梨奈が冗談でもなく本気で誘いこんできた。だったら、自分も悔いが残らないように本気で応えるしかないと思う
一泊二日の夜の出来事から月日は変わって6月の終わり頃。社会人はいつも通り仕事を回す。
けれど、学生側に立つ私達の空気は確実に違っていました。そう期末テスト……あの試練のようにそびえ立つ関門を乗り越えない限り未来はないのです。
待ちに待った夏休み7月10日~8月10日の約1ヶ月。ここで一つでも赤点を取れば夏の暑いじめじめとした太陽の光を浴びながら教室で補修を受けるという地獄を浴びることとなるのです。
となると、周りの女子高生の雰囲気はこれまた違うものになります。
授業が終われば何人かがノートをにらめっこしたり、教科書をじっくり眺めたり、新しく買ってきた五角形の鉛筆に番号の付いたシールをペタペタとはったりなど私達のクラスメイトは半分は張り切っていたり諦めの境地など多種多様。
期末テスト1か月前までは全然焦りもしていない生徒が多い印象でしたが残り2週間、1週間になるにつれて生徒の顔色は焦り出す。
陽子さんよりは学力イマイチだけど、小学校の頃からそこそこの成績を叩き出してきた私に隙はありません。
だから、ドンと来い! って、感じなんですけどその前に期末テストよりもえげつないプログラムが容赦なく無慈悲にも私を襲います!!
「あっつ~、もうリタイアしたいよぉ」
「おいおい、まだ5週目だぜ? そのくらいさっさと走り抜けようぜ、ハル」
「なんで、そんなに余裕なの?」
「音楽は肺活量が命だからな。走るくらいなんてことはないんだよ!」
「へ、へぇ~それはなんか羨ましーーぼぇぇぇ」
6月の後半は太陽の暑さが更に加速。制服も上下ともに夏仕様。日差しは徹底的にギラギラと照りつけ、グラウンドの砂というよりも視界の全てにもやもやと蒸発したものがうっすらと見えており持久走を強いられている私にはとてつもない地獄をさながら体験しております。
帰りたい、冷房が効いたリビングもしくは冷房が効いた自分の部屋に入って閉じ籠りたい!!
こんな時期にやらせるなんて悪魔だ。人間がやる所業ではない。
うぇぇぇ、暑いよぉぉぉ、いつになったらゴール見えるんですか??
「はっちゃん、顔色悪いよ!?」
「うん、ダイジョウブダイジョウブダイジョウブ」
「辛かったらいつでも叫んで! すぐに飛んでくるから!!」
そこまでしなくていいけど、梨奈のフォローに首を縦に振って答えながらグラウンドをぐるぐると回り続ける。
走っても歩いても走っても歩いても歩いても歩いても全然距離が縮まっているように思えない。
早足で進めても続々と走り去るランナー。あとはゴールしたとしてもビリから数えた方が早いくらいの順位になってしまった。
一周するのに何分掛かっているのでしょう?
スタート地点に着く度に心配そうに見つめる体育教師と伸び伸びと休憩している生徒達の視線が辛い。
一人合計15周。早い人ならグラウンド7周半を6分で終わらせる計算。
まぁ、1周回るだけ数分時間掛けている私には夢のまた夢という話なので結局は完走だけを目指して頑張るしかない……んだけど、さすがにこの暑さは厳しい。
帰宅部にとっては完全に拷問、勉強はそこそこできますがやっぱりね……こういうのは体力に自信がないと無理なんだよねぇ。
あっ、やば。汗どばどば。
足も意識しないとふらふらになりそう。
「はっちゃん、ファイト!!」
「あと5周だけだ。残りは気合いで突っ切れぇぇ、ハル!!」
「「遥ちゃん、頑張ってぇぇ!」」
遠くから梨奈と浅倉さんもとい由美さんの声援が聞こえてきた。
あと、なんか知らないけど他のクラスメイトから声が聞こえてくるような。
意識半分朧気ながらもアドバイス通り気合いで乗り切る作戦に移行。
11周目は気合い、12、13周目は足ふらふらしながら突っ切って、14周目はどうにか走るよりも歩いて、最後の15周目は……あれ、覚えていない。
「うぅぅぅ……あ、れ?」
ゆっくりと目を開いたら、真っ白な天井……意識が回復していく度にのそのそと起き上がればカーテンがぎっしりと閉められていました。
「ここってもしかして保健室?」
じりじりと食らった暑い日差しがなくなり、部屋の中は程よい冷たさで浸透している。
肌色のカーテンを開けると丁度机で作業をしている大人の女性と目が合ったのでベッドの近くに置いてあった保健室のスリッパに履き替えておこう。
