■35.緊急SOS!聖領のサル全部●す大作戦!(後)
3名の高級神官らが聖領中枢で対応策を協議する一方、高級神官ナサエシキはその南方でエルフ日章軍に対する防衛戦を指揮していた。
「逃げるなァ゛!」
初雪の中、高級神官ナサエシキは罵声を張り上げながら、信徒達の突撃に混じって指揮棒を振り回している。睡眠不足と疲労、精神的重圧のせいで彼女は半ば狂乱していた。爛々と光る瞳。純白の戦装束は返り血で染まっている。足元には頭をかち割られた死体。逃げ出すと同時に、彼女に殺害された信者のものであった。
陣頭指揮を執る彼女の努力も虚しく、聖戦軍は敗北を重ねていた。信仰がもたらす全能感と、麻薬がもたらす高揚感がなくなってしまえば、彼らは凡百な銃兵、軽歩兵でしかない。そうなるとむしろ、身体能力や魔術戦で優る諸族から成るエルフ日章軍の方が、質の上から優位に立つことになる。
降りしきる雪の中を突っ切る聖戦軍は、その白雪の合間から降り注ぐ火球や矢弾に薙ぎ倒され、すぐに出足が鈍ってしまった。そこをエルフ日章軍の斬り込み部隊が吶喊し、聖戦軍は容易く総崩れとなる。
転戦を繰り返して同胞を解放していくことで、その規模を拡大していったエルフ日章軍を阻止しうるだけの戦力を、いまの聖戦軍は有していなかった。
「この不信心者どもがァ!」
高級神官ナサエシキは周囲を叱咤しながら、自分もまたエルフ日章軍から背を向けて逃げていく。苛立ちと焦燥で彼女の胸は焼けてしまいそうであった。そして新雪の上に足跡をつけながら、屈辱と羞恥に身を震わせてもいた。
もとより彼女は戦争に賛成――というより、彼女が聖領を開戦へ踏み切らせたのである。聖戦軍の精強さは旧大陸中に知れ渡るほどだったから、戦えば勝つと思っていた。勝つはずだったのだ。聖戦軍を自ら指揮し、勝利の栄光とともに発言力を得る腹積もりであった。
だが、そうはならなかった。
「畜生ォ゛……」
荒い呼吸の合間に漏れるのは、怨嗟の言葉ばかり。
「卑怯だろうがァ゛、環境省の奴ら……畜生ォ゛畜生ォ゛オ゛オ゛オ゛!」
万が一、聖戦軍が逆転勝利を収めたとしても、その後に待っているのは失脚という屈辱。キャリアは完全に絶たれた――と高級神官ナサエシキは絶望しているが、滑稽な杞憂であることは明白だった。なぜなら聖戦軍がこれから逆転勝利を収めることはないし、聖戦軍に参加した信徒は勿論、聖領のほとんどの住民はエルフ日章軍によって皆殺しにされるからである。
そう、聖戦軍と聖領の民はもう逃げ場がなかった。
聖領西側と北側は、環境省環境保全隊の数個師団・旅団が警戒線を張っている。東側は海に面しており、いつの間にやら環境省環境保全隊の哨戒艦が出張り、沿岸を監視するようになっていた。
そして南側からは、憤怒のエルフ日章軍が押し寄せる。聖戦宣言時、高級神官らは「殺しなさい、盗みなさい、犯しなさい」と高らかに声を張り上げたが、エルフ日章軍は躊躇いもなくそれをやった。聖領南部に侵入したエルフ日章軍は、本能が命ずるままに市街地へ突入し、市街戦に勝利しつつ、殺し、盗み、犯し、そして、焼いた。
「そう゛い゛う゛ことがァ゛!」
高級神官ナサエシキは合点がいった。
いよいよ聖戦軍を追撃する形で、エルフ日章軍は聖領中部に進出した。そこでも激しい市街戦が生起したが、1万にまで膨れ上がっていたシンシルリアの手勢は、容赦なく聖戦軍の士卒と住民を撫で斬りにしていった。
対する環境省環境保全隊は、聖領の西側と北側を封鎖したまま、静観している。
……動かない。
「お前だぢは、自分の手も汚さずにィ゛!」
高級神官らが儀式や政務を執る“友和の塔”がある聖領中心部が陥ちる直前に、高級神官ナサエシキや他の高級神官、聖領の幹部らは聖領最北部の都市へと脱出していた。
もはやエルフ日章軍、そして環境省環境保全隊の意図するところは分かりきっていた。
「頼む゛っ! この通りだッ!」
「このままでは我々は皆殺しにされてしまうっ!」
「助けてくれえ、やつらは環境省の言うことなら従うはずだ!」
