■86.…「まもろう、エルフの森!」(後)
渚にて。
ここ数週間、濃緑の外套を纏った冒険者は、連日のように射ち上げられるロケットを眺めている。鋼鉄の塊が噴煙とともに、無限に広がるはずの夏の蒼穹を翔け上がっていき、最後には見えなくなる。手が届かないどころか、見ることさえ出来ない世界が天上に広がっていることに、彼は驚いた。
世界も、変わりつつある。
日本国の勢力圏に入った地域は、急激な開発が進められていく。その過程で人々にとって脅威であった“自然”は、次々と撲滅されていく。樹海が拓かれ、怪物は駆除され、夜の闇は引き裂かれた。
「私たちの仕事もなくなりますね」
砂浜に腰かけて呆とする冒険者に、焼きただれた顔面と首筋を持つ少女が後ろから声をかけた。
彼女の指摘は正鵠を射ている。
冒険者も頷かざるをえない。
「一生食いっぱぐれることがない仕事だと思ってたんだが……」
彼は冒険者廃業を決めていた。
勿論、日本国の勢力範囲外に行けば、まだまだ冒険者に対する需要はあろう。だがそれは最悪の場合、日本側と敵対する可能性を孕んでいる。全ては命あっての物種。日本国の敵対勢力につくよりも、さっさと他の正業を探した方がいい、というのが彼の考えであった。
「だが今更行くところもないんだよなあ」
「そこで朗報です」
ふんす、と少女が胸を張った。
「エルフ自衛隊が種族を問わず、相当な数の人員を掻き集めている様子」
「エルフ自衛隊ねえ……」
男は胡散臭げに少女へ視線を遣った。
「どうやら“れんじゃー”? なる精鋭が欲しいらしく、熟練の冒険者に無差別的に声をかけているという噂」
「エルフ自衛隊はセイタカ・チョウジュ・ザルどもの常備軍じゃないのかよ」
「実際には前身のエルフ日章軍から多様な種族が参加していましたが……。何よりもその後ろにいる日本国環境省の意向が強いようですね」
「この歳で下っ端かあ」
「……不服ですか?」
「まあ面接に行ってみなきゃわからんけど。ヴォーリズのおっさんにも挨拶しときたいし」
「ヴォーリズさんはもうエルフ自衛隊の幕僚長ですよ」
「そりゃ都合がいいや」
男はからからと笑うと、尻を叩いて砂を払った。
そして「行きましょうっ!」とどこか気合が入っている少女に続き、海原に背を向ける。
男は、新しい世界へ、新しい一歩を踏み出した。
かくしてこの異世界に住まう多種多様な人々は、いま新しい明日へ向かって生きている。生き始めている。それを意識しているわけではなかろうが、日本政府はその新しい世界・新しい未来を守るために着々と準備を進めていた。
新大陸東海岸の敵動向を素早く察知するための偵察衛星網は勿論のこと、戦略防衛システムの構築、新大陸・旧大陸の合間には複数の水上艦隊が遊弋している。
「これは全ての戦争を終わらせる戦争だ」
とは、JTF-自衛隊司令部関係者の言であったが、まさにその通りの覚悟で幕僚たちはこの一戦に臨もうとしていた。
新大陸東海岸に集結した旧・国際連合軍は、抵抗勢力最後の正面戦力だ。これさえ散々に撃ち破ってしまえば、抵抗勢力の心は折れる。古来、正規軍を持たないゲリラ戦のみで、戦争に勝利した例はない。これで全ての戦争は終わる。パクス・ジャポニカの時代が来る。
その一方で、地球の汚染は留まることを知らず、子どもが作れない地域さえも現れ始めている。顕在化する遺伝子損傷の問題――人類滅亡、科学文明の継承者が絶えるという可能性。ひたひたと迫る仄暗い終末。
だからこそこの異世界というフロンティア、日本国民が、生きとし生けるものが健やかに生きていける環境を守らなければならない。
「お前たちが真の強者なら、」
環境省環境保全隊の面々の前に現れたフォークラント=ローエンは、自ら頭を垂れた。
「どうか、この世界を守ってくれ――」
人が善悪を併せ持つように、物事にはいくつかの側面がある。
この異世界に争乱と危機をもたらしたのは、日本国の進出であろう。
ところがしかし、この異世界に平和と発展をもたらそうとしているのもまた日本国による進出である。
そして成り行きで始まろうとしているこの最終戦争の局面で、確実に善くなっていく人々の日々の営みを、明日へ繋ぐことも出来るのもまた彼らしかいない。




