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■59.御寧、怒りの理解聖拳(わからせけん)!

 意気軒昂いきけんこうの魔王野戦軍は、惨めな敗残兵となって西方へ逃れた。

 生存者を捜索し、あるいは負傷者を収容する余裕すらない。壊走といってもいい。一部の魔術兵らは制裁を恐れず、野戦軍の統率からの逃走を図った。

 彼らの背後に残ったのは屍山血河。

 土埃にまみれた魔人デーモンの頭や太腿が転がり、ぽつんと残った樹木には腸が引っかかっている。155mm榴弾が着弾したことで生まれた大穴に血が流れ落ちることで、血の池がほうぼうに生じていた。落ちているちぎれた手指は、敗走する士卒らによって踏みにじられたために潰れている。

 その骸の地平に、黄金の甲冑に身を包んだ武者はただひとり立っている。


「出し惜しみせず魔獣連隊をぶつけよ」


 デーモン・ロードLv.89は平静を保ったまま、野戦軍諸隊に対する追撃を防ぐべく殿しんがりを指揮していた。

 彼が環境省環境保全隊に対してけしかけたのは、魔犬ヘルハウンドや合成獣キマイラから成る魔獣連隊だ。魔獣連隊は魔力防壁による防御が出来ないために魔術兵に比較すると打たれ弱い。が、機動力に優れており、敵の砲火を潜り抜けることが出来るのでは――出来ずとも、連中の足止めがかなうのではないかと期待したのである。


 対する日本国環境省環境保全隊は、深追いすることなく淡々と向かってくる魔獣を片づける。

 戦術なき獣が、特科部隊全力の曳火射撃を突破出来るはずもなく、よしんば突破出来たとしても無数の機関銃が睨むキリングフィールドを抜けられるはずもなし。

 空中で炸裂する砲弾、砲弾、砲弾――野戦軍の魔獣連隊は破片の瀑布ばくふの下で、みな斃れていった。


「なンなンだよッ」


 廃墟と化した地方都市エイデルハルンまで後退した魔術兵らは、恐怖と狂気に脅かされていた。

 封印前、彼らは大敗を経験したことがなかった。

 常に“狩る側”であった。

 故に“狩られる側”に立った瞬間――敗北という軍事組織にとっての最大の試練に直面した時、初めて彼ら将兵の矜持と、献身が試される。試されてしまう。


「レッドドラゴンさえあの怪鳥にやられた」

「連中の攻撃魔法を防ぐ手立てなんてあんのかよ……」


 ……士気は地に堕ちた。

 無秩序な殺戮と侵略、その愉悦の中にひたってきた連中が冷酷な現実を突きつけられたとき、背負っているものも、心中に残るものもない以上、踏みとどまることなど出来はしない。

 魔王野戦軍と、環境省環境保全隊の間に横たわる断絶は火力の差ではない。


「下等生物どもがァ……」


 遅れて66体の魔術兵が、地方都市エイデルハルンに帰還した。


――深夜、封焔の塔の下に来るならば話を聞こう。


 彼らはメッセンジャーである。

 環境省幹部、御寧の意趣いしゅ返しであった。


◇◆◇


 青白い星々に埋め尽くされた冬空。


「アンタたちさぁ……ちょ、調子にのらないでくれますかぁ♥」


 焼け落ちた塔の下で環境省側の人間と、魔王側の人外が対峙した。

 環境省側の代表は、希少種保全推進室長の御寧。脇に立つのは百戦錬磨のヴォーリズ。背後には語学や伝説に明るいという理由で呼ばれた、元・高級貴族のフォークラントが控えている。

 それに正対して立っているのは透けるワンピースに身を包み、足首まで伸ばした長髪が印象的な怪物、スカイクラッド・ウィッチLv.81。デーモン・ロードに並ぶほどの実力者であり、先の野戦では砲弾の雨を防ぎきって生き残ったほどの魔女だ。


「あれくらいの被害だったら、1日とか2日とかですぐに補充できちゃうの! ざーんねーん♥」


 その魔女が、気圧けおされている。

 かかないはずの汗が滲む。抱かないはずの恐怖が、存在しない心臓の鼓動を加速させる。

 あの戦場のど真ん中に立っていた彼女は、すでに理解していた。目の前の存在は人間に似て非なる存在。魔術とは別体系の技術をきわめ、いま神の域に挑戦しようとしている怪物ども。


