え? そんな軽いノリで皆行くの? ん? 私もこれ行かないと駄目なの? あ~、不安だぁ
お日様ぽかぽか金曜日。アラームが鳴った時計を止めて制服に身を包み、髪を水やブラシでいじってから最後にすっかり気に入った赤色のブーゲンビリアを頭の上にセットして朝の身だしなみは大体完了。
このブーゲンビリアについては学校からは特に注意を受けてはいないから校内では付けている。
例外として体育とか激しい動きをする際は外しているけど。
ただ、逆にクラスメイトの何人かには注目を浴びてしまったようで初めて付けて登校した時にはお洒落だねとかなんとか声を掛けられてけっこう目立ってしまった日がある。
その時梨奈は一瞬だけチラッと見てそれから私の髪飾りについては触れてこなかったので陽子さんの贈り物という言葉は口にしなかった。
陽子さんと梨奈の雰囲気は誰がどう見ても険悪な雰囲気で私でさえも逃げたいと思っちゃったくらいにはひどい。
あれで仲良くなるきっかけなんてあるのかな? いや多分ないかも。
「あっ」
リビングでテレビから流れる朝のニュースをパンでも食べながら眺めていたら机の上に置いていたスマホの画面が光る。
食事中にスマホをいじるのはマナー違反だけど、どうせこの家に住んでいるのは私一人なので噛んでいる最中のパンを胃の中に入れてからスマホを触る。
『自信を持って大きな声で語ること。緊張をバネにして勇気を出しなさい……私にとってあなたの感想文は世界一よ』
ラインのメッセージの一件には陽子さんが書き記したぶっきらぼうながら暖かみのあるアドバイスが目の前にあった。
堪えそうになりながらも既読をつけて簡単なメッセージを送りつけた。
ほんの些細なメッセージ。ありがとうございます、私精一杯頑張りますっと。
朝に出来る用事は全て終えて、二階建ての家に鍵を掛けてから海原女子高等学校へと足を向ける。
気分がいいのか道の途中でステップをしてしまいそうなほど心が踊っていた。
すっごい単純な子だなぁとつくづく思いながらも学校にたどり着く。
読書感想文のお披露目といえどクラスメイトの雰囲気はなんら変わりはない。
いつものように授業を進めて、お昼を食べ終えた後半は読書感想文。
それを乗り切った先には夏休みを過ごす前の大きな関門である期末テストが待ち構えている。
テスト範囲は中間テスト以降。ここで赤点以上を狙えば夏休みは宿題という重りがあるも誰にも邪魔されない素敵な休みが過ごせてしまう。
しかし、赤点以下を付けられてしまえば夏休みであろうとも問答無用で炎天下の光を浴びながら補習を行うという地獄が待ち構えている。
だから、その点も含めて彼女達は必死なのだ。たとえばついこの間から関わるようになってきた浅倉さんとか。
「おはよう、旭川! 今日もあっついな!」
「おはよう、浅倉さん。今日も一段と暑いね」
「こうも太陽を浴びると干からびるわ。まじ、クーラーさっさと付けろって感じ」
「気温もけっこう高いらしいよ。水分補給こまめにやった方がいいかも」
「確かに旭川の言う通りかもしれん。なにせ、今日は……私の武勇伝を聞かせる日だしな」
「武勇伝? もしかして、読書感想文のこと?」
「おぉ、そうとも言うな。でも私にとっては一世一代のメインイベントなんだよ、これが」
その武勇伝とやらがクラスメイトに受けるのかどうかはさておき、あの自信たっぷりの表情からしてかなり出来映えがいいように思える。
でも、なんか……浅倉さんって問題を起こしそうな予感。この人、悪い意味で目立っちゃっているから。
今日もまた浅倉さんは教師に叱りを受けることなく無事に終われるのだろうか?
「内容は?」
「のんのん、それは聞いてからの楽しみにしときな。ネタバレなんてされたら面白みもなくなるってもんだろ? だから、時が来るまで待て!!」
「うん、分かった」
会話を切り上げる。浅倉さんのペースに呑み込まれてしまったら戻るに戻れないから。
「はっちゃん、おはよ」
「おはよう、梨奈。今日もよく寝れた?」
「ははっ、大丈夫。なんとか眠れてるよ……お昼頃には元気を取り戻してみせるから心配しないで」
「なにかあったら相談してね。私に出来ることなら何でもやるから」
「気持ちだけ受け取っておくよ、ありがとう」
月曜日から金曜日に掛けて梨奈の顔色は日に日に悪くなっているように見えた。
けれど、声を掛けても上手くはぐらかされてしまう。どうしたらいつもの梨奈に戻ってくれるの?
