何のために走るのか
時間は3時半を過ぎていた。夜更かしもいい時刻である。
玲央は友達店を出てクルマのドアを開けた。開けたというのは語弊があるかもしれない。ドアは「上に持ち上がる」感覚で開いたのだ。
「相変わらず目立つドアだな」
「そりゃ、これがウリのガルウィングだからな」
クククッと笑いながら乗り込む。玲央の身長はそこそこ高かったが、その二人乗りのチョロQのような車にすっぽりと収まった。
「じゃあな」と言うとドアを閉め、玲央は走り出した。
まだ真っ暗の峠道を「久しぶり」に上がった。
このクルマでは初めてかもしれない。二年ぶりか? それくらい久しぶりだった。
(最後に走ったのはいつだっただろう)
遠い糸の記憶を手繰る。
「あれは」凪とバトルした時の記憶が思い出された……凪が勝って悔しい思いをしながら「明日は俺だからな!」と捨て台詞を吐いて帰った記憶がある。それが最後になるとは……。
玲央は唇を噛みしめた。
しかし……展望台に着いた時に、玲央は目を疑った。
「凪!?」
それは暗闇の中、外灯で仄かにわかるブラックだった。あのフォルム、音……凪のクルマである。
迷うことなくその車の隣にクルマを停車させた。
クルマの外へ出ると、ちょうど入れ違いで結月が車に入ろうとしている。
「ちょ! ちょっと待って!」
玲央はなりふり構わず結月の腕を掴んだ。
ビックリしたように、そして怯えたように震えながら結月は玲央を見ていた。
咄嗟に掴んだ腕を離す。
「ごめん! でもちょっと待って欲しいんだ。聞きたいことがあるんだ」
玲央は必死になって呼び止めた。
「あの……なんでしょう……」
結月は怯えながら二歩三歩後退りする。
「あ、俺は夏目玲央って言うんだ。凪とは友人というか……よくここで一緒に走ってたんだよ」
その言葉で、結月のこわばりが解ける。
「兄を……知っている人なのですか?」
結月が訪ねる。少し安堵する玲央。「これで逃げられる心配はなくなったかな」と落ち着くことができた。
「キミは……凪の妹かい?」
「はい、杠葉結月と言います」
「結月ちゃん、たしか葬儀の時にセーラー服だった子だね」
その言葉で結月はちょっと驚いた様子をみせた。
「俺も凪の葬儀には参列していたから」
「そうなのですね」と言う言葉で沈黙が流れていた。
結月はどうしていいのか分からなかった。
たぶんこの人は「兄の友人」なのだろう。葬儀にも参列してくれたのだから、親しい間柄だというのはわかる。だからと言って、これ以上何を話していいのか困っていた。
「それは凪のクルマだろ?」
その言葉にコクンと頷いた。
「なんで今頃これで走っているのかい?」
それは玲央の素直な疑問だった。なぜ今になって、このクルマが息を吹き返したのか。それが一番の疑問だった。
「……先日、兄の三回忌だったんです」
結月は静かに答えた。
「こうして時間が経って、兄の遺影見ていたら……昔のことを思い出したんです。峠に行くことが楽しみだったと話していた兄を」
結月は微笑んで顔を上げた。
「だから、その世界を私は見たくなったんです。兄は私が高校生だからと連れて行ってはくれませんでした。だから自分で来たんです」
玲央は昔を思い出していた。色々話した中に妹の話があったのを覚えていた。「ついて来たいと言うけど、こんな男ばっかのところに高校生とか無理」と笑っていたあの笑顔を。
(もうそんなに時間は経過していたのか)
なんか不思議な感覚だった。凪と最後に会話したことが先日のように思える。
「でも夕方走っていたんだろ? なんでこんな早朝に変えたんだい?」
「だって……初めは誰も居なくて良かったんですけど……最近なんか人が多くて。男の人ばかりだから……」
困った顔で返答する。玲央は言わんとすることを理解した。
(最近は、杠葉FDの亡霊って噂で、この業界沸き立っていたからなぁ)
確かに、あんなヤローがいっぱいいる中に敢えて入るのは、ライオンの檻に入るようなものだ。玲央は静かにため息をついた。
「結月ちゃんは、どうしたいの? 何のために走っているの?」
玲央はそれが聞きたかった。凪はもういない。