第1話
突然ですが、私こと、ミリアーナ・ローズベルクは、辺境の国に嫁ぐことになりました。
辺境の地にある自然豊かなライムース王国。その国の第一王子であるルーク様との縁談です。
昔から身の回りの世話をしてくれる侍女のメリーと数人の護衛兼従者だけを伴って、ライムース王国に入国しました。
いくら、生まれ住んでいたニンゲル国から遠く離れた辺境の地にあるとはいえ、一国の王族に嫁ぐのにも拘わらず最低限人数での来訪です。
しかもメリー以外の護衛兼従者達は、どんな形であれ私をライムース王国に送り届けた後は、即帰還指示が出ているようです。
……それには私の抱える特殊な事情が関係していました。
ライムース王国に到着した私は早速、国王ご夫妻と旦那様となるルーク様へ、ご挨拶させていただく場を設けていただきました。
『到着したばかりで疲れているけれど、一刻も早く皆様にご挨拶を申し上げたかった』――そんな健気な嫁を演じる必要が、私にはあるのです。
私はスッと大きく息を吸い込みました。
第一印象がとても大事です。
「やあ。遠路遥々《えんろはるばる》、辺境の地の国ライムースへようこそ」
「疲れているでしょう?先ずはゆっくりと身体を休めてちょうだいね」
少々強引なお願いだったと思いましたが、国王ご夫妻は気分を害している様子もなく、私とメリーを笑顔で歓迎してくださいました。
(因みに、護衛兼従者達は速攻で帰還しました)
思っていたよりも穏やかそうな方々のようで一安心です。舅姑問題は少ないに越したことはありませんし……私は、威圧感のある方が少し苦手なのです。
正直とても疲れていますし、こうして立っているのも話すのもやっとです。
今すぐにベッドに入って、何も考えずに朝まで眠りたいとも思いますが……私はそんなことができる立場ではありません。
歓迎してくださった国王ご夫妻に愛想を振りまくために、精一杯の笑顔を作ります。
ペチコートを重ねて大きく膨らませたドレスのスカートの裾を少しだけ持ち上げ、外側からは見えないスカートの内側では、片足を斜め後ろに引き、もう片方の足の膝を軽く曲げながらしっかりと背筋を伸ばします。
少しでもぐらついたりしたら折角のカーテシーが台無しです。
この体制は慣れないととても辛いですが、淑女は気合いで頑張るのです。
「歓迎していただき、幸福の極みにございます。ふつつかものではございますが、どうぞ末永くよろしくお願い申し上げます」
頭を下げながらチラリと視線だけを国王ご夫妻に向けると、お二方共に優しい眼差しで私を見ていました。
「今日から私達の娘になるのだから、そんな堅苦しい挨拶をする必要はないよ。今まで沢山苦労があったようだが……ここでは自分らしく、楽しく生きなさい」
国王様はにこにこと笑いながら、口元のお髭を撫でています。
……こんなことを思ったら不敬になるかもしれませんがろ…水色の髪に琥珀色の瞳。ぽっちゃりとした体型がとても愛らしくて可愛い方です。
「ええ、そうよ。私はあなたのような可愛い娘が欲しかったのよ。こちらこそ、仲良くしてちょうだいね」
王妃様は、白銀色の髪に銀色の瞳という、とても儚そうな色合いをされていますが、少女のように興味津々に輝く瞳がとても可愛らしく、女神様のように美しい方です。
お二方共、私の噂やこれまでの経緯を知った上で、こんなにも優しく対応をして下さるようです。……私の実の両親とは全く違いますわね。
今日からお二人方が私のお義父様とお義母様になります。
「お義父様、お義母様。よろしくお願いいたします!」
うっかり目尻から一筋の涙が溢れてしまいましたが、これ以上泣かないように懸命に堪えて微笑みました。
久し振りに心がポカポカと温かくて、とても心地良い気分です。
「さあ、ルーク。お前も挨拶をしなさい」
国王様がそう言うと、王妃様の横に控えていた男性が前に歩み出ました。
……あのお方が私の旦那様となる『ルーク様』ですのね。
サラリと流れる涼やかな水色の髪と琥珀色の淡い瞳。まだ少し少年の面影の残るルーク様は、想像していたよりもずっと格好良い方でした。
髪と瞳はお義父様似で、お顔立ちはお母様似のようですわね。
ぶっちゃけ…………コホン。
ハッキリ言って好みです!ドストライクですわ!!大人と子供の良いとこ取りをした絶妙なバランスが、ルーク様の可愛いらしく格好良い所を引き立たせていますの!
