新しい顔
ジャンは、大柄の男の頭と木札を交互に見る。
「ん、退院。ちょっと、時間かかちゃったね」
(良かった! )
大柄の男は、ほっと溜息をつく。実のところ、診療所が落ち着かなくて、一刻も早く出て行きたかったのだ。しかし、そんなことをすれば、先の宣言通り、本当にジャンに殺されかねないので、大柄の男は図体に似合わず大人しく従っていた。
先ほどまでの大雨が嘘のような天気の下、大柄の男は、るんるん気分で診療所を立ち去った。その滑稽さを見送ることなく、ジャンは木札を苺に手渡す。
「苺お姉さん。表面削っといて」
「はぁい」
苺は、手慣れた様子で受け取った。木札も、タダじゃないので、重要案件でない限り、患者の記録を残すことはしない。大柄の男の怪我も、最下層の人間には珍しくない状態であった。
ジャンが一息ついたところで、診療所の前が騒がしくなる。荒々しい足取りでやって来たのは、黒髪の少年を背負った男だった。ジャンは、一瞬、心臓が凍り付く。だが、長年の経験から、無理やり笑顔を作った。
「何があったの? 」
「串刺しになった」
そう答えたのは、ぐったりしていたハサであった。あまりにも堂々としているので、ジャンは拍子抜けする。
「串刺しぃ? 」
「雨で地面がぬかるんでて、こいつ、崖から落ちたんだよ。んで、助けたら、俺が落ちた先に、角生えた魔物がいた」
「魔物ぉ? 」
ジャンは魔物の存在を本の中でしか知らない。魔物と動物は、凶暴性が違う。馬は、うっかり人を蹴ってしまうが、魔物は最初から殺意満々で襲い掛かる生き物だ。
「……よく生きてたね」
「兎みたいなやつだったから、俺の体重で潰れた」
「あぁ……君は、すごいね、本当に」
ジャンは生温かい眼差しでハサを見た。ジャンの誘導に従い、血塗れのハサが下ろされる。ジャンは、ハサを下ろした男と目が合う。そして、見覚えのある顔に目を丸くし、憎たらしい笑みを浮かべた。
「どうもー、二度と来ないんじゃなかったの? 」
「うぐっ……! 」
片腕を木々で固定した男は唇を噛んだ。ジャンは、それ以上男に何も話しかけることなく、水色の小瓶を取り出した。至極丁寧にハサに治療魔法をかけるが、妙な違和感に首を傾げる。出血量のわりに傷口が浅いのだ。
「角って、どのくらいの太さ? 」
「手首、くらい」
ジャンはハサの手首を眺める。どう見ても、先ほど塞いだ傷口は、彼の手首より一回り小さかった。ジャンは神妙な顔で呟いた。
「……入院」
「なんでだよ、治ったろ」
「いや、もしかしたら、原因不明の出血があるかもしれない。
だって、出血量に比べて、傷が小さいんだもん。
今日明日は、絶対安静。分かったね? 」
「……わかったよ」
黒い笑顔を浮かべるジャンに、ハサは渋々頷いた。ジャンは満足げに微笑み、骨折の男を振り返る。骨折の男は、ジャンの無表情に肩を震わせた。
「んで、君、その足、どうしたの? 」
「……どうもしてねぇよ」
「そういや、足引きずってたな、お前」
「ばっ……! 」
ハサの呟きに、骨折の男は焦る。ジャンは笑顔を作り上げた。
「見せてごらん? 」
「……二度と来るつもりなかったし」
「見せてごらん? 」
ジャンの圧力に押し負けて、骨折の男は、不機嫌なまま足元を捲った。そして、骨折の男とハサは顔をしかめる。
「うげ……! 」
「んだ、これ」
「さぁ? そこら辺に生えてる毒草で、切ったんじゃない? 」
男の足は、傷口は浅いものの、醜く変色していた。ジャンは、骨折の男に魔法で解毒してあげる。だが、少しばかり毒性が強く、完治には至らなかった。ジャンは溜息をつく。
「君も入院だ……念のため、ハサも解毒しておくよ」
「おう」
「あ、お兄さん、そこから動かないでね。自分を毒の塊だと思って」
「……あ、あぁ」
骨折の男は、自身の肌が気持ち悪く変色していたことに、大分衝撃を受けたらしい。暗い表情をする彼に、ジャンは冷たく言い放つ。
「言っとくけど、娼婦のお姉さん達の病気より、全然軽いから。
一週間くらい治療続けたら治るよ。
毒草踏んだって奴、一か月に一回は来るし」
「……重いって、どれくらい? 」
「あっちのお姉さん、六年治療続けて、あの状態」