今更二度寝をする必要性は感じられないからだ。
「体調どう? まだ悪いところあるなら早退扱いにするけど?」
「私、どれぐらい眠っていました?」
「体育が四時間目でお昼も過ぎて五時間目も始まっているから丁度一時間過ぎよ」
へぇ~けっこう寝てたんだ。と、感心しつつも先ほどまでの記憶がなくなっていることにちょっと焦ります。
「あぁ~、だいぶ寝込んでますね」
「どうする? もうお家に帰る? 帰るのであればまずは保護者に連絡とかそういう話になると思うけど」
保護者……いない。父は金をあげたら後は完全放任主義なのでそんな連絡ごときでは滅多にビビらないだろう。
学校の担任には無論両親がお家に居ないということは説明済み。
ただ、保険の教師に一々説明するのも面倒なので私が取るべき道はこれである。
「大丈夫です。残りは普通に授業受けます」
「そう? 本当に良いのね?」
「はい、それよりも制服とか置いてますか? この体操着で教室に行くのはちょっと……あれなんで」
「制服と鞄はこっちにあるからちょっと待って。はい……どうぞ」
誰が届けてくれたんだろって考えたけど、考えても仕方がないので保険室のベッドに戻ってそそくさと体操着を上下ともに外して着替える準備に取り掛かる。
汗は……完全に消えていないから家に帰ったら即シャワーしよう。
下のスカートから着けて、カッターシャツのボタンを一個ずつ閉めて最後にリボンも着けた後に鞄から赤のブーゲンビリアの髪飾りも忘れずに付けてから保険教師に別れを告げて教室へと戻る。
廊下を歩いている間に学校のチャイムが響く。教室に入る間に終わってしまいました。
あちゃー、授業内容全部聞けなかったなぁ。ノートに写してくれている人探したとしても私の頼みなんて聞いてくれるのかなぁ?
と、不安な気持ちで望んだまま教室の扉を開いてみたら多くの生徒と目が合いました。
え? なになに!! なんで、皆こっちに来るんですか!?
「遥ちゃん、体調はばっちりなの!?」
「ご、ごめんなさい。皆さんにはご迷惑をお掛けしました」
「そんなの気にしなくていいって。それよりもノート良ければ貸そうか? 放課後でも終わるまで待ってあげるから」
「いやいや、えっと、そこまで気を使わなくても」
なんで地味な見た目をしている私はこんなに注目を浴びているのでしょうか? 全く持って不思議でなりません。
と思ったら女子生徒の間から縫うようにしてボーイッシュな髪形をしている由美さんが登場。
服は第二ボタンを付けず、若干肌が露出している。風紀に見つかったとしてもほぼろくに言い訳出来なさそうなスタイルだ。
「うーす。復活して早々大人気だな、ハル」
「ゆ、由美さん」
「元気そうでなにより。クラスメイト全員、ハルのこと心配してていたんだからあんまり無茶すんなよ」
「えっ? 私ってそこまで心配掛けられるほどなの?」
「あれ、自覚なし?」
「うん? 自覚ってなに?」
「最近のハルさ。気づいていないのかもしれないけど最初の頃に比べて顔色も良いし何より全体的に艶が出てるしあとはとにもかくにも……色っぽくなっちゃって密かに人気なんだぜ。その度に平井が……あー、ごめんなんでもないや」
なんのことやら、全然理解が追いつけそうにない。顔色が良くなったことは認めたとしても艶とか色っぽいとか何の話をしているのやらさっぱりだ。
黒髪のショートカットに赤いブーゲンビリアの髪飾りを付けただけの高校生にそこまでの魅力はないはず。うん、ここで私は断言しようと思います。
「……へぇ、そうなんだ」
「まあ、書くならさっさと誰かに借りるこったな。私はこれから選択肢鉛筆2号作成に忙しいから失礼する」
鉛筆作るよりもまずはテスト範囲を見直した方がいいと思うとは口に出さず、結局積極的に貸し出してくれる女子生徒からきちんとノートに移して放課後まではギリギリのところで終わらせておきました。
貸してくれた生徒に感謝です、サンキュー。
「それじゃあ期末テストの準備期間も今日の金曜日で終わりだから、月曜日に始まって木曜日の4日間で確実にいい点取るように! じゃあ、委員長号令!」
「起立! ……礼!」
「「ありがとうございました!」」
どんどんと教室から離れていく生徒達。由美さんもダッシュで離れてしまい教室にいるのは私と梨奈だけになってしまいました。
