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黒猫が横切る街


 月日は流れ、ジャンは13歳になっていた。成長痛で膝が悲鳴を上げるのは喜ばしいことだが、周囲がほぼ大人なので、ジャンは自分が大きくなった気がしない。火傷女の身長さえ越していないのだから尚更。


「なぁに? 」

「いやー、今日も美人だなって思って」

「ふふ、ありがとう」


 ジャンの軽口を、火傷女は和やかに受け止める。あの一件以来、距離が縮まった、というわけではない。ジャンと火傷女は、医者と助手のような関係になっていた。元々、診療所の手伝いは、火傷女が率先していたので不自然ではない。


 火傷女は、再び作業に集中する。彼女が練っていたのは避妊薬だ。娼婦達の職業柄、避妊は重要案件である。だが、避妊薬は医者が処方するため、非常に高価だ。最下層の娼婦達は毒草を煎じて飲んでいた。それも完全に堕胎出来るわけではないし、毒で娼婦自身が死に至ることもある。


 ならば、避妊薬を自作するしかないと、ジャンは発起した。


「本当、雑草ババア、様様だよ」

「ね……」


 雑草ババアが、過去、娼婦だったことが判明した。

当時、ジャンは大層驚いたものの、火傷女は想定内と言わんばかりに冷静だった。ここは人間の最下層。落ちぶれた娼婦が長く住み着いても、おかしくはない。その通りである。


 ジャンは雑草ババアから避妊薬の原料を聞き出し、ボスに仕入れてもらった。仕入れ値は、高くない。問題は、医者の技術が必要だった。故に、最下層の人間には手が届かない値段だったのだ。


 ジャンは試行錯誤の上、数年かけて自力で避妊薬の製法を編み出した。今では、魔法が必要な作業をジャンが済ませて、塗り薬の調合は火傷女が担当している。


これで、多くの命は芽生えないだろう。












(誰かを救いながら、誰かを殺す仕事。なんて矛盾だろうか)


 ジャンは、深く考えるのをやめた。手元の石板を書き終えると、近くに居た女性に声をかける。


「苺お姉さん、これ、木札に書き写しといて」

「えぇ、任せて」


苺と呼ばれた女性は、朗らかに微笑む。かつて、診療所内で最も重い病気に侵されていた女性だ。完治したわけではないが、座って物を書くことは出来るようになっていた。長年、ただ世話になるのは苦痛だったのだろう。苺は、嬉しそうに石板の文字を木札に模写する。その間に、ジャンは診療所の前に並ぶ人影に足を運んだ。


「お待たせ。んで、どうしたの? 」


ジャンは作った笑顔で話しかける。先頭にいた男は不機嫌さを隠すことなく、ジャンを見下ろした。


「腕折れたんだよ、早く直せ」

「そっかぁ。枝で固定すればいいよ。はい、次の人~」


ジャンは男の後ろに立っていた娼婦に声をかける。娼婦は、わざとらしく甘えた声でジャンに擦り寄った。


「ジャン、お願い。客に掴まれて、痣になっちゃった」

「うわ、酷い客さんだね」


手形のついた腕を優しく取ると、ジャンは水色の小瓶を出した。


「神秘奏上。偉大なる水神よ、いと慈悲深き神よ。

神前に清らかなる青を捧げる。

水のしらべを我に許したまえ 身体回復」


ジャンが唱えると同時に、水色の液体が塵と化し、青い魔法陣を成型する。魔法陣から溢れる淡い青の粒子が、娼婦の痣を消し去った。娼婦は嬉しそうに微笑み、胸を押し付けるように彼に抱き着いた。


「ありがとう、ジャン」

「どういたしまして、葡萄お姉さん」


葡萄と呼ばれた彼女は、かつて、ジャンが一番最初に治療魔法を施した女性だ。彼女はジャンに礼を言うと、あっさりと立ち去る。目の前の光景に、骨折したと宣言した男は眉を吊り上げた。


「娼婦は治すくせに、俺は治さねぇのかよ! 」

「君の怪我と、お姉さんの怪我は、その後の影響力が違うでしょ。怪我のない娼婦の方が高い金払ってもらえるんだから。小さな傷一つだって、お姉さん達にとっては死活問題だよ。後は、まぁ、柔らかいよね」


