ごきげんよう
街の飯屋で、紺色の騎士服を着た若い男性が、憤慨しながら肉に噛り付く。
「子どもを保護するのは、救済措置なのに……あの平民ときたら」
「善意の押し売りは良くないぞ、デボン少年」
デボンと呼ばれた若い男性騎士は、ルーラに精一杯抗議する。
「しかし、姫様! 見たでしょう、あの惨状を!
あんな劣悪な環境で、子どもが平穏無事に暮らせるとは思えません! 」
デボンは、ぷんすかと麦茶を飲み干した。ルーラは肩をすくめ、周囲の男性達が見惚れるほど優雅に、麦茶を口にした。
「元々、親のいない子どもに対する支援活動だ。
きちんとした保護者がいるのなら、我らが介入する道理はないさ」
「あれのどこが保護者ですか!
真昼間から娼婦を侍らせている典型的なダメ男じゃないですか! 」
「事前連絡も無しに訪問したのは、我らだ。
他者の私的な部分について、あれこれ文句をつける権利はないぞ。
というか、他者を見る目がないな、デボン少年は。
学院卒業と同時に、恋人にフラれたのが、よく分かる」
デボンは盛大に噎せた。恨みがましい視線をルーラに向ける。
「……その、デボン少年っていうの、やめて下さい!
自分、今年で、成人ですから! 」
堂々と胸を張るデボンに、ルーラは淡々と声援を送る。
「そうか、頑張れ」
「頑張れ!? 何をですか!? 」
「さぁな」
「ちょ、姫様ぁぁあああ!! ……いたいっ!? 」
ルーラとデボンの賑やかな会話の正面で、紺色の騎士服を着た若い女性騎士が沈黙を貫いていた。彼女の前には、麦茶しかない。ルーラはデボンを軽く小突くと、彼女に話しかけた。
「貴殿も、何か食せ。私の体裁が悪い」
「しかし、」
「セツナ・ツェヘナ」
厳しい声音に、セツナと呼ばれた女性騎士は無表情のまま視線を下げた。徐に、通りかかった店員に声をかける。
「失礼。最短で調理可能な料理を下さい」
「え? えっと、サンドイッチで、よろしいですか? 」
「構いません」
「わかりました! 」
店員は笑顔で注文を受け付け、キッチンに声をかける。数十秒で、紫色のベリージャムが塗られたパンが出てきた。セツナは機械的に食すと、機械的にハンカチで手を拭った。そして、無感情にルーラを見る。
「王妹殿下、これでよろしいですか」
ルーラは、呆れたように彼女を見る。
「サンドイッチが哀れで仕方ないよ」
「そうですか」
どこまでも無を貫く彼女に、ルーラは白旗を上げた。溜息交じりに呟く。
「……今、ボス殿達を刺激したくはない。関係改善は気長にやるものだ」
「しかし、彼は、あの方の存在を知っています」
ルーラは目を細める。だが、セツナが動じる様子は無かった。ルーラは、諦めたように溜息をつく。
「だとしても、だ。街を観光するのは許そう。
だが、あちらへは立ち入るな。我が辺境伯家の領分だ。
貴殿の飼い主とて、私と喧嘩したい訳ではなかろう」
「承知致しました。ご厚意、痛み入ります」
言うが否や、セツナはサンドイッチと麦茶の代金を置いて、店を出ていった。丁度、激痛から回復したデボンは、不思議そうにルーラを見る。
「……姫様は、お探しにならないのですか? 」
「探すも何も、あの建物近辺にいただろう。
まぁ、どうせ、戻ってところで、殺されるのは目に見えているが」
ルーラは、優美な仕草で肉を口にした。言葉を理解したデボンは、みるみる顔色を悪くする。
「それ、自分ごときが聞いたら、駄目なやつじゃ……」
「お? うまいな、この肉」
「肉は、今、どうだっていいでしょうが! 」
「今度、うちの料理人に作らせよう。おーい、そこの店員。これは、何の肉だ?」
「兎みたいな魔物の肉ですよ」
「ほう、角兎か。有益な情報を、ありがとう」
ルーラは、手慣れた様子で銀貨を店員に手渡した。店員は一瞬目を丸くしたものの、笑顔で追加の肉料理を持ってきた。ルーラは、上機嫌で食す。その光景を、デボンは、何とも言えない表情で眺めていた。
(……うちの領から、しばらく角兎が消えるかもしれない)
無事、ルーラは肉料理を完食すると、メニュー表を手に取った。そして、脈絡のない会話を始める。
「あぁ、冗談だ。気にするな」
「会話続いてたんですね!? びっくりですよ!