また、あの元気はつらつな梨奈に戻ってほしいよ。
「おーす、元着ねえな。カルシウム足りてるか?」
「牛乳は飲んでるけど」
「たくっ、しゃきっとしろよ。いつもの馬鹿うるせえ平井はどこ行った?」
「そんなにうるさかった?」
「旭川にちょっかい掛けた時には目が血眼だったぜ」
「ふーん、あぁ、かもしれない」
「……駄目だ、こりゃ。こういうときはしばらくそっとしとくとしましょうかね」
遠い目で天井の方を見上げる梨奈にさすがに声を掛けづらくなったのか浅倉さんでさえも武勇伝とやらつらつらを書き記した文章を読み始めた。
ホームルームのチャイムが鳴るまで手提げ鞄から教材を机の中に取り込む。
今日は数学、理科、英語、国語で午後からは発表会と同時に始まる期末テストの詳細。
夏休みを満喫するためにはこの試練を乗り越えなきゃ。そこそこの実力で目指せ! 赤点回避!
「はーい、おはよう! お前らちゃんと全員席に座れよ! じゃねえと出席取れねえから」
ホームルームはいつもの点呼と連絡事項の基本セットで終わらせ、そしていつもの授業が50分を目安に流れてゆく。
期末テストが待ち構えているというのあるのか基本的に話を聞いている人がちらほらといた。
理由は概ね夏休みという最高のバカンスを楽しみたいから。まぁ、その気持ちは分からなくもないです。
「ということで赤点とか取ったら極暑の中で冗談抜きに補習が始まるので期末テストは本気で取り組むように……特に浅倉はよーく予習しておくように」
「なんで、私は限定なんだよ?」
「お前がこのクラスの中で一番俺を困らせる生徒だからだ」
「正直に言うなよ! そこはオブラートに包もうぜ!」
薄めの茶色の短髪に若干というよりオラッてる浅倉さんは良くも悪くも目立っていた。
けど、そんな彼女を悪く言う人は誰もいない。ズバッと意見を言ったり、なんだかんだでムードメーカーな素質があるからなのか浅倉さんはけっこう教師から生徒からも好かれている傾向がある。
「はーい、チャイムも鳴ったんでこれで終わりにします。委員長、号令」
「起立! 礼!」
「ありがとうございました!」
世渡り上手ってもしかしたらこういう人を指すのかもしれない。以上、私が正直に思った心の中でした。
「ふぁ~、腹減った。さっさと飯食って仙台牛争奪戦に備えるとしますかねぇ」
「まだ諦めてなかったんだ、それ」
肉は前に担当教師から貰えないって言われているのによほど肉にしか興味がないのか勝手に野心に燃える朝倉さん。
今日も屋上の扉の前の階段で食べようかなと立ち上がった時に半ば強引に机をくっつけられ見かねた梨奈も一緒に食べるという気まずい絵面になってしまった。
けれど、それも含めて楽しかったと思う時間を過ごせた。やっぱり一人に慣れていたとしても数人で一緒に食べている時間の方が何倍も楽しかったする。
陽子さんと二人で食べている時はそれよりも何倍か充実しているけどね。
「よーし、この班のトップバッターはまず私が先陣を切る! 次に中堅の旭川、最後に大本命の平井で優勝に掛ける。いいな、お前ら? 始まる前に気合い入れとけよ」
熱く語っているけど読書感想文の発表会においては完全に個人プレイだ。
班ごとの優勝はルール上必然的に存在しない。もう、横やりを入れる雰囲気ではないのでひとまず頷く。
そこで昼休みのチャイムが鳴り響く。発表会ではおおよそ二時間の予定があるのでクラスメイト全員に各個人で好きに集まったグループでお鉢が回ってくる。
先陣は浅倉さん。堂々とした足取りで教卓の前へ緊張というもの全くみえてこない。
むしろ、一世一代の勝負とやらに闘志を燃やしているようです。
「私が紹介する作品……それはある日突然広まったゾンビに対抗するべく結集したバンド達が立ち上がる熱い熱い友情パワーの物語!! 紹介しよう、ボーカル・ギター・ベース・ドラム・キーボードの計五人の勇者を――」
「ちょっと待て」
「んだよ、先公。まだプロローグも終わっていないのに」
「先公呼びはやめろ。いや、それはひとまず置いておくにして……浅倉、それなんの小説だ?」
「愛と友情大激突☆ 広がるパンデミック! 打倒我がバンドマン!」
「出版社は?」
「なにそれ、出版社ってなに?」
「創作は発表会の範囲に入らないんだけどな」
「あれ~、そうでしたっけ?」
「もういいぞ。席に帰ってくれ」
「いや、せめて劣勢に立たされる五人の勇者の前に現れた奇跡のボーカルHARUがみせた光の力の実力を」
「はい、終了」
「くっ! こんなところで私は!」
大がかりな演技で苦しんでいる浅倉さん。彼女の徹底的なまでの抗議は容赦なく担任の言葉により強制リタイアへ。
そして、私は心がざわざわしている状況でクラスメイトの前に立つ。なんだ、これ……いつもと違う。
周りが余計に静かだから過剰に緊張する。これで、落ち着いて発表出来るの?
