お姉さんは優しくて意地悪
ジャンとハサ、火傷女は新雪を踏み荒らす。やがて、火傷女の足跡が続く粗末な小屋に辿り着いた。まず、火傷女が小屋に入り、その後ろにジャンとハサが入る。しかし、子ども二人は、目の前の光景に足を止めた。
「これ、って……」
「おいおい、マジかよ」
小屋の中には、腹を大きくした女性が横たわっていた。火傷女は、細々と語り始める。
「しばらく、顔を見せていない子、なの。診療所が落ち着いたから、様子を見に来たら、こうなってて……どうしよう、ジャン。私、失敗したことないから、分からないの」
妊婦は顔色が悪く、呼吸が浅い。ジャンとハサは顔を見合わせる。
「に、妊婦って、その。えっと、お産? え、お産って、なに? 」
「お、俺が知るか!! 」
「ど、ど、ど、どうしよう!? 俺、お産のやり方、知らない! ハサ、分かる!? 」
「俺だって知らねぇよ! 」
「だよね!? あーもう、お姉さん達より上の年代いないの!? 」
「年くった女なら……あ、」
「「雑草ババア!! 」」
二人は声を揃える。後の行動は早かった。ジャンは指示を出す。
「ハサは、雑草ババア探してきて! 火傷のお姉さんは、綺麗な布と大鍋もってきて! 」
「おう」
「わ、わかった」
二人が走り出す。ジャンは手持ちの袋から、濃い緑色の葉っぱを取り出した。
「神秘奏上。偉大なる風神。風の神秘を」
ジャンが早口でまくし立てると、葉っぱが塵と化し、緑の魔法陣を成型する。魔法陣から、淡い緑の風が小屋の中に流れた。
「後は、火をおこして……んん?? 」
ジャンは手早く枝を集めると、マッチを擦る。しかし、マッチに火がつけられない。
(火! 俺は、今、火が欲しいんだってば、焚火! )
焚火に四苦八苦していると、火傷女が荷物を抱えて戻ってきた。状況を察して、ジャンの代わりに火傷女が焚火を用意する。ジャンは気まずさを抱きつつ、大鍋に聖なる水を作る。
「とりあえず、お湯。妊婦さん、寒さで冷たいから、白湯作らないと」
その頃、ハサは、大鍋を抱えた雑草ババアを捕まえた。
「雑草ババア! 面貸せ! 」
「へ、? 」
雑草ババアは、きょとんとしてハサを見つめる。普段から会話のある二人ではないが、雑草ババアは彼が大慌てしている様を初めて見た。立ち尽くしていると、ハサが焦れたように大鍋を取り上げる。
「お産、手伝えって言ってんだよ! ババア! 」
「……あぁ」
言葉の足りないハサに、雑草ババアは特に物申すことなく、大人しく腕を掴まれた。その様子に、遠くから眺めていた幼い三人組は首を傾げた。
「お産って、なぁに? うまいの? 」
「ちげぇ! 赤子産むんだよ! つーか、お前ら、ボスんとこ行って、赤子に必要なもん頼んでこい! 」
ハサの剣幕に、子どもの一人が元気よく返事をする。
「わかんないけど、わかった! 」
「えー、スープは? 」
「それも、ボスに頼んで来い! 」
ハサは乱暴に大鍋を置くと、雑草ババアを背負って、俊敏な動きで走っていった。
残された幼い三人組は顔を見合わせる。そして三人で協力して大鍋を抱え、倉庫に向かった。三人組は、ボスの後ろ姿を見つけると、ちょこちょこと近づいた。
「ぼす~、赤子ちょーだい」
「スープも! 」
「赤子とスープ! 」
「……は? 」
支離滅裂な発言に、ボスは素っ頓狂な声を上げた。
目撃情報を頼りに、ボスは粗末な小屋を訪れた。
そこでは赤子の鳴き声が聞こえる。赤子は雑草ババアが産湯につけており、火傷女とハサが興味深げに見つめていた。ボスは、すぐに脱力した。そして、横たわる女性の傍に居るジャンに話しかける。
「出産なら、出産って言え。誰かが、赤子をスープに突っ込んだかと思ったわ」
「え、なにそれ、怖い。どうしてそうなったの? 」
「俺様が知りたいわ。ほら、これ、果物」
「わ、ありがとう」
ジャンは果物の籠を受け取り、果物の皮を剥く。それを、出産を終えたばかりの女性の口元に運んだ。女性は青白い顔をしながら、ゆっくりと咀嚼した。ボスは彼女の顔を観察する。
(最近、いなくなってた娼婦か)
ボスは密かに安堵する。いくらボスが管理していても、所詮は人間の最下層。人の出入りは激しく、安全な場所とは言い切れない。行方不明者は死亡している可能性があった。そのため、ボスは女性の無事を安堵したのだ。
清潔な布に包まれた赤子を、雑草ババアは女性の元に連れてきた。
「ほら、あんたの産んだ子だよ」
女性は、恐る恐る赤子に手を伸ばした。そして、ぽろぽろと涙を流す。
「私、初めは、この子のこと、殺そうとしたの。仕事の邪魔だったから。
……でも、あぁ、私、この子の母親になっても、良いのかしら? 」
「何言ってんだい、あんたが産んだんだから、あんたが母親さ」
雑草ババアの激励に、女性はさめざめと泣いた。
その光景に、ジャンは言いようのない気持ち悪さを覚え、そっと小屋を出た。薄墨色の空の下、ジャンは壁にもたれかかる。
「……母親、か」
ジャンは、実母のことを考える。第七側妃ジーン、その名前しか知らない母親。そして、ジャンを生んで亡くなった女性だ。正直、ジャンは何の感慨もなかった。紙の上でしか知らないのだ。人柄も、声も、顔も、何も分からない母親。