……あの、どこからどこまでが冗談でしょうか? 」
「殺されんよ。セツナ嬢の飼い主が存命な限り」
「……その飼い主って、誰ですか」
「何だ、お前。セツナ嬢が、誰の片翼か、知らないのか」
「片翼……やっぱり、自分が聞いたら駄目な話じゃないですか、もう!! 」
「あははは。そう、カッカッするな。デボン少年」
「少年って言わないで下さい! 自分は正式な騎士で、成人男性で、」
その瞬間、彼方から、爆音が響いた。
突然の出来事に平民達が戸惑う中、ルーラは即座に剣を手に取り、白銀貨3枚を食卓に叩きつけた。そして、素早く屋外に出ると、爆音の正体を目撃する。遥か遠くで、巨大な炎が燃え上がっていた。
「……あの方向は」
「姫様! 」
遅れて出てきたデボンに、ルーラは声を張り上げる。
「デボン! 先に行け! 私は消火する! 」
「御意! 」
デボンは命じられるや否や、懐から水色の小瓶を取り出した。
「神秘奏上。偉大なる水神よ、いと慈悲深き神よ。
神前に清らかなる青を捧げる。
水のしらべを我に許したまえ 身体強化」
デボンが唱えると、水色の液体が塵と化し、青い魔法陣が彼の両足に浮かんだ。彼は、目にも止まらぬ速さで屋根から屋根に飛び移った。
ルーラはデボンの背を見ることもなく、軽やかに建物の屋上に降り立った。彼女は剣を抜くと、白い柔肌に青い線をつけた。零れる神の証を纏う腕を、彼女は天に差し出した。
「上奏。
我らが父よ、母よ、偉大なる青き美しき長よ。
我は、ルーラ・ブロッサムロード。
汝の聖なる青き証を受け継ぐ者なり。
感涙の極み。
揺れる青、流れる青、佇む青、注ぐ青。
全ての生を呑み、汝に感謝申し上げる。
親愛なる青き美しき長よ。
我は汝に請い願う。
我に青き純粋たる恩恵を授けたまえ 青い涙」
彼女が唱えると同時に、零れた神の証が塵と化し、青く神々しい魔法陣が天空に描かれた。晴れ晴れとしていた空が、突如、曇天へを変わる。一滴、空から光り輝く青い水が落ちる。それを機に、一帯に大粒の雨が降った。雨が、巨大な炎を消滅させるのを確認。ルーラは水浸しになりながら舌打ちをする。
時は、炎が消える前に遡る。
最下層の人間達は、突然現れた巨大な炎に逃げ惑っていた。燃えていたのは、最下層の中心部である倉庫。火の粉が、最下層の人間の住む小屋に引火する。最下層は未曾有の事態に陥っていた。
ジャンは、ハサと共に診療所の患者を外に出す。
「川! みんな川に逃げて! 」
「「「わかった! 」」」
ジャンの呼びかけに、子ども達は慌てず騒がず、落ち着いて川に向かった。だが、全ての人々に声が届くわけじゃない。ジャンは、水色の小石を大量に使って水を作り出すが、炎の勢いは収まらない。
「ジャン! 俺ら、川の水汲んでくる! 」
「わか……待って、俺も行く! 」
「は!? 」
ハサに向かって、ジャンは神妙な顔つきで叫ぶ。
「俺は、俺なら、川を使える、はず!! 」
こんな事態になってしまったのだ。ジャンは、もう、隠し事をやめる。
(神話級魔法でどれくらい血を失うのか分かんないけど、川の水を操るなら、魔力は沢山消費しない。なら、俺は出血多量にならない、かも)
ジャンの泣きそうな顔に、ハサは仕方なさそうに溜息をつく。
「わかんねぇけど、お前なら……っ、ジャン、! 」
ハサはジャンの背後を見た瞬間、ジャンを庇うように飛び出した。ジャンが反応する間もなく、真っ赤な飛沫が、ジャンに降り注いだ。
「……ハサ、?」
ぽつりと、ジャンは呟いた。だが、ハサは、ハサだった物は、真っ二つに引き裂かれていた。上半身が斜めに切り落とされ、ジャンも治療で見覚えのある塊が飛び散っていた。ジャンは、呆然としながら、ハサの黒髪に手を伸ばす。