皆の前で恥をかいて失敗する未来しか見えません。
「旭川?」
「えっ、あっ、うぅぅ」
「ゆっくりでいいからお前のペースでな。俺はいつでも待ち続けるから」
時間が緩やかに流れていく。ここでふと思い出した……陽子さんが朝に残したメッセージ。
緊張をバネに自信を持って大きな声ではきはきと。まだ、それは言われてすぐ完全に出来るものではないけれど……意識を持って取り組むことなら今でも出来るはず。
それで間違っていませんよね?
「はい、分かりました」
感想文は完成したあとに何度か読み上げた。皆の前で完璧に文章を見ずに読めるように。
だから、ありのままの自分をここで披露する。たとえ噛んだとしても文字を少し間違えてもとにかく出来ることを精一杯。
読み終えたあと、少し辺りがシーンとなった。けれど、梨奈が迷わず手を叩き続々と拍手する。
浅倉さんは拍手はしなかったけど親指を立てて健闘を讃えた……ように見えた。
頑張ったかいはあった。万引きをしたときは360度ガラリと変わった達成感。
今までなあなあで何もすることなく無気力に生きていた私が変われたのも……あの人がいたから。
ありがとう、あなたに感謝します。出会えて良かったって。おかげで前に進めました。
「つーか、結局勝てなかったなぁ。くそぉ~、先公の余計な邪魔が入らなければ今頃旭川と平井にビックなプレゼントを届けられたのによぉ~」
「まあ所詮私と浅倉では太刀打ち出来なかったのよ。それに引き換えはっちゃんはいい線行ってたのになぁ」
「いやいや、それを言うなら梨奈の方だよ。あんなにはきはきと喋ってたのに」
「クラスメイトの皆が話を聞いてこれ読みたい! って方に持っていかないと得点が入らないからね。そういう意味では暗い小説は皆に合わなかったのかも」
「やれやれ、お通やムードかよ。この湿った雰囲気をぶち壊すにはあれで景気づけするしかねえな」
ニヤリと浮かべる浅倉さん。とんでもなく企んでいるご様子。あぁ、なんか嫌な予感してきました。
「景気づけってなに?」
「パッと歌えて、パッと盛り上がる場所と言えばあそこしかねえだろ、そうカラオケっていう最高のミュージアムが!!」
「あっ、私今日用事思い出したので」
「おいおい分かりやすく逃げんなよ、旭川。いつも帰宅部のあんたに用事とか今日に限ってあり得るのか、うん?」
肩をガシッと掴まえる。絶対に逃してやるものかと言わんばかりの剣幕。
退路はもう塞がれました。
帰宅部とか内情もバレているので下手に言い訳出来なくなっちゃった……あぁ、泣きたい。カラオケとか生まれて一度も行ったことないのにぃぃ。
「浅倉、やめてくれる? はっちゃんが痛がってるでしょ」
「ひぃ! あはははっ、いや~逃げようとしていたからついやっちまったよ~」
「冗談でも笑えないからやめてね、それ」
「分かった。もう旭川には手を出したりしないから……なので、拳下ろしてください」
燃えたぎっている拳をおろして、深くほっとする浅倉さん。よっぽど怖かったのだろう。
確かにさっき相当眉間を寄せていた梨奈から微かに阿修羅の像が見えた。幻想だと思うけど、微かに見えてしまった。
「はっちゃん、カラオケ行く?」
本音を言えばあまり乗り気にはならない。けど、クラスメイトに誘われている以上下手に断る意味も見出だせない。
特別な用事もないので誘いに乗ってみよう。カラオケがどんなものかも知っておいて損はないだろうから。
「うん、行くよ」
「……だったら私も」
「よーし、じゃあ学校から歩いて行っちゃいますか!」
ノリノリで歩く浅倉さんと後ろでその背中に付いていく私達。校舎の空はどこまでも綺麗に透き通る夕日。
時折影を見つめて、時々浅倉さんと梨奈の間に交じって会話したりして。なんの変哲もない時間だけどこういうのも悪くないかもって思いました。