聖領の北端にて高級神官ナサエシキを除いた3名の高級神官は、境界として設けられた即席の金網と壕の向こう側から、監視にあたっている環境省環境保全隊の隊員に向かって哀願した。武器を持っていない両掌を挙げたり、雪上に座って何度も額を地につけたりするなど、降伏の意を必死で表した。
「バルバコア・インペリアル・ヒトモドキが、何か言っています。ともすれば降伏かもしれません」
「騙し討ちかも。俺は平壌で散々にやられた」
「……俺もです。シアトルじゃ酷い目に遭いました。あいつらポケットから銃を抜いて、突然撃ってきやがるんですよ。ナイフでもやられた」
「ああ。しかも連中は魔術を使えるからね。フェンスを乗り越えた瞬間、狙撃していい」
ところが、血もあるし、涙もあるが、情け容赦はしない環境保全隊の隊員らはそれを黙殺した。それに3名の高級神官は英語ではなく、現地語で口々に勝手なことを叫んだため、監視に就いている隊員らは意味をよく分かっていなかったし、分かったとしても信用はしなかっただろう。聖戦軍参加者は狂信者であると彼らは教わっていたため、降伏を申し出ることなどありえないと思っていた。
そして、追い詰められた聖戦軍の暴力は、愚かにも内へ向けられた。
「これより贖罪の儀を始める」
「ふっざげるな゛ァ゛ァ゛ア゛!」
「天の意思に反し、このナサエシキは天声を捏造して聖戦を宣言した」
防衛線の構築を指導していた高級神官ナサエシキは、突如として他の高級神官に召喚され、そして聖領最北部の都市――その広場にて磔にされた。
「そう゛い゛う゛ことがァ゛! そう゛い゛う゛ことがァ゛! 貴様らァ゛、この私を裏切っで……!」
掌に数本の釘を打ちつけられ、十字架にかけられた女性――高級神官ナサエシキは蒼の髪を振り乱しながら絶叫した。他の高級神官も、集まった住民もそれを無視して、贖罪の儀式は続けられる。その目的は単純明快。開戦を主導した高級神官ナサエシキを殺害し、その首を持って環境保全隊に降伏しようというのである。
「この愚か者どもがァ゛! 私を殺そうが、連中゛がおばえ゛らを助命すると思う゛のかァ!」
と、高級神官ナサエシキは事実を怒鳴り散らしたが、すでに進行している儀式は止まらない。男がふたりがかりでようやく使える処刑用の大槍が担ぎ出される。槍というよりは、ちょっとした破城槌に近いかもしれない。これで胸を一突きして、彼女の生命を絶つのである。
「では、我々を破滅へ誘おうとする自称預言者に、裁きを下す!」
喚くナサエシキを無視し、高級神官が吼えるとともに数名の執行人は大槍を担いだまま、助走をつけ――その巨大な穂先からナサエシキへ突っ込んだ。
凶刃はナサエシキの肋骨を容易に粉砕し、内臓を破壊した。
確かな手応えを覚えるとともに執行人らは後退し、槍を引き抜く。
「その゛ォっ、程度でェ゛!」
ところが、ナサエシキは死ななかった。
死ななかったどころか出血がすぐに収まっていく。
高度な治癒魔術を己にかけたに違いなかった。
で、あるから、執行人は再び大槍を構え直して突撃した。今度は腹部に巨大な穂先が呑み込まれていく。槍が引き抜かれると同時に、返しの部分が彼女の腸を引き摺り出した。
「お゛お゛お゛お゛お゛お゛!」
もはや意味のある言葉を、彼女は紡げない。ただ本能的に治癒の魔術を自分に用いている。そのために死なない。出血は止まり、意識もまた繋ぎ止められる。
結局、彼女は十数回の刺突により上半身と下半身が完全に断裂したところで、ようやく絶命した。
「こっ、これで我々の罪は浄化されたァ!」
広場は歓声に包まれたが、だからといって環境省環境保全隊が彼らの降伏を受け容れるはずもなかった。2日後には高級神官らが信徒らによって処刑され、4日後には包囲していたエルフ日章軍が突入した。
……こうして聖領もまた滅亡を迎え、ついにバルバコア帝国勢力圏のほとんどが『バルバコア自然公園』へ編入されることとなったのである。