骨折の男は絶句する。視線に気が付いたのか、苺が朗らかに手を振る。骨折の男は、気まずそうに視線を逸らした。ジャンは石板に記入しながら、淡々と男に話しかける。
「あぁ、言い忘れてたけど、それ骨折じゃないから。
ただの打撲だよ。触媒の余裕があったら、治そうか? 」
「……いや、いい」
「あっそ。んじゃ、聖なる水を飲みなよ。こっちも、毒には少しは効くからさ」
「あ、あぁ。……ボスに感謝」
骨折の男は、聖なる水を飲む前に祈った。その言葉に、ジャンは石板を書き込む手元が狂う。思わず真顔で、元骨折男に質問した。
「……なんて? 」
「な、何が? 」
「最後。飲む前に、なんて言った? 」
「あ、あぁ。ボスに感謝、だろ。
最近、あちこちで聞くから、自然に言うようになっちまった」
ジャンは唖然とする。物凄い勢いでハサを振り返れば、ハサは露骨に顔を背けた。
だが、今回ばかりは逃すまいと、ジャンは硬い声音で彼の名前を呼んだ。
「ハサ」
「……俺、知らね」
淡白な返しをするハサ。ジャンは石板を投げ捨てて、ハサの顔を掴む。
当然ながら、ジャンの筋力では、強制的にハサを振り向かせることは出来ない。
しかし、ハサの地味な抵抗が、何よりも答えを示していた。ジャンは憤慨する。
「いや、こうなること分かってたって顔してるね!?
何で教えてくんないのさ!? 」
「……ガキの声は、よく通る」
「あぁ! だいたい集団で動いてるからね!?
さぞ、立派な楽器だろうね!?
あぁ、どうしよう……ボスに知られたら、」
ジャンはボスの怒りを想像して頭を抱えた。
その頃、倉庫の壁際に座り込むボスは、石板を片手に首を傾げていた。
「最近、妙に感謝されんのは、何でだ? 」
丁度、避妊薬の納入に来ていた火傷女は、彼の疑問に答える。
「あぁ。食事の、挨拶、って」
「何だそりゃ。一体、どこのどいつが流行らせやがったんだ」
「さぁ? 」
火傷女も詳しい事情は知らず、曖昧な返事をする。ボスは、溜息をついた。
「まぁ、害がなけりゃ、なんでもいいさ」
不意に、ボスの前に火傷女が、ふらりと立つ。
色っぽい雰囲気を纏わせ、彼の眼前で柔和に微笑んだ。
「ボスに、感謝? 」
「やめろ。お前は、おちょくってるようにしか、聞こえねぇ」
眉間の皺を深くするボスに、火傷女はクスクス笑う。そんな二人の間に割って入るように、倉庫の外に居た男性が大声を出した。
「ボス! 客だ! 」
「あん? 客? 」
ボスは火傷女を押しのけ、重い腰を上げる。
同時に、真っ白な騎士服を着た女性が入ってきた。雪のように儚くも美しい顔立ち。純白のリボンで丁寧に結われた水色の髪が、乙女の弱さを強調する。突如舞い降りた麗しい騎士に、倉庫に居た男達は目を奪われる。
真っ白な騎士服の腕には、五の紋章が描かれていた。彼女の背後にいる、紺色の騎士服を着た若い男も同様だ。だが、紺色の騎士服を着た若い女には、数字ではなく、紫陽花の紋章があった。
(ハサの言ってた白い騎士か)
ボスは、人間離れした美しさに、眉をひそめる。彼女の、ほんのりと上がった口角が薄ら寒く感じたのだ。真っ白な騎士を見るボスの隣で、火傷女が面白くなさそうに、首飾りのどんぐりをいじる。
「……ああいうの、好み、? 」
「あ? 何言ってんだ、お前は」
心底、訳が分からないという顔をするボス。火傷女は、ボスの反応が気に入ったのか、楽しそうにボスの腕に絡みついた。
その間に、真っ白な騎士は、倉庫内を見渡し、ボスに視線を止めた。恐らく、ボスの立場に気が付いたのだろう。儚い外見とは裏腹に、尊大な態度で口を開いた。
「お戯れのところ失礼。貴殿が、こちらの頭領か? 」
「は? 」
ボスは一瞬、言葉に詰まり、火傷女を見下ろす。彼女を、問答無用で引き剥がすと、気まずさを押し殺すように低く唸った。
「……貴殿なんて、呼ばれる柄じゃねぇ」
ボスの不躾な態度に、若い男の騎士が身構えるが、真っ白な騎士が無言で制止をかける。彼女は、気分を害した様子もなく、穏やかに言葉を紡いだ。
「では、なんと呼ぼうか? 」
「ここは、人間の最下層だ。だいたいの奴に、名前はねぇよ。
俺様も、ボスって役職名で呼ばれてるしな」
