初めてのカラオケ。初めて人前で歌った私はなぜか浅倉さんに讃えられ、梨奈はあろうことか涙ぐんでいました
夕日が上り影がしっかり色濃く出来る時間帯。カラオケに向かう最中帰り際のサラリーマンや買い物帰りの主婦など多くの通行人が行き交う中でも私と梨奈は浅倉さんが足を止めた場所を見上げる。
ガラス張りのお店は入る前から様子が伺える。見た感じ団体客が聞いている雰囲気もない。
こういうのって大人も子供も年齢問わず来ているのかな? 仕事一筋の父親に一回連れてこられたことがないからなんだか不安。
別に誰だって入られるんだから変に身構える必要はないけど、普段から目立とうと思っていない私がカラオケに入店したところで盛り上がれるのだろうか?
逆に私の下手くそな声で白けたりしたり一生のトラウマ物である。
「もしかしてはっちゃんって一度もカラオケで歌を歌ったりした経験がないの?」
「えっ、なんで分かるの?」
「入る前からずっとそわそわしてるもん。やっぱり初めてのお店は緊張する?」
「お店というよりカラオケの方に緊張しているかな」
「大丈夫! はっちゃんは皆を癒してくれる母性溢れた声帯を持っているんだからそんな緊張しないで!」
「おーい、コースは一応二時間とかでいいよな? あとは帰り際見計らって解散か延長って感じでOK? 私は門限とか決まってないから好きに歌うけど……あんたら、門限は?」
「親に頼めば夜7時までなら大丈夫よ」
「私は……両親は住んでいないので特に決まりとかはありません」
「えっ? なにそれ? もしかして旭川って365日ずっと一人暮らしで生活送ってんの? うわー、楽しそう」
一人暮らしを始めたのは高校からで365日を達成するのはまだまだこれから先。
声のトーンがちょっと上ずってるので浅倉さんからしたら興味津々なのだろう。
別に一人で生活なんか送れても楽しくないんだけどなぁ。むしろ、どちらかというと孤独感が増すというか。
「父親から仕送りはもらっていますので365日ずっとそこで暮らしていろと言われれば暮らせますよ」
「すげー、大金もらってんだな。私の家庭はそう裕福じゃねえから旭川がちょいと羨ましくなるねぇ」
羨ましいと思うのは浅倉さんだ。彼女にはきっと母と父の元で愛情を持って育てられている。
そうでなければ、こんな自由奔放丸出しの性格にはならない。髪が極端に短くて男子の服と帽子を被れば男の子に見えてしまうほどのボーイッシュ。
キリッとした睫毛にクールな顔立ちをした浅倉さんを私はひどく羨ましく思う。
金を与えればそれで済むと思ってる父親の管理下で生活を送っている私としてあの人が父親かどうかすら怪しいところだ。
「ちょっ、浅倉」
「あっ!? わ、悪い……ついいつもの癖で思ったことべらべらと喋ってた。まじ許して」
「許すもなにも怒っていませんから。どうぞ、顔をあげてください浅倉さん」
「ごめんな、ごめんな。こんなずけずけ家庭の事情に空気読まず突っ込む哀れな女でごめんなぁぁ!」
「えっと、足にすがりつかないでもらえませんか? 周りの目線がこれ以上になく痛いので」
あとからロビーに入店してきたお客さんに怪訝な目で見られているので止めて欲しい。
しかし、浅倉さんの懺悔はそう簡単には止まらない。
結果的に隣で見かねていた梨奈が強制的に力ずくで剥がしました。
まだカラオケルームに入っていないのに変に目立とうとしないでください。
「意外と中は広いんだね」
「カラオケは基本友達とかクラスメイトの子とかグループでよく来るから、そういうのも含めて広く作っているんだと思う」
ロビーの近くにある階段を伝って渡り廊下を歩いた奥の方にある扉の先にはなにやら頭上にスピーカーのような物と多くの面積を陣取るソファーとテーブルそして一台の大きなテレビ。
部屋に入る前に予め入れておいたフリードリンク制のお茶を一口つけて、入室した瞬間に手慣れたように機械を操作する浅倉さんを眺める。
す、凄い早さだ。もう何回かいやそれとも頻繁に通っているからこそあそこまで操作に躊躇がないのか。
「よっしゃ、まずは最初は手始めに盛りあがる曲から歌っていくぜ!!」
テレビの音量マックス並みのでかいサウンド。アナウンサーとか司会者がよく持つマイクを手に取り浅倉さんは感情のままに曲に声を乗せる。
アップテンポの上下が激しい曲。歌い慣れていない私が歌えば間違いなく息切れ必死の曲をすらすらとリズムよく歌っていく姿は圧巻で終わりきったあとのやってやったぜという表情不思議と高揚感を持たせる。
「えぇー! あれで80だぁぁ!? 機械の採点絶対頭おかしいだろ! くそっ、訴えてやる」
「どこに訴えるのよ?」
「ん? そういや、こういうのってどこに訴えるのがいいんだ?」
「さー、自分の足りない脳みそで考えてみれば……っと!」
テレビの方にまた違う画面が表示され、次に浅倉とは一味違う曲調が流れる。
「おっ、これ話題のアイドルの奴か!」
「今人気急上昇中の定番曲よ。こいつで大量得点狙ってやるから」
「うぇーい、期待してるぜ」
後ろに髪を一本に結んだポニーテールをぶんぶんと揺らして、流行りのアイドルの曲に対してビブラートやらこぶしやら音譜の中に記号として沢山表れる中でノリノリに歌い部屋中を大いに盛りあげる。
怒濤の歌い出し、そして歌い終わりのハツラツとした表情。梨奈はすっかり気持ちよくなったのか顔つきが学校に登校していた時に比べてかなり朗らかになっているという素晴らしい変化。
カラオケってこんなにも人を変える力があるんだ……でもなぁ。私が歌ってもどうせ逆に盛り下げるだけというか単純にあの二人より上手く歌えないよう気がして歌おうにも歌えないです。
だから90点台の高得点を叩き出した梨奈と10点以上の差にがっくりと両肩を落とす浅倉さんを邪魔しないように観察していたんだけど。
「ねぇ、そろそろなにか歌ってよ。はっちゃん」
「さすがにここまでお膳立てさせておいて何も歌わず帰るとかそんな意地悪いことしねえよなぁ?」
うん。まぁ、いずれにせよこうなるだろうなってことは予想していました。
ずっと歌わずに帰れたらそれはそれでほっとするけど学校でも外でも比較的活発な子達なんだからこんな消極的な子はターゲットにされやすいよね。
「分かった、歌う……私、歌うよ」
「はー、やっと重い腰をあげてくれたか」
「けど下手くそだから。あんまりにも聞くに耐えられなかったら部屋から出てもいいから」
「おっ、旭川は意外にも音程音痴か? こりゃあ、ますます目が離せねえな」
「あぁ、はっちゃんどんな曲を歌ってくれるのかな? すっごくワクワクする」
梨奈の視線から送られる希望の眼差しがこれ以上ないってくらいに痛い。
うぅぅぅ、人生で初めてのカラオケ。上手く歌えるかな?