(王太后陛下は、俺を嫌いだったろうけど、実母も嫌っていたように思える。だって、一度も、あの方の口から、実母の名前を聞いたことがない)
ジャンは、生まれる前から、嫌われていたのだろうと考えた。実母が嫌われていたのだ。その息子であるジャンが、王太后に好かれるはずもない。
(ジーン側妃は、どんな思いで、俺を産んだんだろうか)
死神王弟と呼ばれる息子。ジャンは自嘲した。
(……産みたくて産んだわけじゃないのかも)
先ほどの女性の言葉が胸を突き刺した。何かのアクシデントがあったに違いない。ジャンは、そう判断した。そうでなければ、自分が白い騎士に殺される理由が分からない。
ドス黒い感情を呑み込んでいると、火傷女が顔を出した。
「ジャン、? 」
「ん? なに? 」
ジャンは慌てて笑顔を作った。火傷女は、彼の顔を、じっと見つめる。
「ちょっと、お話、しよう、? 」
「え? 」
火傷女は、強引にジャンの手を引き、診療所にやってきた。中には、数人の女性が眠っている。火傷女は、入口付近の壁に背をつけた。彼女は困ったように微笑む。
「ジャン。あなた、私達の仕事、知らない、よね? 」
「……なんとなく、わかる気がする」
「そう……」
ジャンの反応に、火傷女は目を伏せた。そして、無感情に語り始める。
「子どもが出来るようなことで、私達は、お金を稼いでいる。診療所にいる子も、そのせいで病気になった」
「じゃあ、失敗って、子どもを殺せなかったこと、? 」
ジャンの不透明な眼差しに、火傷女は力なく頷いた。
「子どもが、お腹の中に居ると、客を取れない。
だから、お腹が小さいうちに、殺すの……どうせ、産んでも、面倒見切れない、から。
産むだけ、無駄だし。そうやって、沢山殺してると、だんだん、妊娠しなくなるの。
仕事には良いけど、女としては、どうなのかしら、ね」
残酷な言葉を、ジャンは静かに聞いていた。火傷女は乾いた笑みを浮かべる。そして、大きな火傷の跡に手を添えた。
「私ね、顔が綺麗なとき、高級娼館にいたんだ。
貴族が、利用するような、上質な店よ。そこそこ、売れてて、とある貴族に身受けされた。
娼婦にとって、身受けされるのは、幸せなことだった。この生活から抜け出せるから。
でも、私は、駄目だった。
貴族の奥方は、娼婦が嫌いだったから、すごく意地悪。でも、私、いっぱい我慢したの」
火傷女は、傷跡に爪を立てる。
「なのに、気に食わないからって魔法で焼かれた。
私を身受けした貴族は、医者に見せる金が勿体無いからって、私の事、川に、捨てたの。
びっくり、でしょ?
こんな顔じゃ、娼館に戻れない。私は、最下層に落ちるしか、なかった。
……でも、私、運が良かった」
火傷女は、瞳を輝かせた。
「丁度、ボスが来た時期だったの。ボスは、私を助けてくれた。
弱くて死ぬしかない私たちを、守ってくれた。私ね、今が、一番幸せ」
「……分かる」
ジャンの同意に、火傷女は穏やかに微笑む。そして、ジャンの真っ白な頬を両手で優しく包み込んだ。
「私たちは、この仕事を続ける限り、何度でも、子どもを殺すわ。今日みたいなことは、めったにない」
「……うん」
「それでも、私たちを、治してくれる? 」
火傷女の瞳が不安げに揺れる。ジャンは目を逸らさなかった。
「治すよ。俺、最下層の医者だもん」
彼は断言する。そもそも、彼女達の優しさがなければ、ジャンは今日まで続けられなかったのだ。どれだけ、先ほどの件に衝撃を受けようとも、彼女達を切り捨てる気はなかった。
ジャンの真剣な眼差しに、彼女は安堵する。慈愛の微笑みを浮かべた彼女は、ジャンに口づけをした。刹那の出来事に、ジャンは唖然。
「……は? 」
「ふふ、お礼」
火傷女は、悪戯っぽく笑うと、ジャンを解放した。流石に物を知らないジャンとて、今の行動が何を意味するか知っていた。ジャンは苺のように頬を真っ赤に染め上げる。
「は、はぁああ!? 」
「はじめて、? 」
「あ、あた、当たり前でしょ!? 俺、まだ、七歳だよ!? 」
狼狽するジャンに、火傷女は口元を抑えて笑う。
「かわいい、ね? 」
「うぐっ」
からかわれたと思い、ジャンは、いじけたように顔を背ける。その視線の先に、口をぽかんと開けたハサがいて固まった。ジャンは何も悪いことをしていないのに、必死に弁解する。
「は、ハサ。これは、その……」
「お、おう。妊婦の奴、大丈夫そうだから、抜けてきた。ボスが、俺らの分も果物くれて……お、俺、先、帰ってる」
ハサは早口でまくし立てると、勢いよく飛び出した。ハサの背中が一瞬で見えなくなり、ジャンは膝から崩れ落ちる。
「……めっちゃ、気まずい! 」
「あらあら、」
「あらあら、じゃないよ! 何してくれてんだよ! 」
「嫌だった、? 」
「嫌じゃなかったけれども!? 」
ジャンがやけくそで怒鳴り散らすと、火傷女は楽し気に彼を見つめた。
「ふふ、ジャンは、良い子、ね」
余裕綽々な態度に、ジャンは頬を膨らます。経験差は歴然。敵うはずがなかったのだ。ジャンは最後の反抗として、彼女を睨みつける。それすらも、どこ吹く風なのだから、ジャンは諦めて小屋に帰った。