気になる所があるとすれば、私と目を合わせて下さらないことでしょうか……。
私の気のせいでなければ、少しお顔が赤くていらっしゃる……ような?
癖の強い金色の長い巻き毛に、つり上がった青い瞳。ツンとした可愛げのない顔という私の容姿は、人を不快な気分にさせるそうです。
ルーク様もご不快に思われたのでしょうか……。
私の元婚約者もそうでしたものね。
『こんな素敵な方が私の旦那様になるだなんて!』――と、爆上げ~だった気持ちが徐々に萎んでいきます。
あっ。『爆上げ~』とは、ニンゲル王国の市井の者達の間で昔から流行っている言葉で、気持ちが爆発的に高ぶった時に使いますのよ。
……そういえば、召喚されたあの方も知っていらっしゃるようでしたが……異世界間共通の言葉なのかしら?
「ミリアーナ嬢。初めまして。ルーク・ライムースです」
名前を呼ばれながら手を取られて、目の前にルーク様がいらしていたことに気付きました。
「は、はひ……っ!」
驚きすぎたせいでうっかり噛んでしまいました。
うう……恥ずかしい。
周囲から何やら生温かい空気が流れている気がします。一生の不覚ですわ。
……でも、ルーク様のお声もとても素敵です。
恥ずかしさを堪えて上目遣いにルーク様を見ると、ルーク様は口元を押えながら顔を背けていました。
……こちらを見るのも嫌になる位に、私の態度が不愉快だったのでしょうか。
もしかしたら、怒っていらっしゃるのかもしれません。
私は人を不快にする役目の――悪役令嬢なのだそうですから。
お義父様とお義母様とは良い関係が築けるかもしれませんが、旦那様になる予定のルーク様とは難しいかもしれません。
愛して欲しいなんて贅沢は言いません。
……せめてお友達のように仲良くならたら……と淡い夢を見てしまいました。
悪役令嬢の人生は、他国に来ても何にも変わらないのですわね……。
ふっと思わず自嘲の笑みを漏すと、
「ミリアーナ嬢………ミ、ミリー!」
ルーク様に両手をギュッと強く握られました。
突然、愛称で呼ばれて驚いた私が顔を上げてルーク様を見ると――
パンッ!!
私と目が合った瞬間に、ルーク様のお身体が一気に弾け飛びました。
……えっ?
…………………………ええっ!?
わ、私は今、驚愕のあまりに瞳を見開いたまま呆然としています。
ふ、不測の事態ですの。
だ、だ、だって、私の目の前でルーク様が弾け飛んだのですよ?
まるで風船に針を刺した時のようにパーンと勢い良く弾けて……………って、『弾け飛んだ』!?
「きゃぁぁあ!」
細やかな刺繍の美しい絨毯の上には、先ほどまでルーク様だったモノが見るも無惨に飛び散ってしまっています。
「ル、ルーク様!?」
私は絨毯に這いつくばりながら、ルーク様だったモノを必死でかき集めます。
「おやおや」
「まあ」
お義父様とお義母様は、のほほんと呑気に笑っていらっしゃいますが、息子さんの一大事では……!?
「お前もまだまだ修行がたりないようだね」
チラリとお義父様が、私が必死で掻き集めたルーク様だったモノへ視線を向けました。
すると、私の腕の中にあったルーク様だったモノが、フルフルと大きく揺れ出しました。
「不甲斐なくて申し訳ありません……」
私の腕の中から、しょんぼりとしたようなルーク様の声が聞こえます。
「謝るべきはミリアーナにでしょう?」
「……はい」
お義母様は微笑みながらも冷たい視線を私の腕の中に向けて来ます。
……え?
ルーク様の声は一体どこから……?
「………あっ!」
視線を下に向けると、私の腕の中にはツルンツルンでプルプルな滴のような形をした水色の塊が収まっていました。
……そう。
今まですっかり忘れてしまっていたのですが、私の旦那様になるルーク様は『スライム』なのです。