うっかり余計な言葉を漏らしてはいけない。特に飼い主には厳重に警戒を重ねましょう
お昼過ぎ。でたらめな気号が並ぶ化学と何度書いても絵の才能がないのではと確信してしまうほどに才能の欠片もない芸術を済ませてからホームルームを迎えて下校する時間となりました。
「じゃあな、旭川」
「うん、またね」
私の手には学校支給のスケッチブックがある。テーマは美術室から見える景色。
皆が席から立ち上がり会話とちょっとした雑談くらいなら出来るようになった浅倉さんに手を振ってから、落ち着いた頃に私なりのクオリティーで仕上げたスケッチブックのアートを覗く。
「こ、これはやっぱり何度見ても」
最初のラフ画からしてひどいし、絵の具の使い方もなってないから人に見せてもテーマを伝えないと理解してくれないこと山のごとし。
海外の芸術家であるレオナルド・ゴッホ・ピカソに見せてしまったら下手すぎて紙を破られないくらいの衝撃。
無言でスケッチブックを閉じて鞄の中に丁寧に入れ込んでチャックを閉じる。
この下手くそな画力は未来永劫に語り継がれることになりましょう……主に私の墓で。
「は、はっちゃん」
「あれ梨奈? まだ帰っていなかったんだ」
そういえば何度か目を合わせづらくなった無意識に避けちゃってたよね。
梨奈のことは嫌いか好きかと言えば好きな方に分類には入るけど、それにしたってあれは恥ずかしさも勝って衝撃的な展開だった。
これから梨奈とどう接していけばいいの? 私は梨奈と卒業までずっと仲良く笑いあえる関係性を望んでいるのに。
「うん、その……ほら。お昼はちょっとやり過ぎたから、お詫びもかねて今日の放課後ーー」
「あっ、ごめん。今日はちょっと用事があるんだ。また今度予定がある日に埋め合わせしよ?」
「本当にごめんなさい」
「気にしなくていいよ」
「で、でも!」
「それよりも梨奈がいつまでもそんな顔していたら不安になるから明日からはまた元気一杯な表情を私に見せてよ」
「うん!」
私上手く誤魔化せてるかな? 自信はないけれど、梨奈の反応からして私のひきつった笑みに特に反応を示してはいないみたい。
ほっ、ちょっと安堵する。ひとまず教室にずっと閉じ籠っていても仕方がないので教室から校門前までは梨奈と一緒に歩いてそれから解散。
昼からずーと元気がない。喋っていてもから元気で喋っているような気がして会話に集中できない。
家に帰るまでの道のりが長くて放課後終わりの夕焼けが眩しい。人はまばらまばらで時折犬の散歩に付き合う女性がいたり、蚊がぶんぶんと数を揃えて戯れていたり。
今日あった出来事は到底数日で忘れることはないだろう。
スマホの画面を開いて指定されたメールアドレスに依頼された内容を大まかに書き込んでいく。
「好きな……タイプ」
ここまできて文字が止まる。依頼されたことは正確に伝えることが使命だ。
でも、梨奈が発言した言葉をそっくりそのまま書いたとして相手に伝わる可能性の方が限りなく少ない。
悩んだ末に私は改竄の道を選んだ。大丈夫、今回は万引きと違って法には触れていない。
口で直接説明していないから嘘をついてるとは思わないだろう。犯罪なんてバレなきゃ……あぁ、何やってるだろ。
罪を認め、陽子さんに条件付きで釈放されている以上犯罪なんてバレなきゃって思考はおかしいと思わなきゃいけないのに。
まだ犯罪者の思考が抜けていないのかな?
「あっ!」
『今日夕方から用事ある? 時間空いたから遥がよければ、自宅で少しだけ遊びたいのだけれど』
罪の罪悪感に挟まれながらも突然やって来たラインのメッセージに心が浮わついた。
放課後に私と時間を作ってでも会ってくれるんだ……えへへ。
『大丈夫ですよ、いつでも来てください。ついでに私の相談にも乗ってくれたりしますか?』
即決でいいよと返事が返ってきた。都合が良ければ夕食も作ってくれるようなのでそれについては断ることもないのでお好きなメニューでいいですよとお願いしておくことにした。
お人形扱いのわりには丁寧な文章。陽子さんの気遣いが取れるメッセージだからこそ、顔が勝手に意識しなくてもにやける。
歩いて5分。スマホを鞄にしまって両足をリズムよく出して歩き出す。
家に帰るまでの道のりが短く感じた。なんでだろうと思いながらも私の目は自宅へと近づいていく。
鍵を取り出して開けようとした瞬間に肩を掴まれる。強引にではなく優しくそっと置かれた手。
振り返らずとも誰が背後に立っているのかよく分かった。
「陽子さん、背後に立たないでくださいよ。びっくりするじゃないですか」
「そのわりには凄く落ち着いているようにみえるけど。というか、よく私って気づけたね」
「手加減しているのが丸分かりだったので」
「驚かせないように肩を叩いたことが逆に仇になっちゃったか」
「だからといって次あったら驚かせないようにしてくださいね。私、そこまで心臓が頑丈ではありませんから」
「ふふっ、心配せずとも大丈夫よ。私、遥が嫌だと思うことはしないから」
「更衣室で無理やり襲ってきた人の台詞とは思えませんね」
「まだ言うの、それ?」
「立ち話もなんですし、家に入りませんか?」
「……入りましょうか」
区切りのいいところで扉を開けて陽子さんを玄関に上げる。律儀にお邪魔しますと言ってからリビングの扉を躊躇なく開けた。
私は靴を脱いでから玄関前の靴箱に戻して、陽子さんのブーツを玄関に向いていた内側から外側の方へと置いてからリビングに入室する。
陽子さんは片手に引っ掛かった袋からプリンを取り出してチラリと見せてきた。
「お腹空いてるなら一緒に食べない?」
「わーい、プリンだ。陽子さん、ありがとう!!」
「うんうん。遥、スプーンを持つ前にまずは手洗いが先よ」
「はい、分かりました!」
「いい返事ね。よっぽどプリンがお気に召したのね」
「プリン好きなんです、私。週に二回自分のご褒美で食べるくらいには」
「へぇ~、そうだったの。なら、晩ごはんのついでに買っておいて良かったわ」
ひとまず洗面台で手洗いを終わらせてからリビングのソファーの方に座り込みプリンを一口ずつ摘まむ。
うはぁ~、このプリン独特のカスタードと下に埋もれたカラメルソースがほどよくパーフェクトハーモニーとして奏でている!
