踏みしめる音に、ハサはジャンを守るように抱いた。
近づいてくる紺色の女性騎士を睨みつけた。女性騎士、セツナは血を流しながらも、ハサの無事な様子に安堵の息を漏らす。
「幼子達、怪我は……っ、失礼。この方は」
セツナがジャンを気に留めた瞬間、ハサは威嚇するように叫んだ。
「っ、来んな!! こいつに触んな! 連れてくな! 」
ふーっ、ふーっ、と肩で息をする。常日頃から、騎士や兵士が危険だと刷り込まれているハサは、彼女も、自分を斬った男と同類と見なした。ハサの警戒心を目の当たりにし、セツナは沈黙する。
(……あの男、殺す)
セツナは密かにライへの殺意を高めると、伸ばした手を静かに下げる。そして、躊躇なく泥に膝をつき、ハサに向かって頭を垂れた。
「お初にお目にかかります。私は、六年前、大公閣下専属護衛騎士に着任致
しましたセツナ・ツェヘナと申します。貴方は、閣下のご友人ですか? 」
セツナの慇懃丁寧な態度に、ハサは面食らう。だが、持ち前の気の強さで食ってかかった。
「かっ……難しいことは分かんねぇけど、俺は、ジャンの家族だ! 」
「ならば、ご同行願えますか? 」
ハサは、聞き覚えのない言葉をオウム返しする。
「ごどうこう」
「一緒に来て下さいますか? 」
セツナは無表情のまま、言葉を簡単に言い直した。今度は意味を理解したハサは、セツナに怒鳴り散らした。
「……い、行かねぇ! 絶対、行かねぇ! 偉いやつのとこ行ったら殺されるってボスが、ボスが言ってた! 行かない! 」
突如、両者の間に剣が突き立てられる。神妙な眼がハサを射ぬいた。
「……理想と現実は違う。だが、私は理想を強く切望する。
我が敬愛する主に誓って、私は大公閣下と貴殿の生命を奪わないと約束する。
それでも納得出来ないのならば、私は実力行使に出よう。
覚悟は宜しいか、幼子」
セツナの剣幕に圧倒されたハサは口をつぐむ。ハサは、腕の中で、浅い呼吸を繰り返すジャンを見つめた。ハサは、涙を必死に堪えながら、セツナを睨んだ。
「……一緒に行く」
「では、共に参りましょう」
言うが否や、セツナは剣をしまい、ハサに手を伸ばした。ハサは、目元を乱暴に擦り、ジャンを抱えて立ち上がった。行き場のない手に、セツナは内心落ち込む。
(信用信頼、皆無)
「……なにしてんだ? 」
「いえ、自己反省を少々」
セツナは無表情のまま立ち上がる。諦めずに、セツナはハサにもう一度手を差し出す。ハサは眉をひそめる。
「……んだ、これ」
「道案内に必要不可欠かと。どうぞ、掴んでください」
(意味わかんねぇ)
ハサはセツナを見上げて、今度は腕の中のジャンを見る。
「俺、今、ジャン持つので、手塞がってんだけど……」
(……盲点!! )
セツナは、真顔のまま衝撃を受けて固まる。そんな彼女を、ハサは怪訝な顔で見つめていた。ふと、彼女の汚れた膝に気づく。
「……膝、泥ついてんぞ」
「お気になさらず。騎士の服は汚れるものです」
淡々と切り返したセツナ。いつの間にか、ショックから立ち直ったようだ。
彼女は、ジャンを抱えたハサを、ルーラの元に案内した。セツナは、ライの存在を完全に無視してルーラに許可を求める。
「王妹殿下。急な願いで申し訳ありませんが、閣下と、そのご友人の滞在許可を頂きたい」
「閣下? 誰の事だ」
「王妹殿下の弟君です」
セツナはハサの手元に視線を送る。ルーラは、ジャンの存在を認めると、手早くライを気絶させる。ライは声もなく意識を失った。ルーラは、ハサとジャンの顔を覗き込む。ふと、見覚えのある黒髪に反応した。
「……おや? この間の黒猫じゃないか」
「あ? 」
ハサは怪訝な顔をする。ルーラは気分を害した様子もなく、軽快に笑った。
「まぁ、いい。許可する。先に帰っていてくれ、我らは事後処理をしておくよ」
「殿下の寛大な心遣いに、感謝いたします」
セツナは深々と頭を下げ、ジャンを抱えたハサを連れて、最下層を後にした。
一連の会話を聞いていたデボンは、首を傾げる。
「姫様の弟君って、十三歳ですよね。それにしては、小さいというか」
「こんなイカれた騎士に追いかけられれば、成長も止まるだろうよ」
ルーラは、気絶したライを指し示す。本来なら、王弟を守護する立場にありながら、幼い身に凶刃を振るった男。デボンは悲痛な顔をした。
「……不躾な発言でした、申し訳ございません」
「気にするな、デボン少年。地道に大人になりたまえ」
ルーラは、からかうように笑い飛ばす。平常通りの態度に、デボンは頭を勢いよく上げた。
「一応、自分、成人男性なんですけどね!? 」
「あははは。……さてと、どうしたものか」
ルーラは、少しずつ増えていく視線に腕を組んだ。災厄が終わったと気づいて、最下層の人々が戻ってきていたのだ。その表情は、一様に暗い。ルーラは、愉快そうに口角を上げた。
「ふむ。まずは、治療と食事だな」