選曲をテレビに送る機械の使い方がいまいち分からないのでそこは隣に座っている梨奈にレクチャーを受けながら機械をゆっく操作して送信。
初めからアップテンポのある曲は私の身体には受け付けないのでJPOPでもなるべく緩やかに上がっていくようないわゆる緩急のある歌にしておく。
上手く歌えるかは自信がない。音楽はそれなりに聞いてるけど、実際に歌ってみたらどうなるんだろう。
緊張のあまり震える指。マイクを両手に構えて誤魔化し歌い始めと共に声をしっかりと歌詞に乗せて。
「~~~~~♪」
スローテンポで流れる歌。ゆったりと乗っていき、途中で一気に駆け上がる。歌ってみるまで自信が湧かなかったけど案外肥を表に出せばそうでもなくて。
これがカラオケの楽しさなんだ。なんか気持ちよくなってきたので最後らへんはうきうきで歌っているかもしれない。
全てのメロディーが流れ終わり場はしんと静まる。えっ、私の歌下手くそ過ぎて引いてるの?
自分的には気持ちよく歌えたと思ったのに浅倉さんは頭を上げて片手で両目を塞ぎ、梨奈は何かを堪えるように……ってなんでそこでハンカチ?
「く~、やっぱり私の見立ては正しかったな」
「ぐすっ、はっちゃん歌上手すぎ。あぁ~、なんでそんなに綺麗な音色が出るのよ」
よく分からないけど、これはバット評価ではなさそう。カラオケの評価も95点と初めて人前で歌ったにしていい成績で収めていると思う。
声を大にして口に出せばいい方向に進む。陽子さんのアドバイスのおかげでまたしても自信がつきそうです。
「こりゃあ、そう遠くない内にハルの再来待ったなしだな」
「ハル?」
あの、自分の名前遥なんですけど。なぜかを抜いたのでしょうか?
「とりあえず今日からハルって呼ばせてくれ。私のことはこれから由美って呼び捨てにしてくれても構わないから」
「い、いきなり!? えっと、由美さんで」
「おうよ、ハル! じゃあ、今からあんたの天使の歌声にリスペクトさせてもらうぜ! これほどの宝が眠っていたからには丁重に扱わねえとな」
「……」
「つーわけでここから残り30分ずっと歌い続けて欲しい。ハルの素晴らしい歌声を心行く満喫したいんでな」
「あの、そんなことしたら喉が枯れてーー」
「はっちゃん、お願い。あなたの奇跡の歌声を私に届けて」
「梨奈……なんで止めてくれないの?」
「凄く感動したから」
感動したからずっと歌えと? それは無理難題な注文だ。30分間一人で歌い続けるとか正気の沙汰……うわぁ、音楽流れ出してきたんですけど。
「ささっ、ハル! あんたの魂をマイクに吹き込んでくれ」
「今のうちに録音の準備しておこうかな」
もはや止めてくれる雰囲気はない。だからマイクを握り、選曲してくれた曲に魂を吹き込んで思うがままに歌い続ける。
30分後歌いきったという達成感とあとから襲い掛かる疲労。
延長なしでカラオケを解散した私はあまりの疲れにふらふらと歩きつつもブルブルと震えていたスマホの画面を開くとメッセージには。
『今日はよく頑張ったね。お祝いにとても美味しいプリンを冷蔵庫に冷やしているのだけど家まで持っていっていいかしら?』
飼い主のくせに妙に謙虚だ。私はお人形ちゃんでしかないのだから好きに行けばいいのにと思いつつも陽子さんの気遣いをメッセージから眺めたら一気に疲れが吹き飛び、自分の指は電話のマークに自然と向かっていく。
どうせならメッセージで話すのではなく直接語りたい。文字だけのやり取りなんて味気がないだけだ。
そして私にとって陽子さんの声自体が辛さも疲労も全てを打ち消してくれる希望の存在だからこそ。
月が出るか出ないか分からない微妙な夜空の下。私達の電話のやり取りは実際に出会うまで尽きることはありませんでした。