第6話
ほうっと蕩けたような顔で紅茶を飲んでいるメリーを微笑ましい気持ちで見つめながら、思い出してしまうのは……ニンゲル国でのこと。
無意識にカップを持つ手に力が入ります。
ニンゲル国で飲んでいた――いえ、飲まされていた紅茶は、とても酷い味がしました。
発酵しきって傷んだ茶葉を使って入れた紅茶は、薬のように苦いだけでなく、えぐみと酸味がありました。
砂糖もミルクも入れてもらえず、息を止めて一気に飲み込めば、すぐに次の分が注がれるという……嫌がらせ。
……あの味を思い出しただけで、口元が歪みそうになります。
酷い記憶を誤魔化す為に、もう一度紅茶を啜ると、
「ミリー。用意したお菓子も食べてね?」
向かい側にちょこんと座って(乗って)いた滴型スライム姿のルーク様が、テーブルの上にあるお菓子を見つめながら身体を少し傾けられました。
そ、それは首を傾げている風なのですね!?
とても可愛らしい!――――ではなく、て。
「え、ええ……はい」
思わず視線が泳ぎます。
テーブルの上に置かれたお菓子には気付いていました。
勧められない限り、絶対に手を出すまいと心に決めていたのですが……遂にこの時が来てしまいました。
この気持ちが悟られることのないように、尚且、変に意識しないようにする為に、ルーク様のことも視界に入れていなかったのですが……
「『郷に入っては郷に従う』んでしょう?」
ルーク様は、それはとても楽しそうな顔で、笑っていらっしゃいます。
ぐっ……。
片目を瞑ったルーク様も大変可愛いらしいです。
こんな可愛らしいルーク様が、仇になる時が来るなんて……!
――この一週間で、ルーク様は片方の瞳だけでなら、私を見ながらお話して下さるようになりました。(両方の瞳を開けた状態で視線が合うと、もれなく溶けるか弾けます)
大きな進歩です。このまま少しずつ距離を縮めることができたなら……国から捨てられるような不出来な私でも、いつか好きになって下さるでしょうか?
「ねえ、早く食べて?」
にこにこと笑っていらっしゃるはずなのに、ルーク様からは……何やらただならぬ圧を感じます。
私に怒っているわけではなさそうですか、有無を言わさない感がひしひしと伝わってきます。
「……はい」
逃げ場のない私は、お菓子を一つ摘みました。
お菓子と言っても、クッキーやショコラではありません。
一口大のプルンとした水色のモチモチの生地の中には、たっぷりの餡が入っているそうです。
……ここまでは何の問題はありません。
「ライムース王国名物の『《《スライム》》饅頭』。美味しいよ」
……そう。問題なのは、お菓子の形状なのです。
「一口でパクリと食べるのがオススメかな」
ルーク様は、スライムの形をした可愛らしい饅頭を食べろとおっしゃっているのですが、食べられるはずがないじゃないですか!
……目眩がしそうです。
どうして、こんな形状のお菓子にしたのでしょうか(涙)。
「ミリー、どうかした?」
ポヨンポヨンと弾みながら、私の座っているソファーの方にいらっしゃったルーク様は、手すり部分にピョンと飛び乗り、私の手元を興味深く眺めています。
スライムのお姿のルーク様には、たまに触らせていただくのですが、魅惑の手触りといったら…………と、いけません。
今はそんなことを考えている場合ではありません。
「……ええと、あの……」
ルーク様のキラキラとした丸い瞳が可愛らしい分、私の中で複雑さが増します。
鳥や蝶などの形をしたお菓子を食べたことはありますが、それらのデフォルメされた物とは違い、この『スライム饅頭』は目が付いていないだけで、本物そっくりなんですもの!
一口で食べ切れなかったりしたら、大惨事になるのは確定です。
スライムのお姿のルーク様の前で、『スライム饅頭』を食べるなんて――――シュールすぎません!?
……しかし、勧められたものをいつまでも食べないわけにもいきません。
覚悟を決めた私は、摘まんでいたスライム饅頭を何気なくクルリとひっくり返して、固まりました。
スライム饅頭をひっくり返したことを心の底から深く後悔しました。
何故ならば、スライム饅頭と《《目》》が合ってしまったからです……。
「あ、《《レア》》だ」
こんなレアなら要りませんわ……!
円らな愛らしい瞳に見つめられたら、ますます食べられなくなるじゃないですか!
困り果てた私の瞳にじわりと涙が滲みます。
「ごめん。ちょっと意地悪しすぎたね」
いつの間にか人型に戻られたルーク様が、困ったような顔で笑いながら、私の前に立っていました。
「これは僕が食べちゃうよ」
私の手を掴んだルーク様は、私が摘まんでいるスライム饅頭を迷いもなく、そのままパクリと食べてしまいました。
――私が触ったものを躊躇いもなく……です。
ルーク様は、私を『汚い』と思わないのでしょうか?
『お前が触れた物なんて触りたくもない!』
元婚約者のあの方は、私が拾ったハンカチを従者に捨てさせたのに……。
「ん。美味しい。顔有りはレアだから、なかなかないんだよ」
こんな風に微笑みかけて下さるだけでなく……
「んー。これなら大丈夫かな。はい、口開けて?」
ルーク様は自らの手で食べさせて下さるようです。
―物心がついてから、誰からもこんなことをされたことのない私は、内心で酷く動揺していました。
メリーに助けを求めましたが、無言で首を横に振られてしまいます。
『郷に入っては郷に従え』という言葉が、私の頭の中に浮かびました。
……この言葉は、こんなにも業の深いものだったでしょうか。
にこりと笑ったまま、一歩も引く様子のないルーク様に観念した私は、諦めて口を開きました。
甘さ控え目のもちもちとした生地が、トロリとしたたっぷりの甘い餡と合わさって、とても幸せな気分になります。
「ね?美味しいでしょ」
そう言ったルーク様に向かって、口元を両手で押さえた私は、こくこくと何度も首を上下に振りました。
もちもちとした食感が癖になりそうです。
スライム饅頭には、渋めなお茶に合うかもしれませんわね。
「気に入ってくれたみたいで良かった。この国には、他にも美味しい物が沢山あるから、一緒に食べようね」
「はい!……あっ」
勢い良く返事をしましたが……そんな自分が恥ずかしいと思いました。
これではルーク様に、食い意地が張っていると思われてしまうではないですか。
チラリと上目遣いにルーク様を見ると、ルーク様は優しい笑みを返して下さいました。
「僕も美味しい物が大好きだから大丈夫だよ」
「……はい」
ライムース王国なら……ルーク様の隣でなら幸せになれるかもしれない。
他人を不快にさせる存在でしかない私が、おこがましくもそんな淡い期待を抱いた瞬間でした。
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また明日朝6時頃に投稿いたします!