はじまり
窓きわの机に向かい、フナキは線を引いていた。趣味で使う、小さな釣り船の設計図だ。人の手で作り出される物はすべて、人の頭の中の想像から生まれる。想像力によって生まれた粗彫りの情報に数字を載せて、精密なカタチが浮かび上がる。そして精密な情報を元に作り手が実際に手を動かし、机上の空論は実体となる。「物は情報から生まれる」と言ってもいいのかもしれない。生き物の体もDNAの情報を元に、周囲の環境から集められた成分を組み立てて生み出される。情報が構成成分を引き寄せる。船も同じだ。そしてそんな船のDNAを自分の好きなように操れるということが、フナキに自由を感じさせていた。
誰のためでも無い、自分のための釣り船。人の役に立たない形をしていようが、多少の欠陥があろうが、誰に咎められるわけでも無い。線をひたすら自由に書き散らす瞬間と、自分のためだけに作った船の上で釣り糸を垂らして無心になる時間こそが、フナキにとっての唯一の安息であった。
遠くで呼び鈴の鳴る音が聞こえた。パタパタと足音が聴こえる。今日はばあさんが出かけているはずだから、たぶん妹の足音だろう。何か手紙でも届いたんだろうか。もう本土から帰ってきてしばらく経つし、ヤツが俺の消息を心配して連絡でもよこしたか。フナキが思いを巡らせていると、妹のナギが2階に上がってきた。
「兄さん、ちょっといい?お客さんなんだけど」
「今行く。少しだけ待ってくれ。」
ちょうどきりの良いところまで図面を仕上げると、フナキは紙を筒の中に仕舞って部屋を出た。
玄関まで降りていくと、島の村長のアズマが立っていた。フナキが反射的に挨拶する。
「あ、こんにちは。」
「どうも。こんにちは。今、お時間よろしいでしょうか?」
「大丈夫です」
(今頃珍しいな。村長は時々島の人々に挨拶に回ることがあるけど、いつもと時期が違う。島に何かあったのだろうか。)
「今日はちとフナキさんにお願いがあってお訪ねしました。」
アズマはアタッシュケースから何やら書類を取り出した。
「島と本土を結んでる連絡船。あれが最近古くなってきてるんですが、ご存知ですよね」
「はい。そういえばそうですね。」
本土から島へ生活物資を運んだり島民の足として使われてきた中型船は、建造からおよそ30年ほどが経とうとしていた。船乗りたちの手入れがよく行き届いているおかげで、年数の割にはとても良い状態が保たれていた。今でもこの島の暮らしを現役で支えており、島民からは「クジラぶね」と呼ばれて広く親しまれていた。
「今まで通り手入れをしながら運行出来れば良いのですが、さすがにそろそろガタがきてましてね。修理が出来れば一番良いんですけども、あれを作った本土の造船所がもうあの型式の船を扱って無いそうでして。うちの島の船大工の皆さんに聞いてみても作り直した方がいいとおっしゃってますんで、残念ですが新しいものに取り替えようという話になりました。」
「それは…。残念ですね」
物心ついた時から島に当たり前のように存在していただけに、それが無くなってしまうことがフナキには寂しく感じられた。クジラぶねは本土の港に着けば中くらいの大きさであったが、島にやってくる船の中では最も大きい。ましてやフナキが子供の頃に初めて見たときには、その迫力は大人が感じるものより何倍も大きなものだった。クジラぶねは、フナキが船に魅了されたキッカケでもあった。
「立ち話もなんですから、どうぞ、上がってください。」
ナギが話を中断し、アズマを部屋へ上がるように促した。
「ありがとうございます。では、失礼いたします。」
アズマは手元の書類を一旦しまい、応接間に上がった。
フナキとアズマがテーブルにつくと、ナギがお茶を出してから部屋を出て行った。
「いただきます。」
「どうぞ。」
アズマがお茶を一口だけ飲む。
「突然お訪ねしておいて恐縮なんですが、今回のその新しい船、フナキさんに作っていただけないかと思いまして。いかがでしょう?」
「えっ、俺が?」
「本土へ行って船造りを学んだのは、この島ではフナキさんくらいです。それもあの『ラオシ先生』の元で学んだ。技術は申し分ないと見込んでいます。今度の船はこの島の皆で作りたい。今度こそは」