ジャンは凛とした顔で宣う。濁された言葉を瞬時に理解した男は、激昂した。


「てめぇ、それが本音だろうが! 女好き野郎! いいから俺の腕を治せよ! 」

「叫ぶ元気があるなら大丈夫でしょ。骨を突き破ったら、またおいで」

「~っ、二度と来るか! この闇医者! 」

「はいはい。次の人~?」


ぷんすかと立ち去る男の横から、図体のデカい男が、頭から血を流して現れる。見慣れた顔に、ジャンは穏やかに微笑む。


「あれ、今日はどうしたの? 」

「馬に蹴られた」

「どこを? 」

「頭」

「よし、入院」

「え、だ、大丈夫」


慌てふためく大柄の男に、ジャンは笑みを深くした。


「あははは。ド頭割れてんだよ、おバカ」


かつて、大柄の男に怯えた面影はどこにもない。逆に、大柄の男が、びくびくしながら診療所に足を踏み入れた。ジャンは手慣れた様子で、水色の小瓶を取り出す。


「神秘奏上。偉大なる水神よ、いと慈悲深き神よ。

神前に清らかなる青を捧げる。水のしらべを我に許したまえ 身体回復」


ジャンが唱えると同時に、水色の液体が塵と化し、青い魔法陣を大柄の男の頭上に成型される。淡い青の粒子が、彼に降り注ぐ。ジャンは、じっと彼の頭部を観察する。


「んー、少しは塞いだかな。一週間にかけて、治療魔法と聖なる水を使うから、ここで絶対安静ね。許可なく動き回ったら、俺が止めを刺すよ」

「わ、わかった。絶対、動く、しない」


ジャンの黒い笑みに、大柄の男は怯えながら頷いた。ジャンは、医者として着実に成長していた。主に精神面が。













 一方、ハサも成長していた。長くなった真っ黒な髪を無雑作に結んだ彼は、農作物の詰められた籠を荷車に載せる。照り付ける日差しに、ハサは汗を拭った。その時、農家の人間に呼び掛けられる。


「おーい、そこのゴミ人間。終わったかー?」

「あぁ」


農家は荷車を眺め、満足げに頷いた。そして、ハサに売り物にならない農作物が入った袋を手渡した。


「ご苦労さん。本当に現金じゃなくていいのかい? 」

「俺達じゃ、屋台の連中に煙たがられるからな」

「あー、まぁ、ゴミ人間じゃ、しょうがねぇか。……あ、ちょっと待ってろ」


農家は、一度、家に戻り、甘い香りがする物を持ってきた。ハサは眉をひそめる。農家は、ニコニコと、青い果実の菓子を差し出す。


「これやるよ。うちの女房の手作りだ、美味いぞ」

「んだ、これ」

「ベリーパイだよ。今度の夏休みに学院から息子が帰ってくるもんで、今から女房が練習しててな。毎日毎日、ベリーパイを食わされる俺の身にもなってほしいもんだ。悪いが、今日の分は俺の代わりに食べてくれ」

「……学院って?」

「王立学院だよ。俺ん時は、金がなくて行けなかったんだ。だから、息子には通ってほしくてな」

「……パイ、ありがと」

「おう。また頼むぜ。ゴミ山のボスに、よろしく伝えてくれや」

「あぁ」


 ハサは黒い尾を揺らし、菓子の包みを大事に抱えた。


 農家の畑から遠ざかると、人の喧騒が聞こえてくる。最下層の人間とは違う。誰も彼もが、綺麗な服を着て、舗装された道を歩いていた。彼らは、平民という部類の人間である。この国の、本当の最下層の人間だ。


 ボス達が、最下層の人間だと自称するのは、自らを人間だと思いたいからである。だが、現実は非情だ。彼らは、平民にゴミ人間と呼ばれる。侮蔑の意味で呼ばれることもあれば、単なる名称として呼ばれる。


 農家も悪人ではない。ただ、ハサ達と接するのは、野良猫に餌を与える感覚に等しい。それほどまでに、平民とゴミ人間には格差が存在していた。












 ハサは、平民の目に止まることなく、俊敏に頑丈な建物を駆けのぼる。軽々と屋根から屋根に飛び移った。不意に、彼は足を止めた。


「……あ、? 」


いつもは流していた風景に、真っ白な服が目に映った。ハサは目を凝らす。


「白い、騎士? 」


彼の視界の先には、真っ白な騎士服を身に纏う女性がいた。その後ろに、紺色の騎士服を着た男女が二人。三人とも、これまでハサが見てきた騎士や兵士の中で若々しく、ボスや火傷女と変わらない年頃に見えた。だが、ハサの大きな違和感は、それじゃない。


「ボスに報告……っ」


遥か彼方に居るはずの真っ白な騎士と、ハサの目が合う。ハサは、慌てて物陰に隠れた。鼓動が早くなる。恐る恐る、様子を伺えば、真っ白な騎士は、既にハサを見ていなかった。ハサは、素早く身を翻して最下層に帰還した。












 一方、真っ白な騎士は、ハサの立ち去る姿を青い目で眺めていた。


「……珍しいな」


「どうかされましたか? 」


紺色の騎士服を着た青年の呼びかけに、真っ白な騎士は水色の美髪を揺らした。


「いや、黒猫が横切っただけだ」

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