「そうか。では、ボス殿と呼ぼうか。
私は、ルーラ・プーガル。この地を治める、プーガル辺境伯の正妻だ」
彼女、ルーラの名前を聞いたボスは目を丸くした。
「あ? んじゃ、あんたが一昨年、領主に嫁いできた先王の第二王女か。
もっと、ババアを想像していたぜ」
「あぁ、王族は総じて外見年齢が若いんだ。私とて、三十路は越えているさ」
「「「えっ!? 」」」
倉庫の男達が、驚愕の声を上げる。それをボスが睨む。
「てめぇら……」
(((やべぇ、静かにしないと、ボスに殺される)))
男達は慌てて自らの口を押えた。ボスは、改めてルーラの容姿を眺める。二十歳と言われても違和感ないし、下手したら未成年に見えなくもない。とはいえ、両名の会話に外見は必要ないだろう。軽い雑談を切り上げ、ボスは本題を乗り出した。
「んで、その王女様が、俺様に何の用だ? 」
「単刀直入に問おう。こちらの幼子を、騎士に引き渡さないのは何故だ? 」
ルーラの発言に、ボスは視線を鋭くする。
「北西の事件……あれで、見切りがついたわ。
お貴族様にとっちゃ、最下層の人間の命なんざ、ゴミ以下なんだろ? 」
「それは! 一部の……」
感情を押し殺したように囁くボスに、若い男の騎士が反論する。だが、ボスに睨みつけられて、口をつぐんだ。ボスは言葉を重ねた。
「俺様達にとって、貴族は貴族さ。
てめぇらだって、最下層の人間なんざ、見分けがつかねぇだろうが」
平民は、最下層の人間を見下ろす。また、貴族も、平民以下を見下ろす。貴族にとって、ボス達の住まう場所は、治安の悪い平民の町としか認識していないのだ。それは、ある意味、貴族は、平民とゴミ人間を差別していないとも言える。だから、ルーラは、最低限の礼節をボスに尽くしていた。
(くそ……変に人間扱いされっと、調子狂うぜ)
ボスは感情的になってしまった自分を恥じた。ルーラは、彼を、じっと見つめている。相変わらず、微かな笑みを浮かべたまま話し始めた。
「道中、幼子と老人の姿を、私は見ていない。
こちらのボス殿は、余程、こちらの管理を徹底しているらしいな。
で、あれば、我らは無用な口出しはしない。
今回、こちらを訪れたのは、ただの確認さ」
真意の見えない青い瞳に、ボスは眉を顰める。
「用件は、それだけか? 」
「あぁ、最後に一つだけ、よろしいか」
「なんだ」
ルーラは横目で、今まで沈黙を保っている若い女性騎士を見ながら話した。
「私と同じ、青い目を持つ、灰色の髪の少年をご存知ないか?
多分、今だと、十三歳ぐらいだと思うのだが」
「あんたみてぇな、お綺麗な目を持ってるガキがいたら、物珍しさで攫われてんだろ」
ボスの冷めた声音が、彼女の言葉を否定する。
次の瞬間、彼女は吹き出した。儚い外見から想像が出来ないほど、豪快に笑ったのだ。
「あはははは! あぁ、さもありなん。
だが、その場合、その者の首を切り落とさねばならんな。
私と同じ存在を害する輩は、生かしてなるものか」
彼女は、少女のように笑いながら、残酷な発言をする。そのチグハグさが異様で、ボスは距離を置きたくなった。ルーラは目元の滴を拭うと、上機嫌でボスを見た。
「実りのある会話だったよ。ではな、ボス殿。また来る」
ルーラは、真っ白なマントを翻し、紺色の騎士達を連れて立ち去った。まるで、台風のように通り過ぎた彼女。
ボスは、表情を引きつらせて火傷女を見る。
「……あいつ、また来るって、言いやがったか? 」
「ボス、モテる、ね? 」
「どこがだよ。俺様は、今、竜と対峙した気分だわ」
ボスは、がしがしと頭をかく。そして、いつもの仏頂面を下げた。
「おい、火傷女。ジャン呼んで来い」
「はぁい」
火傷女に連れてこられたジャンは、死刑宣告を受けた罪人のように震えていた。その有様に、ボスは眉を顰める。
「んだ、てめぇ。俺様に怒られる心当たりでもあんのか」
「……ボスに感謝」
「「あ、」」
ボスと火傷女は声を揃えて驚いた。
最近、妙に流行り出した謎の祈り言葉は、意外な人物が発生源であった。ボスは呆れて何も言えなくなる。それを、物凄く怒っていると勘違いしたジャンは慌てて弁解した。
「でも、あのね!? 悪い意味じゃないんだよ!?