かつてこの島では船づくりが盛んに行われていたことがあった。やがて島と本土を結ぶ連絡線の話が持ち上がり、島の船大工や設計者がこぞって取り組むものの、満足のいく出来にはならなかった。その頃に作られた船たちは今でも近くの島々の行き来に使われていたりするが、耐久性こそあれど本土との定期的な行き来に耐える程の性能や大きさを実現することは出来なかった。
本土で作られた船が不定期にやってくることはあったため、一度島に停泊した際、その船の製造元を問い合わせ、島が約三十年前に購入したのがクジラぶねだった。島にクジラぶねが就航したことにより、島と本土との交流がより活発になったのだった。
「…べつに俺じゃなくても、良い船を作れる設計士は他に沢山いるんじゃないですか。うちの島で作られた船たちはちゃんと海を走ってるでしょ。それに、俺は確かに本土で船作りを学びましたけど、凄いのはあくまでラオシ先生であって、俺じゃない。」
「確かにこの島の船たちは今でも縦横無尽に島の周りを走ってます。だが、私らは本土まで走れる船を作りたい。古くから船作りで知られたこの島のなかで最も大きな船が、この島の外からやってきたものだ。悔しいとは思いませんか?」
「あの船に嫉妬してもしょうがないでしょ。」
アズマは暫くなにも返せなかった。
「……そうか。そうですね。うん、悔しいが、私もあの船に憧れた一人です。フナキさんも同じなのでしょうな。」
「はい。あんなに美しい船は他に無いと思います。悔しがるのはアズマさんくらいだと思います。俺は良い船の出身がどこだろうがどうでもいい。」
「そうですか…。冷静な人ですな。その美しい船の跡目を、あなたに作っていただきたいのです。これは名誉なことです。そしてあなたにしか出来ないことです。あなたに頼むのなら、島の船大工の方々も納得するはずだ。あのラオシ先生の教え子なのだから」
「俺は先生と同じものは作れません。」
「問題ありません。同じにしなくても良いのです。フナキさんの思う船を作っていただきたい。あなたになら出来るはずだ。まあ、急に押しかけてしまったし、返事はすぐにとは言いません。とりあえず連絡船の仕様書を置いていきますから、良く検討をしてください。」
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アズマが帰って行った後、フナキは応接間に残って連絡船の仕様書を眺めていた。
「この時期に村長が来るなんて珍しいね。」
テーブルのお茶を片付けながらナギが言う。
「…俺に新しい船を作って欲しいらしい。ずいぶん押しが強かったな。」
「ふーん。釣り船?」
「いや、連絡船だ。クジラぶねが古くなったから、それで。」
「………そう。引き受けるの?」
「………」
フナキはナギの問いに答えられないまま、仕様書をただただ見つめていた。
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一隻の渡航船が島に到着した。ある島と本土を結ぶ役目を担い始めてから、およそ1年の月日が経とうとしていた。
『……島に到着しました。長時間の船旅、お疲れさまでした。船内にお忘れ物などございませんようお願いいたします。』
乗客たちが出口に向かい始めるころ、一人の男が椅子の上で伸びをしていた。
「は~。よく寝た~。さ~てと」
男は手元にあったキャップを被ると、山登りでもするかのような大きなリュックを背負って船の出口に向かった。
船着き場の周辺は本土の港と比べても遜色がないくらいに活気づき、観光客向けのお土産屋から飲食店までが軒を連ね、1年前よりも明らかに街が大きくなっていた。
「お、前よりずいぶん賑わったね。そうだ、肉屋さんとかあるかな?」
大きなリュックを背負った男が島に新しくできた商店街を歩いていく。
観光客のような人々とすれ違うたび、みな片手に紙に包まれたコロッケを持っているのが目についた。
「なんかみんなコロッケ持ってるな。名物なのかな?う~ん…、ちょっと食べたくなってきた」
包み紙にホネ肉のようなマークが描かれていたのに気づき、マークを手掛かりに店を探してみる。5分もたたないうちに、それらしき看板が見つかった。
看板のマークが示す通り、店は肉屋だった。本土との交流が活発になってから、良質な肉が島にもたらされていたようだ。男は、なぜかメンチカツよりも人気だというコロッケと、牛、豚、羊の各種の肉を購入した。
「まさかの速攻肉ゲットじゃん。ラッキー。それにしてもなんでみんなコロッケばかり買ってくんだろ?確かにおいしいけどさ」
