打ち上げ花火を眺めて後悔する夏祭り。はっちゃん、これからはどんどん幸せになってね。私は……さあ、どうなるのやら(梨奈視点)
失恋、意味:恋の思いが叶えられないこと、または恋に破れること、あるいは相手が自分を思ってくれず恋を諦めなければならない状態になること。
考えたくもなかった。だって、そうなる前に必ずはっちゃんと結ばれるものだと考えていたから。
今になってはそれも全部パズルが一瞬でばらばらになったかのように砕け散ったこの感覚は未だ忘れてはいない。
ただ単に心の準備とか友達以上の関係はまだ考えていないとかならいくらでも挽回出来るチャンスがあった。
だってそうなるのは元々私に魅力という数値がなかったからだよね?
であれば空回りしたって頑張れる。長い月日彼女と共にいれば向こうから意識を変えてくれるかもしれない。
「くそっ、くそっ!!」
けれど私は敵であるあいつの顔を浮かべながらも愛しいはっちゃんにフォローを投げ掛けてしまった。
違うよね? そうじゃないよね? 僅かな希望に掛けて私は揺さぶりを掛ける。
春野陽子のことが好きなんでしょ? 私の目は誤魔化せないよ……はっちゃん。
まるでさも知っていますアピール。期待と不安を胸に抱えてはっちゃんの反応を窺う。
オワッタ……アァ、ナンデ? イミワカラナイ。アイツノドコガソンナニイイノ?
顔を赤らめるはっちゃんに青ざめる。高台から海に放り投げられたかのような衝撃。
はっちゃんはなおも無意識に惚ける。気付いていないかもしれないけど、春野の話題が出た瞬間に声がワントーン高くなっているんだよ。
でも気づいていないんだろうな。本人が居ない目の前ですっごく楽しそう……はぁ~目の前に私という女がいながらなんて酷い。
春野、あんたがはっちゃんとどう関わっているのか分からないけどさ……まじで心の底から羨ましいよ。
「おぇ、げほげほ」
クラスメイトとして友達として関わって数ヶ月。はっちゃんが自分から甘えたりましてや作り笑顔のない満面の笑みなんて見たことがなかった。
だから、完敗を素直に認めた。多分この春野陽子とかいう目ざとい女は始業式からはっちゃんと接点があったとは思わない。
明らかにはっちゃんの肌のハリ・表情筋そして明確に悟った赤いブーゲンビリアの髪飾りなどはっきりと関係が如実に現れ始めたのは6月に掛けて。
つまりはまだ2ヶ月。しかし、それだけで内気で消極的なはっちゃんにこうも意識させてしまうとは。
あの赤いブーゲンビリアの花言葉は情熱とあなたしか見えないだったか。
送り物を授けた人物は相当はっちゃんに入れ込んでいるらしい。
まぁ、誰なのかもはや検討がついているから余計苛つくんだけどさ。
「おい、開けろ」
万が一にと肩掛けカバン忍ばせておいたシューズに履き替え、陸上部さながらの無駄のない走りで電車から何駅か経由しながらも大急ぎであの女が住んでいるハウスへと辿り着く。
マンションの中にあった集合ポストを確認してドスドスと拭いきれない怒りを足に乗せて扉の前に立つ。
幸いにもオートロックでなかったことには敬意を払いたい。でなければ、不審者として連れていかれることだってあり得ただろう。
「はいはい、こんな乱暴に叩かないでもらえませんか? 近隣の迷惑になるだけですよ?」
ドアノブを捻って姿を現した春野は一瞬眉をひそめるもいいようのない睨みを効かせる。
おっ、なんだやるのか? ポーズで身構えると春野は大きなため息をつきやがった。
「入れろよ、あんたには真面目な話があるんだ」
「仕事帰りの社会人に対して随分と酷なことを言うのね」
「はっちゃんのことどうでもよくなった?」
「なんで、急に遥が話の中に出てくるのよ?」
「この服装見ても分かんない?」
春野は下から上をじっくりと眺めた後、ハッとした表情で小さく開けていた扉を大きく開け始めた。
浴衣を見てやっと気付いたんだろう……はぁ、これでようやく一対一で話せそうだ。
「お茶はホット? それともクール?」
「クールで」
そこは暖かい方か冷たい方かで聞かないのか? と思わなくもないが会話がストップするので言葉通りにクールと注文。
春野が冷蔵庫からお茶を出している間に部屋を軽く一周見渡す。ふんふん、清掃はまあまあ行き届いているように見える。
あとは私物とかはあまり見当たらない……あれ? そういやテレビの前になにやら気になる写真が立てられているが。
「はぁ? はああああ!?」
「なに、急に変な大声出さないでくれる? あんまりうるさいとご近所からクレームくるからやめてよね」
「あんた……これ」
「あぁ、遥の寝顔ね。それ滅茶苦茶可愛かったなぁ~、ソファーでぐっすり眠っていたよ」
「盗撮かよ」
「許可は取ってるから大丈夫」
「そういう問題?」
「なーに、羨ましいの?」
腹立つぅぅぅ。くそっ、なんでこの女はよりにもよってとてつもなくプレミアムな写真を持っているんだ! ちぃ! いくらだ? いくら払えば寝顔の写真が貰える? ……まずは交渉からか。
「何万出せば貰えるの? 少なくともここでなら10万円くらい出せるけど」
まっ、1万円以上なら後日になるだろう。お年玉を駆使してでも飾りたい。
ふにゃふにゃしてとても愛くるしい表情。あれを部屋に飾ったら……はぁ~堪らん。
「そんなに出されてもこの写真は渡さないから。これは私だけの非売品なの……欲しかったら授業中にぐっすり寝ている遥を連写することね」
「クラスメイトの前で撮影しろとかあんたは鬼畜か!!」
ざっけんな、くそ! 絶対バレるに決まってるだろ! スマホ取り出した瞬間に教師に見られたら没収されるっての!