これを考えた考案者に感謝! もう、ほんと感謝しています!
「美味しそうに食べるね、お人形ちゃん♪」
「馬鹿にしてます?」
「ううん、馬鹿にはしてない。むしろ隣で喜んでくれている顔を眺められたから幸せだなぁ~って思っていたの」
「げほげほ!」
「喉詰まらせちゃった? あららら」
なんで、こんな自然体で恥ずかしい台詞が吐けるのだろう? 少しは抵抗感がないのかな?
陽子さんは気にせず私の背中を擦る。ただ、擦りかたが徐々にいやらしくなってるような。
「あの、もう大丈夫ですから」
「え~、もっと背中触りたかったのに」
隣で不服そうな表情をされている陽子さんを見て機嫌を損ねたかなと不安半分になるも、すぐにケロリと表情を戻す。
うむ、まあ余程私が怒らせない限り例の写真をばらまかれる恐れは多分ないよね? そうならないと願いたい。
「遥」
「はい、なんでしょうか?」
「今日の学校生活楽しかった?」
「えっと……楽しかったです」
「それ本当?」
なんとも不審に思っている顔つき。やはり私は問いつめられたら嘘が簡単にバレてしまうくらい下手くそらしい。
少なくともこれでは詐欺師に向いてないだろう。将来大人になって路頭に迷ったとしても絶対にやるつもりはないけれど。
「ごめんなさい、実は今日ちょっとトラブルがありました」
「誰? どこの誰にいじめられたの? そいつの名前を上から下に言いなさい。可愛いお人形ちゃんを苦しめる悪には裁きを与えないと気が済まないのよねぇ」
プリンを食べ終えた陽子さんはソファーから立ち上がり、手をわなわなと震わせる。
もう放置しておいたら右手が勝手に真っ赤に燃えてしまいそうなくらいの熱。
今日も今日もとて美しい真っ白なワンピースとお洒落な香りがほのかに漂う陽子さんに怒りの表情は相応しくない。
やめさせよう。裁きなんて実行されたら私の学校生活と陽子さんの人生が終わりかねないから。
「陽子さん、私いじめられてませんよ! ちょっと、ほんのちょっと迫られただけなんです」
「はぁ? 迫られたって具体的には?」
「具体的に言うと」
この発言で余計怒られないかな? うっかり口を滑らせても大丈夫と言えるのだろうか。
でも、釘指しておいたら余程のことがない限り下手な手は打ってこないだろうから……まあ、名前くらいなら大丈夫だよね。
実際に聞いても直接会うこともないでしょう。
「……えっと、まあいつもよくしてもらっている梨奈って子がお昼時間中に私の顔に近づいてきまして」
「ま、まさか! や、やややられたの?」
「チャイムが鳴ったのでその瞬間に逃げました」
「ふ~、ナイス判断ね。可愛いお人形ちゃんがあと少しで傷物にされたって考えると……ああ、想像するだけで実におぞましい」
リアクションが大げさだなぁ。私が何かされたくらいでよほどショックになる理由があるのだろうか。
ただ、この感覚でいくと話自体はどうにかややこしくならずに済みそうだ。
次からは発言に気をつけよう。
「で、梨奈の名字は?」
「平井ですけど」
「……平井ってまさか」
「陽子さん?」
「あー、じゃあ今度平井梨奈って子に会ったらなるべく苦しまない方法で処分しておこうかしら。まずは手始めに人の気配がない場所で背中から一気にロープで絞さーー」
「ダメダメダメ! 物騒なことはやめてくださーい!!」
あれから陽子さんは私の言葉を聞かずにとにかくバレずに始末するやり方を口々に言っていました。
それはそれはもう口にしたら警察に連れていかれるのではと思ってしまうくらいに危険なワードで。
結局殺意マシマシの陽子さんの怒りを沈めるのに30分以上は掛かっているような気がします。
どうしよ……序盤でけっこう疲れる。陽子さんにはまだ話しておきたいことがあるのになぁ。
ちなみにプリンが好物になった理由は小さい頃お母さんに頑張ったご褒美として与えられて味に感銘を覚えたからだとか。
それからは無意識に食べていたようです。好物なのに週二に留めているのは食べすぎると体重が少しばかりリバウンドしてショックだったので週5から泣く泣くの理由により減らしているようです笑
いつか、お母さんにまつわるお話も出来たらなぁと思います。本編から逸れまくるので今は構想に全くこれっぽっちも考えていませんが