右手に持つコロッケをほおばりながら、お土産屋や飲食店、大工道具店などを見て回る。島の港町を一通り歩くと、男は島の地図を広げた。島を一周する道を右回りに進んでしばらく歩き、街を出て森を抜けるとやや広い平原がある。男はそこに場所を定め、テントを張って一泊することを考えていた。
食べ終えたコロッケの包み紙を街灯の下のごみ箱に捨て、街の外れへ歩き出す。商店街を抜けると海岸線沿いに民家が立ち並んでいた。大きなリュックを背負った男が島の海岸を歩く。海辺には何隻かの釣り船が出ていた。その中に、一風変わった形の釣り船が浮かんでいるのを見つけた。
「…? あれって、“クジラ”のちっちゃい版?」
男が乗ってきた船にそっくりな、小さな釣り船だった。割と浅瀬に浮かんでいる。男は海の方へ近づいてみた。よく見ると、少年が船の上に寝転がりながら本を読んでいる。
「こんにちは~。今ちょっといいかな?」
「ん?」
少年が男に気付き、本から視線を外して顔を向けた。
「いい船だね。それ君の?」
「……そうです。」
「島の大工さんに作ってもらったの?」
「はい。俺が設計図を書いて、知り合いの職人に頼みました。って言っても別の船の写しなんですけど…」
「いいよ!いいよ!よくできてるよ!というか君、図面描けるんだね?もしかしてこの島の船設計士さん?」
「いやいや。ちょっと設計士さんの真似をして図面を書いてみたらなんか楽しくなってしまって。それを職人さんに見せたら面白がってそのまま作ってくれたんです。」
少年は腕を組みながら船の淵の上にもたれかかった。
「え、マジで?じゃあ独学ってこと?」
「ドクガク…? ってなんですか?」
「え~?!」
当時の少年にとってはまだ難しい言い回しだったようだ。
「……んっとね、船づくりを誰かに教わったりしなかった?」
「いいえ。ほかの設計士さんが描いているところを見てただけです。あとは本が教えてくれました。」
少年は手元の本を上に掲げて見せた。ある本土の設計士が著した、図面描きの指南書だった。
「あっ、それ」
少年が読んでいた本を、男は知っていた。
「なるほどねー。うれしいね。そんなお堅い本、読んでくれる人いたんだねー。」
「俺は読んでて楽しいです。」
「そっか、そっか。君、船が好きなのかな?」
「ん?…まあ、そうですね」
「そうかそうか~。」
男は嬉しそうにうなずく。
「今度さ、船好きな人みんなで集まって船づくりの勉強会開こうと思ってるんだけど、君も来ない?」
「勉強会……ですか?なんかめんどくさそうですね。」
少年の表情が曇った。
「いやいや、勉強会って言っても船づくりの新しいアイデアとかみんなで好き放題語り合ったりするだけだよ?楽しいと思うよ~。」
「そうですか。船づくりの話が聞けるなら……、行ってみようかな」
と言いつつも、少年はまだわずかに迷っていた。
「君お名前なんてーの?」
「フナキです。」
「フナキくんね。私はラオシと申します。準備は本土に戻ってからするから、まだしばらくは………」
「ラオシ…? ……ん? ら、ラオシ先生?!あなたが?!っととと!」
少年は動揺して本を海に投げそうになり、すんでのところでキャッチした。釣り船が大きく揺れる。
「はははっ、そんなにビックリする? というか、そうか。もう先生とか呼ばれちゃうんだね~。ラオシ先生、…ラオシ先生。う~ん。いいかもね。それも面白いな。ありがとね、私の本読んでくれて。」
「…勉強会、是非参加させてください。お願いします。」
少年は釣り船の上で正座し、頭を下げた。
男が腕を組んで応える。
「うむ、よかろう! ………いやいやいや、そんな畏まんないでよ。」
この出会いから数年後、釣り船の少年フナキは、島を訪れていた船設計士、ラオシが主宰する設計士学校に入学した。
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フナキがラオシのもとに入門して3年ほどが経ったころ、ラオシと門下生たちは新しい船の設計案について話し合っていた。本土近海で実際に運航される近距離用中型旅客専用船の設計を、設計士学校の面々に任されることになったのだ。これまでにも研究目的の試作品やラオシの知り合いから頼まれた簡単な釣り船を門下生たちが設計することはあったが、商用利用される大規模な案件を担当するのはこれが初めてだった。