「カリカリしたらお肌に悪いよ、梨奈ちゃん。まずはこのお茶で身体を冷やしたらどう?」
「ごく、ごく、ごく、ぷはっ!!」
お盆を持って近づいてきたところでお茶が注がれたガラス製のコップをもぎ取り一気に腹の中へと運ぶ。
私はこいつと会話をするために来たわけではない。敵に塩を送る形になろうがはっちゃんは誰かの手で幸せにならないといけないんだ。
あんな寂しそうな顔はもう見たくない……よりにもよって、この女と関わってから表情が柔らかくなったり肌色も良くなったりしているのが納得いかないがこいつにははっちゃんを幸せにできる力がある。
本来なら私が幸せにしたかった。しかし、ああなった手前春野陽子には愛してやまないはっちゃんを幸せにする義務がある。
心の奥底では納得していないけどな。私もお姉ちゃんもまたこいつから大切な物を奪われると考えた途端に怒りが込み上げてきそうだ。
「さっさとはっちゃんに会いに行ってこい。河川敷の最寄りの公園で待つように言っておいたから」
「は? こんな真夜中に遥を置いてきたの? なんて物騒な……」
伝えた瞬間からいそいそと準備を始める春野。なにやら玄関の方でドタンガタンという物音が目立つ。
ずっと座っているのもあれなので立ち上がって玄関先の方へ歩むと手にはバケツとお手軽な手持ち花火を備えていた。
化粧もせず、服装もピンクのパーカーでいくつもりなのか? ちっ、どんだけ遥が好きなんだよ……こいつ。
「ぶ、物騒かもしれないけど……あんたの連絡先とか交換していないから」
「たまたま仕事終わりだから良かったけど、もし私が勤務中だったらどうしていたのよ?」
「その時は扉の前で体育座りやらなんやらひたすら待つ」
「粘ったところであとから住民から警察に連絡されると思うけど」
「うるさいなぁ~、一々揚げ足取らないでくれる?」
「リビングの電気消して。もう、ここにはいられないわ」
人にお使いかよ? とは思いながらもリビングに戻って電気を消して再び玄関前へ。
扉は既に開かれていた。さっさと出ろっていう合図か……言われなくとも出るっての。
「あんた、焦ってる?」
「焦るに決まっているじゃない。もし、遥が犯罪に巻き込まれたらどうしてくれるのよ?」
マンションから去り、早足で駅の方へと向かう春野。私は後ろ側で歩くことに徹する。
春野の手振りからして相当苛ついているようにも思えた。よっぽどはっちゃんを一人にしてしまったことがお気に召さないようだ。
「そんなこと言われても……どうしようもなくない?」
「仮にあの子が犯罪に遭って帰らぬ人になった時は……」
怖い、なんだ? 言葉の節々に強烈な重みがある。お母さんが怒ったときも相当怖かったけど、この女はそれ以上だ。
段々とカタカタと震える。突然立ち止まり、春野はこちらに顔を向ける。
生物の声と夜も相まってもはや恐怖が漂う。いや、それを超えてとてつもなく恐ろしいのは。
マンションにいるときは違い、目の瞳に光沢がない上に焦点が合わず虚ろな目を宿していた。
あっ、ヤバい。私がタメ口で話している相手は。
「犯罪者も殺して、梨奈ちゃんも殺す。徹底的に……そう、生まれたことを徹底的に後悔させてやるから」
「ひぃ!!」
思わず尻餅をついた。アスファルトのせいかお尻に傷みが走る。
いやいや、痛みなんてこの際どうでもいい。あの瞳のハイライトは確実に本気だ。
「じゃあ、私……先行くね。遥を待たせるわけにはいかないから」
殺るときは絶対に殺る。そうか、自分が犯罪を犯しても平気なくらい遥を愛しているのか。
はははっ、違う。全然違うじゃん……私がはっちゃんに対する恋と、春野がはっちゃんに対する恋は全く異なる。
ようするに春野の方が想いが段違いに強い。だって、好きな人が死んだら平気で殺すって言ってくるんだよ? 間違いなくあれは冗談とかそういう雰囲気でもなかった。
もし、万が一殺したあとはどうするんだろう? 死体を処理してから本人は警察に出頭するのか?
いや、多分後追い自殺で死ぬに違いない。
そこまでするのならあの女は自分の命なんてどうにも思っていないのだろうから。
「今年の夏祭り……最悪」
赤いブーゲンビリア、花言葉:情熱もしくはあなたしか見えない。
あんたは間違いなく遥のことしか見えないんだね。今日の出来事でそれは強く確信したよ……本当なら渡したくない。けど、相手の規模が違う。
ピュアな恋をしている私では太刀打ち出来ない。あの女は自分がどうなったとしてもはっちゃんを心の底から愛している。
夜風がさらりと吹く街灯の下。比較的車の通行量がそれなりにある広い道路でただ私は取り残される。
想いの強さに対して負け、そしてはっちゃんに振られて味わった失恋に打ちのめされて。