とりあえず机のなかにある教科書はできるだけ鞄に詰め込んで前の席に座っている梨奈に声を掛ける。
テスト期間中、あまり頭がよろしくない彼女に頼まれてる以上勉強を毎日教えているのだ……主に図書室で。
「梨奈、準備できた?」
「体調大丈夫なの?」
「うん、一時間寝たら頭すっきりしたし何も問題ないよ。ただ強いて言えば……」
「言えば?」
「シャワー浴びたいかなって」
「それ私も」
「同じかぁ」
「同じだねぇ」
体調の面はすっかり回復しているので、私は今日も梨奈のテスト勉強の指導に望む。
一人でやるより二人で。赤の他人ならやるつもりなかったけど、積極的に仲良くなる前から話し掛けてくれる梨奈であれば分からない問題はそこそこいい点が取れる私が教えてやれば素直に取り組んでくれるし何より教えがいがあるのだ。
大丈夫、テスト期間終わったら報酬としてプリンを何個か提供すると梨奈の口から直接言質を取っている。
その点については抜かりないのです。
「う~む」
現に図書室の扉を開いて私と梨奈が座って以来いつも都合よく空いている窓際の奥の方の席で今日もまたラストスパートを向けて梨奈は教科書とノートをにらめっこしている。
自分は視線を落として教科書に掲載されている数学の因数分解とやらにペンを走らせることにした。
公式を覚えればある程度は解けるようになっているけど、こういうのって実際に身体で覚えないと難しいんだよねぇ。
最終日は抜けがないように昨日まで後回しにしておいた教科を片付ける作業。
これをあらかた終わらせてしまえば家に帰って真夜中までずっと勉強……をする必要性はない。
人間ある程度息抜きをしないと人生やっていけない。だから、その分冷蔵庫に冷やしているプリンの消費が半端ないわけで。
「ねぇ、はっちゃん」
「ん? どこが分からないの?」
「そう、じゃなくて……」
「……?」
窓の向こう側のグラウンドからテスト期間中の為運動部の声は聞こえないし、図書室は基本お喋り厳禁だから生徒の声も控え目。
だから、喉からが力強い声を出せる梨奈のトーンにはどこか弱々しさを感じて。
たどたどしい言葉遣いにくねくねと落ち着きがない梨奈。口を出すこと躊躇っているのだろうか? そんな意志がはっきりと私の瞳に映る。
「えー……あのね? これ、テスト期間、終わったら」
鞄のチャックを開けてからこれじゃないあれじゃないと変にもたもたしている梨奈。
勉強に集中するどころではなくなったので、おとなしく待っていたら机の上になにやら学校関連の物とは思えないパンフレットのような物が目に焼き付いた。
「行かない? 私の奢りでその……夏の花火大会に」
「えっと……」
「お願い、どうしても二人で行きたいの。なにがなんでも」
「そんなに?」
「うん、ここではっちゃんに断られたら私……」
花火大会は学校の近くにある河川敷のビックイベントは1日のみ。
実を言うと、この日は陽子さんと一緒に行こうかなと考えていた……けれど。
やけに図書室の中の空調が必要以上に冷たい。返答に困る……時々ペンがカリカリ鳴らす音が敏感に聞こえてくる。
正面の向かい側に座る梨奈の視線は一定で、私に対して強く訴えかけてくる瞳。
あれは冗談ではなく真剣だ。彼女の中で花火大会で大きな決断を下す。
私には少なくともそう感じた。
陽子さん……っ! あぁ、こんな時なんでこの場にいない人の顔を思い出しているんだ!
今は梨奈の気持ちに本気で応えてやらないと。ほわほわと浮き上がる幻想を殺して、沈黙を打ち破る。
「分かった……花火大会の当日は梨奈と私の二人で行こう。それでいい?」
「うん!! ありがとう、はっちゃん」
この返答には多くの葛藤があった。梨奈は私のことをクラスメイトとして見ているのかどうかすら怪しいし、何よりもあの件があった以上は純粋に花火大会を楽しむという感じでもない。
どこか不安がよぎるも気持ちを誤魔化すかのようにペンを持ってノートに文字を走らせる。
少なくとも、これが終わるまで。今はただ来るべき期末テストに備えよう。
体力へなちょこ。なめくじレベルの遥は運動がとことん駄目駄目な模様でシャトルランをたったの10回以上走るだけで音を上げるとかなんとか。
本人はあくまでも向いていないだけと心のなかで言い訳されているそうです。