「それは困った」


 と言う割には、御寧は特に困っていない。

 なにせ彼らは朝鮮半島北部で約1000万の軍勢を皆殺しにしている。

 死傷者数万名というダメージから立ち直ってくることなど、想定のうち

 その御寧の言葉と表情に、スカイクラッド・ウィッチは苛立った。


「だッ、だからザコ人間にぃ……チャンスをあげちゃう♥」

「要らない」

「あたしたちに従うなら……」

「何か勘違いしていないか」


 逆だ、と御寧は言った。


「セイテイ・コダイザルどもに伝えろ。“降伏か、死か”と」


 は、とスカイクラッド・ウィッチは呆けた。

 高級魔族からすれば、ありえないことだった。

 脆弱な人間ごときが、強大なる魔人に、示していい、選択肢では、ない。


 ……この時の彼女の不幸は、御寧は環境省の中でもまだ良心的な方だということが理解できていないことだった。

 彼は井底せいていで得意になっていた蛙どもに現実を見せた上で、生存の道を示したのだ。もしもこのとき、彼女が前向きな返答をしていれば、環境省環境保全隊はいったん停戦したであろう。

 だが、そうならなかった。

 彼女は考えられる選択肢の中でも最悪の愚行に出た。




……。








……。










……。












「夢?」


 ソファに身を横たえていた御寧は、まぶたを開けた。


 ベランダからは春の陽気。


 柔らかい暖色系の照明。


 テレビ画面では落ちてくる食べ物をキャッチするために、籠を持ったキャラクターたちが右往左往している。押し合いへし合い。くるりと入れ替わって落ちてきた食べ物を横取りしている。


「うわあ……ねいちゃんマジ本気じゃん」


「ライオンはウサギを狩るときにも全力を尽くすんだよーん」


 フローリングの上にぺたりと座りこんだつよし美穂みほは、半透明のコントローラーを操って画面に映るキャラクターのダダダとプププを操っている。


 御寧は、にやりと笑った。


「美穂、俺にもやらせてくれヨ」


「えー、パパめちゃくちゃマジになるからなあ」


 と、言いつつも美穂は放置されていた3個目のコントローラーのケーブル端子をロクヨン本体に差すと、コントローラーを持って立ち上がった。


「そらそうだよ」


 御寧も腰を上げ――そのまま腰を沈める。


「ライオンは井の中の蛙を狩るときにも全力を尽くすからな」


 は、と美穂が呆けた。

 刹那せつな。御寧が獰猛な肉食獣のようにフローリングを蹴る。

 1秒もかからず御寧の打撃は、美穂の色白の顔面に達しようとしていた。

 迷いなき、躊躇ためらいなき、高速の掌打しょうだ。美穂の鼻梁びりょうが砕け、歯が欠ける。骨を砕く手応えを感じつつ、御寧は右拳を引く――引くと同時に左足を踏み込んで、バランスを崩しながら後ずさった美穂の小柄な体躯に、左半身をぶち当てる。


「あ゛っ――が――」


 美穂の身体は優しい光源の下から、夜の闇へ吹き飛んでいく。

 冷たい星の光は、ただ現実を照らし出していた。地に落ちているのは人外の欠けた歯であり、いま地に墜ちたのは魔女の華奢な肉体であった。


「痛――痛い゛ッ! なんで、あたしの【魅了催眠チャーム】Lv.10がッ! おがじいだろォ゛、あたしのは最高レベルで最強で、こんな゛ザゴにぃいいいいいいい!」


 地に伏した怪物は泥にまみれた髪を振り乱しながら吼えた。

魅了催眠チャーム】Lv.10、これまで対人戦において抵抗レジストされたことなど一度もない最高レベルの魔術が、いとも容易く破られたことに彼女は動揺を隠しきれていない。

 が、血と泥に汚れた魔女の怒声と相対した御寧は、動じることはなかった。


「俺に娘も、息子もいない」


「うぞをづぐなぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! 御寧美穂も御寧剛も、おばえのいぢばんいい゛おぼいでなんだろぉうがぁあああああああ゛! 後う゛っ悔してるよな、このザコ! ざーこ! スパイ連中を殺すことが出来ても、大事な家族を守れなかった負け犬ぅううううう゛!」


「そうだったかな?」


「ごばかずなぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! そのままじばわぜな夢に浸って操られていればよかったんだぁあああああああ!」


 勝敗は誰の目にも明らかだった。

 表情ひとつ変えない御寧と、血を吐きながらぎゃあぎゃあと喚くスカイクラッド・ウィッチLv.81。

 実際のところ、魔女のげんは虚構というわけではない。

 その証拠に、彼の全身からは静かな殺意が放射されつつあった。


「が、そこまで覗かれているとなるとさすがに不愉快だ」


 御寧の喉が震わせた空気に、怒りがにじむ――そして彼は再び腰を落とした。




◇◆◇


次回の更新は12月26日(土)の予定です。

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