これまでに設計士学校内で作ってきた船の実績から、フナキは設計士としての力量をラオシに見込まれ、この船の設計責任者を任されていた。
フナキと門下生たちは、それぞれが思い描く理想を語り合った。そしてその理想を形にするためのアイデアを各々が日々寝ても覚めて探し続けては、皆で持ち寄った。持ち寄っては組み合わせ、練り上げ、その中からまた新たな発想が次々に生まれた。時に二律背反や矛盾した思想が現れることもあったが、それらをお互い短絡的に切り捨てることなく解決の道を探るようにと、フナキが皆に呼び掛けた。皆もその声に応じ、互いの思想を尊重した。そしてフナキ自身も積極的に「第3の道」を探った。
誰一人として退屈するものはいなかった。むしろ皆常に笑っていた。しかし、その楽しい時間の中にあっても、作っているのが実際に客を乗せる船であることを常に意識し、一つの欠陥もほころびも生み出すまいと気を配った。そんな門下生たちを、ラオシは全面的に信頼した。
そうして2年の月日が経ったころ、ラオシのもと船づくりを学んだ門下生たちの集大成「客船マンタ」が完成した。
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その日、天気は快晴であった。組み立てを依頼した造船所のドックにはすでに海水が入れられており、いつでも港へ向かえる準備が整えられていた。早朝からラオシと門下生ヤツが先に造船所に到着していた。
フナキとヤツは水に浮かぶ「客船マンタ」を間近で見上げていた。その姿は朝日に照らされ、威風堂々としていた。フナキも2人にやや遅れて造船所にやってきた。
「おはよー。早いね!」
「うっす。」
ラオシとヤツがフナキに気付いた。
「おはようございます。先生も早いですね。俺結構早起きしたつもりだったんですけど。」
「いやー、せっかくこんなにいい船が出来上がったんだし、ドックからの出発も見ておきたくてね。もうこれ完璧でしょ。こんなの私でも作れないよ。みんなの才能に嫉妬するわー。というかヤツ君の方が私より先に来てたよ。」
「俺はまあ、住んでるのが近所なんで。それと先生、褒め方なんかわざとらしいっすよ。いつもそうですけど」
ヤツが応える。
「えっそう?」
「そうですよ。これくらい先生ならできるっしょ。俺らも先生の教え通りやっただけなんすから。」
「う~ん…。後から真似るならできるかもだけど、初めから作るとなったらやっぱり出来ないよ。いくら私が教えたからといったって、この船はみんなの個性から生まれてるからね。私が作ってたら別の船になってたよ。ホントみんな凄いって。」
「…個性、ですか。」
ヤツはラオシの言葉を頭の中で何度か反芻した。
船の乗り込み口に今回の初航海を担当する乗組員たちが続々と向かい始める。フナキが船の乗り込み口の方を指さした。
「そろそろ動かすみたいですよ。俺らも行きましょう。」
「そういえばあいつ、また寝坊か?」
ヤツがつぶやいた。
「いや、なんか風邪ひいたらしくて、来れないって」
横にいるフナキが応えた。
「このタイミングで、か。ついてないな」
二人の脳裏に、せき込む少女の姿が浮かぶ。
3人は「客船マンタ」に乗り込んでいった。船の前方のデッキに向かい、造船所のドックの出口の方を見下ろした。
ドックが開門する。
あさひに照らされた「客船マンタ」がゆっくりと海へ繰り出していく。
「いよいよですね。」
フナキがつぶやく。
「うん、いよいよだ。」
ラオシが応えた。
ラオシとその門下生たちが完成させた船「客船マンタ」は、その日無事に初めてのテスト航海を終えた。
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テスト航海からおよそ2週間後、港には大勢の旅客たちが集まっていた。「世界航海船」の設計者として名を馳せたラオシの教え子たちが作った船に乗れるとあって、本土の各地から多くの人々が初航海切符の抽選に応募した。
港には出店が立ち並び、さながらお祭りのようだった。その中の一角には設計士学校の様子や「客船マンタ」が完成するまでの経緯を紹介する展示ブースもあった。ラオシ、フナキ、ヤツは造船所で出発を見届けた後で港まで移動し、テントの中で港にやってきた見学客の応対をしていた。
テントの前からしばらく人が途切れると、ヤツが小声でラオシに話しかけた。
