ボーカルHARUは今日から練習。何事も一日の一日の積み重ねが大事です。精一杯頑張りましょう
「今日から約一ヶ月の間となりますが、皆さんご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!!」
「はははっ! 堅苦しいなぁ! うちらとやるならもっとラフにしようぜ!」
「そうそう! それそれ!」
「うむ。よろしく」
「ハルよ。なにもそんなぎこちない挨拶しなくていいんだぜ? ここにきたからにはあんたは私達の立派なブラザーなんだからさ」
「ブ、ブラザーですか……花火大会のときも言ってませんでしたか?」
「あぁ、言った。なんなら、その時から既にハルのボーカルは決定してたくらいだし」
「そうそう! こっちの方も夏休みの時にあんたの声聞かせてくれたんや。いい美声やったぁ~」
「素敵な歌声。観客は魅了間違いなし」
陽子さんといっぱいキスしていっぱい抱き合っていっぱいなでなでしてもらって応援しているからねと背中を押してくれた翌日夕焼けの放課後。
挨拶と練習を兼ねて軽音部が使っている三階の隅っこの部屋にて私は手始めに挨拶をすることになりました。
しかし、思っていたよりも空気は異様に軽かったです。というよりも気さくすぎ?
お堅くなっていないのはやっぱりリーダーと自称していた由美さんの手腕ですかね?
これなら数日にも経たず皆さんと仲良くなれそうでほっとしました。
ボーカルHARU。聞こえはいいですが音楽業界の完全な新参者です。
さぁ、これから私は皆さんと一緒に成長できるのでしょうか?
少なくとも文化祭が始まる数日前ぐらいには足手まといにならないようにしないと……って思ってたら。余計に緊張してきましたぁぁ。
「ハル、緊張してんの?」
「な、なななにを言っておられるのやら……これはただの武者震いだよ。そうに違いないよ」
「いやいや、爪先から頭に向かって全体的にぶるぶるしてるじゃん。下手したらスマホの振動よりもやばいことになってるぜ?」
「とんでもない逸材がやってきた」
「はははっ、初日から面白い奴だなぁ。こりゃあ育てがいがあるわ!!」
「なんなら文化祭が始まるまでに立派なボーカルに育て上げちゃおうよ……ゆくゆくは軽音部の正式なボーカルとしてこの子を」
「おっと、ハルは今月限りのボーカルという形で話が通っているんでな。それはリーダーである私が阻止するぜ☆」
「ちっ」
「おい、こら。リーダーの前で舌打ちするのやめろ! 地味にへこむだろ!!」
あっ、しくじくりました。さっきから自分のことばっかり考えていて肝心の軽音部の皆様方の紹介を完全に放置していましたね。
ということで私がぎちぎちの挨拶をする前にリーダーと名乗る由美さんが紹介していたバンドメンバーをご紹介します!
まず最初はドラムのどらどらさん……愛称それで平気なんですかと言いたいのですが女性にしては中々に巨体で大体笑いながら喋るそうです。
中学からの付き添いでまだ軽音部を続けているとか。やはり自分と次元が違いますね。
髪もボンバーで弾けています。なお天然パーマということで髪は一切いじっていないようです。
次にベースの静江さん。頭に静がついているのが納得できてしまうくらいに物静かで、喋り方も抑揚がなくむしろ場の空気を読んでいるかのようなそんな印象。
黒髪の短髪というのは自分と見た目が被っていたりもしますがこの人は特に前髪が隠れていてあんまり表情が伺えません。
その次にキーボードの弾くちゃん(さんで呼んだら怒られるので)。部内で屈指の140cmの低身長でありキーボードを弾けばピカイチの才能で舞台を魅了するとかしないとか。
本人的にはゆるゆるな性格をしており声のトーンも若干ふわふわしている印象。
よって髪型もふわふわ。どこまでもお気楽な性格が災いを招いて時々リーダー(自称)を困らせているようです。
他にもここにはいませんが現在は演劇部の方を優先しているギターのツッキーがいるようで……どうやら、私はそのピンチヒッターという役割で呼ばれたということを今日ここで知りました。
ではでは最後にリーダー!! は紹介する必要はありませんね、別に。
「練習一通りやってみたい。まずはハルの実力知りたい」
「そうそう、それそれ!」
「はははっ、静江のその言葉……密かに待ってたぜ!」