「ハサ、?……ハサ、ねぇ、ハサってば! 」
ジャンは頭が真っ白になる。
(治療魔法、早く、早く、かけないと、ハサ、ハサが……)
必死な思考を邪魔するように、ジャンの顔面に丸い塊が投げつけられる。ジャンは、小さな悲鳴と共に、鼻から青い血を流した。
「うぐっ。な、にが……っ、え、? 」
ジャンは、今しがた投げつけられた物体が、ボスの首だと気づいて固まった。ボスの口には、どんぐりの首飾りが詰め込まれている。
ジャンは、何も理解できなかった。
そんな少年を嘲笑うかのように、上質な礼服を着た男性が、大袈裟な立ち振る舞いで現れた。
「ごきげんよう、殿下。あれ、髪の毛染めました?」
「……ラ、イ、?」
かつて、真っ白な騎士服を真っ赤に染めていた男は、黒を基調とした礼服を着ていた。ライ・フリッサ。王弟ジャンクティードの騎士であり、家庭教師ユーノットを殺した人物である。長い月日を経て、ジャンの悪夢がやって来た。
ライは、意気揚々と話し始める。
「死体を確認するまで安心出来ない。
討伐の基本ですね。王立学院で習いませんでしたか?
……あぁ、申し訳ない、殿下はまだ幼子でした。
えぇ、子どもです。
忌々しい、あの男のガキ!
何故、彼女があの男のガキを生まなければならなかった!?
何故、彼女はお前を生んで死ななければならなかったんだ!!
この死神王弟が!! 」
ライの罵倒に、ジャンは肩を震わせた。だが、聞き覚えのある単語に、青い目に光が戻る。
『殿下。他者を貶すことでしか生きられぬ害虫の言葉に、耳を貸してはなりません』
侍女の陰口に対して、ユーノットがかけてくれた言葉。
ジャンにとって、ユーノットの声は魔法だ、ジャンを助けてくれる魔法。
ジャンは震えながら、もう一度、黒髪に手を伸ばした。
(わかんないけど、ハサは、生命力が高い。まだ、大丈夫、大丈夫なはず)
ジャンは鼻から滴る青い血を拭い、深く息を吐いた。
「奏上。
我らが父よ、母よ、偉大なる青き美しき長よ。
我は、ジャンクティード・ブロッサムロード。
汝の聖なる青き証を受け継ぐ者なり。
感涙の極み。
揺れる青、流れる青、佇む青、注ぐ青。
全ての生を呑み、汝に感謝申し上げる。
親愛なる青き美しき長よ。
我は汝に請い願う。
我に青き純粋たる恩恵を授けたまえ」
ジャンは、神の証たる青き血を塵と化しながら、涙を流す。
「お願い、ハサを治して……おかあさん」
青く神々しい魔法陣に、涙が落ちた途端、透き通った青白い手が魔法陣から伸びた。
「ん? 雨? 」
ライは、急に振り出した空を見上げる。そして、自分を無視して神話級魔法を使い始めたジャンに気が付いた。冷めた目でジャンを見る。
(……神話級魔法の影響か)
彼は、わざとらしく首を傾げた。
「おや、いけませんね、殿下。敵に背中を向けるとは。
それとも、斬首をお望みですか。
っくく、大変殊勝な心がけですね。確かに、罪人に相応しい最後ですね。
はい、では、死んで下さい、殿……っ」
小さな背中に剣を振り下ろす直前、ライは殺気を感じて横に飛んだ。
彼が今しがた居た場所に、紺色のマントを揺らした、セツナの剣が振り下ろされる。
彼女は、静かな怒りを瞳に灯していた。
「誇り高き騎士ともあろう者が、幼子を手にかけようなどと……その愚行、万死に
値する」
「……ただの騎士か」
ライは関心を失ったかのように警戒を解く。一方、剣を構えたセツナは、ライの顔を見て、微かに目を見開いた。
「! ……貴様は、王弟殿下の」
「だったら、どうする。お嬢さん? 」
からかいを含んだ声色に、セツナは剣を握りしめる。
「殺す」
「出来るものなら、どうぞ。彼と一緒に」
背後から忍び寄っていたデボンの剣を、ライは難なく避ける。デボンは驚愕した。