「なんか地味っすね。お披露目の時ってもっと大勢の前でマイク持って話したりするもんかと思ってたんすけど」
「いいじゃん。セレモニーのやり方なんて自由でしょ。みんなの気分が盛り上がってくれればさ。それに私の話が聞きたい人ならいいけど、一方的にしゃべってるのを聴く役目に縛られるのってヤじゃない?まあしゃべってる方は楽しいんだけどな」
「なるほど。でも、先生はもっと大勢に聴いてほしいとか思わないんすか?」
「そういわれると…、聴いてほしいかも。うーん…。ちょっとやり方が大人し過ぎちゃったかな?でもいいや。聴きたい人はこうやってテントに来てくれるし。隣からフランクフルトのいい匂いするし」
設計士学校の展示ブースの隣に偶然飲食系の出店が出ていた。店の配置ばかりはさすがのラオシも手を付けていない。…決して肉が食べたくて呼び寄せたわけではない。
「ちょっと買ってきていい?」
ラオシがヤツとフナキにお伺いを立てたちょうどその時、見学客がテントにやってきてしまった。
「ほら、お客さんですよ」
フナキがラオシをたしなめた。
「残念…。い、いや、船の話ができるね。どうもー。本日はありがとうございますー」
ラオシはすぐさま見学客に向き直し、微笑みかけた。
船が出発するまでおよそ1時間を切ったころ、フナキの祖母と妹のナギが展示ブースにやってきた。
「よっ、兄さん久しぶり。」
ナギが右手を振って微笑む。
「久しぶり。悪いな。わざわざ遠くから。」
フナキが応える。
「いやいや。むしろありがとね。切符分けてくれて」
今回の初航海切符は一般公開されるものとは別に、ラオシの計らいで門下生たちの関係者に向けたものが発行されていた。フナキは手紙に添えて切符を島に送信していた。
「久しぶりね。フナキ君。今日はありがとう。島で釣り船を作ってたあなたがまさかこんなに立派な船を作るようになるなんてね。」
フナキの祖母が言う。
「おかげさまで。そうだ、この人がラオシ先生。ばあちゃんは会うの初めてだよね。」
フナキは隣に立つラオシに手を向ける。
「どもー。ラオシです。」
「初めまして。フナキの祖母です。いつもうちのフナキがお世話になっております。」
2人はヤツとも挨拶を交わし、それまでにやってきた見学客たちと同じく客船が完成するまでの話を聴いていた。船づくりが盛んな島の住人ということもあってか、ラオシの話を楽しげに聞き入っていた。
一般客の搭乗時間が近づいてくると、ナギと祖母はテントを後にした。
「じゃあね、兄さん。また後で」
「ん、じゃあな」
ラオシたちはその後やってきた見学客を何組か応対した。再び人が途切れてくるとテントをいったん閉じ、自分たちの荷物をまとめ、搭乗の準備をしてテントで待機していた。ヤツが時々テントの外を確認してはまた中に戻ってきた。
「それにしてもタマの奴、おせーな。あんなに楽しみにしてそうだったのに。」
「まあ、あの人はいつも勉強会のとき寝坊してくるからな。だからといってさすがに初乗船の日に乗り遅れたりはしないでしょ。」
「だよな。あいつみんなで船乗る時だけは絶対早起きしてくるもんな。この間のテスト航海乗れなかったせいで後であんなに恨めしそうな目で俺らを睨んでたし…」
搭乗時間がもう間もなくに迫る。しかし、タマはまだ集合場所であるテントに現れない。
「うーん…。タマ君遅いね。船長に言って出発遅らせてもらいたいところだけど、今日はお客さんが乗ってるからね…」
ラオシ自身も普段からスロースターターなだけにタマの遅刻癖にはいつも寛容であったが、今回ばかりは勉強会と違って融通を効かせることはできない。
「置いていっても別にいいんじゃないすか?今日じゃなくたって就航した後は何度でも乗れるんですし」
「ヤツ君ちょっと冷たいよ…。でもしょうがないね。今度また連れてきてあげよっか。」
ラオシは先に乗り込んだことをタマに伝えるようテントの設営スタッフに伝言を頼むと、フナキ、ヤツとともに船の方へと向かった。
汽笛が鳴り響く。客船はゆっくりと岸から離脱してゆく。港では大勢の人が船に向けて手を振り、乗客たちもそれに応えて手を振っていた。
船を見送る人だかりの後ろの方に、一人の少女が駆けつけてくる。
「マンタちゃ~ん!置いてかないで…!」
船がゆっくり動いていることに気付くと、少女はその場にうなだれて両手を地につけた。
「なんで今日に限って目覚まし時計壊れるのよ………!」