「お、お前ら勝手に話進めんなよ」
「あはは」
「うーむ、早速で悪いんだが一曲歌ってもらっていいか?」
「いつでも大丈夫ですけど……具体的にはどうすれば」
「マイク持つだけでボーカル。あとは思いっきり歌うだけで主役になれる」
「へぇ~」
「ただ、ボーカルにもボーカルの苦労があってだな。ハルよ、その苦労とやらがなにか分かるか?」
歌を歌うというのは人前で大々的に自分の口で場内をいかに魅了的にできるかというプレッシャーもある。
なによりも多くの曲を丸暗記でなおかつ元気な曲なら元気よく、悲しい曲ならいかに悲しくできるかなど様々な工夫が求められる。
実際にやってみるとボーカルは思いの外ハードルが高そうだ……バンドの皆さんの足手まといにはなりたくないよぉ。
「曲の暗記とかその他その場に合ったリズムで場内を盛り上げる……ということでしょうか?」
「エクセレント!! その通りの解答だ。じゃあ、それを踏まえた上でこの曲を歌ってみてくれ」
由美さんから渡された本をパラパラと捲って再び一枚目へ。うへぇ~、最初からテンションをMAXにしとかないと盛り上がりに欠ける曲だった。
普段からそこまでテンション高い方じゃないから弱ったなぁ。でも、会場のお客さんから注目を浴びるにはこれが一番手っ取り早いような気がするけど。
唸りつつ、本を閉じ……ない。あぁ、曲なんてフルでしかも見ないで歌える自信がありません。
「もしかして今渡されたところで覚えられないとか?」
「は、はい。すみません……こんな大切な時期に足を引っ張って」
「ふっ、そんなこと私達は誰一人として欠片足りとも思ってねえよ。最初から曲を暗記するなんざプロ並みの歌手くらいしかできねえだろうしな」
「え?」
「初めは右も左も分からなくて当然。けど、練習を一日一回叩き込めばボーカルの場合は口である程度カバーできる。そうしてそんなお前を表舞台で回していきながらギター・ベース・キーボード・ドラムの全員が上手くボーカルのハルを支えて影の土台として発揮させる……うん、我ながらいいこと言ってるな」
「自分で自惚れるのはよくない」
「そうそう、それそれ!」
「はははっ、愉快愉快!」
一人で落ち込む必要はない。あまりのハードルに後ろめたくなる私に対して由美さんは笑みを浮かべて静まり返った空気を盛り上げる。
案外リーダーって名乗っているのもなんら違和感がないのかもしれない。
むしろピッタリじゃないか……って思ったけど周りの皆があんまりリーダーとして接している様子が見受けられないのでもうこれが軽音部の空気なのだろう。
「さて、お喋りはこれまでにして……ハル、一言一言はっきりとそして喉から一気に突き抜けるように腹から声だして歌え。それがボーカルとしての最大の武器だ……と、これがボーカル兼ギターを扱える天才の名言だ。よーく噛み締めておけよ」
「天才の割にはテストの点数悪すぎ」
「そうそう、どれもこれもユミユミって天才って言ってるくせにーー」
「はい、お前ら! さっさと準備開始!! ハルが最高のパフォーマンスを発揮できるように全力で支えてやるぞ!!」
「「了解」」
どらどらさんがドラムのバチをカンカンと叩く。それが歌い始めの合図。
迫力のある音を奏でるギターの由美さんと控えめに支えるベースの静江さん。それから追いかけるように繊細なメロディーを奏でるキーボードの弾くちゃんとドラムのダイナミックな叩きっぷりのどらどらさん。
聞いたことのある曲なので、前にテレビでよく流れていた歌手と映像を頭の中で繋げて口に出す。
思いの外、難しい……カラオケボックスで歌うのとこうして楽器に囲まれながら目立ったまま歌うのでは雲泥の差。
正直ボーカルという役割を甘くみていたのかもしれません。けれど、いくら挫けようとも本を片手にリトライを試みます。
そんなわがままな私に何度でも付き合ってくれるバンドの皆さんに感謝をしながらひたすら歌って。
ですが、時間というのは限りがあり……外はすっかり暗くなったので私達を含めた生徒一同は帰宅の時間となりました。
続きはまたの今度。これからは月曜日~土曜日の6日間に掛けてきっちりと軽音部の活動が始まります。
なるように頑張りましょう。それまで体調管理はバッチリしておかないといけませんね!!