「嘘、避ける!? 」
「プーガル卿! 彼は、白印蝶花の騎士です! 」
「はあ!? じゃあ、白い騎士服着てくれよ!? わかるか!! 」
セツナの忠告に、デボンは、やけくそに叫びつつ、ライから距離を取る。
紺色の騎士に前後を取られても、ライは平然としていた。
「若者は、元気だな。羨ましいよ」
「ライ・フリッサ、王弟殿下暗殺の容疑で、貴様を拘束する」
「先ほど、殺すと言ってなかったかな? 」
「そうなの!? ツェヘナ嬢!? 」
「プーガル卿、敵の言葉を信じないで下さい!! 」
「し、失礼した!! 」
二人の軽快な会話に、ライは肩をすくめる。
「心外だな。私は、事実を述べただけだよ」
ライが、一歩前に出た瞬間、二人は同時にライに突貫した。ライは口角を歪める。彼らの胸に輝く、銀の若葉を見ていた。
「……騎士科上位、か。最近の騎士は、質が落ちたかな」
ライは、瞬時にデボンの剣を弾き飛ばすと、セツナに剣を振り下ろした。セツナは間髪受け止めるが、容赦なく腹部を蹴り飛ばされる。
「が、は……っ」
セツナは血を吐きながら、小屋に吹き飛ばされた。
「ツェヘナ嬢!! 」
「自分の心配をしたまえ、青年」
「うおっ!? 」
デボンは、咄嗟に剣先を避ける。だが、ぬかるんだ地面に足を取られて転倒した。そんな彼に慈悲をかけるわけもなく、ライは剣を突き出した。デボンは、声が出なかった。
(あ、死ぬ……)
だが、剣先はデボンの眼前で停止した。
「貴様か、火属性の攻撃魔法を使った馬鹿は」
「ひ、姫様ぁぁぁあああああ! 」
真っ白に靡く騎士服に、デボンは涙を流すほど歓喜した。水浸しのルーラは、ライの手首を片手で掴んだまま、ライの顔面に拳を叩きこむ。骨の折れる音と共に、ライが無様に吹き飛んだ。ルーラは、酷く激怒していた。
「貴様のせいで、私はデザートを食べ損ねたではないか!!
貴様、どこの所属の騎士だ!! 名乗れ!!
私は、水神王国軍第五師団 師団長、この東部を防衛する要、ルーラ様だぞ!?
第五師団の騎士なら、半殺しにして治して半殺しにしてやる! 」
(もはや、どこから突っ込めば良いのか……)
デボンは、歓喜の涙が引っ込んだ。呆れて言葉も出ない彼の代わりに、頭から血を流したセツナが声を張り上げる。
「ライ・フリッサです、殿下! 」
「……あぁ」
ルーラは、何故か、急激に怒りを鎮めた。
一方、顔面を強打されたライは、鼻血を流しながら本気で剣を構える。
(あれは、歩く災害ではないか……くそ、何故ここに)
ライが睨みつけた瞬間、青い目が彼を射抜いた。咄嗟にライは剣を突き出すが、ルーラの姿は彼の視界から消える。彼が痛みを自覚した頃には、ライの四肢は切り落とされていた。雨でぬかるんだ地面に、ライは無様に落下した。
「デボン少年」
「は、はい!? 」
底冷えする声に、デボンは背筋を正した。
「これの止血を頼む。私は、見張りに徹する」
「ぎょ、御意! 」
デボンは、転がり落ちるように駆け、ルーラの足元に居るライの四肢を止血する。ライの四肢は完全に塞がれ、四肢を繋ぎ直すことは絶望的だった。
ルーラは、横目でセツナが何処かへ駆けていくのを眺め、改めてライを見下ろした。その顔は、微笑みを浮かべているが、端正な人形のようだった。
「初めまして、ライ・フリッサ。
貴殿には、聞きたいことが山ほどある。
だから、まぁ、なんだ。私の御前で、自害できると思うな」
温度のない声に、デボンは治療する手が震える。だが、ライは臆することなく、ルーラを睨みつけていた。
「……化け物が」
「心外だな。私は、ただの、善良な神さ」
(……善良な神様とは)
デボンは、ルーラの平常通りの態度に安心し、治療に専念した。