プロローグ
修正しました。
神王歴5032年。
水神王国第121代神王アクアラティードは、水神に祈りを捧げていた。
本日は、第七側妃が早朝から、お産に耐え忍んでいた。
八人の妻を持つ王は、妻が出産に臨むたびに、自らが敬愛する神に祈り続けてきた。無事、男児が生まれてくるように。
王の横顔は窶れ、目は虚ろであった。病的なまでに祈る姿を、彼の王妃であるルーシャは斜め後ろから冷めた目で見つめている。王妃という、王の隣に並び立つ権利を持つ彼女。今更、彼女の下に位置する側妃達に対して嫉妬はしない。
だが、第七側妃の存在は、彼女にとって不愉快なものになっていた。それを、あえて口に出さないのは王妃の矜持であった。
最も、王がそのようなことを気に掛ける様子はなく、ただ、待望の男児を祈願していた。
それが、王妃をより不快にさせる。
重苦しい空気を切り裂くように、従者が部屋に駆けつけてきた。
「男児です!第七側妃様、第二王子殿下をご出産なされました!」
その言葉に、王妃は眉をひそめる。だが、王妃が発するよりも早く、王が体ごと振り返った。
「本当に男児か!?」
「はい!男児です!」
従者の言葉に、王は膝から崩れ落ちた。わなわなと、歓喜に体が震える。
「王子、王子が、これで我が国は安泰……」
ぶつぶつと呟いていた王の薄い体が、床に倒れ伏す。想定外の出来事に、王妃も従者も言葉を失った。我に返った王妃は、慌てて王の背中に手を当てる。
「陛下!陛下!……誰ぞ、侍医を連れて参れ!」
「し、しかし、」
「何!?」
言い淀む従者を、王妃は睨みつける。従者は青ざめながら告げた。
「だ、第七側妃様の容態が悪いと……」
王妃は言葉に詰まる。だが、すぐに非情な判断を下した。
「それは捨ておきなさい!陛下の御命が最優先です!」
「ぎょ、御意!」
従者が慌ただしく出ていくのを見送ることなく、王妃は王を見つめた。王は37歳とは思えぬほど、頬が痩せこけていた。それは、全て心労によるもので、本来の美しさは損なわれている。正妃は、まだ年若い王を死なせるわけにはいかないと、頭を横に振った。
(あぁ、どうして、我が子たちが不在の時に。今が、雨の儀が行われる季節でなければ……そもそも、私が医者であれば)
侍医が到着するまでの間、王妃は己の不甲斐なさを責めていた。それでも、従者と侍医が姿を現すと、凛とした面持ちで対応する。侍医は、必死に治療を施すが、静かに首を横に振った。
「……永遠の花畑に旅立たれました」
それは、この国で死を暗示する言い回し。王妃は崩れ落ちそうになる膝を叱咤し、淡々と従者に命令を下した。
「全ての王族を、王宮に呼び寄せなさい。陛下が、崩御されたと」
「御意」
従者は頭を下げ、踵を返した。王妃は、安らかに眠る王の顔を眺める。ふと、視線に気づいて、侍医の方を見た。
「何か」
「……恐れながら、第七側妃様の治療に戻ってもよろしいでしょうか」
「……えぇ、どうぞ」
冷めた声音だった。侍医は、それに気が付かぬふりをして頭を下げた。見苦しくないように、部屋を出ていく。そして、王妃の視界から外れた瞬間、老骨に鞭を売って走り出した。
後宮の奥深く、第七側妃の部屋からは元気な赤子の鳴き声が響く。だが、部屋は寒々しい空気が流れていた。
息を切らした侍医の存在に気づいた侍女は、泣きながら侍医の胸板を叩いた。侍医は侍女を押して、すぐさま第七側妃の元に駆け寄った。難産によって、大量出血した側妃の顔色は青白かった。そして、脈は止まっていた。侍医は悲痛な表情を浮かべながら囁いた。
「……申し訳、ございません」
外では、大きな雨粒が降り注ぐ。あれは、誰の涙か。