「ハル、今日はすっごく頑張ったね。とっても偉かった」
「いえいえ、私は……そんな大して頑張っていませんよ。どちらかと言えば静江さんの方が私よりも何十倍も頑張っていると思います」
帰り道の道中、由美さんとどらどらさんと弾くちゃんは別の方向なので夜に差し掛かりそうになる校門前でさようなら。
前髪が隠れて表情がよく見えない静江さんと途中まで一緒に帰ることになりました。
このまま黙って歩くのかなと思っていましたがなんと静江さんの方から話し掛けられてしまいました。
まだ知り合って間もないですが頑張って打ち解けましょう!
「自分はいつも通りやっただけ。新参者であれだけ気合いが入っているなら充分素質がある」
「またまた~、そんなに誉めないでくださいよ!」
「誉めているよ……私は。どういう経緯があれど真剣な眼差しで歌うあなたの姿に」
夜に差し掛かって光る電灯。今なら分かる……静江さんが振り絞った言葉は考えに考え抜いて出したと。
「あははっ、真剣だなんてそんな……私なんてただ邪な気持ちで歌っているに過ぎませんよ」
「邪な気持ち? ハルは一体何のためにボーカルに参加しようと思ったの?」
答えは一瞬。されど、言葉に表すのは中々躊躇うものもあるので素直に伝えたところで受け止めてもらうかは際どいラインです。
しかし、ただただ純粋な気持ちで簡潔に伝えるとすれば。
「愛……ですかね」
「愛かぁ。そっか、見た目地味な私には到底ありえない感情だね……なんだか羨ましいなぁ」
おやおや、悲観的になってしまわれました。さっきの言葉がずっしりと響いたのでしょう。これはフォローを入れておきましょう!
「そう落ち込まないでください、静江さん。あなたはあなたで魅力的ですよ。初心者の私に合わせて何回も何回も奏でてくれる抜群のサポートとか他にもあるとすれば……」
その場で軽く平謝りをして、静江さんの前に掛かった邪魔な髪を捲る。
びっくりしたのか両肩がビクリと派手に動いた。なんだか、面白い反応をしておられるようです。
「ふぇ!? ちょ、ななな、なに!?」
「髪をバッサリあげたら……ほら、見てください」
鞄のポケットから小さな鏡を片手だけで器用に取り出し、静江さんの顔に目掛けて見せつける。
本人は口をパクパクさせながらも目玉を丸くして見ていた。うん、あんまり分かっていないようです。
これでも伝えるには充分かなと思っていたのですが、詰めが悪かったようで。
「こんなにも魅力的な女の子が目と鼻の先にいるんですよ? もっと自分をさらけ出して堂々としてください!」
「魅力的……ということはあなたにとって私は可愛く映っているの?」
「はい、これだけでもう可愛いさ溢れる女の子ですよ。前髪で隠すなんて勿体ありません」
「ふっ……ハルって罪深い女だね。そんな風に接してこられたら誰でも勘違いしそうになるからやめた方がいいよ」
勘違い? えっと、ただ私はありのままで思っていた言葉を伝えただけなんだけど。
あれ、どうしてそんなに顔が赤いんですか?
「でも……そっか。ハルがそう言ってくれるのなら髪切ってみようかな」
「わぁ! 髪切ってくれるんですか!? これは当日が楽しみだなぁ」
「楽しみに待ってて」
「はい、お待ちしていますね!」
「あーあ、もっと早く出会っていればよかったかも。そしたら……」
「そしたら?」
「ううん、なんでもない。それよりも、ハルの恋が早く実るように私全力でサポートするから……だから、文化祭当日まで頑張ろうね」
「お互い頑張りましょうね!」
「はぁ~、胸が苦しい」
「えぇ!? だ、大丈夫ですか!?」
すっかり明かりがついてしまった街灯の下で。部室ではなにに対しても物静かな静江さんと打ち解けて。
けれど、帰り道の途中で段々とそわそわしたり妙に落ち着きがなかったりと不安になりました。
静江さんは顔色一つ変えることなく結局のところ分岐点のある交差点でそっと手を振って帰っていきました。
その際に私も手を小さく振って応えましたが途端に足が早くなっていったような?
あれれ? とは思いました。しかし、そんなことを気にしている余裕はありません。
家に帰ったらまずは家事を全部こなして身の回りが落ち着いたら文化祭当日に歌う計5曲の歌詞の確認とかボーカルといえどやることはたくさんあります。
気合い入れて乗り越えましょう……あっ、でも帰る前にまずのど飴を買っておかねば。
これから一ヶ月の間喉を全力で酷使することは間違いありませんからね。
なにもかも障害は山ほどありますが、張り切っていきましょう。
好きな人のためならどんなことだってへっちゃらですから。さぁ、残りの文化祭当日まで頑張りましょう!!