食事の前口上で、ガキどもが、水神様に感謝するのが納得できないみたいだったから、ボスに感謝すればって言ったら……みんな使い始めちゃって」
風邪の大流行と同じだ。しかし、この謎の祈りは、最下層の人間に好意的に受け止められているので、定着してしまいそうだ。ジャンは言葉がだんだん小さくなる。やがて、目に涙を浮かべた。
「ご、ごめんなさい」
「……思いがけず、神の気持ちがわかったわ」
「ふふっ」
「笑うな」
ボスは火傷女を睨むが、彼女は平然と受け流す。そのやり取りを見て、ジャンは、ボスが本気で怒っていないことに気が付いた。恐る恐る、声をかける。
「お、怒ってない? 」
「どうでもいいわ、飯前の挨拶とか」
(よ、良かった)
ジャンは、ほっと胸を撫で下ろす。安心したら、今度は自分が呼び出された理由が気になった。ジャンは身を乗り出す。
「ところで、何で、俺、呼び出されたの? 」
「さっき、お前の姉ちゃん来てたぞ」
「……え? 」
「どうする? また来るって言ってたぞ」
ジャンは耳を疑う。だが、ハサに問い詰められた時ほど、胸が苦しくはならなかった。
(ボス、俺が王弟だってこと、最初から気づいてたんだ)
ボスの平常通りの態度に、ジャンは嬉しくなる。とはいえ、ジャンに兄弟姉妹がいる感覚は無い。
(先王、俺の父親は、八人の妻がいるし。
そもそも、王太后陛下が、誰にも会わせてくれなかったんだよね。
ずっと、兄姉いないって感じ。
でも、もし、ユーノットが生きてたら、俺は迷わず会うんだろうな)
ジャンは一抹の寂しさを感じる。そして、ボスの気遣いに感謝しつつ、首を横に振った。
「俺、兄弟も姉妹も、いないよ。母親みたいな人はいたけど、もう、誰もいない」
「……そうか」
「お話は、それだけ? 俺、診療所戻っていい? 今、ハサが入院してるんだ」
過去の話を、あっさり切り離したジャンに、ボスは溜息をつく。
「おう。後で、果物持っててやるよ」
「わ、やった。ありがとう、ボス! 」
ジャンは笑顔で、倉庫から立ち去った。
残された二人は沈黙する。最下層の人間に、暗い過去は珍しくない。それでも、ボスは感傷的になっていた。
(あー、くそ。ガキが、大人ぶってる)
それは、ボス自身にも言えた。子どもなのに、子どもでいられない。昔のボスは、それに嫌気が差して、ガキをガキ扱いしてきたつもりだ。自分も十五歳のガキだったのに。
(……わかってるさ。大人の庇護が無くなったガキが、どうなるか)
瞼の裏に焼き付いた光景が離れない。着の身着のまま、豪華な馬車から叩き出されたことを、ボスは死ぬまで忘れないだろう。そして、腕の中にあった小さな影も。
(魔物さえいなきゃ……いや、そもそも、貴族さえ、)
憎悪の炎が、ボスの目に宿る。
不意に、火傷女が、悪戯っぽい笑みを浮かべ、ボスの腕を撫でた。
「ボスに、感謝? 」
「マジで、お前はやめろ。違う意味に聞こえる」
「ふふ、酷い男」
「てめぇの顔よりはマシだわ」
ボスの乱暴な物言いに、火傷女は心底楽し気に微笑んだ。
だが、またしても、倉庫の入口付近にいた男の大声に邪魔される。
「ボス! また新顔が増えたみたいだぜ! 」
「おう。じっくり、ゆっくり話を聞かせろ。な? 」
「お、おう? 」
ボスは、火傷女から逃げるように、男の肩に腕を回した。その背中を、熱の籠った瞳が見つめている。
(そろそろ、夜這い、してみよう、かな。ボスも、大人になった、し)
密かな決意を胸に、火傷女は上機嫌で倉庫の壁に寄り掛かった。ボスは、異様な寒気に身震いする。
(……風邪か。おう、風邪だな)
「ど、どうした、ボス? 」
「何でもねぇよ、ほっとけ」